征服者たちに蹂躙されたインカ帝国
オムニバス形式の4つの幕(アントレ)から成る、ラモーのオペラ=バレ『優雅なインドの国々 』。
トルコをあとにしたキューピッドたちが、次に降り立ったのは、大西洋をわたり、さらに太平洋に面した南米ペルーでした。
そこには古代文明のインカ帝国が栄えていましたが、時は大航海時代。
ポルトガル、スペインを先駆けとして、ヨーロッパが世界征服に乗り出します。
新大陸には、コロンブスの発見以来、金銀財宝を求めてスペインの征服者たちが押し寄せます。
征服者たちは「コンキスタドール」と呼ばれました。
1521年にはメキシコのアステカ帝国がエルナン・コルテス(1485-1547)によって滅ぼされ、ペルーのインカ帝国は1533年にフランシスコ・ピサロ(1470-1541)によって征服されました。
ラモーの時代から200年も前の出来事ですが、この物語にはインカの宗教儀礼が描かれていますので、征服直後の時代設定と考えられます。
スペイン将校とインカの姫の恋
舞台は、険しいアンデスの山々に囲まれたペルーの砂漠。
背後には火山の火口が不気味に口を開けています。
幕が開くと、征服者スペインの若き将校カルロスが、インカ族の姫ファニを口説いています。
ファニもカルロスを愛しているのですが、征服者との禁断の恋が、生き残りのインカ族たちからどんな迫害を受けるか、恐ろしくてカルロスの愛を受け入れることができません。
ファニは『このあたりにはインカ帝国の残党が残っていて、まもなく太陽神の祭典が行われるのです。とても危険です』と告げます。
カルロスは『我々スペイン人は、たったひとりでインカの軍隊に勝利するのを忘れたのか?』と啖呵を切ります。
そう、スペイン人は新大陸にない「銃」「鉄」「馬」でインカ帝国を一方的に破ったのです。
しかも、戦いの前に、新大陸の人々はヨーロッパ人が持ち込んだ「天然痘」によって、すでに人口の大半を失って疲弊していたのでした。
ラモー:オペラ=バレ『優雅なインドの国々』第2アントレ「ペルーのインカ人」
Jean-Philippe Rameau:Les Indes Galantes "Les Incas du Pérou"
リトルネル
第2アントレの導入曲です。夜明けの空をわたる風のような旋律から始まる素敵なフーガ。朝日に染まるアンデスの山々が目に浮かぶようです。
北海道産の「インカのめざめ」という美味しいじゃがいもがありますが、この曲にもその名をつけたい思いです。
侵略者に恋してしまった…
カルロスが去り、ファニはひとりになると、神に彼と結婚できるよう祈ります。
敵である征服者と、さんざんな目に遭った祖国の人々に挟まれて悩み苦しみ、それでも愛する人と結ばれたい、という思いをつづった感動的な歌です。
ファニ:来てください、婚礼の神よ
ファニ
来てください、婚礼の神よ
心から愛する勝利者とわたしを結んでください!
あなたの絆でわたしを縛ってください
わたしの愛の炎があなたに願っているこの瞬間
愛よりもあなたの方が大切なのです
このファニを物陰から見ている人物がいました。
それは、インカの祭司ユアスカールでした。
彼はファニを自分のものにしたいのですが、彼女がカルロスに恋しているのを苦々しく思っているのです。
ユアスカールはファニに言い寄り、あんな侵略者を愛するなんて裏切りだ、自分の愛を受け入れなさい、と迫ります。
ファニは怒って、スペイン人を導いている神を恐れなさい!と退けます。
インカの太陽崇拝
ユアスカールは、彼らはただ金が欲しいだけの強欲な野蛮人だ、と罵ります。
この指摘はまさに当たっているわけですが、そうこうするうち、インカの残党たちが集まり、太陽神を崇める祭典が始まります。
インカ人たちは、太陽神に捧げるダンスを踊ります。
太陽信仰のためのインカ人たちのエール
ここでも異国趣味いっぱいのリズムで、ユアスカールの司式のもと、インカ人たちが太陽神に犠牲を捧げ、その恵みを乞うさまが描かれます。
火山国ペルー
祭典が最高潮になるとき、突然地震が起こり、火山が噴火します。
ペルーは火山国で、今も多くの火山があります。
合唱
大地の奥深く
風の神々が戦いを告げている
真っ赤になった岩が空に噴き出され
地獄の炎が天にまで届く
人々が逃げまどう中、ユアスカールはファニに、これは神の怒りだ、助かるためには私についてくるのだ、と呼びかけます。
ファニが躊躇していると、カルロスが現れ、この噴火はユアスカールの仕業なのだ、と告げます。
これは神の怒りではなく、ユアスカールが火口に岩を投げ込んで、人為的に起こしたものなのだ、というのです。
そして、ファニの手を取り、ユアスカールにふたりの愛を見せつけて去っていきます。
残されたユアスカールは自暴自棄になり、神を呪う言葉を吐き、燃える岩よ、俺を押しつぶせ、とわめき、その言葉通り、大きな噴石が彼の頭上に降ってきて幕となります。
