「献呈出版」とは
『調和の霊感 作品3』の最終回です。
前回取り上げたように、この12曲のコンチェルト集は、1711年にアムステルダムのE.ロジェ社から出版されました。
当時は出版にあたって、その曲を特定の王侯貴族に捧げる「献呈」という形をとり、印刷譜にはその冒頭にうやうやしい献辞を掲げることが多くありました。
作曲者は書いた曲に箔がつき、出版物のいい宣伝になりますし、献呈される方も、芸術の保護者としての名望が高まり、その権威を他国に見せつけることができるため、ウィンウィンの取り引きでした。
献呈された側は、作曲家に対し、なにがしかの返礼を送る慣習です。
それはお金であったり、記念品であったりしましたが、時代が下がると、財政的に手元不如意な王侯貴族も多くなり、ベートーヴェンなどは見返りが少ないと怒って、献呈を取り消したりしています。
献呈されるほうも、お金はかかるし、断るのもメンツにかかわるしで、ありがた迷惑だったこともあるかもしれません。
まるで、「ふるさと納税」の過剰な返礼品で、かえって赤字になる自治体のようです。
ヴィヴァルディが献呈した相手は?
さて、この楽譜出版の金字塔というべき『調和の霊感 作品3』は、トスカーナ大公の後継ぎ(大公子)、フェルディナンド・デ・メディチ(1663-1713)に献呈されました。
冒頭に掲げた表紙の写真には、大きく「トスカーナ大公フェルディナンド3世に捧ぐ」と書かれていますが、フェルディナンドはこの時点ではまだ即位しておらず、いわば皇太子の段階でした。
でも近い将来即位は確実だったため、ヴィヴァルディはヨイショして、早々に「フェルディナンド3世」と持ち上げ、作品ナンバーも、ゆかりの「3」とするほどのゴマすりぶりです。
彼は、音楽の熱烈な愛好者、保護者として名を馳せていました。
しかし、皮肉なことに、フェルディナンドは即位する前に、父コジモ3世より先に逝去してしまい、「3世」になることはできなかったのです。
フェルディナンドは、15世紀以降フィレンツェに君臨し、芸術を保護してルネサンスを花開かせたことで有名なメディチ家の子孫です。
ボッティチェリ、ミケランジェロ、ラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチといった、盛期ルネサンスの巨匠たちのパトロンとなりました。
メディチ家はもともと銀行家であり、フィレンツェは共和国でしたので、その最盛期にフィレンツェを支配した有名なロレンツィオ・ディ・メディチ(1449-1492)も、「豪華王(イル・マニフィコ)」と呼ばれましたが、公的には何の肩書もなく、単なる事実上の支配者(シニョーリア)というだけでした。
それ以降、同家出身の教皇レオ10世を出すなど、権勢を振るいましたが、神聖ローマ帝国とフランス、そして教皇の三つ巴の争いに巻き込まれ、何度もフィレンツェを追放される憂き目にも遭いました。
しかし、3者が和解した1532年に、フィレンツェ公に封じられ、一市民の有力者から、正式な君主になることができました。
さらに、コジモ1世(1519-1574)のときに、トスカーナ大公に昇格し、フィレンツェの街を豪華に飾り付けました。
今、街全体が美術館、といわれるフィレンツェの美しい街並みは、このときに完成したのです。
音楽と同性を愛した王子様
メディチ家は、2代にわたってフランスに王妃を送るなど(アンリ2世妃カトリーヌ・ド・メディシス、アンリ4世妃マリー・ド・メディシス)、ヨーロッパに権勢を振るいましたが、その後の代々の君主は病弱だったり、政治に関心を示さなかったりで、トスカーナ大公国はだんだんと衰えていきました。
ただ、誰もが芸術のパトロンであり、これはまさに血筋といえます。
フェルディナンド大公子は、特に音楽を愛好しました。
プラトリーノの別荘には室内劇場があり、そこにはヘンデル、アレッサンドロ・スカルラッティ、パスクィーニなど、当時一流の音楽家が招かれました。
楽器製作者のクリストフォリも雇われ、楽器の開発のため多額の援助を与えられました。
クリストフォリはその資金をもとに、新しい楽器「ピアノ(ピアノ・エ・フォルテ)」を発明することができました。
まさにフェルディナンドはピアノの生みの親、といえます。
しかし彼は、自身の後継ぎを生むことはできませんでした。
というのも、彼は同性愛者だったからです。プラトリーノの別荘は愛人たちとの密会の場でもありました。
1689年にはしぶしぶ政略結婚をしましたが、形ばかりのもので、子はできません。
