夜の愉しみ、セレナード
アマデウスの光と影シリーズ、最後のペアは管楽セレナードです。
〝セレナード〟はフランス語読みで、日本語訳では〝小夜曲〟と訳しますが、、ドイツ語ではセレナーデ、イタリア語ではセレナータ、と呼ばれます。
もともとは夜、恋人の窓辺で、熱い思いを弾き語る曲で、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニのセレナーデ』がその典型です。
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その後、夜に行われるパーティー、祝典、野外イベントで、催し物やBGMとして奏される音楽も、セレナードといわれるようになりました。
同じようなジャンルにディヴェルティメント(喜遊曲)というものもありますが、これは〝気晴らし〟という意味で、より軽い感じではありますが、両者の区別は厳密なものではありません。
楽器の編成や音楽の形式も様々ですので、純然たる芸術作品というより、初めから用途の決まった「機会音楽」でした。セレナードは「夜会音楽」といってもいいかもしれません。
もっとも、18世紀までは、用途のない音楽などめったに生み出されませんでしたが。
今回取り上げる変ホ長調の管楽セレナードは、はじめクラリネット、ホルン、オーボエ各2本で書かれましたが、のちにファゴット2本が加わりました。
もともと、18世紀後半に、ホルン、オーボエ、ファゴット各2本、計6人による楽団が貴族の間で流行し、裕福な貴族は競って召し抱え、客を呼んでの晩餐会のBGMや、祝祭を盛り上げるために便利に使われました。
これは〝ハルモニームジーク〟と呼ばれました。
モーツァルトの主君だったザルツブルク大司教のためにも書かされています。
1782年4月、皇帝ヨーゼフ2世は、これにクラリネットの名手、アントン・シュタードラー兄弟を加え、8人編成の宮廷ハルモニームジーク団を結成させました。
芳醇な音色をもつクラリネットが加わったことで、ハルモニームジークはさらに豊かな魅力を持つことになり、ヨーロッパ中で大流行したため、モーツァルトのそのために編成を変えたと思われます。
シュタードラーは、モーツァルトの盟友となり、クラリネット五重奏曲 K.581や、クラリネット・コンチェルト K.622といった不朽の名曲は彼のために作られ、モーツァルトの晩年を語るのに欠かせない人物ですが、これはいつか別項で触れたいと思います。
ハルモニームジークの一番の演目は、オペラのヒット曲のメドレーでした。
上演の機会の少ないオペラの名曲を、日常で楽しむ絶好の方法だったのです。
モーツァルトも、自作のオペラ『後宮からの誘拐』が大好評のうちに上演されている最中、超多忙の中でヒイヒイ言いながら、自分でこれをハルモニームジークに編曲しています。
『早くやらないと、誰かがやって大儲けされてしまう!』とあせりながら。
モーツァルトへのサプライズ・プレゼント
この曲の初稿は1781年にウィーンで書かれましたが、そのいきさつをモーツァルトは父レオポルトに次のように書き送っています。
ぼくは宮廷画家ヒッケル夫人のためにこれを作曲しました。それは聖テレジアの日にはじめて演奏されました。それは大変うまくいきました。特に第1クラリネットと2本のホルンは。だけどぼくがこれを書いた本当の目的は、毎日僕のところに来ているシュトラック氏に、ぼくの作品を何か聴かせるためです。だからとても念入りに書いたのです。これはとても好評で、聖テレジアの日だけでも3ヵ所で演奏されました。つまり、彼らはひとつのところで演奏し終わると別の場所に移動する、というふうにしたのです。
ここに出てくるシュトラック氏というのは、宮廷侍従でした。モーツァルトはこの人に取り入ろうとして、気合を入れてこの曲を書いたわけです。
皇帝のお側近くにいる侍従に気に入ってもらって、ぜひハルモニームジーク好きの皇帝に薦めてもらいたい、という思惑でした。
実際、前述のようにヨーゼフ2世が楽団を結成した3ヵ月後、7月にモーツァルトはかなり急いでこの曲にファゴットを追加し、編成を宮廷楽団に合わせたのです。
その急ぎっぷりは自筆譜からもうかがえるということです。
おそらく、シュレック氏の口コミが皇帝にとどいて、御前演奏が実現することになったのでしょう。
またこの曲には心温まるエピソードがあります。
モーツァルトが自分の命名祝日の夜、部屋で上着を脱いだ時、突然中庭で、楽団がこの曲を奏でたのです。
ヨーロッパでは誕生日以上に祝う命名祝日にあたっての、楽団員たちによるサプライズ・プレゼントだったのです。
モーツァルトは『最初の変ホ音の和音がなんともいえず、心地良くぼくを驚かせたのです』とうれしそうに手紙に書いています。
セレナードの中のセレナード
この曲はその思惑もあって、特に入念、丁寧に書かれていて、魅力たっぷりです。
私は以前、アマチュアの管楽団のコンサートを聴きに行ったとき、最後がこの曲でした。オジサンたちが『この曲はセレナードの中のセレナードです!』と紹介し、本当にうれしそうに演奏していたのが印象的でした。
自分の息から生まれるモーツァルトのハーモニーを心から楽しんでいて、それは本当にうらやましくも最高の時間でした。
W.A.Mozart : Serenade in E flat major, K.375
演奏:アンフィオン管楽八重奏団 Amphion Wind Octet
モーツァルト自身が癒された、変ホ長調の主和音から始まります。モーツァルトの変ホ長調の曲は、このような和音で始まることが多いです。続いてクラリネットから流れるメインテーマには誰もが魅了されることでしょう。このテーマは次々と他の楽器に渡され、さらに出てくる第2テーマは元気な部分と、短調のシリアスな影を絶妙に織り交ぜて進んでいきます。まさに、入念に仕上げられた織物を見ているかのようです。ホルンの響きは遠い山から響いてくるような広がりを感じさせてくれます。たった8人で演奏しているとは思えない充実した曲です。
アダージョを挟んで、2曲のメヌエットがセットされています。最初のメヌエットは快活そのもの。トリオはシリアスな響きで、心に沁みます。談笑しつつ聴いていた人も、この部分ではハッと話を止めて聴き入ったかもしれません。
この曲の核心ともいうべき内容の曲です。おそらくモーツァルト自身も高く評価していて、この曲想を後に『フィガロの結婚』第2幕冒頭の伯爵夫人のあのカヴァティーナに使っています。クラリネットがまさに歌手のように優美に美しく歌い上げ、その抒情の豊かさは無類です。まるできれいな海の底を散歩しているかのような部分もあります。
闊達な1曲目のメヌエットに比べ、繊細で深みを感じさせてくれます。トリオも明るい長調で、癒されます。
第5楽章 フィナーレ:アレグロ
フィナーレにふさわしく、ロンド形式で楽しく書かれています。楽想は、まるで天翔けるかのように伸びやかに進んだかと思うと、一転短調に転じ、さらにそれもつかのま、明るい世界に戻るという、変幻自在ぶりです。まさにモーツァルトならでは、たくさんの魅力的なメロディを惜しげもなくふんだんに使った、贅沢この上ない音楽のご馳走といえます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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