邪悪で罪深いユアスカール、とされていますが、どうも気の毒な気がしてなりません。
史実では、ペルーのインカ帝国は1533年にフランシスコ・ピサロによって征服されました。
ピサロは小貴族の子でしたが、母の身分が低く、十分な教育も受けられない不遇な境遇でした。
こうした、本国では日の当たらない、出世の見込みもない若者たちが、新天地での成功を夢見て海に乗り出したのですから、強欲な侵略者となるのは当然です。
二度にわたる南米探検で、どうやら豊かな帝国があるらしい、という情報を得たピサロは、いったん本国に戻り、スペイン王に征服と支配の許可を得てから、軍隊を整え、満を持してペルーに乗り込みました。
そして、インカ皇帝アタワルパをだまし打ちにして捕虜にします。
皇帝は『そんなに金銀が欲しいのなら、部屋1つを満たす金と、2つを満たす銀を身代金として渡すから助けてくれ』と頼み、実際に用意してピサロを驚かせますが、最終的にはいいがかりをつけて皇帝を処刑し、インカ帝国を滅ぼします。
インカ帝国の首都はクスコですが、海岸に新たな都市リマを建設し、植民地支配の拠点とします。
世界遺産の代表格、マチュピチュ遺跡は、インカの残党が山奥に逃れ隠れ住んだ、というイメージがありますが、滅亡以前から築かれた、王族の避暑地だったようです。
ピサロは、最後には仲間割れの争いの中で暗殺され、その生涯を閉じます。
コルテスとマリンチェ
ピサロのインカ征服には、このオペラにあるようなロマンスはないのですが、その10年程前、メキシコのアステカ帝国を滅ぼしたエルナン・コルテス(1485-1547)には、現地女性との有名なエピソードがあります。
アステカを征服すべくメキシコに上陸したコルテスは、ピサロと違って、なぜか現地人に手厚く迎えられます。
それは、アステカに『一の葦の年に、白い顔をした神ケツァルコアトルがやってきて支配する』という伝説があったからです。
この予言は広く信じられ、当時のアステカ皇帝モクテスマ2世も、これを不安に思っていました。
歴史のいたずらとしか言いようがありませんが、コルテスは偶然にも現地の暦で「一の葦の年」に当たる年にまさにやってきたのです。
しかも白人。現地人が予言が実現したと思っても無理はありません。
コルテスはアステカ帝国の首都テノチティトラン(今のメキシコシティ)を目指しますが、途中、タバスコの地で、現地の酋長から10人の美女を献上されます。
コルテスを神と思って捧げものをしたわけです。
その中のひとりに、マリンチェという娘がいました。
この女性は美しい上に聡明で、ほどなくスペイン語を覚えてしまい、コルテスに愛されて、征服の道案内と通訳の役目を果たします。
マリンチェは神に仕えているつもりだったのでしょう。
コルテスはそのおかげでスムーズに進軍し、テノチティトランに無事入城し、皇帝モクテスマ2世と会見を果たします。
しかし、コルテスは、人間の生きた心臓を毎日神に捧げるというアステカの残酷な祭祀を嫌悪し、アステカ側も、スペイン人たちの横暴ぶりに、どうもコルテスは神ではないのではないか?と疑いはじめ、結局流血の戦いとなった末に、アステカ帝国は滅ぼされます。
マリンチェはコルテスの子を産み、その子孫は今もメキシコにいるそうです。
しかし、マリンチェはコルテスの正式な妻にはされず、後に部下の妻となります。
メキシコ旅行の思い出
私は10年程前にメキシコシティを訪ねましたが、現代のメキシコで、このマリンチェの評価が分かれているのが印象的でした。
侵略者のお先棒を担ぎ、あろうことかその愛人となった裏切者、売国奴、悪女、という非難。
一方で、その後のメキシコの発展の担い手となったメスティーソ(スペイン人とインディオの混血)の最初の母であり、両国をつなぐ架け橋となった功績を讃える評価。
コンキスタドールによる新大陸征服は、世界史上悪名高い残虐行為ですが、今の中南米の国々はその結果生まれたものであり、その歴史を否定しては国民としてひとつになることはできないのです。
しかし、メキシコにはまだまだスペイン語が分からない先住民族がたくさんいて、メキシコシティの地下鉄では、駅名が文字とともにイラストで表示されていました。
植民地支配の歴史というのは、決して消すことはできない、現代も未来もずっと背負っていかなければならない過去である、ということを痛感しました。
ラモーがこの幕で描いた、征服者カルロスと被征服者ファニとの恋。
そこには2つの国に挟まれたマリンチェの記憶が反映しているのでしょうか。
そしてこの物語を、当時のフランス人たちはオペラ座でどんな思いで観ていたのでしょうか。
思いは尽きません。
次回は、3か国目、ペルシャです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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