ヨーロッパ中の王侯がマネをしたフランスの宮廷文化
これまで〝ベルばら音楽〟として、リュリからラモーに至るフレンチ・バロック(フランス古典音楽)を聴いてきました。
太陽王ルイ14世が確立したフランスの絶対王政と、それをビジュアル的に具現化したヴェルサイユ宮殿と、そこで繰り広げられる、諸芸術に彩られた宮廷生活、文化は、ヨーロッパの諸王侯の憧れとなり、彼らは競ってその真似をすることになりました。
中でも、文化的な後進国であり、また、政治的にもまとまっておらず、独立した君主国の集まりだったドイツでは、王侯たちが自らの権威を競っていました。
その権威とは、フランス王ルイ14世が手にした、軍事力と並んで、文化力に倣うことだったのです。
そのため、ドイツ諸侯に雇われた音楽家たちは、フランス音楽をその宮廷で作曲、演奏することが求められました。
その切磋琢磨から、音楽先進国のフランス音楽と、イタリア音楽のいいとこどりをした、最高のドイツ音楽が興隆していきます。
フランス音楽の代表は、リュリのフランス・オペラであり、これまで聴いてきたように、王が劇場に入場するときに奏された、緩ー急のフランス風序曲がその象徴でした。
この序曲に、オペラのバレエ曲の抜粋である舞曲を何曲か組み合わせた「管弦楽組曲」が、フランス音楽の典型となりました。
これらの組曲は、すべてあわせて〝序曲(ウヴェルチューレ)〟と呼ばれ、定番となり、ドイツのあらゆる音楽家がこの形式で作曲しました。
バッハ、ヘンデル、テレマンetc...
これから、それらドイツ人が作ったフランス風序曲を聴いていきたいと思います。
ヘンデルの『王宮の花火の音楽』
最初は有名な、バロック音楽の定番曲、ヘンデルの『王宮の花火の音楽』です。
これもフランス風序曲の形式をとっています。
ヘンデルはドイツのハレで生まれ、若くしてイタリアに留学、名声を得て、ドイツのハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長となりました。
しかし、楽長の仕事はさぼって、英国のロンドンでオペラを上演し、大人気を得ていました。
しかし、よりによって不義理をした主君のハノーヴァー選帝侯ゲオルクが、英国王に即位してジョージ1世となります。そのご機嫌を取るために『水上の音楽』を作曲したというのは有名な逸話ですが、これは今では否定されています。
ともあれ、優雅な宮廷文化とは無縁な英国にとって、大陸のフランス、イタリア両先進音楽を自在にあやつれるヘンデルは、王室、貴族、市民いずれにとってもこの上なく頼りになる存在だったのです。
最後は英国に帰化し、英国人として亡くなり、栄光のうちにウェストミンスター寺院に葬られます。
国王と国民、お互いに無関心…
時代は、ジョージ1世の息子、ジョージ2世の御代です。
スチュアート朝がアン女王で断絶し、女系の血縁によってドイツから迎えられたハノーヴァー朝の国王たちは、もともとがドイツ人で、英語もろくに話せませんでした。
政治にも無関心だったため、英国で議会制民主主義が発達した、というのは有名な話です。
そんな国王には国民も無関心でした。当時の国民にとっては、国王など誰でもよかったのです。女系継承で君主が国民の支持を得るのは、歴史的には並大抵のことではないのです。
そんな折、英国は、これも国民のほとんど関心のない戦争を戦っていました。これまでも何回か触れたオーストリア継承戦争です。
ほとんどの国民は、国が誰を相手に、何のために戦っているのか、理解していませんでした。
そんな中、自ら出陣したジョージ2世が、大砲の音に驚いた乗馬が敵中に走りこんだお陰で、戦いに勝利します。デッティンゲンの戦いです。
これには英国民は狂喜し、ジョージ2世は初めて、人気者となることができました。
その勝利を祝うため、ヘンデルが『デッティンゲン・テ・デウム』を書いたのは以前ご紹介しました。
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国王の思いつきイベント
その後、8年に及んだこの泥沼の戦争は、1748年10月7日にアーヘンの和約で終結しました。
