孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

タバコ入れにたとえられたハイドンとモーツァルト。ハイドン:交響曲 第77番 変ロ長調

ロンドン製の嗅ぎタバコ入れ(18世紀)

嗅ぎタバコ入れ論争

皇帝ヨーゼフ2世が、楽家ディッタースドルフとの会話で、ハイドンモーツァルトの違いについて語り合ったエピソードの続きです。

ディッタースドルフはふたりを偉大なドイツの詩人になぞらえ、ヨーゼフ2世は、嗅ぎタバコ入れ(スナッフ・ボックス)にたとえました。

ハイドンロンドン製の、モーツァルトパリ製のものとして。

皇帝の心を探るに、ロンドン製はシンプルで実用的なもの、パリ製は装飾的で芸術的なもの、というイメージがあったと思われます。

ヨーロッパ各地をお忍びで旅したヨーゼフ2世らしい見識です。

ハイドンの音楽は実用的。

モーツァルトの音楽は芸術的。

今回は、そんな皇帝の視点で、同じ頃にふたりが作曲したシンフォニーを聴き比べてみたいと思います。

フランス製の嗅ぎタバコ入れ(18世紀)

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ハイドンモーツァルトは影響し合った?

モーツァルトは年齢的にハイドンより24歳も年下ですから、シンフォニーについてもハイドンの影響を受けたと思われがちです。

しかし、ハイドンシンフォニー 第1番を作曲したのが1757年で25歳のとき。

モーツァルト第1番を作曲したのは1764年で8歳のとき。

つまり、違いは7年くらいしかありませんし、ふたりは長く接点はありませんでしたから、シンフォニーはそれぞれパラレルで作曲したといえます。

モーツァルトが熱心にハイドンのシンフォニーを研究した証拠が残っているのは、1781年に彼がザルツブルク大司教の宮廷音楽家を辞めて、ウィーンで自活を始めた頃に書いたメモです。

現在ペンシルバニアの歴史協会図書館に保存されている紙切れに、彼はハイドンのシンフォニー第75番、第47番、第62番の冒頭のテーマを書きつけています。

ウィーンで開く自分のコンサートの序曲と使うことを検討したもののようです。

中でも第75番は前年の1780年に書かれたものですから、まさに出来たばかりの最新作。

特にこの第75番をよく研究した形跡があります。

それ以降にモーツァルトが作曲したシンフォニーは、1783年の第36番《リンツです。

この曲には序奏がついていて、時期的にもハイドンの影響が出ている、と言われています。

ただし、確かにハイドンのシンフォニーには序奏は多いですが、無いものも少なくないので、序奏があるだけでハイドン風、と決めつけるのは早計です。

ハイドン研究の成果が明確に現れた作品は、最後の三大シンフォニーだと私は思うのです。

3楽章と4楽章の違いは何?

さて、そもそもシンフォニーは、オペラの序曲から派生したものです。

バロック時代、緩ー急のフランス式序曲と、急ー緩ー急のイタリア式序曲の2タイプがあったことは、これまでも取り上げてきました。

フランス式序曲は組曲になってゆき、イタリア式序曲は3楽章のシンフォニアになってゆきます。

イタリアでは、最後の「急」がメヌエットに置き換えられるケースがありました。

それだと3楽章のままですが、別にフィナーレを置いて盛り上げたのが、4楽章制のシンフォニーの起源といわれています。

第3楽章はメヌエット、ということになります。

3楽章スタイルと4楽章スタイルは、それぞれの都市の流行り、好みがあったようですが、3楽章の方がイタリア的、4楽章の方がドイツ的、といった傾向は見受けられます。

モーツァルトが長く住んでいたザルツブルクは、カトリック教会領ということもあってかイタリア風で3楽章、いわばドイツ王の首都であるウィーンは4楽章が好まれました。

そのため、モーツァルトの若い頃のシンフォニーは3楽章制が、ハイドンのそれは4楽章制が多くなっていますが、例外もありますので、絶対的なルールではなく、時と場合に応じて選ばれたようです。

