ピゼンデル氏って誰?
今回は、ヴィヴァルディの協奏曲集『和声と創意への試み 作品8』のうち、『四季』を除いた短調の3曲を聴きます。
第7番ニ短調には『ピゼンデル氏のために』というタイトルがついています。
ピゼンデル氏とは、ヴィヴァルディの弟子で、ドイツ人ヴァイオリ二ストのヨハン・ゲオルク・ピゼンデル(1687-1755)のことです。
彼はニュルンベルク近郊の生まれで、9歳でアンスバッハ侯爵の宮廷礼拝堂の少年聖歌隊員となり、音楽のキャリアをはじめました。
声変わりを迎えてからは宮廷楽団のヴァイオリニストになりますが、22歳のときに音楽修行の旅に出ます。
ワイマールではバッハと出会い、ライプツィヒではテレマンと意気投合しました。
同地では、テレマンが創設したアマチュア市民楽団「コレギウム・ムジークム」に加わりました。
「コレギウム・ムジークム」は、テレマンがライプツィヒを去ったあと、バッハが受け継いで、『コーヒー・カンタータ』など数々の名作を生み出したのはこれまでの記事でご紹介しました。
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その後、ドレスデンのザクセン選帝侯宮廷楽団の一員となり、終生そこに骨を埋めることになりますが、活動は国際的でした。
1715年にはフランスに、1716年にはイタリア、ヴェネツィアを訪れて、そこでヴィヴァルディに弟子入りし、翌年まで滞在しました。
ヴィヴァルディは彼の才能に感嘆し、自分の奏法を伝授するとともに、彼とドレスデン宮廷楽団のために数多くの作品を書き、 帰国するピゼンデルにお土産として持たせたのです。
『和声と創意への試み 作品8』第7番もそのうちの1曲でした。
ピゼンデルは、そのほかたくさんのヴィヴァルディの作品の筆写譜をドレスデンに持ち帰り、同地は北ドイツにおけるイタリア音楽の中心となったのです。
1728年には、ザクセン選帝侯宮廷楽団のコンサートマスターに就任し、その名声は、ヨーロッパ一のヴィルトゥオーゾとして轟きました。
そして、楽団のレベルもヨーロッパ随一、との呼び声がかかるようになりました。
バッハが、そんなザクセン選帝侯宮廷楽団の楽長の称号がどうしても欲しくて、選帝侯に『ロ短調ミサ』を献呈し、その結果「ザクセン選帝侯宮廷作曲家」の称号を得たエピソードも以前ご紹介しました。
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そんな、バッハもうらやむ地位と名声を得たピゼンデルですが、その人柄は実に高潔で、どんな格下の相手にも常に謙虚に接したと伝わっています。
貧しい学生への援助にも力を入れ、終生独身を通しましたが、遺産は全て慈善事業に寄付しました。
臨終にあたっての最後の言葉は、コラールの一節、『この世で幸いを与えてくれたことを神に感謝する』 だったそうです。
ヴィヴァルディが可愛がったのもうなずけます。
それでは、ヴィヴァルディが彼に贈った曲から聴きましょう。
ヴィヴァルディ:『和声と創意への試み 作品8』第7番 ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 RV242『ピゼンデル氏のために』
Antonio Vivaldi:Il cimento dell'armonia e dell'inventione op.8, no.7 Concerto D-moll, RV242 “per Pisendel”
演奏:ファビオ・ビオンディ(指揮とヴァイオリン)、エウローパ・ガランテ
Fabio Biondi & Europa galante
アレグロですが、ゆったりと聴かせる歌です。5つのトゥッティに挟まれて、4つのソロが入るリトルネッロ形式です。いつもの、はしゃいだヴィヴァルディ調ではなく、格調高い雰囲気に包まれているのは、ピゼンデルの演奏スタイルを意識してのことなのでしょう。ソロはトゥッティの音型を引用しながら、変幻してゆきます。
第2楽章 ラルゴ
ソロが中心の緩徐楽章で、格別な技巧はなく、シンプルに進んでいきます。次の最終楽章の盛り上げにつなぐ役割の楽章です。
フラメンコを思わせるような、エキゾチックで情熱的なトゥッティの間に、3回のソロが超絶技巧を繰り広げます。ピゼンデルの腕前が存分に発揮できるように作られた、彼以外には演奏できなかったのではないか、と思われるほどの、曲集随一の難曲です。ソロには重音奏法がふんだんに用いられ、1台のヴァイオリンで奏でられているとは思えない音色です。
ヴィヴァルディ:『和声と創意への試み 作品8』第8番 ヴァイオリン協奏曲 ト短調 RV332
Antonio Vivaldi:Il cimento dell'armonia e dell'inventione op.8, no.8 Concerto G-moll, RV332
楽譜にはフラットがひとつしかついていないので、ヘ長調かニ短調のように見えますが、実質的にはト短調です。前曲と違って3回のソロは、トゥッティのテーマとはあえて関連づけられておらず、独立した動きを見せ、その対比が特徴的な曲です。音階を上がったり下りたり、目まぐるしいヴァイオリンに圧倒されます。
第2楽章 ラルゴ
長めのトゥッティが、静かな夜明けのようにほのぼのとした情景を映し、ほどなくソロが日の出のように暖かく伸びやかに歌い出します。最後には短く冒頭のトゥッティが再現されて閉じます。
トゥッティは4回、ソロが3回です。1回目のソロはかなり長めで、第1楽章同様に、この曲が新時代の独奏協奏曲を志向していることを示しています。全ヨーロッパを魅了した、水の都ヴェネツィアの情熱と言えるでしょう。
ヴィヴァルディ:『和声と創意への試み 作品8』第9番 ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 RV236
