偉大な教育者、バッハ
これまで、グレン・グールドによる、バッハの主要なクラヴィーア曲を聴いてきました。
『ゴールトベルク変奏曲』『平均律クラヴィーア曲集』『インヴェンションとシンフォニア』『イタリア協奏曲』『フランス風序曲』『パルティータ』『フランス組曲』『イギリス組曲』。
まるで神々の名を挙げているようでもあり、たくさんの人の人生の支えとなっている曲たちです。
バッハがなぜ、これらの曲を作ったか。
それについて、日本人によるバッハ本の名著、礒山雅氏の『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』で次のように考察されていますので、受け売りを書くのもなんですから、そのまま引用します。
こうしてわれわれは、ケーテン時代後期におけるバッハのクラヴィーア音楽を概観したわけであるが、それらはいずれも、教育的な目的をもって書かれたものであった。そこから明らかになるのは、バッハが、教育というものをどれほど重んじていたかということである。子供のため、初心者のために音楽をするというとき、人は無意識のうちに、レベルを落とすのではないだろうか。たとえ教育に善意と情熱をもっている人ではあっても、自分の生涯の最良の業績のひとつを初心者のために生み出す、ということはなかなかできるものではなかろう。ところがバッハは、教育のための音楽、しかも自分の周囲の人だけが弾く内輪の音楽に、みずからの天分と技倆を、惜しげもなく注ぎ込んでいるのである。これはもはや音楽的な問題ではなく、バッハの人間としての姿勢、生きるうえでの哲学に由来していると、私は思う。
バッハのレッスンは、初めの半年か1年は、指の練習だけを生徒に課したらしい。そうした技術的な基礎がどうしても必要だという信念に立ってである。生徒がそれに飽きてくると、バッハは、いろいろな練習を組み合わせた小品を書いて、生徒に与えた。『6つの小プレリュード』(BWV933~938)や2声の『インヴェンション』は、そんな作品の一例であるという。生徒はやがて、バッハのもっと大きな作品を与えられた。E.L.ゲルバーによれば、『インヴェンション』、『組曲』、『平均律』というのが、生徒に与えられる作品の順序であったらしい。バッハのレッスンのもうひとつの特徴は、彼がみずから、課題となる作品を弾いて聴かせることだった。たとえばバッハは、弟子の、H.N.ゲルバーに、『平均律』の全曲を、三回も演奏して聴かせたという。それは、どんなに感動的なものであったろうか。そしてそうした折に得る感動は、生徒の将来にとって、有形無形の大きなこやしになったにちがいない。*1
バッハは、偉大な音楽家であったと同時に、偉大な教育者であったのです。
まず、自らの演奏を3回も聴かせる、というのは、山本五十六のあの有名な言葉を思い起こさせます。〝やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ〟
バッハの大作の多くが、〝練習曲〟というタイトルで出版されたのは以前ご紹介しました。
バッハにとって、練習曲こそ最良の作品でなければなかったのです。
なぜ日本の子どもはピアノを習うのか
今の日本の音楽教育はどうでしょうか。
半年でピアノを挫折した私にはどうこう言う資格はありませんが、子どもの頃、辛い思いをしてピアノの練習をして、せっかくそこそこの腕前になったのに、大人になってからは全く弾かなくなったり、弾けなくなったりしてしまう人が、なんと多いことか・・・。
もちろん、幼少期に一つのことに打ち込み、鍛錬した経験は、大人になって必ず役に立っているはずですが、ピアノを生涯の友として嗜んでいる人がなんと少ないことか・・・。
本当にもったいないと思います。
原因のひとつには、幼い頃にピアノを習った人が、別にクラシック音楽が好きでない、ということがあると思います。
親に課せられた、あるいは自らに課した〝鍛錬〟は耐えられても、〝愉しみ〟ではないため、大人になって〝自由の身〟になったら弾く理由がなくなってしまうのです。
音楽は好みですから、それは無理もありません。
あとは、親の見栄、というのもあります。でもそれには歴史的背景があります。
バッハやモーツァルトの時代、すなわち18世紀までは、今のクラシック音楽は王侯貴族のものでした。
王侯貴族は、自ら楽器も演奏する者が多くいました。これまでご紹介したバッハの仕えたケーテン侯、C.P.E.バッハの仕えたフリードリヒ大王、ハイドンの仕えたニコラウス・エステルハージ侯など、枚挙にいとまありません。
