孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

値引き販売された1作目。ベートーヴェン『ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品19』

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新発見のロンドを所収したブライトコップフ&ヘルテル社のベートーヴェン全集(1863年刊行)

師匠が変わるたびに書き直された?

ベートーヴェンの最初のピアノ・コンチェルトは、前回取り上げた第1番 ハ長調ではなくて、第2番 変ロ長調でした。

今回はこのコンチェルトの数奇な誕生物語を綴ります。

長い間通説とされてきたのは、この曲はベートーヴェンがウィーンに来た1793年頃から書きはじめられ、1795年に完成して、その年3月29日のブルク劇場でのデビューコンサートで初演を飾った、ということでした。

しかし、近年の研究では、そのコンサートで演奏されたのは、第1番 ハ長調だということになったのは前回取り上げた通りです。

さらにベートーヴェンのスケッチ帳の詳細な研究が行われた結果、第2番はもっとはるか以前のボン時代、16歳前後の1786年頃から書きはじめられ、2つの『皇帝カンタータ』を作曲した1790年あたりには、一応まとまった形になったのではないか、とされています。

これが第1稿です。

楽譜はわずかな断片しか残っていませんが、当時のスケッチ帳にはカデンツァのスケッチがあるので、演奏された形跡があります。

この頃の師匠ネーフェは、ベートーヴェンを〝第2のモーツァルト〟とすべく育てていましたから、モーツァルトお家芸であるピアノ・コンチェルトをベートーヴェンに挑戦させたのは十分あり得ることです。

ベートーヴェンは後援者のワルトシュタイン伯爵に、ボンの町にも数台しかないという貴重なシュタイン製のピアノをもらっていましたから、コンチェルトを書く環境は整っています。

そして、ウィーンに来てから手を加えて1793年にできたのが第2稿

ハイドンに師事していた頃ですから、その影響が加えられたかもしれません。ただ、演奏された形跡はありません。

さらに1794年か1795年に成ったのが第3稿で、これが初めてウィーンの公衆の面前で演奏されたものです。

この頃はハイドンはロンドンに行っていて不在で、アルブレヒツベルガーのもとで本格的な対位法を学んでいた頃ですから、その成果が盛り込まれたことでしょう。

前回取り上げた1795年3月29日のデビュー・コンサートで演奏されたのは、新作の第1番の方でしたが、その年の8月にハイドンがロンドンから戻ってきて、暮れの12月18日、帰朝記念のコンサートを開きます。

これがハイドン・アカデミー』と呼ばれる演奏会で、ロンドンツアーの成果をウィーンの聴衆に報告するものでした。

会場は、王宮ホーフブルクの中にマリア・テレジアが作らせた大小ふたつの仮装舞踏会場、レドゥーテンザールの小ホール。

この機会にベートーヴェンが弟子として客演し、ピアノ・コンチェルトを演奏した記録があって、こちらが第2番だとされています。

師匠不在の間の成長ぶりをアピールするには、長年推敲を重ねてきたこのコンチェルトの方がふさわしかったのかもしれません。

さらに1798年ベートーヴェンはリヒノフスキー侯爵に連れられて、プラハやベルリンに演奏旅行に行きますが、その際、プラハで第1番、第2番の2曲のコンチェルトが同時演奏されました。

その際使われたのが第4稿です。

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ハイドン・アカデミーでベートーヴェンが第2番コンチェルトを弾いた小レドゥーテンザール

楽譜売り込みの手紙

しかし、これさえ最終稿ではなく、出版されたときにはさらに変更が加えられた可能性があるのです。

出版されたのは1801年で、出版社はホフマイスター&キューネル社です。

このとき、出版社に売り込みをしたときの手紙は有名なので、引用します。

セバンティアン・バッハの作品を出版なされたいとのこと、このハーモニーの始祖の高く偉大な芸術に心をときめかせておりますが、それを本当に暖めてくれると思います。着手されるご計画の全貌も間もなく拝見できるかと思っております。遠からず貴い平和が宣せられれば、予約募集なされるでしょうし、その節は当地からも大いにご後援いたしたく思っております。

