ギネス記録を持つ作曲家、テレマン
ドイツの作曲家が作ったフランス風序曲を聴いていますが、今回はヘンデルに続いて2人目、ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)です。
このブログでは初登場となります。
バッハ、ヘンデルの4つ年上になりますが、両者ともに親交がありました。
ヘンデルとは大学時代(ライプツィヒ大学)の友人で、生涯を通じて手紙のやりとりをしていました。
バッハの次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの名づけ親にもなっています。
当時としては異例の、86歳まで長生きしたこともありますが、老いても創作意欲は衰えず、現存している曲だけでも3600曲、失われた曲も含めれば4000曲は下らないだろう、といわれています。
そのため、〝クラシック音楽の分野で、最も多くの曲を作った作曲家〟としてギネス世界記録に登録されています。
〝最上の〟テレマン、〝凡庸な〟バッハ
近年、古楽ブームで人気が上がっているものの、後世ではバッハやヘンデルより評価は低く、ポピュラーではありません。
しかし、当時はその人気と名声はヨーロッパ随一と言われていました。
ドイツ北部の町マクデブルクに生まれ、北ドイツを中心に活躍し、40歳以降は亡くなるまで、ハンブルクの音楽監督を務めました。
ライプツィヒの音楽監督(カントル)が亡くなったとき、市の評議会が後任として白羽の矢を立てたのは、ハンブルクのテレマンでした。
しかし、テレマンが引き抜きに応じなかったので、ライプツィヒ市は〝やむを得ず〟バッハを採用することになったのです。
就任後、頑固で偏屈なバッハは市当局と衝突を繰り返し、市の評議員プラッツは、『最上の人物が得られないので、凡庸な人物を採るしかなかったのだろう。』とため息をつきました。
テレマンは一流の人、バッハは二流か三流の人、というわけです。
プラッツ氏は、この一言をつぶやいたために、歴史に名を残すことになりました。
さて、一流のテレマンの代表作のひとつが、この『水上の音楽〝ハンブルクの潮の満ち引き〟』です。
ヘンデルの代表作と同じく『水上の音楽 Wassermusik』と呼ばれていますが、それはハンブルクで行われた海の祭典用に作曲されたからです。
ハンブルクは、北部ドイツを代表する港湾都市ですが、海に面しているわけではなく、エルベ川を河口から100Kmも遡り、その支流アルスター川の河口に位置しています。
もともとは河口にあったのですが、中世初期にヴァイキングの襲撃を受け、防衛のため海辺を避けて内陸に移ったようです。
運河が張り巡らされ、商売、交易の中心地として栄え、中世後期には「ハンザ同盟」の中核都市のひとつとなりました。
神聖ローマ皇帝から自治や免税、数々の経済的、商業的特権を与えられた「帝国自由都市」として認められ、現在のドイツ連邦の中でも、ベルリンとともに、「自由ハンザ都市ハンブルク」として、都市でありながら州と同格の地位を与えられています。
少し話はそれますが、ハンブルクが、ハンバーグの語源であることはよく知られています。
アメリカに移ったドイツ系移民が故郷の味としてもたらし、アメリカ食文化の代名詞〝ハンバーガー〟になりました。
実は、その元となったハンブルクの料理は、火の通ったものではなく、生肉を刻んで香辛料を混ぜた〝タルタルステーキ〟でした。
〝タルタル〟は、〝タタール〟からきており、日本語では〝韃靼〟で、北方騎馬民族、主にモンゴルを指しています。
13世紀、アジアを席捲したモンゴル帝国が、チンギスハンの孫バトゥに率いられてヨーロッパに攻め入ってきて、ワールシュタットの戦いでポーランド・ドイツ連合軍が大敗、ヨーロッパ中が震え上がります。
戦後、バトゥは大ハーンの後継者争いで帰国したため、かろうじて征服は免れますが、モンゴル人の恐ろしさはヨーロッパ人に強烈な印象を残しました。
モンゴル軍は、馬肉を食べていましたが、乗馬用の馬の肉は固いため、細かく刻んで生のまま鞍の下に置き、柔らかくしていました。
それを牛肉で作ってみたのがタルタルステーキで、これが反対側の東に伝わったのが、韓国料理のユッケというわけです。
タルタルソースで食べるステーキ、ではないのです。
私も生肉料理が大好きなのですが、食中毒事件のため外食で提供禁止となったのが残念でならず、どうしても食べたいときには自作をしています。
新鮮なかたまり肉を選び、表面を強火でしっかり焼いて、焼けたところをそぎ落とせば大丈夫のようです。もちろん自己責任ですが。
