マンハイム・パリ旅行の途中で作られた3曲のピアノ・ソナタの最後の曲は、第9番 ニ長調 K.311と3曲セットで出版されています。
とても楽しく、充実した素敵な曲なのですが、作曲の経緯はほとんど伝わっていません。
唯一の手掛かりは、マンハイム滞在時に、アウクスブルクにいた、従妹(いとこ)のアンナ・テークラ・モーツァルト宛ての手紙に言及のあるソナタが、この曲ではないか、ということです。
このいとこは、愛称はベーズレといって、モーツァルトの有名な〝ベーズレ書簡〟の相手です。
何が有名かというと、モーツァルトの曲の優美で上品なイメージとは真逆の、下品で幼稚なスカトロジー、すなわち下ネタに満ちているからです。
引用するのもはばかられるくらいです。
もうおやすみを言いたい。メリメリっと音を立てるほど、花壇にうんこをしなさい。ぐっすりおやすみなさい。お尻を口まで伸ばして。ぼくはもうベッドへ行って、少し眠ります。あすはまともなことを話し・放し・ましょう。ぼくはあなたに話したいことが山ほどある。とてもそうは思われないでしょう。でもあすはきっとお聞かせします。それまで、さようなら。あっ、お尻が痛い、燃えてるようだ!どうしたというのだろう!もしかしたら、うんこが出そうなのかな?——そうだ、そうだ、うんこよ!お前だな、見えるぞ、においがするぞ——そして――何だ、これは?——そうだったのか!——やれやれ——ぼくの耳め、ぼくをだましちゃいないね?——いや、たしかにそうだ。なんという長い、悲し気な音だろう!*1
モーツァルト21歳、ベーズレは2歳年下でした。
ベーズレ書簡は数多く残されており、いずれも鼻をつまみたくなるような内容に満ちています。
モーツァルトのイメージダウンになるということで、19世紀の研究家が焼き捨てようとしたという逸話も残っていますが、これが人間モーツァルトの真実なのです。
これは、神童のまま、つまり幼児の精神性のまま大人になってしまったからだとか、いや、この時代は道徳観念が薄かったから別に普通だったとか、色々言われていますが、受け取るベーズレの方も別に嫌がった形跡はないので、ふたりの関係がどの程度の深さだったかも諸説ありますが、時々芸能人の秘めたメールやLINEが暴露されるようなものでしょう。
とはいえ、モーツァルトはさらに後にも、『おれの尻をなめろ』などという歌を作って仲間うちで興じていましたから、仲良しグループにたいがい一人くらいいる〝下ネタ担当〟だったと思われます。
映画『アマデウス』でも、モーツァルトは皇帝ヨーゼフ2世の前で〝大理石のうんこでもしそうな奴ら〟などと失言して廷臣たちを凍らせる場面があり、ライバルのサリエリは〝神はなんでこんな下品な男にあんな崇高な曲を書ける才能を与えたのだ〟と殺意を抱きます。
さて、ベーズレ書簡は、下ネタとダジャレに満ちていて、読むのも大変ですが、このピアノ・ソナタは、そんなダジャレにまみれて、(とある人に)約束したソナタだけど、まだ送れていない、と触れられています。
曲はどこまでも上機嫌で、そんな手紙を書いたときの気分が伝わってくる気がします。
W.A.Mozart : Piano Sonata no.9 in D major, K.311 (284c)
演奏:アーサー・スクーンダーエルド(アルテュール・スホーンデルフルト)(フォルテピアノ:ヨハン・アンドレアス・シュタインが1780年に製作したものの複製。白木のハンマー。)
Arthur Schoonderwoerd(Fortepiano)
第1楽章 アレグロ・コン・スピーリト
軽いタッチで、玉を転がすような素敵な曲です。現代の大きなグランドピアノより、当時のフォルテピアノで弾く方がふさわしいといえるでしょう。もっとも、グレン・グールドは見事に軽やかに弾いてみせていますが。独り芝居の掛け合いのような部分が、まるで〝ノリ・ツッコミ〟のように楽しませてくれます。
第2楽章 アンダンテ・コン・エスプレッショーネ
第7番についてローザ嬢に〝表情豊かに〟弾くことを求めていたのと同様、まさしく、モナリザの微笑みのような曲です。強弱の細かい指示通りに弾くのは大変でしょうが、モーツァルトの新しい境地を示しています。
第3楽章 ロンド:アレグロ
装飾音にきらびやかに彩られた、実に凝ったロンドです。軽い響きで始まりますが、時折シリアスな影も見せつつ、次から次へと新しい曲想が出てくる充実ぶりです。まじめな部分とふざけた部分が唐突なまでに意表を突く、モーツァルトの書簡そのままの音楽です。最後には、まるでコンチェルトのようにカデンツァを思わせる部分さえあるのです。音楽的な成長と、猥雑な笑いにつつまれた日常とが交錯した、青春まっさかりのモーツァルトの若さがたっぷりと味わえる曲です。
この曲も、グレン・グールドの演奏も掲げておきます。
W.A.Mozart : Piano Sonata no.9 in D major, K.311 (284c)
演奏:グレン・グールド(ピアノ) Glenn Gould
第1楽章 アレグロ・コン・スピーリト
第2楽章 アンダンテ・コン・エスプレッショーネ
第3楽章 ロンド:アレグロ
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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