Antonio Vivaldi:Il cimento dell'armonia e dell'inventione op.8, no.9 Concerto D-moll, RV236
この曲は、第12番と同様、独奏楽器はヴァイオリンでもオーボエでもよい、と記されていて、「ヴィヴァルディ全集」ではオーボエ協奏曲第1番、とされています。ヴィヴァルディの作品番号には、リオム番号(RV)、パンシェルル番号(P)、ファンナ番号(F)がありますが、一番使われるリオム番号では、ヴァイオリン版はRV236、オーボエ版はRV454になっています。
トゥッティの主題は異例の長さで、焦燥感をもったシンコペーションの前半と、半音階的な下降音型の後半からなります。後半の半音階がもたらす不思議な響きには少なからずショックを受けます。そのインパクトが強くて、ソロよりも印象的でさえあります。
低弦の伴奏に支えられ、ヴァイオリンが切なくも情感に満ちたメロディを歌います。このソロはオーボエで演奏した方が印象的かもしれず、ヴィヴァルディもそれを狙って、オーボエでもどうぞ、と表示したのかもしれません。
さらに焦りが込められたようなトゥッティと、16分音符を多用した華麗なソロが対比されます。これも、オーボエの方が面白いかもしれませんが、演奏はヴァイオリンよりはるかに難しいとされています。
第9番のオーボエでの演奏はこちらです。
ヴィヴァルディ:オーボエ協奏曲 ニ短調 RV454
Antonio Vivaldi:Concerto per oboe D-moll, RV454
演奏:ジョヴァンニ・アントニーニ指揮 ジャルディーノ・アルモニコ、パオロ・グラッツィ(オーボエ)
Giovanni Antonini & Il Giardino Armonico, Paolo Grazzi
第2楽章 ラルゴ
ピゼンデルが作曲した音楽
ピゼンデルは、数は少ないですが自らも作曲し、ヴィヴァルディの大きな影響もうかがえますが、ドイツならではの深みも感じられます。
2曲ほどご紹介します。
まず、バッハの名作にも影響を与えたと思われる『無伴奏ヴァイオリンソナタ イ短調』です。
演奏:寺神戸亮
続いて、ピゼンデルがザクセン選帝侯宮廷楽団に提供した『ヴァイオリン協奏曲 イ長調』です。
演奏:エイドリアン・チャンドラー指揮 ラ・セレニッシマ
ドレスデンの〝きれいな音楽〟(バッハ談)
ピゼンデルの活躍によってイタリア音楽が流行したドレスデンでは、イタリア・オペラも盛んになりました。
そこで活躍したのが、ピゼンデルと同じくイタリアで修行したドイツ人作曲家、ヨハン・アドルフ・ハッセ(1699-1783)です。
ハッセは、本場イタリア人よりもヒット曲を飛ばしたイタリア音楽の大家、といえます。
バッハは、ライプツィヒから時々大都会ドレスデンを訪れ、オルガン演奏会などを開いていますが、そんな折には息子の中で一番評価していた長男フリーデマンを連れて、当世流行のハッセのオペラも聴きにいきました。
バッハは、音楽の神髄を追求した自分の音楽に比べて、人々が熱狂しているハッセの流行曲を軽薄なものと思っていたのかもしれませんが、フリーデマンに皮肉っぽく『息子よ、ドレスデンのきれいな音楽をまた聴きに行かないか?』と言って誘ったということです。
ハッセの方はバッハを心底尊敬しており、彼も度々ライプツィヒを訪問して、その音楽を称賛してやみませんでした。
当世風の〝きれいな音楽〟は、バッハがあまり評価していなかった次男カール・フィリップ・エマニュエルや、末息子のクリスティアンが次々に生み出して人気を博すことになり、バッハ本流の音楽を受け継いだはずの長男フリーデマンは、放蕩で身を持ち崩して十分な才能を発揮できなかったのは歴史の皮肉です。
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バッハが聴衆に交じり、ピゼンデルがコンサートマスターを務めて上演されたであろう、そんなハッセのオペラを、イケメンカウンターテナーのオルリンスキーが歌った動画がこちらです。
Hasse: "Mea tormenta, properate!", Jakub Józef Orliński & Il pomo d'oro
ハッセは晩年、1771年にミラノで大公の婚礼のための祝祭オペラ『ルッジェーロ』を上演しましたが、それが最後の作品となりました。
この祝祭では、当時15歳の若きモーツァルトも、セレナータ『アルバのアスカーニオ』を上演し、〝老大家と神童のオペラ対決〟となったのですが、モーツァルトの作品の方が大喝采を博し、父レオポルトは『ヴォルフガングのセレナータがハッセのオペラをすっかり打ち負かしてしまった。』とうれしそうに手紙に書いています。
ハッセも『この若者は我々を完全に凌駕するだろう』とモーツァルトに賛辞を送り、世代交代を印象付けたのです。
ところで、ヴィヴァルディも、後半生はオペラの作曲家、興行主として活躍しました。
しかし、ヴィヴァルディのオペラは現代でもなかなか上演されていません。
ただ、海外での録音は増えてきているので、日本でその価値が見直されるのも時間の問題とは思います。
オルリンスキーが歌ったヴィヴァルディのアリアの動画がこちらです。
これもとても〝きれいな音楽〟です。
Vivaldi - Vedrò con mio diletto (Jakub Józef Orliński)
次回は、いよいよ『四季』を聴いていきます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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