さて、われわれの件ですが、お求めに次のようにお応えしたく存じます。ただいま提供できますのは次の作品です。七重奏曲(これについてはもうすでに申し上げてあります。広く普及させ、利益も大きく上がるようピアノ編曲もできます)20ダカット交響曲20ダカット、協奏曲10ダカット、独奏大ソナタアレグロアダージョメヌエット、ロンド)20ダカット(親愛なる大兄よ、このソナタは第1級の作品です)。

ではひとつ説明しましょう。この場合ソナタ、七重奏曲、交響曲のあいだに何の差別もつけていないのを怪しまれるでしょう。七重奏曲、交響曲は、ソナタほど売れないのを承知しているからです。交響曲はいうまでもなくずっと値打ちがあるのですが、こうしたのです。協奏曲はたったの10ダカットと値を付けました。すでに書きました通り、わたしはそれが最上の出来とは思わないからです。全部総合してみれば、高すぎるとお考えにはなるまいと信じます。できるだけ貴兄に適当な値にするのに苦心しました。

為替ですが、私の勝手を申せば、ガイミュラーかシュラー宛に振り込んでください。4つの作品全部で計70ダカットになります。わたしに分かるのはウィーン通貨だけですから、それがあなたの金ターラーに直すといくらになるのかは私には分かりません。実際わたしは商売も計算も不得手です。

1801年1月15日 フランツ・アントン・ホフマイスター(在ライプツィヒ)宛*1

この手紙の結果、このピアノ・コンチェルトは出版されることになりましたが、いざ楽譜を送る段になって、4月22日の同じホフマイスター宛に『いつものことながらピアノ協奏曲のピアノのパートは書き込んでおらず、今になってやっと書いたものです。急いで書いたので非常に読みにくい手書きのものをお渡しします。』と書き添えています。

このコンチェルトはこれまで何度も演奏されていますが、独奏者でもあるベートーヴェン自身が何度もアレンジを繰り返し、出版に際しても新たに書き下したことがうかがえます。

これでようやく、今わたしたちが聴く音符になったわけです。

大バッハベートーヴェンの奇跡のつながり

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それにしても、先の手紙は実に興味深い内容です。

冒頭、バッハの作品の出版計画に触れています。

ホフマイスターは、バッハの町ライプツィヒの出版社ですから、手掛けて当たり前ですが、今の我々からすれば、バッハの死後50年もたった19世紀に入ってからようやく、というのは驚きです。

しかし、当時ふつうにバッハといえば、次男のカール・フィリップエマニュエル・バッハのことでした。

その楽譜は広く普及していて、ハイドンも若い頃これを独学で必死に勉強しました。

父セバンティアンの方は、一部の〝音楽通〟の間だけで評価されていた、いわばマニアックな存在でした。

ネーフェライプツィヒに住んでいた頃にバッハの凄さを知り、ボンに来たときにベートーヴェンにその平均律クラヴィーア曲集を教材として与えましたが、まだ出版されていないので筆写譜でした。

大バッハベートーヴェンのつながりは、まさに奇跡といってよいのです。

値引き販売されたコンチェルト

さて、手紙に戻りますと、ベートーヴェンはこのピアノ・コンチェルトを、4曲セットで売り込んでいます。

七重奏曲 変ホ長調 作品20ベートーヴェン初の大ヒット曲ですし、交響曲は歳月をかけ、満を持して発表した記念すべき第1番 ハ長調 作品21、ピアノ・ソナタは自分で当時最高の作品と考えていた第11番 変ロ長調 作品22です。