しかし、どの国も〝勝った〟と主張しているようなあいまいな終わり方だったので、国民の盛り上がりも今一つでした。
自ら戦ったジョージ2世としては、それに不満で、英国の勝利をはっきり国民に示すため、盛大な 「平和条約祝賀行事」をやろう!と思いつきます。
イベントは、正式に講和が宣言される翌年の1749年2月のあと、4月に予定されました。
そして、会場となるヴォクソールのグリーンパークに、巨大な木造パビリオンの建設が始まりました。
それは、古代建築に範をとったパラーディオ様式で造られ、中央に勝利のアーチ、周りにはギリシャ式の柱廊、ポセイドンやマルスといった神々の像、そして、英国を擬人化した女神ブリタニアに〝平和〟を手渡している国王ジョージ2世の巨大な像が配置されました。
そして、イベントでは盛大な花火とともに壮大な音楽を演奏することになり、それがヘンデルに依頼されたのです。
国王の〝思し召し〟に逆らうヘンデル
ヘンデルが以前、プリンス・オブ・ウェールズの結婚祝賀のために作曲したオペラ『アタランタ』の中の花火の音楽は、その後、花火大会の定番のBGMとして使われていて、すでに〝花火といえばヘンデル〟でした。
このイベントは、元祖〝音と光のページェント〟で、ジョージ2世は、建設途中のパビリオンを何度も見に行くほどの熱の入れようでした。
国王は、ヘンデルの音楽にも注文をつけ『弦楽器を使わず、軍楽器の吹奏楽だけで行うように』との意向を示しました。その方が勇ましく、戦勝記念にふさわしい、と考えたのでしょう。
しかし、ヘンデルはそれでは音量、音質ともに不足と考えたのか、どうしても弦楽器を加えるべき、と言って譲りません。
間に挟まった大臣は、ヘンデルの頑固さにいらだちます。
花火の責任者、火砲長官モンタギュー公爵の書簡です。
ヘンデルは今、12本のトランペットと12本のホルンだけの使用を考えているものと思われる。当初はそれぞれ16本の予定だったし、私からも陛下にそう申し上げたことを覚えている。陛下は、そのとき、そういった音楽には反対の意向だった。しかし、軍楽も多く使用されることになっている、と申し上げると、陛下は大いに悦ばれ、ただし、ヴァイオリンは使用しないようにとの希望を述べられた。ヘンデルはといえば、トランペットその他の数を減らし、ヴァイオリンを使用するつもりになっていた。陛下がこのことを耳にすれば、さぞ気を悪くされることは疑いようがない。ことが確実に陛下のお気に召すように運ぶためには、軍楽の楽器だけで編成すべきなのだ。そうでない限り、陛下の不興を買うことは目に見えている。したがって、ヘンデルは、ヴァイオリンを削除しないにしても、トランペットやその他の軍楽の楽器をできる限り増やした方が良いし、また、そうすべきだと確信している。ただ、彼はけっしてそれを聞き入れないと思うのだが。この2週間に、陛下がこのような意向を漏らされたということを、私はつい最近、信頼できる筋から聞いたので、こんな話をするのである。*1
モンタギュー公爵は、さらに後日、別な書簡でブチ切れています。
今朝、国王は光栄にも私に花火のことで声をかけられた。その話の中で陛下はヘンデルの序曲のリハーサルはいつかと機嫌よく尋ねられた。そこで私は、それについてはヘンデル氏が異議を唱えており、何も申し上げられませんとお答えした。(中略)今のところヘンデルはそれをヴォクソールで行うことを拒否している。陛下は、これについてはヘンデルに非があるとお考えのようである。私も全く同感だ。彼の序曲が演奏されようとされまいと、そんなことはどちらでも構わない。他の作品にも容易にとって代えられるのだから。ヘンデルの作品が演奏されない理由を陛下に知っていただければ私は満足なのだ。ヘンデルもその理由を知っている。リハーサルをヴォクソールで行うことが人々にとって大きな利益となり、また、倹約にもなるのだから、もし彼が陛下にお仕えしようという熱意を、それとは反対の行為、つまり、リハーサルをそこで行わないという行為によって示そうとするのであれば、もう彼の序曲に完全に見切りをつけ、他の曲の使用を考えようと思う。*2
ずいぶんとモメにモメたようですが、最終的にはヘンデルは国王の意向に従い、増強した吹奏楽で演奏することに決定しました。
