ベートーヴェンの交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55《エロイカ(英雄)》。
今回は第3楽章を聴きます。
前作の第2シンフォニーからすでに、第3楽章はメヌエットからスケルツォに置き換えられていますが、この曲に至っては、もはや古典派シンフォニーのメヌエットは影も形もありません。
スケルツォとは、イタリア語で「冗談」「諧謔」という意味です。
ユーモアたっぷりの、おどけた音楽、というニュアンスです。
古典派シンフォニーの第3楽章をメヌエットにすることを定着させたのは、交響曲の父ハイドンですが、これをスケルツォに置き換えることを始めたのも実はハイドンです。
ベートーヴェンはこれにメヌエットを超えた表現の幅を見出し、積極的に取り入れました。
ハイドンの意図は、シンフォニーの中に利かせたスパイス的なものだったでしょうが、ベートーヴェンは《エロイカ》で、これを壮大な物語のひとつの章にまで昇華させたのです。
ホルンへのこだわり
音楽に革命を起こした《エロイカ》ですが、編成は第2シンフォニーのものに、ホルン1本を足しただけです。
しかし、この〝ホルン3本〟が、とてつもない効果を発揮しています。
そのひとつが、このスケルツォでのトリオです。
ベートーヴェンはホルンの名手ジョヴァンニ・プントと組んで、ホルン・ソナタ ヘ長調 作品17を書き、この楽器の魅力と可能性を実感したと思われます。
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キーのないナチュラルホルンは、正確な音程で演奏するのは至難、しかも調性を変えるときは管そのものを交換しなければなりません。
《エロイカ》の中でも酷使されているのがホルン奏者ですが、曲の中で、数小節、管を取り替える時間を設けてあげている、と思われる箇所もあります。
現代のホルンでは管を交換することなく演奏できるので、ベートーヴェンが現代の楽器を知っていたらこうしただろう、と補筆した形で演奏する指揮者もいますが、古楽器オーケストラでは、当時の苦労が生々しく伝わってきます。
そして、それはレトロなようで、かえって斬新に聞こえ、初演当時の衝撃を今に再現してくれるのです。
スケルツォのトリオは、有名なホルンの三重奏です。
アウトドアを思わせる狩の楽器が描くのは、英雄の豪放磊落な遊びか、はたまた砲声鳴り渡る野戦か。
音楽の恩人、ロプコヴィッツ侯爵
ここで、このシンフォニーを献呈され、その邸で試演されることになった、ベートーヴェンのパトロンのひとりを取り上げておきます。
その名は、フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィッツ侯爵(1772-1816)。
ロプコヴィッツ侯爵家は、13世紀まで遡れる、ボヘミア貴族です。
ボヘミア王は、中世神聖ローマ帝国内の唯一の王で、七選帝侯のひとりでした。
ロプコヴィッツ侯は代々何人もボヘミア王国宰相を務め、ボヘミア王が皇帝に選出されたときは実質的に帝国宰相となりました。
時代が下り、ボヘミア王位がハプスブルク家の独占になると、ロプコヴィッツ侯爵もオーストリアに仕えることになります。
まさに、現在のチェコを代表する大領主でした。
破産するほどの芸術投資
ベートーヴェンのパトロンとなったロプコヴィッツ侯爵は、帝国軍の将軍も務めながら、芸術にその莫大な富を惜しみなくつぎ込みました。
自身も優れたヴァイオリン奏者であり、3つの居城、ラウドニッツ城、アイゼンベルク城、ウィーンのロプコヴィッツ宮殿のそれぞれに専属オーケストラを置いていました。
大変な経費です。
そして、若い芸術家の援助、育成に力を入れ、ベートーヴェンにも大いに惚れ込んだのです。
ベートーヴェンが彼に献呈したのは、6つの弦楽四重奏曲 作品18、シンフォニー 第3番《エロイカ》、トリプルコンチェルト、シンフォニー 第5番《運命》、シンフォニー 第6番《田園》、弦楽四重奏曲第10番、歌曲『遥かなる恋人に』作品98という、錚々たるものです。
不滅の9曲のうち、《英雄》《運命》《田園》を献呈されたのですから、その貢献の大きさが分かります。
ベートーヴェンがウィーンに失望して、ナポレオンの弟ジェロームの宮廷楽長になろうとしたとき、ウィーンの有力貴族たちが年金の支給を約束して引き留めましたが、ロプコヴィッツ侯爵もそのひとりでした。
