前回まで取り上げたモーツァルトのオペラ『後宮からの誘拐』は、モーツァルトの婚約者、コンスタンツェと同名のヒロインだったり、囚われの身から婚約者を助け出す、というストーリーも、実際モーツァルトは婚約者を束縛していた母から引き離すことに苦労するなど、偶然にも実生活とリアルにパラレルなものだったので、モーツァルトは格別の思い入れを込めたオペラでした。
また、モーツァルトの父レオポルトは、コンスタンツェとの結婚に猛反対。
これも、オペラのヒーロー、ベルモンテが、父の仇敵、太守セリムに許しを懇願する姿とかぶります。
オペラの終幕の大団円で、太守セリムはついに、寛大にもふたりの解放を許します。
これこそ、モーツァルトが求めてやまない、父の赦しでもありました。
オペラは初演後も熱狂的な好評が続き、8月6日には、オペラ改革の旗手として音楽史上に大きな足跡を残し、今は功成り名遂げてウィーンの皇室作曲家に収まっているグルック(1714-1787)の要請により特別公演が行われ、この老大家を感激させました。
グルックは翌々日にはモーツァルトを自宅に招待して食事を振る舞い、モーツァルトはそれを自慢げに父に報告しています。
父からの困った頼みごとから生まれた曲
さて、『後宮からの誘拐』の上演で連日忙しい7月、父レオポルトはモーツァルトに頼みごとをします。
それは、地元ザルツブルク市長の息子、ジークムント・ハフナー2世が貴族に叙せられることになったので、その祝典のためのセレナードを急ぎ作曲して欲しい、というものでした。
かつて、このハフナー氏の婚礼に際して書いたのが、以前取り上げた『ハフナー・セレナード K.250』です。
www.classic-suganne.com
このときモーツァルトは多忙の極みで、前回の曲を使って欲しい、といったん断るのですが、地元の名士との関係を重視した父は、あくまで新作を所望します。
モーツァルトは、父に結婚を許してほしい、ということもあり、しぶしぶ引き受けます。
しかし、さすがに速筆の彼も、一度には書けず、出来た楽章から順に送っています。
なかなか楽譜を送れない理由として、こんなことを父に書き送っています。
今は仕事をたくさんかかえています。来週の日曜までに、ぼくのオペラを吹奏楽に編曲しなければなりません。でないと、だれかが先を越して、ぼくの代わりに儲けてしまいます。それに新しい交響曲も1曲書かなければなりません!どうすればそんなことができましょう!そんなようなものを吹奏楽に直すのが、どんなにむずかしいことか、お父さんには信じられないでしょう。吹奏楽にぴったり合って、それでいて効果が失われないようにするなんて。そこで、夜はそのために使わなければなりません。そうでもしないと、どうにもなりません。そして、最愛のお父さん、これはお父さんに捧げます。郵便のたびに何かをお届けします。そして、できるだけ速く仕事をします。急ぎはしても、せいぜい良く書きます。(1782年7月20日 父宛)*1
これも以前ご紹介したように、6名程度の管楽アンサンブル(ハルモニームジーク)は、当時大人気でした。そして、劇場でのヒット曲を街角や自宅やパーティーで気軽に楽しめる手段でもありました。
著作権の確立していない当時、編曲はやったもん勝ちでした。場合によっては、オペラの作曲以上に儲かったのです。
モーツァルトがあせるのも無理はありません。
せっかくの苦労の果実を半分以上、とんびにさらわれるようなものですから。
しかし、現在、その編曲の楽譜が残されていません。ただ、ここまで書いていたモーツァルトが断念したとは思えず、写しと思われるものも近年発見されています。
ただ、それがモーツァルト自身の編曲かはわからず、学者たちが再現を試みています。
そのうちの1曲を掲げます。当時のウィーンの街角でモーツァルトの曲がもてはやされている雰囲気をしのぶことができます。
演奏:アマデウス管楽合奏団 Amadeus Winds
作曲のバーターで結婚許して!
さて、父からの頼まれごと、ハフナー家用のセレナードは、7月中の約束でしたが、7月27日の手紙には、こう書かれています。
大好きなお父さん!