それはトランペット9本、ホルン9本、オーボエ24本(!)、ファゴット12本、ティンパニ3対という編成でした。
ただ、自筆譜には、オーボエとファゴットに弦楽器を重ねるという指示が書き加えられているのです。さらに後から、最後のメヌエットだけその指示が外され、管楽器だけになっており、色々モメたあとがうかがえます。
リハーサルは100人のオーケストラだったという記録がありますから、実際の演奏ではヘンデルは弦楽器を加え、最後の楽章だけ国王の意向に従って、お茶を濁したのかもしれません。
4月21日に実現した公開リハーサルには、なんと1万2千人以上が詰めかけ、ロンドン橋は馬車の渋滞で3時間にわたって通行止めとなった、ということです。
残念な結果に終わった本番の花火
そして迎えた、4月27日の本番。
当日の段取りは、王室火砲係の記録によれば次のようなものでした。
『ヘンデル氏によって作曲された軍楽の楽器による壮大な序曲ののち、合図が出され、それから101発の王室の礼砲とともに花火がはじめられる』
しかし、実際にはそのようには運びませんでした。
ヘンデルの演奏ののち、礼砲まではうまくいったのですが、花火はどうしたわけか一向に始まりませんでした。
間が悪いので、ヘンデルがもう一度演奏を繰り返したところ、ようやく花火が打ち上がり始めました。
しかし、観衆が歓声を上げたのもつかのま、また再び沈黙。そのうちに木造のパビリオンに火が付き、国王の像も含めて焼け落ちてしまったのです。
当時の証言です。
ロケット花火や、空中に打ち上げられたものはすべて非常にうまくいった。しかし、回転花火やその他肝心な部分を構成している花火のすべては情けないほどうまく作動せず、炎の色や形が変化しなかった。花火の光も貧弱で、点灯が緩慢なために最後まで忍耐強く待つ者はほとんどいなかった。その上、右側のパビリオンに火がつき、ショーの真っ最中に焼け落ちてしまった。このことも全体の不手際に拍車をかけた。(ウォルポールの手紙)*3
国王がこの結果にどんな感想を持ったのかは記録がありませんが、責任のなすり合いが続いたということです。
一連のパビリオンを設計し、イベントをプロデュースしたフランス王室の舞台芸術家、ジョヴァンニ・サルヴァンドーニは、花火の現場責任者である「戦いと勝利のための陛下の花火監督官」チャールズ・フレデリックに対し、剣を抜いて詰め寄ったとのことです。
もうすぐ夏が来ますが、今でも花火大会は期待が大きいだけに、花火師たちは相当な緊張を強いられるでしょうから、当時、技術が未発達な中で奮闘した担当者たちは気の毒な気もします。
ともあれ、ヘンデルの音楽そのものは好評だったはずです。
ヘンデルは1ヵ月後、自身が理事に就任した捨子養育院の礼拝堂を完成させるための資金を得るために、建設途中の礼拝堂で行ったチャリティーコンサートで、この『王宮の花火の音楽』を演奏しました。
この時には、ヘンデルが理想とした、弦楽器を加えたオーケストラ編成で演奏され、今も一般的にはそのスタイルで演奏されています。
折しも、ドーバー海峡の向こう岸、旧敵国のフランスでも、講和記念オペラ『ナイス、平和のためのオペラ』がラモーによって上演されたのは先述しました。
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それでは、『王宮の花火の音楽』を聴いていきましょう。
全5曲の組曲で、壮大なフランス風序曲に続き、舞曲のほか、「平和」「歓喜」と題された表題音楽も含まれます。締めは、お約束のメヌエットです。
ヘンデル『王宮の花火の音楽』HWV351
George Frideric Handel: Music for the Royal Fireworks
演奏:ホルディ・サヴァール指揮 ル・コンセール・ナシオン
Jordi Savall & Le Consert des Nations
軍楽隊の小太鼓のドラムロールから始まる演奏が多いですが、この演奏では出てきません。フランス風序曲の「緩」の部分です。朗々と鳴るトランペット、それに呼応するオーボエ。これ以上壮麗な音楽はないでしょう。どこまでも雄大、広壮な序曲で、まさに野外ページェントの幕開けにふさわしい曲です。
