孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

サリエリが嫉妬した神の声。モーツァルト『13管楽器のためのセレナード 変ロ長調 K.361(370a)〝グラン・パルティータ〟』

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謎の大曲 

前回まで、皇帝ヨーゼフ2世の肝いりでウィーンで大流行した管楽器のバンド〝ハルモニームジー〟の曲を2曲聴きましたが、モーツァルトにはさらに、標準的な8人の編成を拡大した大曲があります。全7楽章で、演奏時間は50分以上になります。

それが、13管楽器のためのセレナード 変ロ長調 K.361(370a)です。後世、フランス語で〝大組曲〟を意味する〝グラン・パルティータ〟と呼ばれました。

編成はなんと、オーボエ2、クラリネット2、バセット・ホルン2、ホルン4、ファゴット2、コントラバス計13人です。

8人のハルモニームジークは、低音を担当するファゴットが弱いのが弱点で、モーツァルトファゴットのパートをユニゾンにしたりして強めているのですが、これだけの編成となるともはや無理なので、弦楽器であるコントラバスの力を借りています。それでも〝13管楽器のセレナード〟と呼ばれています。

作曲時期は、自筆譜に1780年という書き込みがあるため、長年そうとされてきましたが、これはモーツァルトとは別人が書いたものであることが判明し、今では、様式的にも早くても1782年以降の作曲と考えられています。

作曲のきっかけですが、ヨーゼフ2世が結成した宮廷ハルモニームジーク団のクラリネット奏者で、モーツァルトに大きな影響を与えた、アントン・シュタードラーのコンサートのためというのが有力です。

1784年3月23日のウィーンの音楽新聞に、『本日シュタードラー氏が音楽アカデミーを開催します。ここでとりわけモーツァルト氏作曲による特別の種類の大管楽器作品が演奏されます』との広告記事が載っており、実際にこのセレナードのうち4楽章が演奏されたとのことです。

このコンサートを聴いたある評論家は、シュタードラー氏のクラリネットを、これまで聴いたことがない、とほめたたえ、モーツァルトの作品についても、すばらしく感動的だった、と書き残しています。

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バセット・ホルン

バセット・ホルンとは

この曲には、バセット・ホルンという聞きなれない楽器が含まれています。

これは18世紀後半にだけ存在した楽器で、19世紀以降は使われなくなってしまいました。

〝ホルン〟という名がついていますが、クラリネットの仲間です。

ただ、クラリネットはA管とB管ですが、バセット・ホルンはF管とG管で、クラリネットよりも低音が拡充されています。

モーツァルトはこの楽器を愛し、オペラで使ったり、いくつかの曲を作っており、特にフリーメイソンにまつわる曲で活躍させています。

シュタードラーは、のちにクラリネットもバセット・ホルンと同じ音域になるよう改造し、モーツァルトはその〝シュタードラーの楽器〟のために、クラリネット五重奏曲クラリネット・コンチェルトを書いています。この楽器は後に〝バセット・クラリネット〟と呼ばれました。

シュタードラーが演奏するクラリネットやバセット・ホルンは、まるで人間の声のようだったと言われています。

クラリネット属は高音と低音の音質が違うのが魅力で、低音は前進となる楽器の名から、特に〝シャリュモー〟と呼ばれており、モーツァルトもそれをこよなく愛したのです。

この大曲では、高音のメロディーと中低音が醸し出す深いハーモニーが、味わうポイントなのです。

サリエリの嫉妬

映画『アマデウスは、ピーター・シェーファーによる戯曲が元になっていますが、いずれもモーツァルトに対するアントニオ・サリエリの嫉妬がメインテーマになっています。

ウィーンの楽壇ですでに確固たる地位を占めているサリエリは、名声も身分も不安定なモーツァルトをライバル視する必要はないのですが、彼の音楽の素晴らしさを知ってしまい、自分の楽才が遠く及ばないことを思い知らされます。

その最初の出会いの曲が、このグラン・パルティータの第3楽章アダージョなのです。

映画では、ウィーンに滞在中のザルツブルク大司教の館の音楽会に招かれたサリエリが、モーツァルトとはどんな人物なのだろう、あれほどの才能は見た目に表れるのか…?と思いながら、数ある列席者を眺めています。

そんな中、サリエリが大好きなスイーツが別室に運ばれるのを見て、部屋にこっそり入り、つまみ食いをしていると、そこにふざけ合う男女が入ってきます。

それが、モーツァルトと恋人のコンスタンツェ。

とっさに身を隠したサリエリに気づかず、モーツァルトはコンスタンツェに下品で幼稚な冗談を言ってふざけています。

サリエリはむろん、それがモーツァルトとは思わずあきれていましたが、ふと音楽が遠くで鳴ると、モーツァルトは『俺の曲を勝手に始めやがった!』と真剣な顔になり、走って大広間にかけつけ、指揮を交代します。

それを苦々しく見る大司教。あとから入室したサリエリは、この素晴らしい音楽を書いたモーツァルトが、この下品な小男だと知り、あ然とするのです。

戯曲では、サリエリは回想として次のようなセリフを吐きます。

それから演奏がすぐに始まりました。厳粛な変ホ長調アダージョでした。導入部は単純でした。ファゴットとバセット・ホルンの低い調子はまるでオンボロのアコーディオンを思わせました。突然、オーボエの高い旋律が加わってきました。それは私の耳にしっかりとついて離れず。胸を刺し貫き、息が詰まるほどだった。アコーディオンはうめき声をあげ、それにかぶせて高音楽器がむせぶような調べを奏で、音が矢のように私に降り注いできた。そしてその音は苦痛となって私に襲いかかったのです。主よ、お教えください!あの音の中にあったもの、あれは何なのです?満足できるようなものでないにもかかわらず、聞く人を満足させずにはおかないあの音、あれは主よ、あなたの思し召しなのですか?あなたのものなのですか?