ウィーン人にとってシンフォニーは前座

モーツァルトは、ウィーンに来てピアニスト兼作曲家として身を立てようとしました。

そして、自分主催の予約制の演奏会を開いて、入場料を生活の糧にしました。

コンサートの最初には、オペラと同じように序曲としてシンフォニーを演奏するのが慣例でした。

そこで、急にシンフォニーがたくさん必要になり、故郷の父に、自分の旧作や、セレナードとして作曲した作品の楽譜をどんどん送ってくれるように頼み、多楽章のセレナードは楽章を省いたり、編成に手を加えたりしてシンフォニーに仕立て直しました。

自分で作曲すればいいのに、と思いますが、コンサートのメイン・ディッシュとなるピアノ・コンチェルトやアリアの作曲に時間を取られて、手が回らなかったのかもしれません。

それにしても速筆のモーツァルトのこと、なぜ作曲しなかったのか不思議です。

実際、旅行中に立ち寄ったリンツで急遽コンサートを催してほしいと頼まれたとき、ハイドンの弟ミヒャエルのシンフォニーに序奏だけ書いて間に合わせようとしましたが(シンフォニー 第37番)、当地の伯爵にオリジナル曲をせがまれたため、4日で書いたのが先の《リンツ》です。

どうも、モーツァルトはシンフォニーをあまり重視しておらず、〝前座〟の曲ととらえていたように感じられますが、数年前、パリでは気合を入れて大シンフォニー、第31番《パリ》を書いていますので、決して軽いジャンルと思ってはいなかったはずです。

ただ、ウィーンの聴衆がシンフォニーを軽く考えていたようなので、クライアントに従っただけ、というのが妥当なところかもしれません。

大都会パリやロンドンでは、大編成オーケストラが演奏する大迫力のシンフォニーがもてはやされていましたが、ウィーンではまだ受けなかったようです。

それなのに、1786年、誰に頼まれた形跡がないのに、第39番、第40番、第41番《ジュピター》の3曲をいきなり書いたのは、モーツァルトの最大の謎のひとつとされていますが、なんのことはない、ハイドンが同じ1786年に壮大な『パリ・セット』6曲を、パリ向けに作曲、出版し、大反響を呼んだので、自分もひとつやってやろう、と考えただけなのです。

1782年にハイドンが出版した弦楽四重奏曲『ロシア四重奏曲』は、ヨーゼフ2世とディッタースドルフとの会話にあるように大センセーションを巻き起こしましたが、モーツァルトもそれに霊感を受け、2年かけて弦楽四重奏曲ハイドン・セット』を作曲し、1785年にハイドンに献呈しました。

モーツァルトは同じ行動をシンフォニーでも取ったわけです。

さて、今回比較するシンフォニーは、ハイドンが1782年に作曲した第77番 変ロ長調と、モーツァルトが1779年に作曲した第33番 変ロ長調です。

両曲ともに変ロ長調という、優しく穏やかに響く癒しの調で、ティンパニやトランペットを含まない、室内的な編成の曲です。

まだふたりが強く影響し合わない頃の作品なので、それぞれの個性が分かりやすいと思います。

ぜひお楽しみください。

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ハイドンの第77番

前々回の第76番 変ホ長調、第78番 ハ短調とともに《イギリス交響曲と呼ばれる3曲セットの1曲で、ハイドンの実現しなかった英国演奏旅行のために作曲されました。

ティンパニやトランペットを含まず、英国への途中で立ち寄る街々でも、その地の小さいオーケストラでも演奏できるようになっています。

演奏旅行が、主君の許可も下りなかったこともあって中止になったあと、ハイドンはパリの楽譜出版者であるシャルル=ジョルジュ・ボワイエにこの3曲の版権を売りましたが、そのときの手紙に次のように書かれています。

昨年、私は美しく、華やかな、そしてけっして長すぎない3曲のシンフォニーを作曲しました。それは、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、バス、ホルン2本、オーボエ2本、フルート1本、ファゴット1本〔実際は2本〕の編成ですが、みな大変にやさしいもので、協奏的すぎるということはありません。私は英国でそれを演奏したかったのですが、その旅行は具体化しませんでした。私はいまあなたにそれらのシンフォニーの提供を申し出ますので、一番良い条件をお尋ねしたい。なぜなら、これら3曲が大変な売れ行きを博するであろうことを私は確信するからです。