重々しい付点リズムによって王の威厳を示すという、フランス風序曲の様式を、さらに効果的にしたといえますが、英国とフランスの決定的な違いは、この曲を真に楽しんだのは、国王ではなく、市民だったということです。
国王も、自分の戦勝をアピールするために作らせたわけですが、その目的は、市民を喜ばすことにあったのです。
いよいよ、もったいぶった導入によって、「急」の部分に入っていきます。この演奏では、ここでドラムロールでつないでいます。
トランペットの軽快なファンファーレに、オーケストラが呼応し、それがひとつになって音楽史上最高ともいえる盛り上がりを繰り広げます。
私はこの曲を初めて聴いたとき、これでもか!というたたみかけに、思わずのけぞったのを覚えています。これを表面的な虚飾、ととらえる向きもありますが、この生気に満ちた音楽に元気をもらわない人がいるでしょうか。自筆譜には、戦い風に、と書かれていますので、ラモーの『ナイス』序曲と同様に、戦いを表していると考えられます。
途中で冒頭の「緩」の部分が入り、さらに「急」が回帰して、壮大に曲を締めくくります。
序曲の興奮冷めやらぬ中、フランス様式の壮麗な舞曲ブーレーが続きます。2分の2拍子の速い楽章で、初演版では木管だけで作曲され、まさに前曲の盛り上がりを冷ます役目だったと考えられます。前半と後半に分けられていて、それぞれ反復の指示がありますが、オーケストラ版では、2度目は逆にオーボエとファゴットは無しで、と注記されており、ヘンデルの本来の意図がうかがえて興味深いです。
第3曲 ラ・ペ(平和)
フランス語で「ラ・ペ」(平和)と題されている、表題通り穏やかな音楽です。形式としてはシチリアーナ舞曲であり、牧歌的なホルンが平和な雰囲気を醸し出しています。田園=平和というイメージは当時から定番でした。
第4曲 ラ・レジュイナンス(歓喜)
この曲もフランス語で「ラ・レジュイナンス」(歓喜)と題されています。フランスとの戦勝を記念した式典で、フランス語で題された曲を演奏するのも異様な気がしますが、このイベントのプロデューサーもフランス人であり、こうした式典そのものがフランスからの輸入だったわけで、英国には無い文化だったのです。
曲は3回反復され、オーケストラ版では1度目はトランペット、打楽器と弦、2度目は木管とホルンだけ、3度目は全員で演奏されます。だんだんと盛り上げて歓喜を演出しようとしたヘンデルの意図が明らかで、ヘンデルが国王に逆らってまで弦の使用にこだわった理由が分かります。
組曲の締めの定番、メヌエットです。第1メヌエット、第2メヌエット、第1メヌエットのダ・カーポという構成です。第1メヌエットは、トランペットを始めとする全楽器に小太鼓が加わり、国王が望んだ軍楽の雰囲気たっぷりに仕上げています。宮廷舞曲の面影はない、壮大な音楽です。
第2メヌエットは、オーボエと弦が物悲しい旋律を奏で、実質的にはトリオの役目を果たしています。そして、第1メヌエットの回帰で、組曲を盛大に締めくくります。最初に第1メヌエットを持ってこず、この曲を第2メヌエットとしている演奏もあります。
サヴァールの演奏動画です。
Handel Music for the Royal Fireworks Jordi Savall Le Concert des Nations
また、国王の意向に従った、管楽器のみの初演時を再現した演奏もあります。古楽器で24本のオーボエをそろえるのは大変でしょうから、貴重な演奏といえます。
グリーンパークに実際に鳴り渡った響きはおそらくこちら、というわけです。
演奏:トレヴァー・ピノック指揮 イングリッシュ・コンサート
この動画は、フランスの世界遺産シャンボール城にて、実際に野外で花火と一緒に行われた演奏会です。編成は、当時の同じ規模になっていますが、初演はここまで見事ではなかったでしょう。前半は水上の音楽です。
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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