うれしい収穫の秋!
ヴィヴァルディの協奏曲集『和声と創意への試み 作品8』の中の『四季』から、今回は第3番『秋』を聴きます。
秋をテーマにしたクラシック音楽では、ハイドンの『四季』も、ベートーヴェンの『田園』も、収穫を祝う農民の秋祭りを楽しく描いています。
中世で発展したヨーロッパの三圃制では、地力を養生して収穫量を保つため、畑を三つに分割して、「冬畑」「夏畑」「休耕地」の順にローテーションしていました。
「冬畑」には、小麦やライ麦を秋に種蒔きし、越冬させて初夏に収穫します。
これは日常食べるパンや年貢になります。
「夏畑」には、大麦やカラス麦を春に播き、秋に収穫します。
また夏畑では同時に豆類も栽培され、これはタンパク質補充と、地力回復の両方に役立ちました。
こうした農民たちの長年にわたる工夫、努力による生産性向上が、近世、近代にヨーロッパが世界を圧倒する原動力のひとつとなったのです。
今も有効なビール純粋令
大麦は、貧しい地域では黒パンにして食べることもありますが、主に馬の飼料です。
でも、気候柄ワインが作りにくいドイツなど北ヨーロッパでは、大麦はビールにもしました。
農民がビール飲みたさに、パンにすべき小麦までビールにしてしまい、そのせいで飢饉まで起こったので、1516年にバイエルン公ヴィルヘルム4世は「ビール純粋令」を発布し、「ビールは大麦、ホップ、水のみを原料とすべし」と定めました。
世界最古の食品衛生に関する法律といわれ、今でもこの法の趣旨はドイツの法令に残っています。
私なども懐がさみしいときには「発泡酒」や「第3のビール」を飲まざるを得ませんが、バイエルン公に言わせればご禁制の品です。
本物のビールにありつけたら、そんな歴史に思いを馳せ、ありがた~くいただくことにしましょう。
今では小麦を原料にした「ヴァイツェン」も飲むことができ、日本の地ビールでも作っているところがありますが、ほんのり酸っぱくて香り高く、私は大好きです。
葡萄酒はイエスのもの?バッカスのもの?
さて、ヴィヴァルディのイタリアではもちろん、ワインがたくさん造れますから、わざわざ麦をアルコールにする必要もありません。
ブドウは、皮に酵母がついているという、まるで酒になるためにできたような果物ですから、皮ごとつぶしてジュースにすれば、あとは発酵を待つだけです。
ワインの歴史は古く、考古学的な製造の痕跡は、紀元前7000年代の中国、紀元前6000年代のジョージア(旧グルジア)が最古といわれていますから、ヨーロッパでいえばジョージアが起源と言えそうです。
ジョージアでは、紀元前から地中に甕を埋めてワインを熟成していましたが、今もその製法を守っており、最近日本のスーパーでも、陶器に入れたジョージア・ワインが安価で出回るようになりました。
レベルはやはり銘醸ワインには及びませんが、世界最古と思って飲むとまた格別の味わいです。
中世ヨーロッパでは、ワインはイエス・キリストの血とされ、ミサ(聖餐式)で使われる神聖なものでした。
そのため、修道院で僧侶が儀式用に醸造し、味わい深いものになりました。
巡礼の道沿いの教会、修道院で振舞われるワインは、巡礼者の大きな楽しみでした。
もちろん、飲み過ぎて酔っ払うなどもってのほかとされましたが、中世後期になると、農民もだんだん豊かになってゆき、婚礼や祭りなど特別な機会には、〝二番搾り〟〝三番絞り〟なら飲めるようになりました。
〝一番搾り〟はもちろん、王侯貴族や領主用です。
それが、教会の権威が衰えた近世になると、ワインは、イエスの飲み物から、異教であるギリシャ神話の酒の神、バッカス(ディオニュソス)の飲み物に変わっていきました。
バッカス神の教えは〝大いに飲め、騒げ、酔っ払え!〟ですから、多くの農民は宗旨替えをしたわけです。
農民たちは、ウキウキとブドウを収穫し、醸造し、秋祭りで新酒を楽しんだのです。
現代のボジョレー・ヌーヴォー祭りはその名残りといっていいでしょう。
ちなみにヌーヴォーは熟成されていないので、ワイン通はあまり相手にしていませんが、現代のようにガラスの瓶に詰めてコルクで栓をするのが発明されたのは17世紀末、つまりヴィヴァルディやバッハが生まれた頃ですから、ワイン通が〝神の雫〟と珍重するヴィンテージワインはそれ以降、近現代の産物です。
