ジャン=フィリップ・ラモー(1682-1764)のオペラ、『イポリートとアリシー』。
今回は最終幕となる、第5幕です。
舞台は、第4幕と同じ、海辺に面したアルテミス神殿のある森です。
絶望した王、テセウスが取り乱しながら独唱します。
王妃パイドラは自殺を図り、瀕死の状態でテセウスに真実を打ち明け、死んでいったのです。
そして、最愛の息子を信じることができず、死に追いやってしまいました。
まさに、運命の神が予言した〝我が家の地獄〟が成就してしまったのです。
ラモー:オペラ『イポリートとアリシー』「第5幕」
Jean-Philippe Rameau:Hippolyte et Aricie
演奏:マルク・ミンコフスキ指揮 レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル
Marc Minkowski & Les Musiciens du Louvre
第1幕 テセウス『後悔に身も引き裂かれる』
テセウス
ああ!
後悔に身も引き裂かれる思いだ!
一度になんと多くの恐ろしいことが!
私はパイドラが事切れるのを見た
なんといういまわしい秘密!
なんという嫌悪すべき恋
裏切者は死に際に私にはっきり言った
わが息子は…おお、私を打ちのめす苦悩!
息子は無実だった!
ああ!なんと罪深い我が身!
冥界に戻ろう。誰が私を引き留められよう!
私のような怪物から自然界を解き放とう
もっとも、恐ろしい中傷を企んだ者たちはたった今罰せられた
我が子殺しの誓願が罪を犯してしまった
だから、我が子の最後の犠牲は私
海の神よ、私を永遠に人間どもから隠したまえ
動画はエマニュエル・アイム 指揮ル・コンセール・ダストレーの舞台です。
プレイヤーは下の▶️です☟
荘重な音楽で、テセウスの深い悔恨が描かれます。
王妃をかばおうとして、テセウスに息子殺しをさせた乳母エノーヌは、責任を取って海に身を投げました。
テセウスも、自分のような者はこの世にいてはいけない、として、海に身を投げようとします。
父ポセイドン現る
すると、海中より、テセウスの父神、ポセイドン(ネプテューヌ)がついに現れ、テセウスの自殺を止めます。
テセウスは、どうか止めないでください、と懇願しますが、ポセイドンは、世の中はお前をまだ必要としている、と諭します。
そして、ヒッポリュトスは生きている、と告げます。
神話では死んでいますが、この時代の劇では、悲劇といえども、最後はハッピーエンドでなくてはならないのです。
アルテミスの加護と、運命の神の定めで、ヒッポリュトスは助かっていました。
テセウスは喜びますが、ポセイドンは、その代わり、お前は二度と彼に会うことはできない、と宣告します。
テセウスは悲しみますが、彼が幸せになってくれるのなら、と受け入れ、ポセイドンは波間に消え、テセウスも退場していきます。
美しい庭園での再会
場面は変わり、森の中の美しい庭園になります。
芝生の上で、アリシーが気を失ったまま眠っていますが、美しい合奏の音で目を覚まします。
この音楽は、リュリ以来のフランスオペラの伝統である「眠り」を現わすホ短調の音楽です。
フルート、ヴァイオリン、通奏低音で奏されます。
第3場 アリシー『ここはどこ?』
アリシー
ここはどこ?
感覚がもどってきたわ
神様!
あなたがたが私をよみがえらせてくださったのは
行ってしまった愛しい人の面影を
ただ私に思い起こさせるためだけなのでしょうか?
(さらに明るくなる)
なんと優しい楽の音!
なんと新しい光が私を照らすことでしょう!
