場面は変わって、ドン・ジョヴァンニ邸の大広間。
豪華な装飾にシャンデリアが輝き、村人たちは、普段は入れない貴族の館での大舞踏会と大盤振る舞いのご馳走に、すっかり盛り上がっています。
ドン・ジョヴァンニの思惑は、乱痴気騒ぎのドサクサに、新郎マゼットの目をくらまして、一度は口説き落とした新婦ツェルリーナをものにすることです。
ツェルリーナは、一時は甘美なアヴァンチュールにぽぅっとなり、ドン・ジョヴァンニにイエスと言ってしまいましたが、ドンナ・エルヴィーラから、ドン・ジョヴァンニがいかに悪い男かを吹き込まれ、今は目を覚ましています。
でも、再度言い寄られても、はっきりと断ることができないでいます。
マゼットはそんなツェルリーナの様子に怒り心頭。
ツェルリーナのあいまいな態度は、イケメンのドン・ジョヴァンニにまだ未練があるのか、相手が貴族だから怖くて逆らえないのか、はたまた、マゼットにやきもちを妬かせようとしているのか。女の胸中ははかりかねます。
レポレロのミッションは、そんないらつくマゼットを、ツェルリーナからなるべく遠ざけておくことです。
フィナーレの後半は、ダンスがひと段落し、ちょっと一息、というところから始まります。召使いたちが飲み物をサーブしています。
第13曲 第1幕フィナーレ(前半)
ドン・ジョヴァンニ
休んでください
美しいお嬢さん方!
レポレロ
飲み物をどうぞ、皆さん!
ドン・ジョヴァンニ、レポレロ
まだまだ皆さんにはお楽しみいただきますよ
また思いっきり遊んで踊ってください
ドン・ジョヴァンニ
コーヒーを!
レポレロ
チョコレートを!
マゼット(小声でツェルリーナに)
おいツェルリーナ、気をつけろよ!
ドン・ジョヴァンニ
シャーベットを!
レポレロ
菓子を!
ツェルリーナ、マゼット(傍白)
始まりが甘かったから、終わりはきっと苦くなる!
ドン・ジョヴァンニ(ツェルリーナに)
ほんとにかわいいね、輝くようなツェルリーナ!
ツェルリーナ
どういたしまして!
マゼット(傍白)
この女、喜んでやがる!
レポレロ(ドン・ジョヴァンニを真似て)
ほんとにかわいいね、ジアノッタにサンドリーナ!
マゼット(傍白)
触ってみろ、首が飛ぶぞ!
ツェルリーナ(傍白)
マゼットが怒り狂っている
困ったことになるわ
ドン・ジョヴァンニ、レポレロ(傍白)
マゼットが怒り狂っている
どうしたものかな
マゼット(傍白)
尻軽女め、むかつくぜ!
一触即発の状況で、音楽は急に威厳のあるマエストーソになります。
先ほど招いた、3人の仮面をつけた賓客が入ってきたのです。
それは、ドン・ジョヴァンニへの復讐に来た、ドンナ・アンナ、ドン・オッターヴィオ、ドンナ・エルヴィーラですが、仮面をつけているので、まだ誰だか分かりません。
ドン・ジョヴァンニは、人数が多いほど計画はやりやすくなるため、この得体の知れない客も鷹揚に迎え入れます。
そこで高らかに宣するのが『誰もかれもご自由に!自由万歳!』。
この『自由万歳!(Viva la liberta !)』という言葉は、何度もドン・ジョヴァンニに続いて、一同が叫びます。
そして、劇場を埋め尽くした観衆も一緒に唱和したのです。
これは、自分を愛してくれたプラハの街への、モーツァルトのサービスでした。
この支配への抵抗
プラハを中心とするボヘミア地方は、現在のチェコの一部ですが、中世には神聖ローマ帝国内で唯一の王国、ボヘミア王国を形成していました。
ヨーロッパの中心に位置する重要性から、〝ボヘミアを制する者はヨーロッパを制する〟と言われました。
14世紀初頭にボヘミア王位はドイツ貴族のルクセンブルク家が受け継ぎ、カレル1世(1316-1378)が神聖ローマ皇帝カール4世として選出されると、プラハは帝国の実質的首都として繁栄を極めました。
しかし、宗教改革を始めたプラハ大学教授のヤン・フス(1369-1415)が、皇帝ジギスムントにだまされてコンスタンツ公会議において火刑に処せられると、ボヘミアのプロテスタント貴族たちは皇帝に対し反旗をひるがえし、フス戦争が起こりました。
最終的にはプロテスタント側の敗北に終わりましたが、チェコ人によるドイツ支配への抵抗という側面もあったのです。
フスは今でもチェコの英雄とされています。
16世紀にルクセンブルク家が断絶すると、ボヘミアはハプスブルク家の支配を受けることになりました。
ハプスブルク家の皇帝、ルドルフ2世(1552-1612)は政治的には無能でしたが、文化的功績は大きく、プラハを愛しました。
