前回、村上春樹の『騎士団長殺し』に出てくる曲として、シューベルトの弦楽四重奏曲を取り上げました。
しかし、シューベルトの室内楽では、最高峰のこの曲をまず取り上げないわけにはいきません。
弦楽五重奏曲 ハ長調。
その若すぎる死の、わずか約2ヵ月前に書かれた作品です。
シューベルトは、最後の年となった1828年に、この五重奏曲のほか、シンフォニー ハ長調〝グレイト〟、ミサ曲 変ホ長調、歌曲集『白鳥の歌』、最後の3つのピアノ・ソナタなど、花火が燃え尽きる最後の輝きのように、奇蹟のような傑作の数々を生みだすのです。
クインテットでは、カルテットにヴィオラをもう1本加えるのが普通で、モーツァルトの有名な2曲もその形です。
でも、シューベルトのこの曲では、チェロが追加になっていて、それが何とも落ち着いた、独特の響きを醸し出しているのです。
この曲は、私にと ってもかけがえのない曲で、若い頃、眠れない夜によく聴いたものです。クラシックを聴くと眠くなるという人は多いですが、私は逆に興奮して眠れなくなってしまいがちです。でも、この曲のしっとりとした情感は、心地良く語りかけてくれて、眠れぬ原因の心配事を忘れさせてくれたのです。
ご紹介する演奏は、5つの楽器が全て名器のストラディヴァリウスという、贅沢なものです。
アメリカのスミソニアン博物館に所蔵された銘器を集めた演奏なのです。
奏者と使用楽器は次の通りです。 楽器には全て愛称がついています。
第1ヴァイオリン:ヴェラ・ベス(『オレ・ブル』1678年製)
第2ヴァイオリン:リサ・ラウテンバーグ(『グレフューレ』1709年製)
ヴィオラ:スティーヴン・ダン(『アクセルロッド』1695年製)
第1チェロ:アンナー・ビルスマ(『セルヴェ』1701年製)
第2チェロ:ケネス・スロウィック(『メリルボーン』1688年製)
ストラディヴァリについては、以前、千住真理子さん所有の『デュランティ』について書きました。
www.classic-suganne.com
音楽家兼毒舌家の高嶋ちさ子さんもストラディヴァリウス『ルーシー』を所有しており、先日TV番組で披露されていました。
ちなみに、高嶋ちさ子さんのお父上は元東芝EMIのディレクターで、ビートルズの楽曲の放題を訳したしたそうです。その際、『ノルウェーの森』を意訳(誤訳?)してしまったとのことで、そのまま村上春樹氏の作品の題名になったのですから、興味深い話ですね。
名器も、優れた奏者の手にかからないといい音は出ないのわけですが、これは出色の演奏です。
Schubert : String Quintet in C major, D.956
演奏:ストラディヴァリウス・インストゥルメンタルズ
Stradivarius Instruments from the Smithsonian Institution
Vera Beths, Lisa Rautenberg, Steven Dann, Kenneth Slowik, Anner Bylsma
第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
闇の中から指す一筋の光のように、引き伸ばされた長い和音から始まります。そして、悦びに満ちた総奏が盛り上がりを見せたかと思うと、たゆたう春の海のような、うっとりするような曲調に移ります。舟の心地良い揺れに身を任せると、さわやかな海風が頬を撫で、海鳥たちが飛ぶのが見える…。前回ご紹介したシューベルトの手紙にあるような絶望感は、みじんもありません。モーツァルトもそうなのですが、死の直前の音楽はどうしてこのように清澄になるのでしょうか。
どこまでも静謐な響きで始まります。優しく語りかけるヴァイオリンを、チェロのピチカートが彩ります。天国的な雰囲気が続きますが、一転にわかに空が掻き曇り、嵐がやってきます。この中間部では、すすり泣くような嘆きが聞かれますが、なぜか聴く人を絶望させることはありません。ただただ、深い感動が心を埋め尽くすのです。そして、再び何もなかったかのように、元の静寂が戻ります。
活気に満ちた音楽は、たった5人で演奏しているとは思えません。まるで、シンフォニーを聴いているかのようです。トリオは、普通見られるようなのどかなものではなく、深い思索に満ちたものです。まさに深夜に聴くにふさわしい楽章です。
第4楽章 アレグレット
シューベルトによく見られるハンガリーの民族舞踊的な音楽です。陽気な中にも、深い抒情をたたえた、決して無邪気な子供の踊りではなく、大人の音楽です。やがて音楽は高揚していき、力強く幕を閉じます。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
にほんブログ村
クラシックランキング