最初のアレグロしかお目にかけないので、びっくりなさるでしょう。でもほかに仕方がなかったのです。急いでナハトムジークをひとつ、といってもただの吹奏楽用に(さもなければお父さんのためにも使えたでしょうが)、書かなければならなかったので。31日の水曜日に、2つのメヌエットとアンダンテとフィナーレを、できれば行進曲も、お送りします。できない場合は、ハフナー音楽の行進曲を使っていただかなければなりません。これは、お父さんの好きな二長調で書きました。
ぼくのオペラは、すべてのナンネルに敬意を表して、昨日3度目の上演が行われ、大いに喝采を博しました。劇場は恐ろしい暑さにもかかわらず、またしても破裂しそうなくらい一杯でした。次の金曜にまたやるというのですが、ぼくはそれに抗議を申し込みました。このオペラをもみくちゃにされたくないからです。世間の人たちはこのオペラに夢中になっている、と言えましょう。こんなに喝采を受けるのは、やはり気持ちのいいものです。これの原譜を確かにお受け取りのことと思います。
最愛の、最上のお父さん!どうぞ、後生ですから、ぼくが愛するコンスタンツェと結婚できるように、ご同意ください。これがただ結婚のためだけだ、などとはお考えにならないでください。そのためだったら、ぼくは喜んで待ちもしましょう。でもぼくは、それがぼくの名誉、ぼくの恋人の名誉、そしてぼくの健康と心の状態のためにどうしても必要だということが、分かるのです。ぼくの心は落ち着かず、頭は混乱しています。こんな時に、どうして気の利いたことを考えたり作ったりすることができましょう?これはどこから来るのでしょうか?たいていの人は、ぼくたちはもう結婚したものと思っています。母親はそれでぷりぷり怒っているし、哀れな娘は、ぼく同様に、死ぬほど悩まされています…(略)(1782年7月27日 父宛)
後半は、結婚になかなか同意を与えてくれない父への懇願になっています。
父は、息子がオペラの成功にいい気になればなるほど、心配でした。
父の耳には、ウィーン楽壇ではモーツァルトの成功が嫉妬の的となり、そのイキがった傍若無人ぶりが大顰蹙をかって、多くの人を敵に回している、と聞こえていたのです。
そんな環境で、しかもいわくつきの家の娘と結婚して、定収入もないフリーターのままで家庭を営むなんて、父から見れば正気の沙汰ではありませんでした。
ついにモーツァルトは、父の許しを待たず、8月4日に結婚式を挙げてしまいます。
待ちに待った父の同意書が届いたのはその後でした。
父から依頼の音楽については、5つの楽章を順に送り、どうにかこうにか、8月7日に全ての楽譜を送り終えました。
最後の楽譜には、演奏上の注意として『最初のアレグロは火のように激しく突き進み、最後の楽章はできる限り速く演奏しなければなりません』とコメントがありました。
父は、結婚については大いに不服でしたが、音楽の出来栄えには満足したと伝えられています。
自分の作った曲を忘れている!?
さて、年が明けて、モーツァルトは、3月にブルク劇場でコンサートを開くことになり、その演目のひとつのシンフォニーにするため、ハフナー家のために父に送ったセレナードを返送してもらうように頼みました。
モーツァルトは、送られてきた楽譜を見て、興奮して父に次のように書き送ります。
『新しい「ハフナー・シンフォニー」にはまったく驚きました。これには言う言葉もありません。この曲はすばらしい効果を発揮するでしょう。』
モーツァルトはなんと、自分が作った曲をすっかり忘れていたのです。
先の手紙にあるように、超多忙の中で、父からの矢の催促と、結婚許可がもらえない焦りの中、〝ぼくの心は落ち着かず、頭は混乱しています。こんな時に、どうして気の利いたことを考えたり作ったりすることができましょう?〟という極限状態の中で書きなぐるようにできた音楽のはずですが、その出来栄えの素晴らしさに、まるで他人の仕事のように感心しているのです。
これが、モーツァルトのシンフォニーの中でも人気の高い、交響曲 第35番 ニ長調〝ハフナー〟なのですが、モーツァルトの後期シンフォニー6曲の最初を飾る、画期的な作品です。
斬新で、底抜けに元気よく、生き生きとしていて、まさに生命感にあふれた名曲です。
私は小学生の頃、父が友人からもらってきた何枚かのレコードの中に、トスカニーニのハフナーがあり、これが私の中でモーツァルトの先入観的イメージを形成する、原体験となりました。
当時の私はベートーヴェンの重厚な曲が最高と思っていましたので、モーツァルトは軽いな、という感じを持ちましたが、その軽さも決して嫌いではありませんでした。
しかし、モーツァルトのほかの曲を聴くようになるには、映画『アマデウス』との出会いを待つことになります。
まずは、モーツァルトの古楽器演奏ブームの起爆剤となった、ホグウッド&アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックの演奏を聴きましょう。