それまではワインは樽で保存していましたから、そんなに長い期間は品質を保てません。少しでも保たせようと、スパイスや蜂蜜など混ぜものをしていました。
また、中世以来育てられてきたヨーロッパのブドウの木は、19世紀後半に、アメリカから侵入したブドウネアブラムシ(フィロキセラ)の虫害でほとんど全滅しています。
虫害に強いアメリカブドウの台木を輸入して接ぎ木することにより、ヨーロッパのワイン畑は復活しましたが、伝統的なヨーロッパブドウの味は失われたといわれています。
よって、当時のワインの味を楽しむことはできませんが、熟成されていないという意味では、ボジョレー・ヌーヴォーが実は昔の人が味わっていた風味に一番近いのかもしれません。
ともあれ、ヴィヴァルディが音楽で描いたのは、そんな味覚の秋、豊穣の秋です。
曲につけられたソネット(14行詩)、中世の豪華写本『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』も一緒にお楽しみください。
ヴィヴァルディ:『和声と創意への試み 作品8』〝四季〟第3番 ヴァイオリン協奏曲 ヘ長調 RV293『秋』
Antonio Vivaldi:Il cimento dell'armonia e dell'inventione op.8, "La quattro stagioni" no.3 Concerto F-dur, RV293 “L'autunno”
演奏:ファビオ・ビオンディ(指揮とヴァイオリン)、エウローパ・ガランテ
Fabio Biondi & Europa galante
第1楽章 アレグロ「村人たちの踊りと歌」
Celebra il Vilanel con balli e Canti
村人たちは踊りと歌で
Del felice raccolto il bel piacere
豊作を喜び祝う
E del liquor di Bacco accesi tanti
バッカスの酒のおかげで大いに盛り上がり
Finiscono col Sonno il lor godere
楽しみはみんなが眠りこけるまで続く
5回のトゥッティ(合奏)、4回のソロ(独奏)で構成されるリトルネッロ形式です。
第1トゥッティの楽し気なメロディは「村人たちの踊りと歌」で、豊作を祝う秋祭りで歌い踊る農民たちを表しています。着飾った村人たちが男女に分かれ、フォークダンスをしている様がありありと浮かびます。
第1ソロは、極めて珍しいことに、第1トゥッティとほぼ同じ音型を、ひねりもなく重音で模倣します。 それはかえって、流しのヴァイオリン弾きが雇われて村にきて、踊りの伴奏をしているように、リアルに聞こえます。領主の行事ならともかく、村祭りにオーケストラが来るなんてことはありえませんから。
第2ソロは、「酔っ払った村人たち」のふらつく足取りを、ユーモラスに描きます。
第3トゥッティがト短調で心配そうな響きになると、第3トゥッティはさらに正体をなくした酔っ払いを演じます。もはや呂律も回りません。
第4ソロの「酔っ払って眠りこんだ村人たち」で、ついに酔っ払いはぶっ倒れ、眠りこけます。フェルマータつきの長く引き伸ばされた音が、その状態を描写します。
最後に、みんなしっかりしろ!と言わんばかりにトゥッティが冒頭より早いアレグロ・アッサイで愉快な祭りをお開きにします。
ロワールの古城のひとつ、ソミュール城を背景に、農民たちがいそいそとブドウを籠に入れて収穫しています。馬車に満載されたブドウの実は、これから足でつぶされ、樽に詰められて発酵させます。実をつまみ食いしている人もいますね。新酒ができるのが楽しみです。
第2楽章 アダージョ・モルト「眠っている酔っ払い」
Fa' ch' ogn' uno tralasci e balli e canti
歌と踊りが終わったあとは
L' aria che temperata dà piacere,
秋の穏やかな空気が心地よい
E la Staggion ch' invita tanti e tanti
この季節は甘い眠りで
D' un dolcissimo sonno al bel godere.