本人が言っているように、ピアノ・ソナタ交響曲が同額、というのは意外ですが、確かに、オーケストラでも持っている人でなければ交響曲の楽譜は買わないでしょう。

一方、ピアノ・ソナタは家庭でも弾けます。

自分は商売下手、と言っているわりに、値付けはちゃんと市場の需要を見据えて決めているわけです。

その中で、このピアノ・コンチェルトだけは半額値引き、というわけです。

長年推敲を重ねたものの、最新作のレベルには達せられなかった、という認識だったようです。

ベートーヴェンはこの手紙を書いた4ヵ月後、別の出版社にも次のように書いています。

私の早い時期の協奏曲の1曲、それはつまり最良の自分の作品には数えられないのですが、それはホフマイスター&キューネル社から出版予定で、また実はその後に書いた協奏曲はモーロ社が出版の予定です。

1801年4月22日 ブライトコップフ・ヘルテル社宛

同じ年ではありますが、第1番 ハ長調の方を自ら〝第1番〟とナンバリングし、しかも〝大協奏曲〟と銘打って出版しているのです。

第2番の方は、セット販売のおまけのような感じで出版社に売り、こちらはふつうに〝協奏曲〟としてあります。

第1番は、第2番にずっと手を加える中で得られた経験をもとに作った新作ですから、ベートーヴェンがこの時期に、こちらを推していたのは当然といえば当然です。

しかし、第2番もお蔵入りにせず出版しているのですから、最上とは思わないまでも一定の評価はし、かつ自分の成長の軌跡がこもった作品として愛着があったことでしょう。

この曲にこそ、ベートーヴェンの工夫と努力、試行錯誤の跡がこもっているといえます。

モーツァルトの影響が濃い時期の作品と言われて、現代でも演奏の機会が非常に少ない曲ですが、曲の成り立ちに思いを馳せると、味わいは格別です。

さらに、この曲の魅力は古楽器演奏でこそ際立ちます。

おすすめのスクーンデルワルトの演奏は、オーケストラが少人数(弦5部は各ひとり)の貴族の館での試演風で、この曲の性格がより際立って聞こえます。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 Op.19

Ludwig Van Beethoven:Piano Concerto no. 2 in B flat major, Op.19

演奏:アーサー・スクーンダーエルド(アルテュール・スホーンデルヴルト)(フォルテピアノ)、クリストフォリ(古楽器使用)

Arthur Schoonderwoerd (fortepiano)& Cristofori

第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ

第1番と比べると、クラリネットティンパニ、トランペットを欠いたこじんまりした編成で、ウィーンのような大都会でのコンサート向けではなく、貴族の邸宅あたりでの演奏を想定していたことを思わせます。

冒頭、おどけたような身振りのトゥッティで始まりますが、その愛嬌あるテーマが、実に力強く奏されるところにギャップを感じます。モーツァルトのピアノ・コンチェルトをスタートラインにしているのは間違いありませんが、ベートーヴェンの個性がすでに色濃く出ています。モーツァルトのコンチェルトの、都会的で洗練されたテイストに比べると、いかにも無骨で田舎臭い感じがしますが、それがまた、この曲のクセになる魅力です。

オーケストラの提示は、第1主題のみでピアノが登場します。ピアノも第1主題を繰り返し、ようやくヴァイオリンとファゴットが第2主題を奏で、ピアノがそれを受け継ぎます。展開部ではト短調変ホ長調と転調していき、ピアノと弦、管と呼び交わしながら進んでいきますが、それほど長くはありません。再現部ではピアノがオーケストラに代わって第2主題を変ロ長調で奏で、テクニカルに盛り上げていきます。このあたりに何度も手を加えたのでしょう。カデンツァのあとは、たった6小節でサッと終わります。

第2楽章 アダージョ

ファゴットとヴァイオリンの甘美な響きではじまり、ピアノが実に抒情的に歌い始めます。この雰囲気はベートーヴェンならではで、第1、第3コンチェルトでさらに発展的に深まっていきます。曲の構成は自由な変奏曲になっており、ピアノの変幻自在で表情豊かな表現にはうっとりとしてしまいます。美しいトリルに心の奥をくすぐられたところに、深いオーケストラの響きが沁み込んでいくかのような思いがします。最後は、遠い山の稜線に沈んだ夕陽が、最後の光を放つかのように終わります。

