ベートーヴェンがウィーンに来て4年目となる1796年。
その名ピアニスト、名音楽家としての名声は日増しに高まっていました。
パトロンのカール・リヒノフスキー侯爵は、そんなベートーヴェンを演奏旅行に連れ出します。
最終的な行き先は、ボヘミアの都プラハ、そしてプロイセン王国の首都ベルリンです。
これは、7年前の1789年、侯爵がモーツァルトを連れ出したのと全く同じルートでした。
リヒノフスキー侯爵は、ボヘミア王国シレジア(シュレージェン)地方の大領主です。
ボヘミア王は、ハプスブルク家当主が神聖ローマ皇帝、ハンガリー王とともに兼任しており、いわばオーストリアの属国です。
そしてシレジアは、かつてオーストリア継承戦争と七年戦争で、新興国プロイセンのフリードリヒ2世(大王)と、ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアがその支配権をめぐって死闘を演じた係争の地。
この当時は、皇帝とプロイセン王は対フランス革命で同盟を結んでいましたが、シレジア貴族としては、プロイセン王の支配を受けながら皇帝に臣従するという複雑な関係。
皇帝にもプロイセン王にも気を遣わなければなりませんし、また再び両国に事が起こったときには身の振り方が難しく、勝ち馬に乗るためにも2点張りをしておかなければなりません。
リヒノフスキー侯爵がモーツァルトとベートーヴェンに多大な援助をし、かつボヘミア、ザクセン、プロイセンを連れ回したのには、もちろん音楽好きということもありますが、文化芸術の力を政治的に利用する意味もあったのです。
ちなみに、ベートーヴェンの有名なパトロンたちに、ドイツ貴族よりも異民族の国々の領主たちが多かったのも、多民族国家ハプスブルク君主国の複雑な事情を反映しています。
モーツァルトはリヒノフスキー侯との旅行で、名誉は得たものの、経済的には得るものが少なく、ますます困窮してしまいます。
もともとモーツァルトは侯爵に借金をしていたこともあり、現地で得た収入も侯爵にその場で〝回収〟されてしまいます。
まるで、モーツァルト自身を担保に借金を返させるための旅行のようにも思えます。
そして、モーツァルトが若くして世を去って7年。
侯爵はベートーヴェンを同じルートに連れていきますが、彼には借金はありません。
今度こそ、という思いが侯爵にあったかどうか。
純粋に若き才能を育てて世間に知らしめようとしたのか、それとも自分の権勢や地位向上に利用しようとしたのか。
侯爵の胸のうちは不明です。
旅をした人、しなかった人の違い
ベートーヴェンにとって、この旅は最初で最後の大旅行となりました。
当初は1ヵ月半くらいの心づもりだったのが、結局半年にも及ぶことになったのです。
その後ベートーヴェンはほとんどウィーンを出ないで生涯を終わります。
子供のうちから全ヨーロッパを回り、旅が人生だったモーツァルトとは対照的です。
バッハも北ドイツから出ておらず、ハイドンも晩年のロンドン訪問が唯一の遠出です。
音楽の本場イタリアを訪ねたことがあるのは、ヘンデルとモーツァルトで、それが創作上に一番大きく与えた影響は、オペラの作曲です。
イタリアに行ったことがない作曲家は、オペラをほとんど手掛けていません。
バッハは1曲もオペラを書かず、ハイドンは何曲も作曲したのですが本格的なイタリアオペラではなく、楽譜も焼失して残っていません。
ベートーヴェンは『フィデリオ』1曲のみですが、これはドイツ語オペラで、イタリアオペラではありません。
しかし、ベートーヴェンはイタリアオペラに興味がなかったわけではなく、作曲できるようになるため、アントニオ・サリエリに師事し、多くのアリアを試作しています。
今回取り上げる『ああ、不実な人よ!』もその成果のひとつです。
1796年2月半ばに、侯爵とウィーンを出立したベートーヴェンは、数日後にプラハに到着、7年前に侯爵がモーツァルトとともに泊まった定宿「アイヒホルン」に投宿しました。
そこで、ベートーヴェンは末弟ヨハンに手紙を書いています。
弟よ。私が今、どこで何をしているかだけでも、とにかく書き送っておこう。何よりもまず、私は調子がよく非常に元気だ。自分の芸術が、友人を増やし、名誉を私にもたらしてくれている。これ以上、何を望もう。それに今回は相当の収入もありそうだ。ここにあと数週間いて、それからドレスデン、ライプツィヒ、ベルリンへ旅するつもりだ。だから、帰るまでにさらに6週間はかかるだろう。
これまで何度も触れたように、プラハは、モーツァルトをこよなく愛した街です。
ウィーンではイマイチな評判だった『フィガロの結婚』が、当地では演劇史上に残るほどの大ヒットとなり、ぜひ第2弾を、と懇請されて、『ドン・ジョヴァンニ』をプラハ市民のために作曲、初演しました。
