1801年3月28日、ウィーンの宮廷劇場(ブルク劇場)でバレエが上演されました。
ベートーヴェン唯一のバレエ音楽、『プロメテウスの創造物』です。
若い頃、ボン時代にワルトシュタイン伯爵の依頼で『騎士バレエ WoO1』を書いたことはありましたが、これは宮廷貴族たちの出し物のための、余興的なものでしたので、本格的なバレエはこれだけ、ということになります。
同じブルク劇場で第1シンフォニーを発表してから1年。
31歳のベートーヴェンが書いた2番目の大規模なオーケストラ作品となります。
序曲、導入曲と16の情景曲で構成されていますが、今演奏される機会があるのはほとんど序曲だけです。
しかし、本体の音楽も迫力があって実に素晴らしく、しかも、のちのシンフォニーの傑作につながっていく内容です。
台本が失われてしまっていて、物語の詳しい内容が分からず、上演するにしても再現は難しいため、敬遠されてしまっているのですが、もったいない限りです。
オーケストラ作品としては、最初のヒット作といっていいほど、当時は大人気を博しました。
バレエの天才革命児、ヴィガーノ
しかし、ヒットは音楽よりもバレエのためでした。
サルヴァトーレ・ヴィガーノ(1769~1821)が率いるバレエ団が、当時ヨーロッパ中でセンセーショナルな人気を博していて、この年、2度目のウィーン訪問を果たしました。
公演にあたり、ヴィガーノの大ファンだった、皇帝フランツ2世の皇后、マリア・テレジアが、音楽はベートーヴェンに任せたらどうかしら、と依頼してくれたのです。
1年前、第1シンフォニーとともに初演された七重奏曲(セプテット)は皇后に捧げられましたが、それは大のお気に入りとなり、今度のバレエもベートーヴェンに、という話になったのです。
お気に入りの踊りを、お気に入りの作曲家の音楽で、というわけです。
ベートーヴェンはどれだけ張り切って作曲したことでしょう。
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踊りと劇を融合させたヴィガーノ
ヴィガーノはイタリア・ナポリの、代々舞踏を仕事とする家に生まれました。
父は高名な振付師、ダンサーで、母の弟は『ボッケリーニのメヌエット』で今も有名な作曲家ルイジ・ボッケリーニ(1743~1805)でした。
ボッケリーニの音楽はハイドン風で人気があり、〝ハイドンの妻〟と讃えられ、マリー・アントワネットもお気に入りでした。
ボッケリーニのメヌエット(弦楽五重奏曲 作品11 第5番 第3楽章)
ヴィガーノは父からバレエを、伯父ボッケリーニから作曲を学び、新しいバレエを創造してきます。
目指したのは、パントマイムとダンスの融合でした。
そして、大人数での群舞を好んで導入し、踊りで表現するドラマチックな劇作品を生み出していきました。
1789年に、スペイン王カルロス4世の戴冠記念式典で踊りを披露した際に出会った、スペイン人ダンサーのマリア・メディナと結婚し、2人でヴェネツィア、ウィーン、パリ、プラハ、ドレスデン、ベルリン、ハンブルクなどのヨーロッパ各地を巡業して大成功を収めたのです。
妻マリアとは10年後に離婚してしまいますが、彼女も美貌と才能に恵まれた名ダンサーでした。
ヴィガーノがウィーン公演で選んだ題材は『プロメテウス』でした。
ギリシャ神話をもとにしていますが、劇の筋はアレンジしたものになっています。
元の神話は次のようなものです。
人類の恩人、プロメテウス
プロメテウスは、全能の大神ゼウス(ユピテル、ジュピター)をはじめとするオリンポス12神によって支配権を奪われた、先代の神々「ティタン(タイタン)神族」に属します。
神界戦争に負けてゼウスに従っているものの、先輩でもあり、何かと反抗しがちです。
プロメテウスは、そんな抑圧された境遇からか、泥から人間を作り、命を吹き込み、可愛がります。
人間はどんどん増え、神々の大好物である牛肉も食べるようになりました。
ゼウスは、人間たちが神と同じものを食べるのを苦々しく思い、肉の部位を別にしよう、と言い出します。
プロメテウスは、それはゼウス様がお決めになることと、と言い、肉をふたつに分けてゼウスに選ばせます。
