ライバルを蹴散らして
ウィーンに来て、リヒノフスキー侯爵邸に迎えられた若きベートーヴェンは、たちまちのうちに、侯爵邸だけでなく、あちこちの貴族のサロンで引っ張りだことなりました。
ベートーヴェンは、まずはピアノの即興演奏を得意とするヴィルトゥオーゾとしてウィーンの聴衆の前に現れたのです。
貴族たちは、ピアニストたちにテーマを与えて、それをどれほど見事に変奏するのかを競わせて楽しんでいました。
現代のピアニストのように、誰かが作曲した楽譜通りに上手に弾くのではなく、即興で作曲していく技量が求められたのです。
これをファンタジーレンといいます。
ウィーンにはすでに、モーツァルトの弟子でライバルとも友ともなったヨハン・ネポムク・フンメル、司祭のヨーゼフ・ゲリネックほか、ヨーゼフ・ウェルフル、ダニエル・シュタイベルト、イグナツ・モシェレスといった人気のあるピアニストが何人もいました。
ベートーヴェンは彼らと弾き比べをやらされましたが、ことごとく相手を打ち負かしました。
モーツァルトも、1781年に皇帝ヨーゼフ2世の御前でクレメンティと弾き比べを行い、皇帝から『クレメンティは技巧だけだが、モーツァルトには趣味がある。』と評されて勝利しましたが、ベートーヴェンの勝ちっぷりはより圧倒的で、破壊的でもありました。
弟子ツェルニーによると、ツェルニーの父がある日ゲリネックに会ったとき、彼は『明日はよそから来た若僧ピアニストと試合をするんだが、軽くやっつけてやるぞ!』と意気込んでいたということです。
翌日、試合が終わったゲリネックにツェルニーの父がどうだった?と聞くと、彼はすっかり打ちひしがれていて、『あいつは人間じゃない。悪魔ですよ。奴は我々がこれまで思ってもみなかった至難の技と効果を発揮したんです…』と語りました。
ベートーヴェン自身も、ボンのエレオノーレ・フォン・ブロイニングへの手紙の追伸に、次のように記しています。
わたしが一夕ファンタジーレンするようなことがありますと、わたしの特徴をくまなく書き留めておいて、次の日には自分のだと自慢する奴がこのウィーンにざらにいますが、これまでそんなのに出くわしていなかったら、決してこうした曲を作らなかったでしょう。今度は彼らがこれらの曲を近く出版物にしそうだということが判ったので、先手を打つことにしたのです。なおもうひとつの訳は、当地のピアノの先生たちを困らせてやろうと思ったのです。彼らの多くは私の仇敵です。彼らはあちこちでこの変奏曲を弾いてくれと請われても、この紳士方はうまく弾けないだろうということがわたしには判っているのです。だから、こういうやり方で仕返ししてやろうと思ったのです。*1
即興演奏は、その場限りで消えてしまいますから、それをメモって自作と偽って出版する輩がたくさんいる、というのです。
ベートーヴェンは、その先手を打って出版してしまい、しかも、それは他のピアニストが弾けないような難易度にしてやる、というわけです。
今残っているベートーヴェンの変奏曲にはこういった事情があったのです。
このように、当時のピアニストは、モーツァルトもそうでしたが、作曲もできるプレイヤー、ということで、今でいうシンガーソングライターに近い存在でした。
演奏家ではなく、創造する芸術家として
しかし、ヨーロッパ一の腕前をもつベートーヴェンがやりたいのは、演奏よりも作曲でした。
創造、それこそが彼の行くべき道です。
そこで手掛けたのが、華やかな技巧を競う変奏曲と違い、音楽による文学作品ともいうべき、論理的に構築されたソナタでした。
ピアノ・ソナタは、少年の頃にすでに『選帝侯ソナタ』を手掛け、驚くべき境地に達していますが、ウィーンでの学習の成果をつぎ込んで世に問うたのが、3曲セットの『ピアノ・ソナタ 作品2』です。
www.classic-suganne.com
収められたのは、ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調、第2番 イ長調、第3番 ハ長調の3曲で、いよいよ〝ピアノの新約聖書〟と讃えられるベートーヴェンのピアノ・ソナタのはじまりです。
