ハイドンが題名をつけた、唯一のシンフォニー
ハイドンが1761年、ハンガリーの大貴族、エステルハージ侯爵家の宮廷楽団副楽長として雇用され、最初のデビュー作として作曲した、3曲セットのシンフォニー、『朝』『昼』『晩』。
今回は2曲目の『昼』を聴きます。
3曲のうち、この曲だけ自筆譜が遺されており、そこに1761年の日付があったため、年代の特定ができたのです。
ちなみに、ハイドンのシンフォニーにはいくつも親しみやすい愛称がついていますが、それは題名ではなく、また作曲者の意図を反映したものでさえありません。
ハイドンが題名を楽譜に記したのは、104曲のうち、実にこの曲だけなのです。
曲の中身も、各楽器すべてにそれぞれソロの見せ場が与えらえれ、メンバーを入れ替えた新生楽団の団員紹介になっていますので、まさにデビュー曲であることが裏付けられています。
そのせいでこの3曲はコンチェルタントな魅力あふれた、実に個性的な曲になっていて、ハイドンの他の作品にも似たものはありません。
まさに、一世一代の気合の入った作品なのです。
ハイドンのオーケストラは何人編成?
ハイドンが新たに侯爵のために編成したオーケストラはどのような規模だったのでしょうか。
それは、当時の記録から、14人だったと考えられています。
ヴァイオリンは指揮者のハイドン、コンサートマスターのルイジ・トマッシーニを含めて6人。
ヴィオラ、チェロ、ヴィオローネ(コントラバス)各1名。
管楽器は、まずファゴット1名。
オーボエ2名で、この人たちは必要に応じてフルートに持ち替えました。
そして、ホルン2名。
以上です。
特別な機会には、これにクラリーノ(トランペット)やティンパニ奏者が臨時に雇われました。
ホルン奏者が増強され、4名いた時期もあります。
それにしても、今から見れば、非常に少ない室内アンサンブルですが、これが宮殿のホールで演奏されるとき、絶妙な効果を発揮したのです。
低音部に凝らされた工夫とは
バス声部を担当する楽器は、チェロ、コントラバス、ファゴット各1ですから、少ない気がしますが、これはハイドンのこだわりでした。
この時期のハイドンのシンフォニーでは、低音部は「バッソ・コンティヌオ Basso continuo(通奏低音)」とだけ書かれていて、楽器は指定されていませんが、チェロ、コントラバス、ファゴットが同じ楽譜を弾きます。
ところが、この3部作では、それぞれが時々〝持ち場〟を離れてソロを弾くことがあるのです。
チェロがバスから抜けるときには、ファゴットとコントラバスだけで低音を担当することになりますが、音の高さでは8フィートと16フィートの両方を確保することができ、弦と管をミックスした、独特の音色を醸し出すことになります。
また、管楽器のオーボエもホルンも出てこない、弦のみの緩徐楽章では、ファゴットもバスを休み、チェロとコントラバスだけになります。
そのとき、チェロが旋律を受け持つ場合には、コントラバスだけが低音を奏でることになり、現代楽器ではいかにも弱くなります。
しかし、当時ハイドンが使用した5弦の軽くてしなやかなコントラバスで演奏すると、これは絶妙な効果を出すのです。
これらの曲は、古楽器を使用した少人数のオーケストラで演奏しなければ、ハイドンが狙った効果が味わえないのです。
コントラバスがソロを受け持つときには、チェロがより低い音域でその役割を代行します。
なお、通奏低音に不可欠と思われがちなチェンバロは、ハイドンの楽団では用いられませんでした。
エステルハージ家には鍵盤楽器奏者は雇われた形跡はありませんし、ハイドンはヴァイオリンを弾きながら指揮をしたことが記録からうかがえます。
今回取り上げているホグウッド指揮のアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックによるハイドン交響曲全集(パリ・ロンドンセットに届く前に残念ながら未完となってしまいましたが)では、エステルハージ家に響いたオリジナルの音色をとことん再現しています。
ヴァイオリンが歌う悲劇
さて、侯爵から与えられた〝お題〟の「昼」は何を意味しているのでしょうか。
「昼」は下記の概念です。
「昼」=「夏」=「壮年」=「成長」
しかし、この曲では、『朝』の日の出や、『晩』の嵐のように、特に昼を象徴した具体的な描写は見当たりません。
