孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

世紀末の快男児、鬼才ボーマルシェ参上!~マリー・アントワネットの生涯46。モーツァルト:オペラ『クレタの王イドメネオ』第1幕(1)

プチ・トリアノンの「王妃の劇場」

王妃の作った「演劇部」

1779年、王妃マリー・アントワネットはお芝居づいていました。

パリのオペラ座でやっている演劇やオペラを、自分とその取り巻きで上演しようというのです。

さながら、自ら部長を務める「宮廷演劇部」を創る、といった感じです。

音楽好きのハプスブルク家では、先祖の〝バロック大帝〟レオポルト1世が自らオペラを作曲、オーケストラを指揮、また時には舞台に立つほどで、その子孫たちも、祝い事などでの余興で演技をすることはよくありました。

皇帝ヨーゼフ2世の再婚の祝典オペラでは、弟オポルト2世が指揮し、妹マリー・アントワネットも舞台に出ました。

そして拍手喝采を浴びた体験が忘れられず、演劇の本場フランスでもやってみたい、と思ったのでしょう。

そして、自分の城、プチ・トリアノン宮殿に、これまた自分専用の劇場を造ろう、と思いつきます。

ヨーゼフ2世再婚記念の祝典オペラの舞台で演じるマリア・テレジアの王子、王女たち(左からフェルディナンド大公、マクシミリアン・フランツ大公、マリー・アントワネット

王妃の出演専用の劇場

王妃の劇場

建築家リシャール・ミックが、基本は木造で、内装は石のように成型した紙材を白く塗って、さながら大理石のように仕上げました。

内部を飾る装飾や彫刻も紙でできていましたが、舞台転換を可能にする舞台装置は最新の技術が取り入れられました。

王妃の道楽としては、「村里」同様に贅沢です。

1780年6月1日に竣工したこの「王妃の劇場」は、現在でも残っており、18世紀の劇場の仕組みを残す貴重な建物ですが、内装は紙材で壊れやすいため、目下非公開です。

「演劇部」の部員は、義弟アルトワ伯(のちのシャルル10世)、義妹のエリザベート王女、ダデマール伯爵、「パリ社交界随一の名優」と評判高いヴォードルイユ伯爵、お気に入りのラギッシュ伯爵夫人、ポリニャック公爵夫人たちです。

貴族をバカにするのが流行り?

1780年8月1日のこけら落としでは、『国王と農夫』と『思いがけない賭け金』という、歌と音楽が加わった、ミニ・オペラ・コミックを上演します。

『国王と農夫』は、狩りの途中で道に迷った国王が農夫の家に宿を借りるという設定ですが、その農夫は、相手が国王と知らず、宮廷批判を繰り広げるのです。

マリー・アントワネットは羊飼いの娘を演じましたが、その娘は農夫に思いを寄せる一方で、若くて放埓な貴族に追いまわされるという役回り。

農夫や羊飼いの娘が主役で、貴族がダメ、という内容は世間の流行りとなっていて、流行に敏感なマリー・アントワネットは、その風潮に乗ったわけですが、その危うさにはまだ気づいていません。

『思いがけない賭け金』も、暇をもてあましていた侯爵夫人が愛人と自宅であいびきをしていたところに突然夫が帰宅し、あわてて愛人を戸棚に隠すという話で、マリー・アントワネットは侯爵夫人に味方する小間使いの役を演じました。

この作品のなかで彼女は「私たち使用人は不満です」というセリフを観客に向かって吐くのです。

これを市民が観たら、「あんたが言う!?」と突っ込むところですが、観客も選ばれし〝お気に入り〟のみ。

マリー・アントワネットは、残念ながら演技力も歌もお粗末だったと伝わっていますが、もちろんみんな忖度で拍手喝采

夫の国王ルイ16世は、妻の熱演に素直に感動し、幕間には舞台に駆け上がってキスしたり、楽屋を訪ねて目に涙を浮かべて賞賛したりしました。

本当にいい旦那です…。

しかし、この王妃の道楽は、じわじわと自分の首を絞めてゆくことになります。

セビリアの理髪師」の作者とは

カロン・ド・ボーマルシェ

1785年夏、王妃は新しい演目を上演することに夢中になっていました。

それは、世間で評判の、カロン・ド・ボーマルシェ作のセビリアの理髪師です。

この『セビリアの理髪師』は18世紀にパイジエッロが、そして19世紀になってからロッシーニがオペラにし、その次回作というべきフィガロの結婚モーツァルトがオペラ化することになります。