彼らは、演奏だけでなく、作曲もしました。これらの愛好家の腕前はプロ級で、〝ディレッタント〟と呼ばれました。
音楽は貴族の嗜みだったのです。
ところが、フランス革命以降、19世紀は〝貴族の時代〟から〝市民の時代〟となり、時代をリードするのは貴族から裕福な市民、つまりブルジョワの手に移りました。
貴族に言わせれば〝成り上がり者〟ですが、ブルジョワは社会の支配層になりましたので、生活は貴族の真似をしました。
その真似の中に、子ども達に楽器を習わせる、ということがあったのです。
こうして、ピアノは〝裕福な家庭〟の象徴になりました。
20世紀になり、この東洋の島国はいったん戦争で焼け野原になりましたが、奇跡の高度成長を遂げ、豊かになって、私の幼少時代である1970年代には〝一億総中流〟と言われました。
その中で〝中の上〟を目指して、親はピアノを買い、子どもに習わせたのです。
もちろん、全員がそうとは言いませんが、そういった、親の見栄やステイタスでピアノを習わされた人は多かったはずです。そんな人は、むしろピアノは嫌いになってしまい、大人になってから弾こうなどと思うはずがありません。
平成になり、バブルが崩壊してからの失われた20年には、親にはそんな見栄を張る余裕がなくなりましたので、ピアノを習う子どもも減ったのではないかと思います。
ただ、〝強制習い事の悲劇〟は減ったかもしれませんが、ピアノ人口が減るのも寂しい気がしますね。
でも、中高生になると多くの子がバンドや軽音楽をやりたくなるのですから、せっかく練習するのなら、幼少期からその楽器をやればいいのに、とも思います。
私のように、幼少期にヘンデルやベートーヴェンの音楽が好きになり、これを弾きたい、と思わないと、ピアノの練習は楽しくないでしょう。
そのためには、親も子どもも、クラシックを敷居が高いものと思わず、もっと親しんでくれたら・・・というのが、そもそもこのブログの思いなのですが。
初心者向けでも手を抜かないバッハ
バッハも初心者にはまず猛烈な指の練習を課したということですから、仕方がないかもしれませんが、一般的な練習曲、バイエルやツェルニー、ブルクミュラーなどの音楽が、もっと子ども受けするものだったら、もっと練習も楽しくなるのでは、と思います。
クラシックの大作を弾けるようになるためにはやむを得ないのかもしれませんが・・・。
しかし、バッハは、練習曲こそ、演奏は平易であっても充実した内容、弾いていて楽しいものに仕上げたわけです。
磯山先生の文章に出てきた、『6つの小プレリュード』(BWV933~938)を始めとする、そんな初心者向けの練習曲も、グレン・グールドは録音しているのです。
もちろん、バッハの意図に応え、全身全霊で演奏しています。
アルバムを下記に掲げますが、楽しい曲は切り出してご紹介します。
これまでの大作とはまた違い、気楽な感じで楽しめる曲たちです。元気が出ますよ!
バッハ 『小プレリュードと小フーガ集』
『6つの小プレリュード』BWV933~938
プレリュードと小フーガ ニ短調 BWV899
プレリュードと小フーガ ト長調 BWV902
『9つの小プレリュード』BWV924~932
『3つの小フーガ』BWV952,953,961
プレリュードとフーガ イ短調 BWV895
プレリュードと小フーガ ホ短調 BWV900
演奏:グレン・グールド(ピアノ) Glenn Gould
アルバムの中から、特に私のお気に入りの曲を抜粋します。
小プレリュード ハ長調 BWV933
Preludium in C major, BWV933
小プレリュード ニ長調 BWV936
Preludium in D major, BWV936
小プレリュード ホ長調 BWV937
プレリュードと小フーガ ト長調 BWV902
Preludes & Fughetta in G major, BWV902
小プレリュード へ長調 BWV927
Preludium in F major, BWV927
小プレリュード ニ長調 BWV925
Preludium in D major, BWV925
小プレリュード ヘ長調 BWV928
Preludium in F major, BWV928
フーガ ハ長調 BWV953
Fugue in C major, BWV953
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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