ドラマ『のだめカンタービレ』は、クラシック界という、ちょっと近寄り難い世界を、一気に親しみやすいものにしてくれました。
私はドラマを2話目くらいから観て、最初は“クラシックを馬鹿にしたふざけたドラマだ!”などと思ってしまいましたが、すぐにハマりました。笑
原作のマンガも全巻大人買いして、何度も何度も読みふけりました。
私は全く楽器の演奏ができないので、オーケストラの裏側や、演奏家の気持ちなどがよく分かり、自分はクラシックのことを何も知らないのだな…と思い知らされたのです。
聴くのが好きなのは人後に落ちないと思っているのですが、クラシックの醍醐味は、やはり演奏することにあります。
演奏する人たちはたいてい練習を辛そうにしているので、あんな大変な思いをせずに、ただ聴くだけの私はズルい立場だなぁ、などと、やや優越感さえ覚えていましたが、やはり、本当の愉しみは演奏することにあるのは間違いないことでしょう。
西田敏行の『もしもピアノが弾けたなら』(古い!)の気持ちで、指をくわえながら聴くしかないのです。
ただ、自分が出来ないからこそ、演奏する人は私にとって“神”であり、永遠の憧れを持って聴くことができる、とも言えます。
手に汗にぎるデュオ
さて、ドラマの第1話で、のだめと千秋先輩がピアノでデュエットし、ふたりの関係性が確定し、物語の原点となって人をひきつけるのが、モーツァルトの『2台のピアノのためのソナタ ニ長調』です。
音楽エリートの千秋先輩から見て、ハッチャけたトンデモ娘の、のだめ。自分にまとわりつく煩いハエ(ひどい!)のようにしか思えない。
ピアノも基本がまったくなっていない。しかし、彼女のピアノには、なぜか引き付けられるものがある…。それが分かるのも俺様だけだ…。
そんなふたりは、先生の陰謀?によって、ピアノでデュオを演奏することになりました。
その曲が、モーツァルトのこれです。
千秋先輩の師匠、巨匠ビエラは幼い頃の千秋にこう語ります。
『いいかい、どんな素晴らしい舞台に立ったって、身震いするほど感動する演奏ができることなんてまれなんだ。もしそんな演奏ができたなら、それは世界のマエストロと呼ばれるよりもずっと幸せなことかもしれない。』
千秋は、その言葉を胸に音楽に向き合ってきましたが、のだめとのこのデュオで初めて、〝小さな身震い〟を感じたのです。本当に素晴らしいシーンです。
2代のピアノのための曲は、ありそうで無いです。モーツァルトも、いくつか作曲していますが、完成したのはこの曲だけです。
1台のピアノをふたりで弾く『4手のためのソナタ』、つまり連弾は数曲あるのですが。
私もモーツァルトを長年聴いてきましたが、私としたことがこの曲はノーマークで、出会ったのは子供ができてからでした。幼児向けのビデオ『ベイビー・モーツァルト』にこの曲があり、それで知りましたが、ちゃんとピアノ演奏を聴いたのは、のだめを観てからだったのです。
女弟子からの逆セクハラ?
実は、この曲が生まれた経緯も、『のだめ』と似た事情があるのです。
モーツァルトは、ザルツブルクを飛び出して、ウィーンで自立を目指しますが、まずは生活のために貴族や富豪の子女を相手にしたピアノの家庭教師をします。その弟子のひとりが、アウエルンハンマー嬢でした。
お金持ちの父親もなかなかの変わり者でモーツァルトをイライラさせますが、この令嬢は、モーツァルトによればたいへんな“醜女”だったそうです。
なんてひどい…と思いますが、モーツァルトは手紙にこう書いています。
では娘はどうか。画家が悪魔を本物らしく描こうと思ったら、この娘の顔に助けを求めるほかない、と言ったところです。まるで百姓娘のように太っちょで、見ると唾を吐きたくなるくらい、汗っかきです。そして、肌をまる出しにして歩いているので、『こっちを見てちょうだい』とはっきり顔に書いてるみたいです。本当に、見るのは沢山です。運わるく目がそっちに向いたら、その日一日罰を受けます。その時は酒石(吐剤)が必要です!それくらいいやらしく、汚らしく、そしてぞっとするのです!チェッ、こん畜生!*1
まったくひどい罵詈雑言です。いくらなんでもそこまで言わなくても…。しかし、ここまで言うのには他にわけがありました。このご令嬢は、モーツァルトに恋していたようです。
さらに手紙を引用します。