マリー・アントワネットが演じることになったのは、オペラの原作である演劇です。

このボーマルシェこそ、日本の幕末のように、時代の変わり目に出てくる魅力的なキャラクターのひとりで、稀代の風雲児でした。

この記事でモーツァルトフィガロの結婚』を取り上げたときにも触れましたが、今回はマリー・アントワネットとのからみで、あらためて彼にスポットを当てます。

ボーマルシェはいわばペンネームで、本名はピエール=オーギュスタン・カロン(1732-1799)です。

平民の出身で、父アンドレ=シャルル・カロンは、パリの時計職人でした。

若い頃は騎兵をしており、文学も愛好し、市民としては教養の高い人です。

マリー・ルイーズは詳しいことは分かっていませんが、ふつうの市井のカップルでした。

子供のうち、長じたのは男ではボーマルシェのみで、あとは5人の姉妹がいました。

特に妹ふたりはハープやチェロなど楽器の演奏が巧みで、ボーマルシェ自身もハープ、ヴィオラやフルートを演奏し、楽才に恵まれた一家でした。

ただ、青少年期のボーマルシェは、そのありあまる才覚と冒険心でやんちゃの限りを尽くし、夜遊びや喧嘩が絶えず、あげくに父の作った時計を勝手に売り払って遊興費に充て、勘当されます。

数ヵ月後、母のとりなしもあって、真面目な生活をする、と誓って家に戻ることを許され、一人前の時計職人になるため修業に励むことになります。

画期的な大発明「狂わない時計」

当時の時計技術はかなり発達していましたが、まだ歯車の動きを一定にさせることはできませんでした。

時計はやがて狂うのが当たり前だったのです。

当時は時間を決めてアポイントを取っても、前後30分くらいズレるのは当然のこと。

ボーマルシェは心血を注いでこの欠陥の克服を研究し、ゼンマイの緩みを調整する脱進装置である「がんぎ」の改良に取り組みました。

そして、ついに新しい「がんぎ」を発明し、これによって「狂わない時計」が初めて完成したのです。

彼はこの発明にお墨付きを得るために、父の知人で、王室御用達の時計工であったルポート氏に、この「がんぎ」を見せました。

すると、あろうことかルポート氏は、これを自らの発明だとして、「メルキュール・ド・フランス」誌に発表してしまったのです。

ルポート氏は、フランス王室の多くの宮殿、庭園の時計製作と保守を任された、いわばフランスの時計職人の親分でしたから、この一青年など、自分の権威には立てつけないだろう、とタカをくくっていたようです。

