
パイドラ(フェードル)を拒絶するヒッポリュトス(イポリート)
道ならぬ恋に苦しむ王妃の歌
ジャン=フィリップ・ラモー(1682-1764)のオペラ、『イポリートとアリシー』。
今回は第3幕です。
舞台は、海に面したテセウス(テゼー)の城。
王妃パイドラ(フェードル)がひとり、自分のつらい運命を神に祈っています。
祈りというより訴えです。
訴えている相手は、愛の神エロス(アムール、キューピッド)の母とされる、女神アフロディーテ(ヴェヌス、ヴィーナス)。
パイドラの一族はアフロディーテの怒りをかって徹底的に呪われており、それへの恨み言と許しを乞う、どこまでも哀しく、ドラマチックなモノローグを歌います。
パイドラの祖先は太陽神ヘリオスであり、この神は天空を太陽の馬車で巡るときに、アフロディーテと軍神アレス(マース)の浮気を目撃してしまい、夫の鍛冶の神ヘパイストス(ヴァルカン)にチクったことを恨まれていたのです。
ヘパイストスは得意の細工でベッドに仕掛けをつけ、自分の留守に浮気をはじめたふたりを網でがんじがらめにし、神々を集めてさらし者にしたのです。
パイドラの母、クレタ王ミノスの王妃パシパエは、ポセイドンの怒りをかって牛に恋させられ、牛との間に怪物ミノタウロスを産みましたが、これはアフロディーテの復讐ともいわれています。
ミノタウロスを退治したテセウスを救った姉アリアドネは、ナクソス島で置き去りにされ、そして妹パイドラはその代わりにテセウスの妃になったものの、アフロディーテの呪いで義理の息子に恋させられました。
父ミノス王も、入浴中に熱湯を浴びせられて死ぬという、不幸な最後を遂げています。
押すなよ、押すなよ、と言ったかどうかは知りませんが…
そして今、パイドラは、義理の息子ヒッポリュトス(イポリート)への道ならぬ恋に身を焦がされているのです。
ギリシャの神様たちは、ひとたび怒らせると子孫代々まで祟る、悪魔も顔負けの恐ろしい存在なのです。
ラモー:オペラ『イポリートとアリシー』「第3幕」
Jean-Philippe Rameau:Hippolyte et Aricie
演奏:マルク・ミンコフスキ指揮 レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル
Marc Minkowski & Les Musiciens du Louvre
第1場 パイドラ『愛の神の残酷な母』
パイドラ
愛の神の残酷な母君
あなたの復讐で私の罪深い一族は滅びました
ああ!
せめてパイドラは、あなたの目に憐れみをみることができますように
もうあなたを責めることはいたしません
ですから、どうかヒッポリュトスが私の気持ちを受け止めるようにしてください
この情熱が私は怖い
でも、私の罪はあなたの罪です
どうか御心をやわらげてください
動画はエマニュエル・アイム 指揮ル・コンセール・ダストレーの舞台です。
プレイヤーは下の▶️です☟
この歌は、形式的にはイタリア・オペラのダカーポ・アリアですが、音楽はフランス風で、ラモーの研究し尽された複雑な和声進行で、王妃の苦しい心のうちが表現されています。
我を忘れるほどの嫉妬
そこに、乳母エノーヌが現れ、まもなくヒッポリュトスが現れることを告げます。
震えるパイドラ。
やってきたヒッポリュトスはパイドラに、『あなたは私を憎んでいるのに、私に何か御用ですか』と尋ねます。
パイドラは、『確かにこれまであなたに辛く当たったかもしれないが、決してそうではない、これからはあなたが王、私と息子たちはあなたに従います』と答えます。
ヒッポリュトスは安心し、『いえいえ、私は王位など要りません、愛するアリシーさえいればいいのです』と応じると、パイドラは嫉妬のあまり、再び怒り出し、アリシーを罵ります。
ふたりの二重唱です。
第3場 パイドラとヒッポリュトスの二重唱
パイドラ
不愉快きわまりない者の命
私の怒りは何だってやるだろう
私が散らしてやりたいと思っている血
これほど憎らしいものはこの世にない
ヒッポリュトス
とても大切な命
だから何もしないでください
私が守りたいと思っている血
これほど大切なものはこの世にない
パイドラの嫉妬によるパニックと、ヒッポリュトスの当惑した思いが交錯するデュエットです。
ついに運命の告白
ヒッポリュトスはパイドラに、なぜそんなにアリシーを憎むのですか、と尋ねると、パイドラはついに言ってしまいます。
『私の恋敵だからです!』
これを聞いたヒッポリュトスは、あまりのことに混乱します。
『あなたは、父の妃。息子に恋をしたのか!?なんというおぞましいこと!!神よ、なぜこのような罪を雷で滅ぼさないのですか!?』
真剣な恋を、愛する相手から全否定されたばかりか、おぞましいと罵られたパイドラは絶望し、ヒッポリュトスの剣を抜き、自害しようとします。