1696年にヴェネツィアのカーニバルに遊びに行き、その時ヴィヴァルディとも出会ったと思われますが、その折にフェルディナンドは放蕩が過ぎたためか性病にかかってしまい、それが悪化して、1711年に即位することなく死去してしまうのです。
まさに彼に捧げられた『調和の霊感』が出版された年のことでした。
メディチ家の末路と、そのコレクションの行方
父コジモ3世が亡くなったあと、次男のジャン・ガストーネ(1671-1737)が後継ぎの大公になりましたが、こちらも子はなく、1日中ベッドから出ないなど、自堕落な生活(休日の私も似たようなものですが)のうちに亡くなりました。
残ったメディチ家直系の子孫は、長女のアンナ・マリーア・ルイーザ(1667-1743)だけになりましたが、彼女はドイツのプファルツ選帝侯に嫁いでおり、大公位を継ぐことは国際的に認められませんでした。
ジャン・ガストーネ大公の死後、列強は勝手に、トスカーナ大公位を、まったくメディチ家とは関係のない、ロレーヌ公フランツ・シュテファン(1708-1765)に継がせます。
彼は、同じく男性継承者の絶えそうなハプスブルク家の次期女当主、マリア・テレジア(1717-1780)と結婚したため、フランク族のサリカ法典の伝統によって女帝が認められない神聖ローマ皇帝位を、妻に代わっていずれ継ぐ、とみなされました。
これに反発したフランスに、先祖代々の所領ロレーヌを譲り渡すことになり、その見返りに、メディチ家の断絶によって空位となったトスカーナ大公位が与えられたのです。
ロレーヌ公領は、ポーランド王位をザクセン選帝侯に奪われた、ルイ15世の岳父スタニスワフ・レシチニスキに一代限りで与えられたのですが、その経緯はバッハの世俗カンタータの記事で触れました。
これら大国のエゴによる領地トレードの結果、トスカーナ大公は今後、ハプスブルク家の人間が継承することになりました。
本当のフェルディナンド3世は、のちにハプスブルク家から出ることになります。
トスカーナ大公位は失ったとはいえ、メディチ家の莫大な財産、特に貴重な芸術作品の数々は、夫と死別し、フィレンツェに戻ってきた前出の長女、アンナ・マリア・ルイーザがピッティ宮殿に住んで管理していました。
彼女にも子供はなく、メディチ家は彼女の死で断絶することになります。
ただし彼女は「メディチ家のコレクションがフィレンツェにとどまり、一般に公開されること」と遺言し、そのお陰で、人類の至宝というべきルネサンス作品の数々は散逸することなく、今もウフィツィ美術館をはじめとしたフィレンツェの美術館で鑑賞することができるのです。
ヴィヴァルディとメディチ家のご縁をご紹介しました。
それでは、前回に続き『調和の霊感』第10番から第12番を聴きます。
ヴィヴァルディ:『調和の霊感 作品3』第10番 4つのヴァイオリンとチェロのための協奏曲 ロ短調 RV580
Antonio Vivaldi:L'estro Armonico op.3, no.10 Concerto con 4 violini e violoncello B-moll, RV580
演奏:ファビオ・ビオンディ(指揮とヴァイオリン)、エウローパ・ガランテ
Fabio Biondi & Europa galante
バッハが『4台のチェンバロのためのコンチェルト BWV1065』に編曲したことで有名な曲で、以前の記事でバッハの曲として取り上げました。
www.classic-suganne.com
20世紀になってバロック音楽が見直されてきたときに、〝バッハがこんなにたくさん編曲したヴィヴァルディって何者?〟ということで、ヴィヴァルディは〝発掘〟された側面もあります。
エルンスト公子から依頼されて編曲した他の曲とは違い、バッハがコレギウム・ムジークムの演目として、自ら編曲した可能性があります。
この曲では、4つのヴァイオリンがそれぞれに独立して躍動しますので、いきおい音楽の作りはポリフォニックになり、そこがバッハのお気に入りになったのかもしれません。
曲はヴァイオリンのソロから始まり、同じ旋律をトゥッティが追いかけます。4つもソロのヴァイオリンがあるということは、トゥッティとの勢力差が縮まりますから、スタイルとしてはコレッリのコンチェルト・グロッソに近い、古典的なものになりますが、この曲に見られる各ソロの活躍ぶりは、まさしく新しい時代のものです。ソロ楽節は同じようでも、細かく変化し、それがソロ楽器同士、そしてトゥッティに受け継がれていきますが、同じソロ楽節が再現されることはありません。まさにバッハを魅了したエキサイティングで斬新な音楽なのです。
第2楽章 ラルゴーラルゲットーアダージョーラルゴ