しかし、ボーマルシェはただの青年ではありませんでした。

この一件を王立科学アカデミーに訴えるとともに、反論をマスコミに出すなど、猛反撃に出ます。

結果、科学アカデミーは発明をボーマルシェのものと認定し、ルポート氏は模倣者であると裁定を下しました。

これによって、ボーマルシェは国王ルイ15世に謁見を許され、王から、娘たちや寵姫への贈り物として時計を注文される身となりました。

ルポート氏の権威は失墜し、ボーマルシェはそれに取って代わったのです。

一躍、宮廷の寵児に

ポンパドゥール夫人の指輪時計のネジを巻くボーマルシェ

あるとき、ボーマルシェは、ルイ15世に求められ、寵姫ポンパドゥール夫人のために指輪時計を製作しました。

この時計は直径1センチにも満たない精巧なものでした。

あまりに小さく、ゼンマイを巻くネジ、龍頭も無かったのです。

「これはどうやってネジを巻くのか?」と不審がる国王に対し、ボーマルシェは、こうやるのです、と文字盤を取り巻く金の縁を回転させました。

これには、王はじめ、満座の貴族たちも大いにどよめき、驚嘆したのです。

こうして宮廷に出入りするようになったボーマルシェは、10歳年上のある人妻から声をかけられます。

フランケ夫人というこの女性は、ボーマルシェの才覚と、若くハンサムな美貌の虜になってしまったのです。

フランケ夫人の夫は50歳前後で、王室大膳部吟味役、という役職をもっていました。

王の食卓に運ばれる料理の配膳責任者です。

夫は自分の体力の衰えを感じていたので、妻の勧めに従い、この職をボーマルシェに売り渡して引退。

ボーマルシェはこれで正式に王室の役人の地位を手に入れたのです。

ところが、その夫氏は、職を引退して2ヵ月後、卒中で世を去ります。

もともと愛人関係にあったフランケ未亡人とボーマルシェは結婚。

その遺産である領地、ボーマルシェも相続します。

ここで初めて、その、棚からボタモチで得た領地の名を取って、貴族風に「カロン・ド・ボーマルシェ」と名乗ることになります。

宮廷に出入りするボーマルシェは、その颯爽たる男前ぶりで評判でした。

友人は当時の彼について、次のように書き残しています。

ボーマルシェヴェルサイユ宮殿に伺候すると、ご婦人方は彼のすらりとした格好のよい長身、端正な顔立ち、溌剌たる生気に満ちた顔色、自身にあふれた眼差し、周囲の誰よりも優れてみえる卓越した物腰、そして、身内に燃えているようなその無意識の情熱に、たちまち打たれたのであった。』

王女たちのハープ教師に

ルイ15世王女アデライド

彼に夢中になった貴婦人の際たるものは、ルイ15世の4人の王女でした。

アデライド、ヴィクトワール、ソフィ、ルイーズの4人で、政略結婚先に恵まれず、一生独身、「メダム」と呼ばれました。

嫁いだ頃の王太子マリー・アントワネットと、王の寵姫デュ・バリー夫人との対立を煽った人たちです。

マリー・アントワネットが王妃になると、宮廷での居場所を追われ、今度は反王妃の原動力となり、彼女に対する悪口を言い触らし、評判を落とす役を演じます。

彼女たちもボーマルシェの魅力の虜となり、父王ルイ15世にねだって、彼をハープのレッスン教師にしてもらいました。

ボーマルシェは自分のハープの腕も一流でしたが、職人技を発揮し、王女たちの弾くハープ自体も改良して喜ばせました。

ボーマルシェは、王女たちが毎週開くサロン・コンサートの寵児となり、国王、王妃の前で演奏することになりました。

のちに、反体制的な演劇「フィガロの結婚」を上演し、王室を破滅に追いやるフランス革命の火種の一つを作った男が、毎週、王家のファミリーコンサートの主役を務めていたというのは、なんという歴史の妙でしょうか。

一方、彼に対する嫉妬も激しくなり、彼はいわれのない誹謗中傷や陰謀に巻き込まれていくことになります。

 

では、続きは次回にして、モーツァルトのフランス風オペラ、クレタの王イドメネオを聴いてゆきましょう。

クレタの王イドメネオ』登場人物

※イタリア語表記、()内はギリシャ

イドメネオ(イドメネウス)クレタの王

イダマンテイドメネオの息子

イリアトロイアプリアモスの娘

エレットラ(エレクトラ:ミケーネ王アガメムノンの娘、イピゲネイア、オレステスの妹

アルバーチェイドメネオの家来

モーツァルト:オペラ『クレタの王イドメネオ』(全3幕)第1幕

Wolfgang Amadeus Mozart:Idomeneo, Re di Creta, K.366 Act.1

演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団、アンソニー・ロルフ・ジョンソン(テノールイドメネオ)、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(メゾ・ソプラノ:イダマンテ)、シルヴィア・マクネアー(ソプラノ:イリア)、ヒラヴィ・マルティンペルト(ソプラノ:エレットラ)、ナイジェル・ロブスン(テノール:アルバーチェ)、グレン・ウィンスレイド(バス:祭司長)【1990年録音】

トロイアの陥落
第1曲 レチタティーヴォとアリア

イリア

いつ終わるのでしょう、

この身にふりかかる恐ろしい災いは?

