孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

ベートーヴェンの記念すべき「作品1」。『ピアノ三重奏曲 作品1 第1番 変ホ長調』

f:id:suganne:20201220135848j:plain

若きベートーヴェン、新たなる旅立ち

1792年11月2日早朝、21歳のベートーヴェンは、ハイドンへの入門を許され、ケルン選帝侯から給費留学生として認められて、ウィーンに向かって駅馬車で旅立ちます。

生地ボンの支援者たちからの応援と祝福、なかでもワルトシュタイン伯爵の『モーツァルトの精神をハイドンの手から受け取りたまえ』という言葉を胸に、希望に燃えて、二度と戻ることのない故郷を後にしました。

この留学のタイミングは、情勢的に、まさにギリギリセーフというところで実現しました。

当時、ヨーロッパには戦乱が拡大しつつあり、ボンにもフランス軍が迫りつつあったのです。

1789年にバスティーユ監獄襲撃から始まったフランス革命は、年々激化し、ベートーヴェンが旅立つ1792年の9月には、ついにルイ16世の王権が停止され、第一共和政に移行していました。

これに先立ち、フランス王妃マリー・アントワネットの兄である、即位したばかりの神聖ローマ皇帝オポルト2世は、プロイセン王と共同でピルニッツ宣言を発し、フランス国王に危害を加えたなら軍事行動も辞さない、と牽制します。

フランスの亡命貴族たちはこれを喜んで、革命をこれ以上進行させたらパリは諸外国の軍に踏みにじられるぞ、と煽り立てます。

パリ市民はこのひどい脅しに逆に激昂。

フランス革命政府は、先手必勝とばかりオーストリアプロイセンに宣戦布告、1792年4月20日フランス革命戦争が勃発します。

戦況は一進一退でしたが、フランス国境に近いボンの選帝侯、それもマリー・アントワネットの弟が、こんな緊迫した状況の中で一宮廷音楽家を、腕を磨いてこい、とばかり留学に出すなんて、信じられません。

貴族ののんきさなのか、それとも、若い次世代の芸術家を戦乱から遠ざけるためにあえて出したのか・・・。

f:id:suganne:20201220135631j:plain

ピルニッツで会見する神聖ローマ皇帝オポルト2世、プロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム2世、ザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世

進軍する軍隊の中を突っ切って

ベートーヴェン駅馬車で出立したときには、すでにフランス軍は国境を越えてドイツ国内に侵攻していました。

ラインの要衝コブレンツでそれを迎え撃つべく、ドイツ諸侯の軍勢が集められましたが、ベートーヴェン駅馬車は、迎撃に向かうヘッセン=カッセル軍に出くわします。

ドイツ軍とはいえ、気の荒い軍隊には何をされるか分かったものではありません。

ベートーヴェン金銭出納帳には棍棒で兵士になぐられるかもしれない危険を冒して、馭者の奴が軍隊のまっただ中に馬車を突っ走らせたので』その夜の飲み代として馭者へのチップ1ターラーを支出した、と記録されています。

まさにイチかバチかで切り抜けたわけです。

その後も、戦闘が収まる夜に移動するなどの苦労をして、帝都ウィーンに着いたのは11月10日頃といわれています。

ウィーンでの最初の住まいはアルザー街にある邸宅の屋根裏部屋でしたが、すぐに1階に移りました。

この邸宅にはカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵(1761-1814)が住んでおり、ベートーヴェンはやがてその自宅に迎えられます。

最初からパトロンに恵まれたベートーヴェン

f:id:suganne:20200926232510j:plain

リヒノフスキー侯爵

リヒノフスキー侯爵は、第4シンフォニーの記事でも取り上げましたが、ベートーヴェンの最初にして最大の後援者のひとりです。

www.classic-suganne.com

リヒノフスキー侯爵は当時32歳で、モーツァルトの弟子でもあり、パトロンでした。

モーツァルトを失ってから、新たな才能を探していたところに、ベートーヴェンが現れたのです。

ハイドンやワルトシュタイン伯爵の紹介、推薦があったでしょうから、最初から上客待遇で、最大の敬意をもって迎えられたのです。 

リヒノフスキー侯爵は、召使に対し、自分と邸内の音楽家と同時に用事を言いつけられたときには、音楽家を優先するように、と命じていました。

夕食には侯爵夫妻と同じテーブルに席が用意されていました。

モーツァルトが、ザルツブルクの宮廷で、召使と同じテーブルで食事をさせられている、と憤ったのとは大違いです。

そればかりか、リヒノフスキー邸には高名なヴァイオリニスト、シュパンツィヒヴィオラ奏者のヴァイス、チェロ奏者のクラフトら、当代一流の演奏家がお抱えになっており、ベートーヴェンの作品はすぐに彼らに演奏してもらえました。

さらに、毎週金曜日の午前にはサロン演奏会が催されるのが恒例となっており、ベートーヴェンの新作はすぐにそこでウィーンの聴衆たちに披露されました。

ベートーヴェンの驚異的な才能に人々が感嘆した結果ですが、駆け出し段階でここまで恵まれた環境を与えられた音楽家はいません。

ウィーンデビュー当初は〝モーツァルトの再来〟という触れ込みでしたが、ほどなく、ベートーヴェンの音楽はモーツァルトとは違う、新しいものだということを聴衆は気づかされます。

