前回まで、バッハの無伴奏チェロ組曲を取り上げましたが、今回から、バッハの無伴奏、いやバッハ芸術の極致というべき、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータをご紹介します。
バッハの天才が最も力強く発揮され、壮大にして深遠、華麗にして神秘といわれる曲です。
作曲はケーテン時代の1720年といわれています。バッハが楽譜を清書した年ですので、もっと古い時期の可能性もありますが、ブランデンブルク協奏曲第4番をはじめ、ヴァイオリン曲の傑作を次々に生み出した時代です。
無伴奏の意図は前回ご紹介しましたが、チェロ組曲と同様、長い間、練習曲、あるいは伴奏を欠いた不完全な曲とみなされてきました。
バッハを19世紀によみがえらせたメンデルスゾーンでさえ、この曲に伴奏をつけ、出版までしています。メンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルト(いわゆる〝メンコン〟)を初演したヴァイオリニスト、フェルディナント・ダーフィト(1810-1873)も、この曲を親友メンデルスゾーンの伴奏つきで演奏し、その演奏を聴いたシューマンも〝それによってこの曲は楽しく聞けるものになった〟と評しています。
この曲が、無伴奏だからこそ価値がある、ということに気づきいたのは、そのダーフィトの弟子、こちらはブラームスの親友だった名ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)でした。
彼は、バッハの自筆譜と向き合い、頑としてこの曲を無伴奏で弾き、その素晴らしさを示すとともに、自筆譜の校訂、出版を行ったのです。以後、この曲に余計な伴奏がつけられることはなくなり、その真価が正しく世に伝えられたのです。
ストイックなまでに求道的な音楽
それにしても、メロディラインしか弾けないはずの1台のヴァイオリンで、ハーモニーが奏でられるこの曲は、奇跡としか言いようがありません。
楽譜には、3つや4つの音を同時に奏でるような指示がありますが、無茶もいいところです。
これについて、曲弓という特別な弓を使ったのだ、という説もありますが、今では、分散和音として弾くのが正しい、という解釈が主流です。
バッハは、合奏だったらこうなる、という形を示し、それにできる限り近い演奏を1台のヴァイオリンに求めたのです。
なんというストイックな芸術でしょうか。
なぜ、そこまで1台のヴァイオリンでしなければならないのでしょうか。
しかし、だからこその深い感動をこの曲は与えてくれるのは間違いありません。
それは、極限まで無駄な装飾を排し、素朴なしつらえに最高の美を見出した千利休の茶道と同じ精神なのかもしれません。あるいは「禅」「剣」「書」の三道か。
質実剛健なドイツ人気質には、かつての日本人の精神にも通じるものがある気がします。
いずれにしても、気軽なBGMとしてではなく、居ずまいを正して向き合わなければならない音楽のように感じるのです。
曲の構成
この曲は、ソナタとパルティータがセットになり、それが3つあります。
すなわち、下記のように計6曲あるわけです。
ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002
ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003
パルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004
ソナタ 第3番 ハ長調 BWV1005
パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006
ソナタはこれまでもコンチェルトなどで出てきたバロック時代の緩ー急ー緩ー急の4楽章から成る「教会ソナタ」で、パルティータも同様に、舞曲の集まりです。
しかし、古い出版譜では、この曲集は〝3つのソナタ〟と題されており、パルティータはソナタの付属品のような扱いでした。
その流れで、今でもソナタとパルティータがセットで奏されます。
今回はそれぞれの第1番を聴きます。
バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ト短調 BWV1001
J.S.Bach : Sonata for Violin Solo no.1 in G minor, BWV1001
演奏:ジギスヴァルト・クイケン(ジョヴァンニ・グランチーノ製バロック・ヴァイオリン使用/1700年頃ミラノ)Sigiswald Kuijken
トッカータ風の、華麗にして深遠な走句から始まります。ジブリ映画『耳をすませば』で、雫が聖司にヴァイオリンを弾いてみせて、とせがみ、彼が音合わせのように弾いて雫の度肝を抜くのが、このフレーズです。分散和音で、単色の中に表情が豊かに展開します。
第2楽章 フーガ(アレグロ)
94小節にも及ぶ3声のフーガで、とても1台のヴァイオリンで弾いているとは思えません。このような難曲を、バッハ以外に当時弾ける人がいたのだろうか、ということが研究者の中での長年の疑問になっていますが、この曲の写譜はかなりの数が残っていて、意外と普及し、愛奏されていたことをうかがわせます。テーマは簡潔で、思わず口ずさみたくなります。
シチリア島起源の、ゆっくりとした、のどかな風情の田園舞曲です。前楽章までの緊張感が緩み、ホッとさせてくれます。
第4楽章 プレスト
分散和音で飾られた、組曲の終曲であるジーグを思わせる軽快な楽章です。
バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第1番 ロ短調 BWV1002
J.S.Bach : Partita for Violin Solo no.1 in H minor, BWV1002
ドゥーブル
このパルティータでは、全ての楽章(舞曲)に、ドゥーブルという装飾変奏がついていますので、外見上は8楽章になっています。このアルマンドはフランス風序曲のような付点リズムで始まります。荘重なリズムの中に、明るい光も差し込んで、スケールの大きな曲になっています。ドゥーブルは、前曲の楽節や和音のコードを維持しながら、多彩な変奏を行っています。
ドゥーブル
クーラントにはゆっくりしたフランス風と、速いイタリア風がありますが、ここでは前半のクーラントがフランス風、ドゥーブルがイタリア風になっており、その対比が楽しめるようになっています。
ドゥーブル
重音奏法を駆使し、1台のヴァイオリンとは思えない深く充実した響きが心に響きます。ドゥーブルでは、重音を解体して分散和音にしているので、その効果、音色の違いがよく分かります。
第4楽章 テンポ・ディ・ボーレア
ドゥーブル
なぜかバッハはイタリア語でボーレアと書いていますが、フランス語のブーレ―の方をバッハよく自身も使っているので、ちょっと不思議です。何か意図があるのでしょうか。また通常、組曲のトリはジーグですが、ブーレーになっているのも異例です。一説では、このパルティータでは全ての楽章に変奏のドゥーブルを置いていますが、ジーグでは変奏がしにくいからだ、と言われています。親しみやすいメロディです。ドゥーブルでは、それが楽しく駆け回り、華やかに曲を締めくくります。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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