不幸なイリア!

惨い嵐の生き残りとなったわたしに、

父も兄も無くし、

同胞はみな、その血を残虐な敵の血と混じらわせて

潔く滅んでいったこのわたしに、

神々はさらにどんな過酷な運命を課すつもりなのかしら?

それとも、神々は報復してくださったの?

プリアモストロイアの受けた破壊と恥辱に?

それならギリシャの艦隊は沈み、

イドメネオは貪欲な魚の餌食となっているはず…

でも、わたしにはそれが喜ばしいわけではないわ

波から私を救ってくださった、

雄々しいイダマンテ様を一目見て、

わたしは敵への憎しみを忘れ、

自分が囚われの身となったと気づくより早く、

この心はあの方の虜になってしまったのですから

憎しみと愛…

ああ、このふたつの感情が私の胸になんという矛盾した思いを、

抱かせているのでしょう!

わたしに命を与えてくださった父上の仇を討たねばならないと思い、

また命を救ってくださった方に感謝をせねばと思い…

ああ、イリアと父上と王子様!

なんという運命でしょう!

生きるのは不幸、死んだ方が幸せだわ!

でも、イダマンテ様も私を愛しておいでかも…

いいえ、あの方はわたしには気はなく、

エレクトラ様を思っておられる

あの不運な王女、エレクトラ様を

あのオレステスの惨劇のためにアルゴスを逃れ、

流浪の途中にこの地に身を寄せられるあのお方がわたしの恋敵…

わたしのまわりにはなんと多くの不幸の元があるのでしょう…

いっそ引き裂いてしまって、

復讐よ、嫉妬よ、そして愛よ、

そう引き裂いてしまって、

この不幸な心を!

(アリア)

父上、兄弟たち、さようなら!

お元気でしたのに、わたしはあなた方を失いました。

ギリシャよ、これもみなお前のせい

なのに、私はギリシャのお方をお慕いするというの?

自らの血筋に背く、

罪となると分かっています

けれど、あのお顔つきを、神々よ、

わたしはどうしても憎めません

(繰り返し)

レチタティーヴォ

まあ、イダマンテ様が、

なんとこちらへ来られる

哀れなわたしの心は高鳴りながら、

恐れもしているわ

でもどうか、しばし苦悩が止みますように

冒頭、幕が開くと、トロイアの王女イリアがひとり佇んでいます。

場所は、クレタ島の都、港町でもあるシドンの王宮

彼女の実家であるトロイア王国は、ギリシャの軍勢に攻められましたが、その名高い堅固な城壁で10年もの間持ちこたえました。

その間、ギリシャの英雄アキレウス(アキレス)も命を落としました。

しかし、知将オデュッセウスが案出したトロイの木馬の計略、すなわち、いったんギリシャ艦隊は偽りの退却をし、大きな木馬を残していきます。

トロイアの人々は、ついにギリシャ軍は諦めて撤退したのだ、と、木馬を戦利品として城内に引き入れ、戦勝の宴を盛大に開きます。

人々が酔いつぶれて寝静まった夜半、トロイの木馬の胎内に潜んでいた、クレタイドメネオをはじめとする勇者たちが城門を開け、夜陰に乗じてひそかに戻ってきていたギリシャ軍を引き入れます。

トロイア城内はたちまち阿鼻叫喚となり、乱戦の中でトロイアプリアモスは打ち取られ、王子や王女たちは捕虜になったり、凌辱されたりしました。

陥落の混乱の中、トロイア王家の一族であったアイネイアスは老父を背負って脱出、地中海を彷徨った末にイタリアにたどり着き、ローマを建国した、という伝説になっています。