プラハ市はさらに、レオポルト2世のボヘミア王としての戴冠に際しても、祝賀オペラとして『皇帝ティトゥスの慈悲』を注文したのです。
ドゥシェク夫人との出会い
当地の音楽界の中心は、作曲家フランツ・クサーヴァー・ドゥシェク(1731-1799)と、その夫人で高名なソプラノ歌手ヨゼファ(1754-1824)のサロンでした。
ヨゼファ・ドゥシェク夫人は、モーツァルト家と親交があったザルツブルク商人の孫で、モーツァルトとは古くからの知り合いでした。
その歌手としての実力はヨーロッパ中で認められていたのです。
『ドン・ジョヴァンニ』はドゥシェク夫妻の別荘、ベルトラムカ荘で作曲されました。
ベルトラムカ荘は今でも「モーツァルト記念館」として残っていて、プラハの観光名所のひとつです。
映画『プラハのモーツァルト』でも、ドゥシェク夫人は重要な役を担っています。
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ドゥシェク夫人は、モーツァルトに1曲自分のためにコンサート用アリアを作曲するように頼み、彼は承諾していました。
ところが、モーツァルトはなかなか約束を果たしません。
そうこうするうちに帰る日が迫ってきたので、業を煮やした夫人はついに彼をベルトラムカ荘の客間に放り込み、扉に鍵をかけて閉じ込め『完成させるまで出さないわよ!』と宣言しました。
モーツァルトはしぶしぶ書き上げましたが、思いっきり難曲に仕上げ、彼女には『初見で正確に歌えなかったら渡さないよ!』と突きつけたということです。
曲はドゥシェク夫人の手元にありますから、おそらく見事に歌ってモーツァルトをうならせたのでしょう。
モーツァルトの息子カール・トーマスが伝えるエピソードです。
ベートーヴェンはそんなドゥシェク夫人に会い、自分も彼女のためにアリアを書きます。
これは夫人の依頼によるのか、ベートーヴェンの意思によるのか分かりませんが、ベートーヴェンにとっては初めての本格的なイタリア語のアリアで、しかも大先輩モーツァルトと渡り合った名歌手のために書くということで、気合が入ったのは間違いないでしょう。
ウィーン楽壇に君臨するイタリアオペラの大家、サリエリ直伝の腕前を試すまたとないチャンスです。
同じ名歌手に、モーツァルトとベートーヴェンという2大巨匠がそれぞれ捧げたアリア。
ぜひ聞き比べてみましょう。
まずはモーツァルトの作品からです。
モーツァルト:シェーナとアリア『私の美しい恋人よ、さようなら~行かないで、ああ愛しい人よ』K.528
W.A.Mozart:"Bella mia fiamma, addio" - "Resta, o cara"
演奏:ソフィー・ベヴァン(ソプラノ)、イアン・ペイジ指揮 モーツァルティスツ
Sophie Bevan, Ian Page & The Mozartists
(シェーナ)
私の美しい恋人よ、さようなら
天はお望みにならなかったです
私たちが幸せになるのを
この清らかな絆は
結ばれる前に切られるのです
私たちの魂がそれだけを望んでいた絆は
生きてください
運命に従い、義務に従って
愛の誓いは私の死によって無効になるのです
もっと素晴らしい配偶者と
(ああ、なんと苦しい!)
結ばれて送ってください
ずっと幸せで楽しい生活を
私を忘れないでください
でも心乱されないで
この不幸な恋人の思い出に
陛下、私はあなたに従います
ああ、すべてを終わらせましょう
私の思いを、私の死によって
セレスよ、アルファオよ、最愛の人よ
お別れです!
台本は、1772年にナポリで上演されたヨメッリ作曲、サルコーネ作詞のセレナータ『なだめられたチェーレレ』から取られています。イベリア王ティターノがシチリア女王の娘プロセルピーナに恋したが、振られたので誘拐したところ、母の女王に捕まって死刑を宣告され、絶望して歌う場面です。片思いの末に拉致したのですから、自業自得で同情の余地もないのですが、恋心が募るあまりに道を踏み外してしまった男の弱さが悲劇的に描かれています。アリアに先立つレチタティーヴォでは、この直前に書かれた『ドン・ジョヴァンニ』の暗い情念が湧き出すようです。 男役用の歌詞ですが、ナポリではカストラートが歌うので、ソプラノ曲になっています。
(アリア)
行かないで、ああ、愛しい人よ、
苦しい死が、ああ神よ!
あなたから私を引き離してしまう
この運命にせめて慰めを与えてください
行きます、ああ!さようなら
さようなら、永遠に
この苦しみ、この足取りは
私にとって耐えがたい
ああ!寺院はどこ?
祭壇はどこ?
早く来るがいい、復讐よ!
生はあまりに苦しい
もはや耐えることはできない!
