ハイドンは、大喝采を浴び、名声でも収入でも大成功だった1回目のロンドン訪問を終え、1792年6月に帰途につきます。
途中、フランクフルトに立ち寄り、フランツ2世の戴冠式に出席するために滞在していた主君、エステルハージ侯爵アントンに会うためでした。
それに先立ち訪れたボンでは、21歳の若手作曲家、ベートーヴェンがカンタータをハイドンに提出しました。
これを見たハイドンは、非凡な才能を見抜き、自分が教えるからぜひウィーンに来なさい、と激励しました。
しかし、ハイドンは多忙で、ウィーンに来たベートーヴェンの勉強を見てあげることはあまりできず、ベートーヴェンはこの先生に不満でした。
ハイドンも、ベートーヴェンの生意気な態度が気に入らなかったようです。
後年、ベートーヴェンが組曲『プロメテウスの創造物』を作曲したとき、道端で会ったハイドンはこれを褒めました。
これに対し、ベートーヴェンはこう答えました。
『ああ、愛するパパ、ありがとうございます!でも、あれはまだ〝創造〟には程遠いものなのです。』
ベートーヴェンは、ハイドンの傑作『天地創造』に引っかけて、自作を卑下、謙遜したつもりだったのですが、ハイドンは若造が自分の曲と比較したことにムッとして、『いかにも、あれは創造ではないし、これからもそうならないと思うよ。』と答え、お互い気まずい雰囲気で別れたということです。
この場に誰かいたら、さぞ凍ったことでしょう。誰かいたからこの話は今に伝わっているのですが。
ハイドンは、あれほど帰りたがっていたウィーンに帰り着くと、2度目のロンドン旅行の準備を始めました。
1回目の旅行で大儲けしたこともありますが、田舎の宮廷で宮仕えをしていたハイドンにとって、あれだけの大都会で浴びた喝采、そして自分の音楽をここまで喜んでくれる大聴衆に、また応えてあげたい、というサービス精神が、彼にもう一度大旅行をする決心をさせたのでしょう。
しかし、主君のアントン侯は反対しました。その経緯を伝記作家のディースは次のように伝えています。
ハイドンが再度のロンドン行きについてエステルハージ侯に許可を求めた時、侯爵は、ハイドンはすでに得ている名声に満足すべきであり、61歳の老人が長旅の危険に身をさらすべきではないという考えであった。ハイドンは侯爵のこの考えが、思いやりの深い心からでたものであることを知っていた。しかし長い間多忙な生活を送ってきたハイドンにとって、静かな生活は好ましいものではなかったので、侯の考えとハイドンの要望とは容易に一致しなかった。けれどもロンドン旅行がハイドンによって、利益になることを知った侯は、最後には自分の考えをすててロンドン行きに許可をあたえた。1794年1月19日、ハイドンは2度目のロンドン旅行に出発した。
今のように、飛行機でひとっ飛び、という旅ではなく、ずっと馬車に揺られていくわけで、今の旅行とは比べ物にならないくらい体力を消耗するものだったでしょう。
引き留めた主君の考えは分かります。
でもハイドンは、自分の音楽を必要としている人がたくさんいる、まだまだ楽隠居などしていられるか!という思いだったのです。
しかし、ハイドンの身を案じた主君アントン侯自身が、ハイドンの出発した数日後、急逝してしまいました。エステルハージ侯爵家は、その息子、ニコラウス2世が継ぎました。ハイドンがこれを知ったのはロンドンに着いてからでした。
また、当時の「ベルリン音楽新聞」1793年10月26日号に次のような記事があります。
ボン発 昨年12月、宮廷オルガン奏者にして、うたがいもなく第1級のピアニストたるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、選帝侯の給費により、ウィーンのハイドンの門に入った。その指導によって作曲の知識を完成するためである。ハイドンは、第2回目のロンドン旅行に彼を帯同しようと考えていたが、これは実現しなかった。
実現していたら、ロンドンでハイドンとベートーヴェンの共演というコンサートが開催されたはずです。
第2期ザロモン・セット
2回目のロンドン訪問で、ハイドンは新たに6曲のシンフォニーを作曲しました。これが第2期ザロモン・セット(ザロモン交響曲、ロンドン・セット)と言われる曲群です。
ハイドン最後の曲群であり、当然、彼の到した高みを示す不朽の6曲です。
第1期よりもさらにスケールが大きく、円熟味を増していますが、豊かな色彩の楽器、クラリネットが加わったことも一役かっています。
その1曲目の第99番は、ロンドン旅行準備中に、ウィーンかアイゼンシュタットで完成しています。
ハイドンのロンドン到着は1793年2月4日で、二期目の第1回ザロモン・コンサートは2月10日に開かれ、この第99番の初演で幕が開きました。
旅の疲れも癒えないうちにコンサートに臨んだハイドンも大変ですが、ほとんどリハーサルの時間もない中で演奏した当時のオーケストラも、いつもながらすごいです。
F.J.Haydn : Symphony no.99 in E flat major, Hob.Ⅰ:99
マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル
Marc Minkowski & Les Musiciens du Louvre
序奏は、最初の和音がベートーヴェンのピアノ・コンチェルト第5番〝皇帝〟の冒頭にそっくりです。同じ変ホ長調ですし、クラシックのイントロクイズをやったら絶対間違えるでしょう。真似をしたとすればもちろんベートーヴェンの方ですが、この曲も、〝皇帝〟のように堂々とした風格です。主部は気宇壮大で、第1期のシンフォニーたちとは明らかにグレードアップしています。愛称がついていないので、他の曲より演奏の機会は少ないですが、聴く人を興奮させてやまない素晴らしい楽章です。
オーボエ、フルート、ファゴットが呼び交わす、抒情豊かな楽章です。どこか寂し気なのは、ハイドンが敬愛する貴婦人、マリアンネ・フォン・ゲンツィンガーの死を悼んで、その思い出を反映させている、という解釈もあります。豊かな音楽の才能を持ち、ハイドンの音楽をこよなく愛したこの貴婦人との交遊は、ハイドンの創作にも大いにインスピレーションを与えたことが、残された文通の書簡からうかがえます。
第3楽章 メヌエット:アレグレット
ベートーヴェンはシンフォニーの第3楽章を、メヌエットからスケルツォに置き換えましたが、そのヒントとなったのではないかと思われるリズム構造のメヌエットです。トリオも含蓄深い響きです。
第4楽章フィナーレ:ヴィヴァーチェ
うきうきするような刻みのリズムで始まり、管楽器の合いの手が楽しい、活気あふれるフィナーレです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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