皆を気持ちの良い憩いへと誘う
コンチェルトなのに、この楽章ではソロのヴァイオリンはトゥッティの一員となってしまいます。
弦の動きも少なく、弱音器をつけて静かに和音を奏するだけです。
ひとりチェンバロだけが実に美しいアルペッジョ(分散和音)を奏でますが、CDで聴くと音は大きいものの、生演奏では蚊の鳴くような音量ですから、ひたすら時間が止まったような音楽です。
まさに、「眠っている酔っ払い」を表していますが、心地よくかぐわしい秋の夜の大気に包まれた眠りは、まさに甘美そのものです。
私も季節の中では一番秋が好きですが、春に比べてあっという間に過ぎてしまうのが惜しくてなりません。
よく世界史の教科書に載っている有名な絵です。冬畑に小麦を蒔いているところですが、蒔いたそばから鳥に食べられてしまっており、オーイ、食われてるぞー!と叫びたいところです。その後ろでは馬に重しを乗せた鋤を引かせ、種を蒔く畝を作っています。重量鋤は方向転換が難しいので、中世後期にはできる限り畑は細長く直線的に作るようになり、冒頭の写真のトスカーナ『オルチャ渓谷』のような美しい景観が作り出されたのです。奥の畑には弓をもったカカシや、鳥よけの網のようなものがありますが、今も昔も、農村の苦労は変わらないようです。背景は、新築されたばかりのルーブル宮殿です。当時はパリ市内でもこのようなのどかな風景が広がっていたのです。
I cacciator alla nov'alba à caccia
夜明けになると、狩人たちは狩りに出かける
Con corni, Schioppi, e cani escono fuore
ホルンと鉄砲を持ち、猟犬たちを連れて
Fugge la belva, e Seguono la traccia;
けものはすでにおびえ、うろたえている
Già Sbigottita, e lassa al gran rumore
鉄砲の音と犬の声に
De' Schioppi e cani, ferita minaccia
疲れ果て、傷を負う
Languida di fuggir, mà oppressa muore.
もはや逃げる力もなく、追い詰められて斃れる
最終楽章のテーマは、秋の風物詩「狩」です。冬に備えて秋に栄養を蓄え、脂ののった野生動物を狩ります。狩をイメージした音楽は、バッハの「狩のカンタータ」をはじめ、これまでもたくさん聴いてきました。狩の音楽を特徴づけるのは角笛(ホルン)ですが、このコンチェルトには管楽器はいませんので、弦で模倣しています。
6回のトゥッティ、5回のソロからなるリトルネッロ形式です。
第1トゥッティは「狩」で、貴族のレジャーとしてのハンティングではなく、プロの狩人たちが、夜明けに勇んで出かけるさまを表しています。
第1ソロは短め、第2ソロは長めにヴァイオリンの重音奏法で角笛を模倣。
第3トゥッティはハ長調に転じ、第3ソロは16分音符の3連音で「逃げる獣」を示します。
第4ソロはさらに「逃げる獣」が続き、合奏が「鉄砲と犬」の音型を奏します。
どんどん追い詰められた哀れな獲物は、第5ソロで最初は32音符で暴れるも、やがて悲し気な音色で弱っていき、ついに力尽きます。「逃げる獣の死」です。
動物たちは哀れですが、人間たちもこれから長い冬を迎え、しばらく新鮮な肉にはありつけません。短い秋の素晴らしい一日、しばし美味しいジビエ料理に舌鼓を打つことになります。
豚は飼いならされたイノシシで、冬の大事な食糧でした。何でも食べてくれ、生育も早いので、今も昔もありがたいお肉です。男が秋の木々のドングリを叩き落とし、豚に食べさせています。豚たちはうれしそうに大好物のドングリを食べていますが、このあとの運命はご承知の通りです。たくさんの豚を越冬させる餌はないので、多くは冬の前に屠殺され、塩漬け肉とされました。しかし、腐りはしないものの、長い冬の間貯蔵していると臭くなってしまい、王侯貴族といえども、冬にはひどい悪臭の肉を我慢して食べなければなりませんでした。その匂いを消すために、イスラム商人からヴェネツィア商人を通じてもたらされる、はるか東洋のコショウが珍重されました。しかし、地球の反対側からボッタクリ商人たちを経由して輸入されていますから、ヨーロッパでは金と同じくらいの値段となったので、直接入手したい!ということで、大航海時代が始まったわけです。
VIVALDI - Four Seasons - "Autumn" (1st mvt) - Apollo's Fire/Olivier Brault, violin
VIVALDI Four Seasons – Autumn (3rd mvt) – Apollo's Fire/Olivier Brault, violin
次回は、『冬』です。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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