唯一特徴的なのは、第2楽章に、ヴァイオリン独奏による「レチタティーヴォ」があることです。
これは、オペラ歌手が、アリアの前に歌う「叙唱」で、オーケストラつきの「レチタティーヴォ・アコンパニャート」になっています。
歌手のパートが、ソロ・ヴァイオリンに置き換えられているのです。
ドラマティックな響きは、悲歌劇の一場面のようで、主人公が自らのつらい運命を嘆いているように聞こえます。
これが何を意味しているかは謎です。
ソプラノ歌手が、夜の舞台に備えてレッスンをしているのでしょうか。
確かに、レチタティーヴォのあとのゆったりとしたアダージョは、気だるい昼下がりの情景を思わせます。
現実的なところでは、ハイドンは、侯爵に対して、自分はオペラの作曲もできますよ、あるいは、このオーケストラは、オペラの伴奏もできますよ、とアピールしているのかもしれません。
事実、このあと、ハイドンはエステルハージ家で素晴らしいオペラを多作し、1771年、同家に行幸した晩年の女帝マリア・テレジアは、ハイドンのオペラに感歎し、『私は今後いいオペラを観ようと思ったら、エステルハーザに行きます!』と絶賛したのでした。
Joseph Haydn:Symphony no.7 in C major, Hob.I:7 "Le Midi"
演奏:クリストファー・ホグウッド指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック
第1曲『朝』と同様、序奏がついていますが、この時期のシンフォニーとしては異例です。主部で独奏的な動きをするチェロは、序奏では低音に加わっています。荘厳でいて、どこか軽さもはらんだ、素晴らしい序奏になっています。
主部のメインテーマはトレモロを伴ったユニゾンで、2台の独奏ヴァイオリンと1台のチェロが、夏の庭のように光まぶしく活躍し、これにオーボエが呼応します。ソーリ、コンチェルティーノ(独奏楽器群)とリピエーノ(合奏楽器群)が対比する、バロックの合奏協奏曲の趣を残しています。この3部作は、まさにバロックと古典派の架け橋なのです。
いきなり、オペラの世界に引きずり込まれたような感覚になります。悲しみにあふれた伴奏が始まり、主人公が絶望の体で舞台袖からゆっくりと現れ、舞台中央で、魂の叫びを上げるのです。ソプラノ歌手の声を模すのは、トマッシーニの独奏ヴァイオリン。歌詞は分かりませんが、具体性を帯びていて、男の裏切りに遭った女性の嘆きを思わせます。調性も、ハ短調からト短調を経て、ロ短調へと情緒不安定に動いていき、まさに〝昼ドラ〟といった感じです。
ひとしきりの嘆きが収まると、一転、2つのフルートが、小鳥のさえずりのように歌い、平和な楽園の場面となります。グルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』の、地獄から楽園(エリュシオン)に戻ってきた場面を思い起こしますが、あの名作が初演されたのはこの曲ができた翌年のことです。
曲の終わりには、ソロ・ヴァイオリン2台による華麗なカデンツァが織り込まれていますが、ハイドンとトマッシーニによって演奏されたことでしょう。
レチタティーヴォとアダージョを別の楽章としてとらえ、このシンフォニーを5楽章とする場合もあります。
典雅なメヌエットのテーマは、弦が奏でたあと、ホルン、ファゴット、チェロがエコーのように繰り返します。これも実に凝ったメヌエットです。トリオは、コントラバスの独奏という、実に画期的な趣向になっています。実に味わい深いメヌエットです。
第4楽章 フィナーレ:アレグロ
2つの独奏ヴァイオリンに、2つのフルートが華麗に活躍する、コンチェルトといってももよいフィナーレです。コンチェルティーノとリピエーノの対比が鮮やかで、形式は、バロックの合奏協奏曲に似ていますが、音楽はまさしく初期古典派です。
短いですが、紛れもなく新しい時代の訪れを告げる音楽です。
侯爵も、目の前で繰り広げられるめくるめくシンフォニーの世界に、ハイドンが次に何をするやら、予測もつかず、目を白黒させていたのではないでしょうか。
動画は、アントニーニ指揮ジャルディーノ・アルモニコです。
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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