第3楽章 ロンド(アレグロモルト

カッコウカッコウと鳴くような楽しいロンドのテーマです。しかしややぎこちなさもあり、これが発展して第1番のロンドになるのだなあ、と感じます。オーケストラとピアノが愉快に飛び跳ねるさまは〝ウサギのロンド〟とでも名付けたくなります。第1クプレはヘ長調でスキップをするようにご機嫌。第2クプレのテーマは短調の独特なリズムで登場しますが、ト短調ハ短調変ロ短調と、短調で3回表情を変えるのが聴きどころです。ロンドに戻り、ひとしきり繰り返したあと、ピアノが長いトリルでだんだんとフェードアウトしていき、オーケストラがフォルテッシモでサッと幕を引きます。カデンツァはありません。

 

幻のロンド

この第1作がどれだけ手を加えられたかを示す証左のひとつに、〝幻のロンド〟の存在があります。

これはピアノ・コンチェルトの最終楽章で、ベートーヴェンの死後見つかったものです。

一部未完成だったため、死の2年後に弟子カール・チェルニーが独奏パートを補って出版され、その後いったん自筆譜は行方不明になります。

チェルニーの補筆は装飾過多で〝やり過ぎ〟ということで、1898年に自筆譜が再発見されてからは、オリジナルに近い形に復元されています。

第2番と同じ編成、同じ変ロ長調であり、これが第1稿、第2稿での最初の第3楽章だったとみられています。

これをウィーンでの公開演奏に際して、今の第3楽章に差し替えたのです。

この曲はかなり凝った作りをしていて、3部に分かれて中間部は独立したアンダンテになっています。

これは明らかにモーツァルトの第22番 変ホ長調の第3楽章をモデルにしていると考えられますが、独立性が高すぎて、確かに他の楽章とのバランスが悪い感じがします。

これを破棄したのは、まさしくモーツァルトからの卒業を目指したといえるでしょう。

モーツァルトは、旧作のピアノ・コンチェルト第5番をウィーンで演奏するにあたり、終楽章のロンドを新たに作曲して、追加あるいは差し替えをしたのですが、ベートーヴェンはそれの逆をやったのです。

完成した形で残っている、ベートーヴェンの一番古いピアノ・コンチェルト楽章といえる興味深い曲なのです。

ベートーヴェン:ピアノとオーケストラのためのロンド 変ロ長調 WoO6

演奏:ロバート・レヴィン(フォルテピアノ)、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティク(古楽器使用)

差し替えらえたフィナーレよりも凝ったつくりのロンドのテーマで、短調に揺らぐところは、まぎれもなくベートーヴェンの個性です。3部に分かれていて、第2部は変ホ長調のアンダンテになり、ロンド主題とも関連性はなく、実質的な緩徐楽章、あるいはスケルツォの中のトリオになっています。管楽器の醸し出す豊かな響きと、華麗なピアノがよくマッチしています。楽章というには独立性が高いがために差し替えられてしまったのかもしれません。

 

動画は、古楽器使用のフライブルクバロック・オーケストラと、クリスティアン・ベズイデンホウトのフォルテピアノとの共演です。第1番から第3番までの豪華プログラムです。フォルテピアノは、現代のピアノより音量が小さく音域も狭いですが、その響きの美しさ、低音と高音の音質の違い、デリケートで細やかなニュアンスは現代のものには無いもので、モーツァルトベートーヴェンピアノ曲フォルテピアノでなければその狙った効果は十分に味わえないと思います。もちろん、前回のブニアティシヴィリの演奏のようにグランドピアノならではの迫力も捨てがたいですが、ベートーヴェンの時代のものとは違う響きなのです。

最初は第1番、第2番は37分頃から、第3番は1時間8分頃からです。


#HearTogether: Freiburg Baroque & Kristian Bezuidenhout perform Beethoven's Piano Concertos 1-3

 

www.classic-suganne.com

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今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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*1:ベートーヴェンの手紙(上)』小松雄一郎編訳・岩波文庫