アリアはアンダンテから始まり、恋する人への報われない思いを切なく訴えます。 やがてアレグロに入ると、悲しみが極まって狂乱状態となり、死へと心がはやるさまをソプラノの技巧を尽くして歌われます。死と別れに直面して千々に乱れる主人公を演ずる、テクニックと表現力の両方が要求される難しいアリアで、モーツァルトをここまで本気にさせたドゥシェク夫人の実力のほどが偲ばれます。モーツァルトがこの曲を書いて当時33歳の夫人に与えたのは1787年11月3日のことでした。
チェチーリア・バルトリの歌唱です。懐かしいアーノンクール指揮です。
Cecilia Bartoli - Mozart - Bella mia fiamma, addio
では、その9年後、同じドゥシェク夫人のために25歳のベートーヴェンが書いたシェーナ(劇唱)とアリアを聴きましょう。
ベートーヴェン:シェーナとアリア『ああ、不実な人よ!』作品65
L.V.Beethoven:"Ah Perfido!” op.65
演奏:ソフィー・ベヴァン(ソプラノ)、イアン・ペイジ指揮 モーツァルティスツ
(シェーナ)
ああ、不実な人よ!
誓いを破った裏切り者よ!
行ってしまうのね
これがあなたの最後の言葉なの
たとえ私のもとから逃げたとしても
神の怒りからは逃れられない
すでに心の中では
私は復讐の喜びを味わっているの
地獄の電光があなたの頭上にきらめくのが見える
彼が変わってしまったとしても
私はもとのままなのです
彼のために私は死にたいのです
歌詞はシェーナ部分はメタスタージオのものですが、アリアは不詳です。内容は、恋人に捨てられた女性が絶望に打ちひしがれて叫ぶものです。『ドン・ジョヴァンニ』の中でウィーン再演のときに追加されたドンナ・エルヴィラのアリア『神様、なんということを~あの情知らずの心は私を裏切り』とよく似ています。音楽的にもこのアリアや、ドンナ・アンナのアリアにも似た雰囲気をもっており、モーツァルトゆかりのプラハで、ベートーヴェンがインスピレーションを受けた結果なのかもしれません。シェーナのテンポは、歌詞の内容に従って、アレグロ・コン・ブリオからアンダンテ・クアジ・アダージョ、アレグロ・アッサイ、アンダンテ・グラーヴェ、アレグロ・アッサイ、アレグロ・コン・ブリオ、アダージョと頻繁に変わり、怒りと憎しみ、そして相反する愛情と、矛盾した感情の揺れをいかに細かく表現するか、ベートーヴェンのこだわりぶりが伝わってきます。ドゥシェク夫人はこの楽譜をどう見たことでしょうか。イタリア語の韻律にどう音楽を載せるかが肝ですが、うまくいっているのはサリエリの指導の賜物なのかもしれません。
(アリア)
私にさよならを言わないで
お願いだから
私は何をしたらいいの
愛するあなただけがそれを知っている
アリアは2部に分かれています。第1部はアダージョで、自分を捨てないで、という切なる思いをクラリネットや弦のピチカートの温かい音色を伴って訴えます。
(アリア)
ああ、残酷な人!
私に死ねと言うのね
私はあなたの慈悲に値しないのね
しかし、突然哀願は怒りの爆発に変わります。不実な男性の残酷さを責めますが、すぐに思い直して、再び第1部の哀願に変わります。それが繰り返され、取り乱した女性の様が表現され、クラリネットを伴ってコロラトゥーラが華やかに絶望を歌い上げます。技巧の難しさはモーツァルトに匹敵します。
〝運命〟と一緒に発表されるはずだった!
この曲は、ベートーヴェンのコンサートアリアの中で、今でもソプラノの重要なレパートリーとして歌われている唯一の歌といってもよいでしょう。
ベートーヴェンとイタリアオペラはなかなかイメージが結びつきませんが、このアリアを聴く限り、イタリアオペラも1曲くらいは書いてくれてもよかったのでは、と思わなくもないです。
しかし、メインテーマは恋愛物語ですから、題材的にベートーヴェンの芸術性とは一致しづらかったのかもしれません。
その晩年、ウィーンではロッシーニのオペラが大流行しますが、ベートーヴェンには相手にする気はありませんでした。
モーツァルトに挑戦したといっていいこのアリアは、ベートーヴェンも自信をもっていたので、あの『運命』『田園』を初演したコンサートでの演目に入れていました。
しかし、あまりの難曲に、予定していた歌手がビビッて『ムリ~!!』と、相次いで辞退。
ヨーロッパ一ともいわれたドゥシェク夫人クラスでなければ、とても歌えない曲だったのです。
そんなわけで演奏はできず、コンサート自体も大失敗に終わったのは前述しました。
新作の大シンフォニーやミサ曲とともに発表して、ウィーンの人々に、俺はイタリアオペラだって見事に作れるんだぞ、と見せつけるはずが、大外れとなってしまい、ベートーヴェンは悔しさのあまりウィーンから出ていこうとまで考えるのです。
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チェン・レイスの歌唱です。伴奏はクリストフ・アルトシュテット指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック。
Chen Reiss sings Beethoven's "Ah! Perfido", op. 65
こちらはフォルテピアノの伴奏によるジュリア・キルヒナーの歌唱です。当時の雰囲気に近い演出です。
Beethoven: Ah! Perfido
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さて、次回もこの旅行がもたらした大いなる収穫を聴いていきます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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