トロイア王女のひとりイリアは、クレタイドメネオの戦利品となりますが、イドメネオは彼女を捕虜ではあるものの、王女の身分を尊重して紳士的に、きわめて丁重に扱い、自分より先にクレタ島に送ります。

そして、到着寸前に嵐に遭ってあわや難破するところを、クレタの王子イダマンテに助けられ、敵の王子ながら、恋心を抱いてしまったのです。

しかし、イダマンテには、婚約者として、すでにミケーネ王アガメムノンの娘、エレクトラがいました。

冒頭のイリアの長いセリフは、前半がレチタティーヴォ・セッコ、そして、感情が高ぶるにつれて、フル・オーケストラの伴奏を伴った劇的なレチタティーヴォ・アコンパニャートとなります。

はっきり言って長過ぎ、二流の脚本作家ヴァレスコの腕の弱いところではありますが、これまでの経緯を観客に説明するのには必要ではあります。

モーツァルトは、イリアの憎しみと愛、そして恋の三角関係に悩む心を、この長いレチタティーヴォを飽きさせることなく、劇的な音楽に仕立てています。

さらに、このレチタティーヴォは、このオペラの注文主、バイエルン選帝侯カール・テオドールのフランス趣味に迎合しており、そのドラマチックさはグルック改革オペラを範にとっています。

これは実に、イタリア語で書かれたフランス・オペラなのです。

続くアリアは、レチタティーヴォを受けて、イリアの心情を流麗に歌います。

モーツァルトト短調〟であり、イリアの悲劇的な性格を映した素晴らしい情感のアリアです。

終わりが切れ目なくレチタティーヴォに続くのも、拍手でドラマが中断しないようにしたグルック風のスタイルです。

ジュール・ジョゼフ・ルフェーブル「プリアモスの死」(1861年
第2曲 レチタティーヴォとアリア

イダマンテ

(家来たちに)

行って、トロイアの人々を集めよ

そして、王宮に準備を整えよ

きょうの日を祝うために

(イリアに)

甘い希望の光にわたしの苦悩は和らいでいます

ギリシャの守護神アテナが、

怒れる波から我が父を取り戻してくださり、

ここから遠くない海上に、

父の艦隊が姿をみせたのです

それで今、アルバーチェが捜索しています

あの凛々しい姿が見失われたあたりを

イリア

(皮肉をこめて)

ご心配にはおよびません

ギリシャはアテナの庇護のもとにあり、

神々のお怒りはすべてトロイアの上に落ちましたから

イダマンテ

もうトロイア人の運命を悲しむことはありません

この王子はそういたします

父やその他の寛大な勝者がなすと思われるように

そうです、王女よ、彼らの悲しみは終わらせます

わたしは彼らを自由にします

そうなれば、囚われの身なのはただひとり、

あなたの美しさに縛られ、

甘い足かせをつけられた者だけとなるでしょう

イリア

王子様、まさか…

トロイアに対する容赦ない神々の憎悪と怒りは、

その栄光ある城壁が破壊され、

もう城壁ではなく、ただの広い野原となったことでは、

いまだに鎮まってはおりませんのに?

そして、わたしたちの哀れな瞳は、

永遠の涙に運命づけられておりますのに?

イダマンテ

いや、アフロディーテは我々を罰し、

我々に勝ち誇っています

わたしの父はどれほど、ああ、思えば波間で苦しんだことでしょう

また、アガメムノンは、結局アルゴスで犠牲となり、

高い対価であの戦利品を獲たのです

ところが、敵意あるあの女神は、

あれほどの惨事にもまだ満足せず、

今また何をしたでしょう?

わたしの心臓を射たのです、イリアよ、

あの女神のより威力あるあなたの美しい目で、

そしてそうすることで、あなたの禍の仇を討とうというのです

イリア

何のことをおっしゃっているのでしょう?