いま、渋谷Bunkamuraでルドルフ2世を取り上げた展覧会が開催中です。
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Bunkamuraザ・ミュージアム 「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展」スポット映像(30秒)
しかし、その後ボヘミアのプロテスタント貴族は、ハプスブルク家のカトリック支配への反乱を起こし、全ヨーロッパを巻き込んだ三十年戦争に発展しましたが、信仰の自由を求めて戦ったボヘミア貴族たちは、ティリー将軍率いる皇帝軍に白山の戦い(1620)で敗北し、処刑されるか亡命し、チェコ貴族はドイツ貴族に総入れ替えとなって、以後、モーツァルトの時代に至っても、ずっとドイツ・ハプスブルク家・カトリックの支配を受けていたのです。
しかし、民族独立と自由を求める思いはプラハの人々の心の底流に流れており、モーツァルトは、官憲からにらまれている『自由万歳』という禁句を、オペラの一場面の何気ないセリフとして挿入し、ボヘミア人が堂々と叫べる場を劇場に用意したのです。
『フィガロの結婚』のように革命を誘発するには至らず、チェコの独立にはさらなる時を待たなければなりませんでしたが。
3つの曲が同時に鳴る奇跡
さて、自由万歳、の連呼が終わると、舞踏会が再開され、まず舞台上のバンドがメヌエットを演奏し、仮面をつけたアンナとオッターヴィオが踊ります。
ふたりは貴族ですから、宮廷舞曲であるメヌエットが演奏されたのです。
そしてほどなく、ドン・ジョヴァンニがツェルリーナを誘い、別のバンドの伴奏でコントルダンスを踊り始めます。コントルダンスは、英国農民のカントリー・ダンスを起源とし、フランス宮廷を中心に大流行した舞曲なので、貴族と村娘のペアが踊るにふさわしいといえます。
ツェルリーナが心配でならないマゼットを、なんとレポレロが、踊ろう、と無理やり誘います。この珍妙な男同士のダンスの伴奏を、また別なバンドが務めます。曲は、ふたりは平民ゆえ、一番俗っぽいドイツの民族舞踊、ドイツダンス。
この瞬間、舞台上では、それぞれの身分に応じたテンポの違う曲が同時に鳴っていることになります。
メヌエットは4分の3拍子、コントルダンスが4分の2拍子、ドイツダンスが8分の3拍子。 これが同時に鳴っているのに、全体としてまとまって聞こえてくるのは、まさに天才モーツァルトの離れ業としか言いようがありません。
有名な〝3オーケストラの場〟です。
これによって、この陰謀と思惑の交錯した舞踏会の混然さが音楽によって表現され、そのどさくさの中で、ツェルリーナはドン・ジョヴァンニによって無理やり別室に連れ去られます。
手の込んだアプローチをしていたドン・ジョヴァンニも、ツェルリーナの色香についに我慢が出来なくなったようです。
ツェルリーナも、これまで強引ながらも紳士的だったドン・ジョヴァンニが、狼の本性を現したことを悟り、別室で悲鳴を上げ、大声で助けを求めます。
ダンスはストップし、何が起こったんだ!?とうろたえる一同、ツェルリーナの身を案じるマゼット・・・
(エルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオ、仮面をつけて登場)
レポレロ
どうぞ、お入りください
仮面の方々
ドン・ジョヴァンニ
どなた様もご自由にどうぞ
自由万歳!
エルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオ
寛大なお心に、心より感謝いたします
一同
自由万歳!
ドン・ジョヴァンニ
さあ、音楽を始めなさい!
(レポレロに)
お前は踊り手を組み合わせろ!
レポレロ
さあ、皆さん踊ってください!
(オッターヴィオとアンナがメヌエットを踊る)
エルヴィーラ(アンナに)
あれが例の村娘ですわ
アンナ
私、死にそうだわ!
オッターヴィオ(アンナに)
知らんふりをするのです!
ドン・ジョヴァンニ、レポレロ
実にうまくいっているな!
マゼット(皮肉そうに)
実にうまくいっているだろうよ!
ドン・ジョヴァンニ(レポレロに)
マゼットを見張っていろよ
レポレロ(マゼットに)
おい、踊らないのか、哀れな奴!
こっちへ来いよ、みんなのように踊ろうぜ
ドン・ジョヴァンニ(ツェルリーナに)
私が君のパートナーだ
ツェルリーナ、こちらにおいで
(ツェルリーナとコントルダンスを踊り始める)
マゼット
いやだ、踊りたくなんかない!