その剣をあわてて奪うヒッポリュトス。
その瞬間を、地獄から戻ってきたテセウスが目撃します。
テセウスが見た、我が家の地獄
戻った瞬間のテセウスが見たものは、息子が自分の妻に剣を突き付けている図でした。
『これはどうしたことだ!これが、運命の神が言っていた我が家の地獄なのか!?』
一同を問い詰めますが、パイドラは、『愛が冒涜されたのです』と意味深なことを言って涙ながらに退出します。
ヒッポリュトスも、まさか、『父上のお妃が私に恋を迫ってきたのです』とは言えず、『永遠の国外追放をお与えください』とだけ告げて去っていきます。
残ったのは乳母エノーヌひとり。
テセウスは、いったい何があったのだ!?と乳母に問います。
乳母は王妃をかばうため、『王子様がお妃様に邪悪な恋を…』と、うそをつき、テセウスはそれを信じてしまいます。
そこに、王の帰還を喜んだ国民たちが、軍船の水夫とともに行進曲に乗って集まってきます。
そして、王を地獄から救い出してくれた海神ポセイドン(ネプテューヌ)に対する感謝の祭典が開かれます。
テセウスは祝祭どころの心境ではありませんが、王として、感情と王家のトラブルは隠し、民衆の祝いを受けます。
この場面は筋の上では必要ありませんが、オペラ中盤の見せ場、ディヴェルティスマンとなっています。
フランス・オペラでは、必ず観衆サービスとしてバレエが挿入されるのです。

ラシーヌの『フェードル』で、ヒッポリュトスに迫られたとテセウスに告げるパイドラ
海の神に捧げる感謝の祭典
第8場 行進曲
第8場 トレゼーヌの町の人々と水夫たちの合唱
合唱
この海の神の栄光で海辺を満たせ
その恵みに喝采を送れ
神は英雄の中の最大の英雄をこの世に帰したもうた
この合唱は、厳格なポリフォニー形式で書かれた有名なものです。
モーツァルトのオペラ『クレタの王イドメネオ』にも、第1幕と第2幕の間に、同じようにポセイドン(ネプチューン)を讃える民衆のインテルメッツォ(幕間劇)が置かれており、このオペラの影響がうかがえます。
第3場 水夫たちの第1のエール
ティンパニ轟く、海の男たちの豪快な踊りです。
第3場 水夫たちの第2のエール
続く第2のエールは、軽快で楽しいものです。
第3場 タンブラン風の第1、第2のリゴドンと女水夫のエール
女水夫
愛の神が、まるでポセイドンのように舟へと誘う
運試しのためなら、何でもしてしまう
難破が多いのに、心は皆水夫と同じ
穏やかな暮らしを止め
波の上に飛び出し、嵐に遭う
愛の神は、港でしか眠らない
リゴドンは南仏プロヴァンス起源の二拍子の元気なダンスです。
踊りと歌で、恋を航海にたとえます。
難破することが多いのに、みな海に出てしまう…
実に活発で、楽しい音楽ですが、それを見守るテセウスはそれどころではありません。
〝3つの願い〟の最後
王らしく一同をねぎらい、去らせると、テセウスはひとり葛藤します。
最愛の息子であるが、自分の妃、しかも義母に懸想した罪は重い。
これには復讐しなければならぬ。
そう思い至ったテセウスは、父ポセイドンがかなえてくれると言った3つの願いのうち、最後の願いとして、息子ヒッポリュトスをこのまま逃亡させておかず、罰してくれるよう祈ります。
乳母の嘘を鵜呑みにし、取り返しのつかない誤解をしてしまったわけです。
自分の目で見た光景ですから、信じてしまうのも無理はありませんが…。
すると、願いを聞き届けたかのように海がざわめきます。
第9場 海のざわめき
テセウス
どうしたことだ、怒りで波が揺れ動いている
恐れよ!
おまえはもう終わりだ
あまりにも罪深いヒッポリュトスよ
血を分けた子が叫んでも無駄なこと
もう彼の声は聞こえない
すべてのものが今、堪えがたい屈辱の復讐をしようとしている
ポセイドンが誓いを守ってくれる
王たちの復讐をするのは神々だ!
海のざわめきは、テセウスの心のざわめきであり、ラモーの音楽は素晴らしい表現です。
しかし、伝統的なリュリのフランスオペラを聴き慣れた初演の観衆は、こうしたオーケストラの雄弁さに耳を塞ぎ、肝心の歌が聞き取れない、とラモーに批判を浴びせたのです。
さてテセウスは、せっかくの3つの願いを、まったく無駄にしたばかりか、自分を不幸にする形で全部使ってしまったわけです。
神話が語る、人間の弱さです。
運命の神が告げた地獄は、人間が自らの至らなさで招き寄せたものだったのです。
かわいそうなヒッポリュトスの運命はいかに。それは次回に。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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