ハイドンはこれらの曲に大変な自信をもっていたことが分かります。

美しくて華やかなのに、やさしく演奏でき、長すぎない。

まさに、ヨーゼフ2世が評した実用的な英国の製品と同じコンセプトといえます。

ハイドンのこの時期のシンフォニー、ざっと50番台から70番台の曲は、今では評価が低く、演奏の機会も少なく、録音も稀少です。

それは、30番台後半から40番台のような、ハイドンの〝疾風怒濤期〟と呼ばれる時期の、激しいパトスのほとばしりが見られず、後期のパリセット、ロンドンセットのような深みもなく、主君と聴衆に迎合した娯楽的な内容の作品と見做されているからです。

先に引用した手紙の文言からも、商業的で浅薄な内容の作品というレッテルが張られてしまったのですが、それがまったく不当な評価だということは、よく聴いていただければ分かると思います。

ハイドン交響曲 第77番 変ロ長調

Joseph Haydn:Symphony no.77 in B flat major, Hob.I:77

演奏:アダム・フィッシャー指揮 オーストリアハンガリーハイドン管弦楽団(現代楽器使用)

第1楽章 ヴィヴァーチェ

《イギリス交響曲》の中でも特に精緻に書き込まれ、優れているとされている作品です。第1主題は、そのまま鼻歌まじりで口ずさみたくなるほどの、親しみやすい内容です。ハイドンのこの頃の作品では、あえて第2主題が分かりにくくなっていることが多いですが、この作品では実にはっきりと分かります。それも、とても優しく可愛いフレーズです。展開部では、第1主題が分解された断片が次々と現れ、岩に当たって砕け散る並みのように打ち寄せます。ほどなく第2主題が第1ヴァイオリンで優しく歌い出され、華やかに再現部となります。ふたつの主題が見事に調和し、明るく楽章を閉じます。

第2楽章 アンダンテ・ソステヌート

弱音器をつけたヴァイオリンが、しっとりと落ち着いたテーマを歌い出します。しばらくして、フルートのソロがそれを受け継いで歌い、やがて管たちも和します。中間部では弦たちが細かく刻んで、やや切迫感も醸し出しますが、再び穏やかな世界に戻ります。ハイドンはこの曲たちは協奏的でないように作った、と言いますが、名人芸はないものの、管楽器の豊かな動きはコンチェルタンテでもあります。

第3楽章 メヌエットアレグロ

スタッカートのメヌエットは、アクセントが変なところに置かれていて、踊るならつまづきそうです。最後のホルンの和音もハイドンのユーモアです。トリオはオーボエの優雅な旋律に、ファゴットとホルンが調子合わせます。フルートは沈黙しています。

第4楽章 フィナーレ:アレグロ・スピリトーソ

後期のシンフォニーで多用され、絶大な効果を上げるロンドソナタ形式のはしりです。最初は弦だけで弱音でテーマが細かく刻まれます。第1楽章と同じような、歌詞がついているのでは、と思うような親しみやすいフレーズです。弦が入ってからは、おどけるような音が入ったり、管と弦が呼び交わしたり、大いに盛り上げます。驚くべきは展開部で、これまでの能天気な感じが吹き飛び、対位法を駆使して一気に広い世界に飛翔するかのようです。優しく軽い感じで聴いてきた聴衆たちは面喰ったことでしょう。そして、ドラマチックで大きな身振りのうちに、幕を閉じるのです。曲の最初の軽い印象を覆す、ハイドンならではの意表を突く作りです。

 

動画はオルフェウス室内管弦楽団の演奏です。指揮者を置かないスタイルで、私が最初にCDを買ったハイドンの演奏です。(このサイトでは再生できませんので、YouTubeに移ってご視聴ください)


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次回は、モーツァルトのシンフォニー 第33番 変ロ長調 K.319 を聴きます。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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