ひとつは、ロースやモモといった肉やホルモンを食べられない皮で包み、もうひとつは骨を脂身で包んだのです。
こってり好きだったゼウスはつい、あぶらマシマシの方を選んでしまい、まんまと騙されます。
神の言葉は取り消せません。
ゼウスは仕返しに、人間から火を取り上げてしまいます。
火がなくては、せっかくの肉も料理できないどころか、暖も取れず、人間たちは寒さに震え、夜の闇におびえて暮らさなければならなくなりました。
プロメテウスは、自分が創った人間たちを救うため、こっそり鍛冶の神ヘパイストスの仕事場に忍び込み、その炉から茴香(ういきょう)の乾いた茎に火を移し、地上に下りて人間に火を渡します。
ゼウスは自分の命に背いたプロメテウスに激怒し、崖に鎖でつなぎます。
さらに1日1回、大鷲がやってきて肝臓をついばまれる、という刑に処します。
神であるプロメテウスは不死のため、死で苦痛が終わることはなく、翌日には肝臓はもとに戻り、同じことが繰り返されます。
肝臓の再生機能を古代ギリシャ人は知っていたのか?という不思議なエピソードでもあります。
また、人間に火を与えるとろくなことにはならない、というゼウスの考えは、ついには原爆のような使い方までするようになる未来を予言したともいえます。
刑期は永遠とされましたが、3万年後に英雄ヘラクレスによって大鷲が射落とされ、解放されました。
人類にとっては創造主であり、大恩人、ということになります。
ヴィガーノの台本は、この神話を下敷きにはしているものの、彼の創作で、そんな凄惨な話はなくなっています。
では、音楽と一緒にたどっていきましょう。
Ludwig Van Beethoven:The Crestures of Prometheus Op.43
演奏:ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ指揮 フライブルク・バロックオーケストラ
Freiburger Barockorchester & Gottfried von der Goltz
冒頭の暴力的な一撃は、第1シンフォニーで聴衆をとまどわせたであろう下属調の属七和音です。シンフォニーでは、何を意味しているのやら、大いに当惑させられましたが、今回はドラマのはじまりですから、物語の先行きを暗示するドラマチックな効果を上げています。また、1年前の〝あの曲と同じ作曲家〟として印象付ける狙いもあったかもしれません。ゆっくりしたアダージョが盛り上がってから、第1主題のアレグロとなりますが、ただのハ長調の音階が、転調を繰り返しながら畳みかけるように盛り上がっていくのも第1シンフォニーと同じ手法です。第2主題はフルートがト長調で軽やかに歌いだしますが、それもつかの間、再び弦が厳しくうなります。弦の緊張と、管の軽快がめまぐるしく交代する、対比の妙が聴く人を引き込んでいきます。
幕開けへの期待を持たせつつ、コーダではホルンだけが引き延ばし、アタッカで次の楽章、導入曲へとつなぎます。
イントロドゥツィオーネ(イントロダクション):『ラ・テンペスタ(嵐)』
調性を安定させず、ヘ短調、変ロ短調、ト短調、ハ短調、イ短調と、マイナーの揺らぎで激しい「嵐」を表現します。天上の火を盗んだプロメテウスに対するゼウスの怒りを表しています。まずは嵐の前の不穏な雰囲気、16小節目から始まるティンパニのピアニシモによる「遠雷」の響き、弦による電の閃き、そしてついにやってくる暴風と豪雨。まさに、これは『田園シンフォニー』の第4楽章の下敷きなのです。嵐はひとしきり暴れたあと、だんだんと弱まり、遠ざかっていきます。
そして、恐る恐る現れたのが…
物語の本編は次回にて。
動画は、往年の名フォルテピアノ奏者、ジョス・ファン・インマゼールが手兵アニマ・エテルナを指揮した序曲です。
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今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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