ちなみに〝ピアノの旧約聖書〟といわれるのはバッハの『平均律クラヴィーア曲集』で、そう呼んだのは、いわゆる専門の指揮者のはしりで、名ピアニストのハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)です。
バッハ、ベートーヴェン、ブラームスを「ドイツの3B」と称したのも彼です。
栄光の『作品1』は、パトロンであるリヒノフスキー侯爵に献呈しましたが、この『作品2』は師のハイドンに献呈されました。
3曲それぞれが異質の性格をもっており、ふつうセット出版の際に意識される統一性はあえて意識されていないように感じます。
ただ、共通点は、ハイドンやモーツァルトのピアノ・ソナタに例のない4楽章をとっていること。
これは、ハイドンがシンフォニーで整えた形式です。
ベートーヴェンはまだシンフォニーを書いていませんが、ピアノでシンフォニーに匹敵する内容を表現しよう、という野心がこの曲集にあふれているのです。
それでは、記念すべき第1番から聴いていきましょう。
Ludwig Van Beethoven:Piano Sonata no.1 in F minor, Op.2-1
演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ)
Ronald Brautigam (Fortepiano)
ヘ短調という、ハイドンもモーツァルトもピアノ・ソナタでは使わなかった異例の調性を選んでいますが、これはすでに13歳のときの『選帝侯ソナタ』で挑戦済みでした。そして、この悲劇的なたたずまいは、後年の『アパッショナータ(熱情)』につながっていきますので、ベートーヴェンにとっては格別の思い入れがあったと思われます。いずれにしても、フラットが4つもある難しい曲はアマチュアの貴族の子弟向けではなく、プロ向けの作品であること物語っています。
第1主題はモーツァルトの『ト短調シンフォニー』の最終楽章に似ています。〝昇って下がる〟テーマに対して、対置される第2主題は逆に〝下がって昇る〟形になっており、前者はスタッカート、後者はレガートで、両者の対立から物語が始まるソナタ形式の典型を示しています。展開部ではこの第1主題と第2主題がせめぎ合い、手に汗握る緊張感が走ります。そして再現部では変イ長調だった第2主題は短調に変わり、両者は和解に至って、完結で力強いコーダで締めくくられます。古典的均整美にあふれた見事な構成です。
第1主題は、ボン時代15歳のときに作曲したピアノ四重奏曲 ハ長調 WoO36の第2楽章のものです。大人っぽい静謐な主題は、ベートーヴェン自身も気に入っていて、ウィーンの聴衆にも自信をもって披露できると考えたのでしょう。この楽章だけ長調ですが、主音のヘ長調で、全楽章がヘ音で統一されているのはバロックのコンチェルトを思わせるくらい古風でもあります。第1主題と第2主題がかわるがわる変奏され、詩情豊かに歌います。
第3楽章 メヌエット(アレグレット)
表示通り、典雅なメヌエットのように始まりますが、そこはベートーヴェン。いきなりのフォルテで、スケルツォの趣きを持たせています。ヘ長調のトリオは遠い日々を懐かしむかのように心に沁みる響きです。
第4楽章 プレスティッシモ
優雅な第3楽章で油断していたら、いきなりの嵐に見舞われたような気分になります。劇的な迫力はまさに、あの月光ソナタの第3楽章のはしりといえます。ヘ短調の第1主題はメロディではなく和音の連打であり、第2主題はハ短調で3連符がめまぐるしく走ります。中間部には、台風の目のように変イ長調の優しいテーマもまるで第3主題のように仕込まれていて、ソナタ形式にロンドの性格を持つ凝った作りになっています。短調のピアノ・ソナタはハイドンにもモーツァルトにもあり、それぞれに劇的、情熱的ですが、ベートーヴェンのものとは違います。何度も書いていますが、ベートーヴェンの初期の作品はハイドン、モーツァルトの模倣ではありません。むしろここにこそ、彼の個性があふれているのです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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