
大事なのは曲か、演奏か
前回、前々回と、モーツァルトがウィーンに来て大人気だった頃のコンサート・プログラムを取り上げましたが、そこで演じられたふたつのピアノ・コンチェルトのうち、第13番 ハ長調 K.415が新曲でした。
すでに触れたように、この曲はピアノ・コンチェルト第11番 へ長調 K.413、第12番 イ長調 K.414との3曲セットで、それは「予約演奏会」用でした。
「予約演奏会」とは、フリーターとなったモーツァルトが、自分が主催して開いた私的な演奏会で、切符は本人によれば1枚6ドゥカーテンということで、だいたい8万円くらい?といった相場でした。
高いようでもありますが、買い手は貴族や富豪ですし、今でも有名なオーケストラの来日公演の切符も数万円はしますから、まあ妥当なのかもしれません。
事実、当初はあっという間に売れたということですから。
しかし、新聞広告まで出して期待した楽譜販売の方は、予約が集まらず、出版は延び延びになって、結局相当安価で手放さざるを得ないことになります。
やはり、当時の聴衆は、曲そのものより、モーツァルトの生演奏の方をもてはやしていたといえます。
楽譜を買っても、モーツァルトのように弾ける人などほとんどいなかったわけですから。
モーツァルトの頃に、せめてレコードでも発明されていたら、彼が貧窮に苦しむことなどなかったでしょう。
ハイドンも、モーツァルトの死後に、彼の演奏を回想して『モーツァルトのピアノ演奏を忘れることができない。それは、心に響くものだった。』と涙ぐんだといわれています。
しかし、モーツァルトは、自分の曲が一般家庭でも広く楽しんでもらうことを望んでいました。
モーツァルトはあくまでも、自分のたぐいまれなる才能は、演奏よりも作曲にある、と信じていたのです。
モーツァルトの演奏を聴くことのできない後世の我々からみれば当たり前のことですが、当時の音楽消費者とは明らかにズレがあります。
この3曲のピアノ・コンチェルトの楽譜出版を予告する新聞広告には『これらの曲は管楽器を含むオーケストラによって伴奏されるが、管楽器抜きの弦4部でも演奏可能』と書かれています。
つまり、弦楽四重奏だけでピアノ・コンチェルトが楽しめる、というのです。
実質、ピアノ五重奏曲。ということになります。
そして、いずれの曲も、モーツァルトの手紙に『難しいのと易しいのとのちょうど中間のもの』とあるように、親しみやすく、かつ中身の濃いものを目指しているのです。
つまり、演奏会でヒットさせたあとに、各家庭に広がっていくよう、普及を狙っていました。
オペラ『後宮からの誘拐』をすぐにブラスバンドに編曲したのと同じです。
これらの曲は、この後に続くピアノ・コンチェルトの名曲群に比べると評価は軽く、初期の作品だから、ということで片付けられがちですが、モーツァルトがウィーンの聴衆を相手に、緻密にマーケティングし、コンセプトを練って、戦略的にプロモーションを行った曲群なのだということを踏まえて聴くと、また違った味わいを感じられると思うのです。
ここでは、オーケストラ版と、室内楽版の両方を聴き比べてみたいと思います。
まずは第11番のオーケストラ版です。
オーケストラ版
作曲順では第12番 イ長調の方が先といわれていますが、まずは通番通りに第11番から聴いていきます。管楽器は、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2です。
モーツァルト『ピアノ協奏曲 第11番 へ長調 K.413 (387b)』
Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.11 in F major , K.413 (387b)
ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ指揮 フライブルク・バロック・オーケストラ
フォルテピアノ:クリスティアン・ベズイデンホウト
Gottfried von der Golts & Freiburger Barockorchester
Fortepiano : Kristian Bezuidenhout
第1楽章には珍しい3拍子です。親しみやすく、単純とも思える導入は、まさに聴衆に平易に伝わるように、という配慮です。ピアノはどこまでも優しく、そして華麗に流れていきます。後半、ピアノが突然の転調をすると、オーケストラも激しく切り込んでいきます。こうした強弱のメリハリが聴衆を飽きさせない工夫のひとつです。平易に入りながら、聴いていくうちに高度になっていくのは、モーツァルトの言う、音楽通を満足させ、通でない人も、なんだか理由が分からないまま満足してしまう、という狙い通りです。カデンツァはモーツァルト自身の作が残っており、ここでも演奏されています。
第2楽章 ラルゲット
牧歌的でのどかなラルゲットです。低弦のピチカートに乗ったテーマが、ピアノ独奏に受け継がれます。ピアノと弦のささやき合いが、まるで恋人同士のようです。短調にゆらめいていくのも、実に色っぽく、夢のような楽章です。ここにもモーツァルト自身のカデンツァが残されています。
第3楽章 テンポ・ディ・メヌエット
典雅なメヌエットのテンポで歌われる、とてもおしゃれで粋な楽章です。まさに都会の響きです。着飾った人々が集まった豪華なホールをほうふつとさせます。優雅な主旋律に、低弦が対位法的な旋律を合わせてくるところなど、まさに〝通をうならせる〟箇所といえます。コーダも、さりげなく、小さい音で終わるのも、モーツァルトのニヤッとしたドヤ顔が目に浮かびます。
続いて、弦楽四重奏で家庭で演奏されたヴァージョンです。古楽器演奏の巨匠でヴァイオリニストにして指揮者のシギズヴァルト・クイケン(第1ヴァイオリン)と、ピアノはそのふたりの娘による演奏です。第11番はマリー・クイケン、第12番と第13番はヴェロニカ・クイケンが演奏したディスクです。ちなみに、第2ヴァイオリンのサラ・クイケンも娘で、ヴィオラのマーレ―ン・ティアスはシギズヴァルトの妻です。つまり、この家庭用の曲を、まさに家族を中心に演奏しているというわけです。音楽一家の奇跡的な1枚です。なお、バスはチェロではなく、オーケストラの代わりということでコントラバスを使っています。チェロだと、ピアノの左手とユニゾンでかぶってしまいがちなので、モーツァルトも推奨したと思われる適切な措置といえます。楽譜には「バス」としてあるだけなので、チェロともコントラバスとも指定はありませんが。
モーツァルト『ピアノ協奏曲 第11番 へ長調 K.413 (387a)』
Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.11 in F major , K.413 (387a)
シギズヴァルト・クイケン(第1ヴァイオリン)&ラ・プティット・バンドのメンバー
Sigiswald Kuijken & La Petite Bande
フォルテピアノ(シュタイン製の複製):マリー・クイケン
Fortepiano : Marie Kuijken
第2楽章 ラルゲット
第3楽章 テンポ・ディ・メヌエット
続いて、前々回、コンサートの中ですでに取り上げた第13番の同じクイケン・ファミリーによる演奏も掲げておきます。
モーツァルト『ピアノ協奏曲 第13番 ハ長調 K.415 (387b)』
Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.13 in D major , K.415 (387b)
シギズヴァルト・クイケン(第1ヴァイオリン)&ラ・プティット・バンドのメンバー
Sigiswald Kuijken & La Petite Bande
フォルテピアノ(シュタイン製の複製):ヴェロニカ・クイケン
Fortepiano : Veronica Kuijken
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 ロンド:アレグロ
次回はピアノ・コンチェルト3部作の残り、第12番 イ長調です。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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