一般にベートーヴェンの初期の作品は、中期、後期の作品に比べて、モーツァルトハイドンの影響が強い習作期のものとみなされて、評価が低い傾向にありますが、初期のものにこそ、モーツァルトハイドンと違った個性、斬新さを感じることができます。

乱暴なほどにダイナミックな表現は、まさに音楽界、いや芸術界で進行する革命そのものでした。

玉を転がすように優雅なモーツァルトのピアノに慣れたウィーンの人々は、鍵盤も壊れるばかりに叩きつける激しいベートーヴェンの表現に度肝を抜かれますが、すぐにその新しい世界に圧倒されてしまったのです。

栄光のオーパスワン

1795年夏、ベートーヴェンは記念すべき『作品1』として、3曲セットのピアノ・トリオを出版します。

栄光のオーパスワン(Opus 1、Op.1)です。

これはすでに完成された大家の作品であって、自分の音楽はこうなのだ、ということを高らかに宣言しています。

予約出版の広告を何度も新聞に出し、1部1ドゥカート(4.5グルデン)もしましたが、124人が計245部も購入し、大評判となり、ベートーヴェンはかなりの収益を得ることができました。

ピアノ、ヴァイオリン、チェロから成るピアノ三重奏曲は、モーツァルトも名作を何曲も残していますが、ベートーヴェンも後年有名な『大公トリオ』を作曲するなど、重要なジャンルでした。

この曲の特徴のひとつは、このジャンルでは異例の4楽章を採っていることです。

師匠ハイドンのシンフォニーに、まずは室内楽で挑戦してみよう、といったことかもしれません。

しかし、第3楽章は第1番、第2番ではスケルツォとし、新境地を拓いています。

まずは、第1番の変ホ長調から聴いていきます。

この曲は、ボンで作曲され、ウィーンで作曲された第2番、第3番と一緒に出版するにあたって改訂された、というのが最新の説です。

ベートーヴェンピアノ三重奏曲 作品1 第1番 変ホ長調 Op.1-1

Ludwig Van Beethoven:Trio for Piano and Strings in E flat major, Op.1 no.1

演奏:キャッスル・トリオ Castle Trio(古楽器使用)(ランベルト・オルキス:フォルテピアノ、マリリン・マクドナルド:ヴァイオリン、ケネス・スロウィック:チェロ)

第1楽章 アレグロ

ピアノが主導してスタートしますが、ヴァイオリン、チェロの動きも独立して、その役割を複雑に絡み合いながら果たしていきます。弦はピアノに対する伴奏、という位置付けだった古典派初期のスタイルからは完全に脱しています。キレのあるフレーズは一見優美なようでいて、激しい情熱も秘めていて、強弱の対比は間違いなくベートーヴェンのそれです。展開部はこれまで出てきたテーマが、緊張感を帯びながら活用され、ベートーヴェンの生涯のテーマである「主題労作」がすでになされています。

第2楽章 アダージョカンタービレ

内省的な内容をもったロンド形式の緩徐楽章です。最初のテーマはピアノ独奏で優しく歌い出されますが、ヴァイオリンがそれを受け継いで伸びやかに奏し、さらにチェロが抒情豊かに受け取ると、3つの楽器が絶妙なハーモニーを織りなします。ピアノがロンドを再現すると、変イ短調に転じ、変ホ短調ヘ短調と転調を重ね、感傷的で悲劇的な調子になるも、ピアノのトリルで救われて盛り上がっていきます。最後にはピチカートも鳴らしながら静かに曲を閉じます。

第3楽章 スケルツォアレグロ・アッサイ)

早くもベートーヴェンの薫りたっぷりのスケルツォです。テーマはヴァイオリンが主導し、これを各楽器が繰り返したのちに、それぞれに色彩を変えながら繰り返していきます。冒頭の調性はあいまいで、曲がかなり進んでから終止時点で変ホ長調が確立するという、18世紀ではきわめて異例の音楽ですが、ベートーヴェンには以後しばしばみられる形です。トリオでは、弦の上にピアノが優しく可愛いテーマを奏でます。スケルツォの構成も非対称的な自由なものとなっています。

第4楽章 フィナーレ(プレスト)

ピアノがつま弾き出すテーマが、流れ流れて溢れだし、弦が推進力を与えてみるみる大洪水となって躍動していきます。マーチのようにカッコいい第2主題は、4小節単位でヴァイオリン、チェロ、ピアノ、ヴァイオリンと繰り返して盛り上げていきます。ここまではウィーンの聴衆好みのモーツァルト風な優雅さですが、いきなりハ短調に転じて激しいパッセージになるのには、聴衆は肝をつぶしたことでしょう。息をつく暇もない展開はまさに新時代の到来を思わせます。

 

こちらは、TRIO SŌRA の活き活きとした演奏です。


Trio Sora - Trio op. 1 n° 1, Allegro, Ludwig van Beethoven.

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

AppleMusicで聴く


にほんブログ村


クラシックランキング