エルヴィーラ、オッターヴィオ(アンナに)
平静にしていてください
レポレロ
なんだって?
踊るんだよ!
マゼット
いやだ!
レポレロ
いいから踊るんだ、マゼット、踊るんだ!
(無理やりマゼットとドイツダンスを踊る)
ドン・ジョヴァンニ
私と一緒においで、私の命よ・・・
おいで、おいで・・・
(力づくでツェルリーナを連れ去る)
マゼット
放せ、いやだ、ツェルリーナ・・・!
ツェルリーナ
ああ! 私もうだめ・・・
(ドン・ジョヴァンニに連れ去られる)
レポレロ
こりゃ、大騒ぎになるぞ
(急いでドン・ジョヴァンニを追いかけて退場)
エルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオ
悪者は自ら罠にかかったぞ
ツェルリーナ(舞台裏から)
誰かー!
助けてー!
助けてー!!
エルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオ
罪の無いあの子を助けよう!
マゼット
ああ、ツェルリーナ!
ツェルリーナ!
ツェルリーナ(舞台裏から)
悪者!
エルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオ
あちらで叫んでいる!
ツェルリーナ(舞台裏から)
悪者!
エルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオ
ドアを破ろう!
ツェルリーナ(走り出て来て)
助けて!
助けて!
ああ、死にそう!
エルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオ
助けに来ましたよ!
モーツァルトはこの場面のリハーサルで、ツェルリーナ役の歌手の上げる悲鳴が何度やっても小さいので、 お尻をつねったそうです。そして、歌手がキャーッと悲鳴を上げると、そう、それでいいんだよ、と。
ツェルリーナに騒がれてしまったドン・ジョヴァンニですが、何食わぬ顔で登場し、レポレロを引きずりだして、剣を手に、こいつが犯人だ、不埒者め、死んでしまえ、と剣を抜く真似をします。
どこまでもかわいそうなレポレロ・・・。しかし、そんな芝居に騙される者はいません。
3人はついに仮面を取ります。驚くドン・ジョヴァンニ。
オッターヴィオの手にはピストルが握られています。
村人たちもドン・ジョヴァンニの悪事を目の当たりにし、糾弾の声を上げます。
ドン・ジョヴァンニ(剣を手に、レポレロを引きずって登場)
こいつが犯人だ
私が罰しましょう
死ね、悪者!
レポレロ
ああ、何をなさるんで!
ドン・ジョヴァンニ
死ね、と言っておるのだ!
オッターヴィオ(仮面を取り、ピストルを取り出す)
やめなさい、だまされないぞ!
エルヴィーラ、アンナ、オッターヴィオ(全員仮面を取る)
こんな子供だましで悪事をごまかせると思っているの?
ドン・ジョヴァンニ
ドンナ・エルヴィーラか!?
エルヴィーラ
そうよ、悪者!
ドン・ジョヴァンニ
ドン・オッターヴィオか!?
オッターヴィオ
そうとも、君!
ドン・ジョヴァンニ(アンナに)
ああ、信じてください・・・
一同
裏切者!何もかも、すべて白日の下にさらされた
一同
恐れおののくがいい、悪者よ!
お前の思い上がった邪悪な悪行の数々は
全ての人が知るところとなる
聴け、復讐の声がお前の周りに渦巻くのを
きょう、この日に、お前の頭に雷が落ちるのだ
ドン・ジョヴァンニ(同時に)
頭の中がまっしろだ
自分で何をしているのか分からない
恐ろしい嵐が、神よ、私をおびやかしている
しかし、私はくじけないぞ
迷いも驚きもしない
たとえこの世の終わりが来ようとも
私には怖いものなどない
レポレロ(同時に)
頭の中がまっしろだ
旦那は自分で何をしているのか分からない
恐ろしい嵐が、神よ、旦那をおびやかしている
しかし、旦那はくじけないぞ
迷いも驚きもしない
たとえこの世の終わりが来ようとも
旦那には怖いものなどない
悪事がバレても、アンナにだけは、開き直ることなく、信じてください、と懇願するドン・ジョヴァンニ。彼女は、彼にとって、あまたの女性の中でも特別な存在であることを思わせる一言です。
いよいよ追い詰められたドン・ジョヴァンニ。もう逃げられないぞ、というところで、ドタバタのうちに第1幕の幕が下ります。
さまざまな思いの交錯した、モーツァルト以外には例のない、複雑かつ手の込んだ奇跡のフィナーレといえます。
何度聞いても手に汗握る思いです。
そういえは、きょう1月27日はモーツァルトの誕生日でした。
次回から、第2幕です。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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