侯爵は、その後劇場経営に手を出して失敗、破産してしまいますが、ベートーヴェンは容赦なく年金不支給で侯爵を訴え、有利な判決を得ています。
恩人に対して何ということを・・・と思いますが、ベートーヴェンは約束なのだから当然、という態度です。
侯爵はウィーン楽友協会の創設メンバーのひとりでもあり、その功績は多大です。
ハイドンも2曲の《ロプコヴィッツ四重奏曲》作品77を献呈しています。
今、私たちがクラシックの名曲を楽しめるのも、ロプコヴィッツ侯爵を始めとする多くのパトロン貴族のお陰です。
ただ、その富は、その広大な領地から上がる税ですので、名曲は、苦しんで重税を納めたあまたの農民たちの血と汗と涙の結晶ともいえます。
現代、コロナで苦しむオーケストラを補助し、音楽家の生計を支えてくれる個人、企業、団体、自治体、政府がどれだけあるでしょうか。
ベートーヴェンが今の時代に生まれていたら、生活に困窮して、とても名作は生み出せなかったかもしれません。
今も残る《エロイカ》初演の部屋
さて、《シンフォニア・エロイカ》は、1804年の5月末から6月のはじめ頃、ウィーンのロプコヴィッツ宮殿の一室で試演(リハーサル)され、初めて世に響きました。
リースの証言です。
その後、ロプコヴィッツ侯がこの曲の演奏権利を数年間の期限つきでベートーヴェンから買い取り、侯の邸宅でこの曲はしばしば演奏された。ベートーヴェン自身が指揮をとったものの、第1楽章アレグロの第2部のシンコペーションでオーケストラが完全に混乱し、まったく最初からやり直しをしなければならなかったのも、この邸内の演奏会のことである。
ロプコヴィッツ宮殿は今もウィーンに残り、演劇博物館となっています。
《エロイカ》が初演された部屋も、『エロイカ・ザール』として残っています。
ハーゼルベックが、ベートーヴェンの初演時の響きを歴史的な演奏会場で再現するRESOUNDの取り組みで、エロイカ・ザールで《エロイカ》を演奏した360度動画です。
部屋は意外と狭いですが、邸宅としては広いですし、限られた招待客に聴かせるのであれば十分だったでしょう。聴衆がオーケストラより少ないこともあったでしょうし、貴族の贅沢ぶりが偲ばれます。
ロプコヴィッツ侯爵が耳にした音に近いでしょうか。
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Ludwig Van Beethoven:Symphony no. 3 in E flat major, Op.55 “Eroica”
演奏:ホルディ・サヴァル指揮 ル・コンセール・ナシオン(古楽器使用)
Jordi Savall & Le Consert des Nations
コントラバスを除く弦楽4部がただならぬ雰囲気のリズムを刻みます。優雅なメヌエットを期待していると、何事か?何が始まるのか??となります。そこにオーボエが、お気楽な旋律を奏でます。緊張とリラックスの奇妙な同居。これこそが、ユーモアであり冗談、というわけです。オーケストラも、このリラックスしたテーマを、きわめて乱暴に和します。
トリオは有名なホルンの三重奏で始まります。伝統的な合図である信号音で、オーケストラとの掛け合いがユーモラスですが、同時に圧倒的な迫力で迫ってきます。ホルンのもつスケールの大きな響きが、英雄的な心情を表しているかのようです。
スケルツォの再現は、例によって単純なダ・カーポ(繰り返し)ではありません。展開部的な要素が盛り込まれていて、3拍子の流れを断ち切るような演出もあります。最後はティンパニのロールが盛り上げ、切迫感のうちに楽章を閉じます。
動画はハーゼルベック指揮 ウィーン・アカデミー管弦楽団のRESOUNDプロジェクトの演奏です。狭いエロイカ・ザールではたくさんの観客は入らないので、会場はニーダー・エスタライヒ宮殿です。
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今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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