いいえ、この美しい楽の音も
まばゆいばかりのお日様も
ヒッポリュトスがいなければ
ああ!私を喜ばすことはできないわ
私の目よ、お前が開いているのは
涙を流すためではないのよ
すてきな楽の音を空気が響かせても無駄なこと
この魔法の場所からの贈り物、魅力的な合奏にも
私はため息でしか答えられないの
アルテミスの降臨、そして大団円
アリシーが沈んでいるところに、森の住人やアルテミスのニンフたちが集まってきて、アルテミスの降臨を祈ります。
すると、天からアルテミスが光に満ちて降ってきます。
そしてアリシーに、悲しむことはない、あなたに花婿を用意したから、と告げると、アリシーは、ヒッポリュトス以外は考えられない、と拒みます。
すると優しい西風が吹き、ヒッポリュトスが2輪馬車に乗って現れます。
第7場 西風の合奏
西風(ゼフィール)はヨーロッパでは春風のように優しく、幸せをもたらすものとされています。
ふたりは再会に歓喜します。
アルテミスは、この森をふたりで末永く統治するように、と命じ、森の住人とニンフたちの祝祭が始まります。
第8場 森の住人たちのミュゼットによる行進曲と合唱
合唱
ミュゼットに合わせて歌おう
ミュゼットの音に合わせて踊ろう
こだまよ、繰り返せ
我らの柔らかな音を
大きくなれ、芽を出した芝草よ
牧草をお食べ、飛び跳ねる羊よ
ミュゼットの牧歌的な響きが、これまでの緊迫したドラマが一気にのどかなものに転換します。
踊りがひとしきり行われたあと、羊飼いの女性がナイチンゲールの歌を唄います。
第8場 羊飼いのアリエット
羊飼いの女性
恋するナイチンゲールよ、私たちの声に答えて
その甘いさえずりで
愛に満ちたあいさつをするのよ
私たちの森を支配なさる女神様に
このアリエットはその名の通りイタリア風で、フルートとヴァイオリンが、ナイチンゲールの可愛らしいさえずりをリアルに再現しています。
夜に鳴くナイチンゲールは、恋の代名詞でした。
やがて、ガヴォットが踊られ、この大歌劇の幕を閉じます。
第8場 ガヴォット
ラモーのオペラは、管弦楽組曲として編曲され、広く親しまれました。
こちらは組曲版『イポリートとアリシー』です。
演奏:シギスヴァルト・クイケン指揮 ラ・プティト・バンド
革命的オペラの評価とその後
ラモー50歳の処女作、『イポリートとアリシー』は、初演翌日からパリの街に大論争を巻き起こしました。
多くは、リュリ以来のフランスオペラの伝統を壊した、というごうごうたる非難でした。
リュリはオペラでは詩句を重んじ、その韻律を尊重した伴奏を作曲しました。
あくまでもメインは歌で、音楽はサブ、文字通り伴奏に過ぎなかったのです。
しかしラモーは、音楽の方をメインにし、オーケストラによるドラマチックな曲を作曲しました。
のみならず、『和声論』の著者として、自然界、宇宙の秩序を表わしているとしたハーモニーの新しい可能性を追求しました。
リュリのオペラに慣れた聴衆からは、歌が聞き取れない、大音量で耳が痛くなる、不協和音が不快、と苦情が殺到しました。
ラモーは和声の研究家として既に知られていましたから、聴衆としては、実験台にされたような気分にもなったのです。
あまりの不評に困惑したラモーは、次のように嘆いています。
『自分の趣味は成功すると信じていたが、私は間違えていた。私は他には何もないし、他にこれ以上どうすることもできない。*1』
歌手もオーケストラも難曲に困惑し、多くのカットや変更を要求し、ラモーはデビューしたてのオペラ作家でしたから、妥協を余儀なくされました。
そんな状況ですから、演奏も混乱し、今日われわれが聴けるような水準ではなかったものと考えられます。
しかし、モーツァルトの有名な『詩は音楽の忠実な娘でなければなりません』という言葉に代表されるように、以後のオペラでは歌詞より音楽が重要視されていきました。
まさにラモーは、新しい時代をこのオペラで切り拓いたのです。
『イポリートとアリシー』は、初演の不評にもかかわらず、初年度には33回も上演され、その後1742年、1757年、1767年の再演では計123回も上演されたのです。
モーツァルトの『フィガロの結婚』のウィーン初演が9回で打ち切られたのとは大違いです。
さすが新しいもの好き、革命好きのフランス人、ということかもしれません。
ラモーはこの作品を皮切りに、次々にたくさんのオペラ作品を作曲していきますが、上演されるたびに賛否両論を巻き起こしました。
もっとも有名なものは、『社会契約論』などで有名な思想家、ジャン=ジャック・ルソーらに仕掛けられた『ブフォン論争』です。
しかしラモー反対派も、批判するために毎回劇場に詰めかけ、『悪評ばかりのオペラがなぜ毎回満席でチケットが取れないのだ!?』とフランスを訪れた外国人を驚かせています。
次回からもいくつかのラモーのオペラを取り上げます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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