テンポがラルゴからラルゲット、アダージョ、ラルゴと移っていきます。最初の付点リズムのラルゴは最後のものと同じで、ラルゲットでは4つのヴァイオリンがそれぞれ異なった奏法で、アルペッジョ(分散和音)を奏でる、神秘的な楽章です。
ジーグの軽快なリズムではありますが、前楽章から引き継いだ緊張感に満ちていて、ここでも各ソロがメロディを受け渡したり、交換したりが手に汗握るほど緊密に行われ、音楽の織物を現出しています。
ヴィヴァルディ:『調和の霊感 作品3』第11番 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 RV562
Antonio Vivaldi:L'estro Armonico op.3, no.11 Concerto con 2 violini D-moll, RV562
『調和の霊感』の中でも最も異彩を放つ曲です。第1楽章がまるでひとつのコンチェルトのような作りです。ソロは2つのヴァイオリンとチェロが担当し、さながらトリオ・ソナタで、トゥッティが加われば実に8声部となります。最初のアレグロは、2つのヴァイオリンのカノンで始まります。トゥッティが入ってくる様は実に劇的で、最初に聴いたときからその粋な演出に魅了されました。
(第1楽章)アダージョ・スピッカート・エ・トゥッティ
トゥッティによるたった3小節の経過句ですが、コード進行が印象的で、イ短調の属和音→ニ短調→ハ短調→ニ短調と転調し、最上声部が半音階的に下降して次の楽章につなぎます。
ヴィヴァルディのコンチェルトには珍しい、手の込んだフーガです。第2展開部では新しい旋律が加わって二重フーガとなります。ヴィヴァルディは対位法が苦手だったのではないか、という指摘に対し、有力な反論の論拠となる楽章です。テクニックの裏にある情熱に圧倒される音楽です。最後には印象的なリタルダンドで終わります。
第2楽章 ラルゴ・エ・スピッカート
シチリアーノのしっとりとした旋律に心から癒されます。後の『四季』の夏の中間楽章を思わせます。この演奏では、ビオンディの華麗な装飾音が聴きどころです。
ヴェネツィア流コンチェルトの特徴である、チェロのオブリガートが実に格好いい終楽章です。ソロとトゥッティの交替は自由で、嵐のように展開し、締めくくられます。
バッハのオルガン編曲
このヴィヴァルディには珍しいポリフォニックで独創的な曲を、バッハはオルガンに編曲しています。当然のようですが、そのフーガはオルガンにピッタリです。
バッハ:協奏曲 ニ短調 BWV596
J.S.Bach : Concerto in D minor BWV596
演奏:エレーナ・バルシャイ(オルガン)
第1楽章 アレグローグラーヴェ
(第1楽章)フーガ
第2楽章 ラルゴ
第3楽章 フィナーレ
ヴィヴァルディ:『調和の霊感 作品3』第12番 ヴァイオリン協奏曲 ホ長調 RV265
Antonio Vivaldi:L'estro Armonico op.3, no.12 Concerto per violino E-dur, RV265
緊張感あふれる前2曲のあとに、太陽のように明るいヴィヴァルディが戻ってきます。ソロの技巧も鮮やかで、変化に富んできます。しかし、ソロはトゥッティにも加わり、いわば〝休み時間〟はありませんので、そのあたりはまだコンチェルト・グロッソのスタイルを残しています。
第2楽章 ラルゴ
どこまでも心に染み入る、一幅の風景画のような楽章です。ソロ・ヴァイオリンの奏でる、幼い頃を思い出すかのような懐かしい抒情に、うっとりとしてしまいます。
宮廷舞曲のように気高く始まり、ヴァイオリン・ソロが華麗なアルペッジョを奏でます。中間部では嬰ハ短調の影が差し、ピチカートが鐘を鳴らし、変化に富んでいます。
ソロは時には和音を補充して伴奏に回り、トゥッティが替わりにアルペッジョを奏する工夫もみられます。
バッハはこの曲はハ長調に移調してチェンバロに編曲しています。この曲の室内的な響きはまさにチェンバロに最適です。
バッハ:協奏曲 ハ長調 BWV976
J.S.Bach : Concerto in C major BWV976
演奏:ヤーノシュ・シェベスティエン(チェンバロ)
第1楽章 テンポ指定なし
第2楽章 ラルゴ
これでヴィヴァルディの有名な『調和の霊感』全曲を聴いたことになります。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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