モーツァルトは父から送り返された楽譜をウィーンのコンサートで演奏するにあたり、フルートとクラリネットを追加しましたが、これは追加前の第1版で、オリジナルの響きです。
第2版は次回ご紹介したいと思います。
W.A.Mozart : Symphony no.35 in D maior, K.385〝Haffner〟
クリストファー・ホグウッド指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック
Christopher Hogwood & Academy of Ancient Music
第1楽章 アレグロ・コン・スピーリト
モーツァルトはこの楽章を〝火のように激しく〟演奏しなければならない、と父に書き送っていますが、その冒頭は、ドの音が一気に2オクターブも跳躍するという、異常なものです。今聴いても度肝を抜かれますから、当時だったらどんなに衝撃だったでしょう。しかも、ユニゾンの単旋律。これは、ウィーンで出会ったバッハやヘンデルの音楽から学んだ、独立したメロディーを組み合わせる、ポリフォニー的展開をこの曲でやろうとすることを意味します。鋭い付点、緊張感あふれる休止は、後の〝プラハ・シンフォニー〟につながっていきます。続くマーチのリズムは、モーツァルトがこの後書く、ウィーンでの一連のs晴らしいピアノ・コンチェルトでも多用されます。まさに〝モーツァルト印〟としてウィーンの人々に印象付けたでしょう。そこから、祝祭的な気分を盛り上げていきますが、ただ元気なだけではなく、洗練された香りを感じます。展開部では、一転暗い短調の森に入り、そこで冒頭のテーマがポリフォニックに楽器たちに受け継がれ、妖しい影にゆらめくさまは、まさに奇跡で、後年の〝ジュピター・シンフォニー〟を予告します。まさに、新しい時代の到来を告げるシンフォニーです。
第2楽章 アンダンテ
セレナードの趣き深い、牧歌的な楽章です。私は子供の頃、このレコードを梅雨の時期に聴いたのを覚えていて、昼下がりの雨だれの音が心の中でマッチするのです。展開部では、ハーモニーの色合いが繊細に変化してゆき、胸がいっぱいになります。
きりッと居ずまいを正した、アクセントのしっかりした力強いメヌエットです。トリオでは第2ヴァイオリンと木管が穏やかな響きを奏でます。モーツァルトは父から依頼されたセレナードには〝2つのメヌエット〟があると書いています。しかし、これをシンフォニーに再編したときにはメヌエットは1つになっていて、もう一つのメヌエットは失われたと考えられています。ただし、モーツァルトの言う〝2つ〟は、メヌエット部分とトリオ部分を指すのであって、曲は最初から1曲だった、という説もあります。
第4楽章 フィナーレ:プレスト
モーツァルトが〝出来る限り速く演奏するように〟指定したこのフィナーレは、同時期のオペラ『後宮からの誘拐』の世界そのままです。第1テーマはオスミンのアリア『ははは、勝ったぞ!』から取られたものです。第2テーマも、序曲の変形です。極限状態の中での作曲で、モーツァルトは気合を入れて作ったオペラのエキスを、この楽章に凝縮したのです。まるでディズニーワールドにいるようで、わくわくします。ティンパニ轟く、エキサイティングなフィナーレです。
次に、私のモーツァルト原体験、懐かしいトスカニーニの演奏も掲げておきます。巨匠アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)が、自身のために編成されたNBC交響楽団と1946年に録音した演奏です。
古楽器演奏にこだわっている私ですが、このような往年の名録音も、まさに後世の規範となる古典、クラシックであり、今では聴くことのできない、レトロな魅力がたまりません。
まさに、モーツァルトが望んだ、火のように情熱的な演奏です。
W.A.Mozart : Symphony no.35 in D maior, K.385〝Haffner〟
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
Arturo Toscanini & The NBC Symphony Orchestra
第1楽章 アレグロ・コン・スピーリト
第2楽章 アンダンテ
第4楽章 フィナーレ:プレスト
次回は、このシンフォニーが演奏された、1783年3月23日のブルク劇場における、オール・モーツァルト・プログラムのコンサートを再現します。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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