イダマンテ

はい、アフロディーテの息子が、

何か分からぬ苦悩をわたしの胸に沁み込ませたのです

軍神マルスがあなたに涙と災いをもたらしたので、

愛の神がわたしを使ってあなたの不幸の仇を討ってやろうと、

そのうるわしい瞳を、

そのあなたの愛らしさを用いたのです

でもあなたはわたしの愛に、

怒りと恥辱を覚えられるのでは?

イリア

そのお言葉の無分別な大胆さは、

わたしには耐え難いものです

どうかお考え下さい、イダマンテ様

ああいったい、あなたの父上がどなたか、

わたしの父が誰かを

(アリア)

イダマンテ

わたしの罪ではない、

なのにあなたはわたしを責められる

いとしいひとよ、

あなたを愛するゆえに

これは神の罪です、非常な神々よ、

わたしは苦しみにさいなまれ、死にそうです

わたしが犯したのではない過ちのために

もしあなたがお望みなら、

仰せに従い、

わたしはこの胸を切り裂きましょう

あなたの目には、確かにそうせよ、と読み取れます

だがせめて、あなたの口からそれを命じてください

わたしはそれ以上の慈悲は求めません

(繰り返し)

王子イダマンテが登場し、家来に、祝宴の準備を命じます。

いよいよ、父王イドメネオの軍船が遠く沖に帆影を現わしたという知らせが入り、大臣のアルバーチェを海岸に向かわせたところです。

イリアが、『それはよかったですわね、ギリシャの守り神アテナ女神の怒りは私の祖国に落ちましたから』と皮肉を言うと、イダマンテは、『クレタ島に送り込まれたトロイアの捕虜たちは、全員解放するつもりです、もう両国は和解すべきなのです』、と告げます。

そして、『トロイアの味方をした女神アフロディーテ(ヴィーナス)は、ギリシャ軍を波で苦しめ、特に総大将アガメムノンは帰国後、妻とその愛人に殺される、という報いを受けました、人間が憎しみあうから神々からこういう罰を受けるのです』と、いまや平和の必要性を解きます。

さらに、『愛の神アフロディーテと、その息子エロス(キューピッド)が、私への罰として、敵の王女である貴方に対して、恋の奴隷にさせたのです』と、愛を告白します。

イリアは内心嬉しいものの、お互いの立場があまりに違うため、『よくお考え下さい、あなたの父が誰で、わたしの父が誰であるのかを』とキッパリ言うと、イダマンテは『それは私のせいではないのに、なぜ責められるのか』と、150小節に及ぶ大アリアを歌います。

この曲は、前曲のイリアの切ない心中を現わしたト短調に対し、平行長調である変ロ長調が選ばれ、イダマンテが持っている前途への希望を表現します。

テンポは速くなったり、ゆっくりになったりし、管楽器も豊かに活躍して、イダマンテの一途な恋心をさまざまな角度でイリアに対して訴えるのです。

主役の最初の見せ場といえます。

 

ちなみにイダマンテ役は、初演ではカストラート(男性の去勢歌手)にあてがわれていました。

現在の上演ではカウンターテノールか、女性のメゾ・ソプラノが担当しますが、初演歌手のダル・プラーノは歌も演技もイマイチで、リハーサルではモーツァルトのお荷物となりました。

このオペラはミュンヘンで上演されたあとは、上演の機会はなかったのですが、モーツァルトはこの自信作をなんとかウィーンで上演したいと奔走しました。

しかし劇場では実現せず、貴族の館でのコンサート形式での試演に留まりました。

バロック時代にもてはやされたカストラートは非人道的だとして、急速に衰えてゆき、ウィーンでの演奏ではイダマンテ役はテノールに移されました。

動画はウィーン版ですのでテノール歌手となっています。

 

動画は、引き続き、アルノルト・エストマン指揮、スウェーデンのドロットニングホルム宮廷劇場の上演です。

動画プレイヤーは下の▶️です☟

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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