しかし、それだけではありません。あのひとはぼくに本気で恋をしているのです。ぼくはそれを冗談だと思っていたのですが、今でははっきりと分かります。ぼくがそれに気がついた時――たとえば、ぼくがいつもより遅れて行ったり、ゆっくりしていられなかったり、そんなようなことがあると、あのひとは臆面もなく、甘えた苦情を言うからです――あのひとを馬鹿にしないためには、丁重に真実を言わざるを得ない羽目になります、でも、それは何の効き目もありません。あのひとの思いは深まるばかりです。しまいには、いつも非常にいんぎんにあしらうようになりますが、向こうからふざけてくる時は別で、そんな時は、こちらがぶっきらぼうになります。でも、そうするとあのひとは、ぼくの手を取って、『ねえ、モーツァルトさん、そんなにお怒りにならないで。あなたが何をおっしゃろうと、私はあなたが本当に好きなんです』と、言います。町じゅうの人が、ぼくたちが結婚するのだ、と言っています。そして、ぼくがよくもあんなご面相を選んだものだと、不思議がっています。あのひとは、そんなことを言われると、いつも笑って聞き流しておいたと、ぼくには言いましたが、別の人から聞いた話では、あのひとはその噂を認めて、おまけに、ぼくたちは結婚したら一緒に旅行に出かけるのだ、と言っているということです。それを聞いた時、ぼくも腹が立ちました。そこでとうとうぼくの考えをはっきりと述べ、ぼくの好意を悪用しないで欲しいと言いました。その上、もう毎日でなく、1日おきに行っています。そのようにしてだんだん減らすことになるでしょう。あのひとは恋におちいった馬鹿娘にすぎません。ぼくをまだ知らない前、劇場でぼくの演奏を聴いた時、『あの人は明日私のうちに来るから、あの人の変奏曲を、あれとそっくりの味わいで弾いてみせるわ』と言ったそうです。そんなわけで、ぼくは行きませんでした――いかにも傲慢な言い方だし、嘘をついたのだから。あくる日ぼくが行くことになっていたなんて、ぼくのまったく知らなかったことです。――では、さようなら。紙がもう一杯になりました。*2
ということで、嫌いなコに惚れられ、結婚するとか、ハネムーンに行くとか、自分とのことを勝手にあれこれ言われ、故意に噂を立てられてメチャクチャ腹を立てているのがよく分かります。
しかし、アウエルンハンマー嬢は、このことで歴史に不朽の名を残したのですから、なんとも皮肉なことです。
そして、このソナタは、ほかでもない、この令嬢とのデュオのために作られたのです。
これだけ罵っているのに、この曲は、2台のピアノが対等のレベルで書かれています。いろいろ言われながらも、令嬢のテクニックは一流で、当時ヨーロッパ一の腕前だったモーツァルトと同レベルでついてこれる技量だったことは、何よりも曲の難易度が示しています。
ドラマの演奏もよいですが、ぜひ古楽器で聴いていただきましょう。
その名もピアノの発明者をとった、『デュオ・クリストフォリ』によるフォルテピアノの演奏です。
2台のピアノのためのソナタ ニ長調 K.448
Sonata for 2 Pianos in D major , K.448
演奏:デュオ・クリストフォリ(ペネロペ・クラウフォード、ナンシー・ガレット)(フォルテピアノ使用)
Duo Cristofori(Penelope Crawford , Nancy Garrett)
颯爽と始まります。2台のピアノが火花を散らすように追いかけっこを繰り広げます。それは、遊び戯れている、というより、緊張感ある競争、勝負のようです。モーツァルトが、俺が好きならここまでついてこい、ついてこれるものなら!!と意地悪をしているようで、それに令嬢が大汗をかきながら必死に追いかけている光景が目に浮かびます。モーツァルトも、令嬢の意外な健闘に、次から次へと新しいメロディを繰り出してしまい、つい本気になってしまっているようです。まさに、のだめと千秋先輩の関係に似ていて、オーバーラップします。のだめの原作者はもちろん、このエピソードを知っていて物語の始まりにしたわけですが、まったく素晴らしい演出と言わねばなりません。
第2楽章 アンダンテ
2台のピアノの対話にうっとりします。第1楽章とはうってかわって繊細な時間です。本当にモーツァルトは彼女が嫌いだったのか?と思わずにはいられません。もちろん、モーツァルトはプロですから、個人の感情を曲に盛り込むとは限りませんが。
楽しげなロンドです。モーツァルト独特の、からかうような音型が頻発します。そうかと思うと、急に短調になり、シリアスな風も吹かせつつ、それもすぐ晴れて、大盛り上がりのフィナーレを迎えます。
モーツァルトは、汗っかきの彼女に近づきたくないため、1台のピアノではなく、わざわざ2台のピアノを用意したという、彼女にはかわいそうすぎる説もありますが、2台のピアノを使用することによって、フルオーケストラに匹敵する迫力の曲となりました。
この曲を聴くことができるのは、アウエルンハンマー嬢のおかげであることは間違いありません。
そして、200年後の、『のだめ』が再びこの曲を広く知らしめてくれた。なんともうれしいことです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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