突然私は、恐ろしさにぞっとしました。私はたった今、〝神の声〟を聞いたのではないか。そしてそれを産み出したのは〝けだもの〟ではないか。その声を私は既に聞いている、猥褻な言葉を平気でわめく子供のようなあの声!*1

サリエリは、神は不公平だ、敬虔に神を信じる私には才能を与えず、よりにもよってあの下品な男に、あなたの声を現世に伝える役目を与えるなんて…!と神を呪い、悪魔の手先となって神の寵児モーツァルトを滅ぼしてやる、と誓うのです。

サリエリモーツァルト毒殺説をふくらませたフィクションですが、まさにこのアダージョは、この場面にぴったりの選曲で、素晴らしい演出です。

映画の場面はこちらです。


Amadeus 1984 (Mozart talking backwards)

モーツァルト:セレナード 第10番 変ロ長調 361(370a)〝グラン・パルティータ〟

W.A.Mozart : Serenade in B flat majior, K.361(370a) “Gran partita”

演奏:フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 シャンゼリゼ管弦楽団  

Philippe Herreweghe&Harmonie de l'Orchestre des Champs-Elysées 

第1楽章 ラルゴーモルトアレグロ

まずはゆったりとした序奏。12の管楽器による素晴らしい和音で始まり、クラリネットが抒情豊かに歌い始めます。まさに大曲の幕開けにふさわしい、気高くもあり、また優しくもある開始です。そしていよいよ主部。クラリネットオーボエの旋律楽器が元気よくリードして走り出し、分厚い中低音楽器たちがそれに深みを与えて追いかけ、めくるめく色彩豊かな世界を現出します。展開部では、陰影も醸し出しながら、各楽器たちの掛け合いが繰り広げられます。

第2楽章 メヌエット

ふたつのトリオを持つ、大規模なメヌエットです。落ち着いて気品あふれるメヌエットに続き、第1トリオでは、本日の主役、クラリネットとバセット・ホルン各2本が鳥のさえずりのようにさわやかに歌います。静寂の森に響くようなその音色は時に神秘的ですらあります。第2トリオでは、オーボエファゴットが主役。哀調を帯びたト短調ですが、決して悲しくはなく、皆がはしゃぐお祭りの中、ふと我に返ったようなシリアスな表情が絶妙です。 

第3楽章 アダージョ

いよいよ『アマデウス』の曲です。サリエリが評した〝オンボロのアコーディオン〟の伴奏で始まり、突如、オーボエが天から降りて来て〝神の声〟を歌います。単調でつまらない曲と思わせ、突如意表を突くような美しいメロディが響くという、まさに天才の技です。繊細な旋律はその後も変幻を極め、ひとつの物語を紡ぎだすかのようです。サリエリならずとも、ただただ、うっとりと聴き惚れてしまう音楽です。

第4楽章 メヌエット

再びふたつのトリオを持つメヌエットですが、より元気いっぱいです。トゥッティの和音の深みにはしびれるばかりです。第1トリオは、ヘ短調ですが、場末に流れる昭和歌謡のような哀愁があります。第2トリオは、一転、オーボエ、バセット・ホルン、ファゴットがこの上なく楽しい歌を奏でます。

第5楽章 ロマンス:アダージョ

ロマンスは、ピアノ・コンチェルト 第20番 ニ短調の第2楽章のように、その名の通りロマンティックな音楽に、途中激しい嵐のような中間部のある音楽です。この楽章も、始まりはまるで、きれいな夕焼けを遥かに眺めわたすかのような気分です。中間部は、ふと、心配ごとを思い出してしまったかのような胸騒ぎの音楽ですが、ほどなく、元の静謐な心境に戻ります。なんとかなる、うん、なんとかなる。

第6楽章 テーマと変奏:アンダンテ

この上なく素晴らしい、主題と5つの変奏曲です。変奏が進むごとに、各楽器たちが次々と交代で主役を務め、それぞれに特色ある音色の魅力を、思う存分ふりまいてくれます。ゆったりと散歩をするような親しみやすいテーマが、まさに変幻自在、時には楽しく、時にはシリアスに展開していきます。最終変奏はまるで遊園地にいるような楽しさで、メリーゴーランドに乗っているような気分になります。

第7楽章 フィナーレ:モルトアレグロ

能天気とさえ思える、屈託のない華やかなフィナーレです。映画『アマデウス』では、第3楽章の途中でいきなりこのフィナーレに結びつく編曲がなされています。これでもか!というようなダメ押しのコーダは、最初聴いたときには思わずのけぞってしまいました。どこまでも意表を突く天才です。モーツァルトのピアノ・コンチェルトは、フルーツのように瑞々しい管楽器とピアノの掛け合いが魅力ですが、この曲ではフルーツのみの盛り合わせで、管楽器の使い手、モーツァルトの技を思いっきり堪能できます。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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