お陰様で、このブログもこれで100回目となります。
お読みいただいている方、本当にありがとうございます。
さて、これまでグレン・グールドの弾くバッハを聴いてきましたが、彼はピアノにチェンバロの持つ〝触感の即時性〟を求め、チェンバロ風のタッチと響きが出るよう、何度も改造を試みました。
それなら、はじめからチェンバロを弾けばいいのに・・・?と誰もが思います。
その答えはグールドもあえて出していないのですが、やはりピアノの表現力はチェンバロの比ではないので、両方の良さを、無理は承知で最大限引き出したい、というのが実のところではないでしょうか。
実は、グールドが弾いたチェンバロ(ハープシコード)の録音もあるのです。それが、今回ご紹介するアルバムですが、しかもバッハではなく、ヘンデルなのです!
その疑問に対するグールドの答えは下記です。
さて、私は初めてハープシコードのための作品〔ヘンデル〕を録音したのですが、とてもおもしろかったので、これからも続けるつもりです。私がなぜ、ハープシコードで演奏したかについて、3つお断りしておきたいことがあります。ひとつは、私が単純に心変わりして、もう決してピアノで演奏しないわけではないこと、2つめは、以前からプライヴェートにはハープシコードを弾いていたから、そのためにハープシコードで録音したのでもないこと。そして3つめは、バロック音楽を演奏する際のピアノの有効性、ディナーミク、アーティキュレーションを考えたためにハープシコードにしたわけでもない。つまり、ただおもしろそうだったから、というわけです。*1
我々が斟酌しそうな理由を全て否定した上で、〝ただおもしろそうだったから〟と煙に巻いているのは、まさにグールドの真骨頂ですが、本音かもしれません。
ただ、続けると言っていたのに、録音されたのはヘンデルの組曲第1集の全8曲のうち、この最初の4曲だけでした。
私の原点『調子の良い鍛冶屋』が含まれる第5番を録音せずに終わったのは残念でなりません。
www.classic-suganne.com
また、ピアノでもヘンデルを弾いて欲しかったです。
確かに、ヘンデルの鍵盤楽曲はバッハに比べると少なく、音楽史に与えた影響も小さめですから仕方がないかもしれませんが。
ヘンデルの人生は劇場、大衆とともにあり、教会や宮廷を活動の舞台としたバッハとは対照的です。また音楽も、ひどく乱暴に言えば、ヘンデルは外向的、バッハは内向的という印象があるので、人見知りでコンサート嫌いのグールドが向き合ったのがバッハなのは必然かもしれません。
ヘンデルを弾いたのは、ちょっとした気まぐれ、という感じですが、しかし、この演奏も非常に魅力的です。
チェンバロは鍵盤が小さめなのですが、グールドはこれを弾くために、わざわざ大型のチェンバロを借りたそうです。
そして、ピアノではなかなか味わえない、『触感の即時性』を堪能したのです。
ヘンデルがロンドンに渡って、オペラで人気がうなぎ登りになっていた頃、1720年に出版された曲集です。ヘンデルは、チェンバロのフランス読みで『クラヴサン組曲』と名付けていました。英語読みの〝ハープシコード〟をあえて使っていませんが、それは英国に大陸文化への憧れがあったからだと思います。
ヘンデルの作品はすでに人気があり、海賊版が出回っていました。もちろん著作権など確立していない時代ですから、作曲者も手の打ちようはないのですが、その不正確なことに業を煮やして、正確な版を出版することになったのです。
ヘンデルの序文は半分怒りに満ちています。
私は次のような何曲かの練習曲を出版せざるを得なくなった。というのは、私の目を盗んでそれらの不正確なコピーが出回っているからである。私はこの作品集を一層有益なものとするために、いくつか新曲を加えた。これらも好意的に受け容れられるものと思っている。寛大なる庇護を受けているこの国に、ささやかな能力で仕えることは私の義務と心得ており、今後も出版を継続するつもりである。
これまでご紹介したバッハの文章に比べて、謙遜はしているものの、どこか上から目線なのが、ふたりの性格の違いを示していて興味深いです。
でも音楽的には、ヘンデルの方がおおらかな印象があります。
Handel : Suite for Harpsichord Vol.1 No.1 in A major, HWV426
演奏:グレン・グールド(ハープシコード) Glenn Gould
第1曲 プレリュード
バッハの組曲同様、ウォーミングアップのような音型で始まりますが、あくまで導入であり、主役ではない、という雰囲気があります。グールドの弾くチェンバロは、まるで電子音のように響きます。
いよいよ本番、という感じです。この曲のもつ慈しみに満ちた優しさには、胸がいっぱいになります。途中で音質がガラリと変わりますが、それはバフ・ストップといい、弦にフェルトなど柔らかい素材を当て、余韻の短い音色にするチェンバロの機構です。日本の琴のような響きになります。単調になりがちなチェンバロの音色を豊かにするための工夫です。
この曲もどこまでも優しく、バラの花咲く英国庭園でくつろいでいるような気分になります。私の子どもの頃、『キャンディ・キャンディ』という少女アニメが大流行しましたが、その歌の冒頭もチェンバロで始まりました。それを懐かしく思い出します。
第4曲 ジーグ
楽天的で活発なジーグです。バッハのものより、ダンスの色彩が強く残っています。
Handel : Suite for Harpsichord Vol.1 No.2 in F major, HWV427
演奏:グレン・グールド(ハープシコード) Glenn Gould
バフ・ストップにより〝琴〟の音色で始まります。しっとりとしていますが、まったくピアノとは異なる世界です。この組曲は舞曲ではなく、緩-急-緩-急の『教会ソナタ』の形式になっています。以前ご紹介したコレッリのトリオ・ソナタにも、舞曲を集めた『室内ソナタ』と、このような『教会ソナタ』の2種類があります。
わくわくするような、速いテンポの楽しい音楽です。子どもたちが走り回って遊んでいるかのようです。
サラバンドのような重々しい曲です。深い思いが歌われています。
本格的な3声のフーガです。ヘンデル研究家が『ヘンデルのフーガはバッハのそれより劣る』などと余計な比較をしていますが、ヘンデルやコレッリのフーガは、すっきりと晴れやかで、本来のフーガはこのようなものです。バッハの緻密な構造のフーガは、フーガというより別な名で呼んだ方がよいのでは、と思います。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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