生肉を細かく刻み、塩コショウ、オリーブオイル、玉ねぎ、ピクルス、ケッパーを混ぜ、卵黄を乗せて出来上がりです。
今回、ハンブルクゆかりのこの曲について書くにあたり、作って堪能しました。
新鮮な肉が無かったのか、食べやすくするためだったのか、タルタルステーキを焼いたのがハンバーグというわけです。
海軍鎮守府100周年記念〝海の組曲〟
港湾都市ハンブルクの交易を守るため、市は軍艦を保有しており、その司令部が海軍鎮守府です。
その任務は、船舶の護衛、港の管理、水先案内人の組織化、航路標識の制御、船舶保険の運用などで、ハンブルクの繁栄維持に無くてはならない組織でした。
1723年4月6日、ハンブルク海軍鎮守府設立100年記念祭が盛大に開催され、そこでテレマンが作曲、演奏したのが、この『水上の音楽』でした。
壮大なフランス風序曲から始まり、9曲の標題をもった舞曲が続く組曲です。
『ハンブルクの潮の満ち引き』は、そのうちの1曲なのですが、とても印象的なため、全体の曲を表す題名にもなっています。
この催しについて、当時の報道を引用します。
一昨日、4月6日の火曜日に、本共和国の誇る海軍鎮守府が、設立100年記念式典を挙行した。閉幕にあたり、たいそう美しく飾られた低木館に豪華な祝宴の席が用意され、そこに市長閣下、および海軍鎮守府と警護隊に関与されている顧問官諸氏、ならびに市の各界の長老、議員、商人といった方々が市当局の船長諸氏とともに招かれ、総勢37名が豪勢なもてなしにあずかった。この祝宴では、ギムナジウム正教授リッヒャイ氏の意味深い当世風の詩による素晴らしいセレナードが、音楽隊監督テレマン氏の美しい調べに乗せて歌われた。館の前に集まった海軍鎮守府の狩猟隊は、乾杯の歌、その音楽を勇壮に演奏し、港に停泊していた船も祝砲を撃ち鳴らしたり、あるいはまた三角旗や船旗を掲げて、祝賀のよろこびを表していた。(ハンブルク航海通信)
この序曲は、ここでいう「セレナード」に先立って演奏されたものであり、別の新聞では、次のように報じられています。
さらに、この記念祭に関していっそうの興味を持たれる読者諸氏のために、祝宴の際、セレナード以外にもテレマン氏によってこの記念祭用に作曲され、演奏された、器楽作品についても報告しておこう。その音楽に盛り込まれたすばらしいアイデアは、優美で意味深いのみならず、抜群の効果を持ち、この祝宴にきわめてふさわしいもであった。セレナードへの序曲となったこの作品では、まず静けさが、次いで波、そして海の嵐が描写されていた。(ホルシュタイン中立通信員の国家・学術新聞)
前掲の記事では、続いて各楽章について紹介されています。
各組曲には、ギリシャ神話に基づいた標題が付されており、登場するのは、テティス、ポセイドン、ネレウス、トリトン、アエロ、ゼフィロスといった、海にまつわる神々たちです。
これらの神々、すなわち自然がいざこざを起こすため、海軍鎮守府が設立されなければならなかった、という筋書きになっているのです。
この曲を聴いたハンブルクの市民は熱狂し、テレマンはその後も他の演奏会で繰り返し演奏しなければならなかった、ということです。
すべての曲が面白く、海の香りたっぷりで、今に至るまで古今の名曲として親しまれています。
Georg Philipp Telemann:Ouverture C-dur Wassermusik Hamburger Ebb und Flut
演奏:ラインハルト・ゲーベル指揮 ムジカ・アンティクワ・ケルン
Reinhard Goebel & Musica Antiqua Köln
第1曲 序曲
『静けさ、波立ち、荒れる海』という表題の付された、ヘンデルの『王宮の花火の音楽』にも匹敵する、大規模で充実したフランス風序曲です。
冒頭、静かな海を表した「緩」のゆっくりした付点リズムは、他の作曲家の序曲に比べ、典雅というより、優しさで満ちていて、テレマンの親しみやすさがよく出ています。王侯のいない共和都市ハンブルクの自由な雰囲気も表しているように感じます。
続く「急」のアレグロは、『波立ち、荒れる海』を表し、まさに海の嵐のごとく、息つく間もなく弦と管楽器が掛け合いを続けます。その楽しさといったらバロック随一と言っても良く、当時の人がテレマンに熱狂したのがよく分かります。まさに〝一流の人〟の仕事といっていいでしょう。
そのあと、「緩」「急」「緩」と繰り返されます。
序曲の興奮を冷ます、優雅なサラバンドです。テレマンといえば、リコーダー(ブロックフレーテ)の使用が絶妙なことで有名ですが、この曲でもその愛らしい響きが活躍します。
テティスは海の女神で、神話の中のアイドルのひとりです。古い海の神ネレウスの娘で、その美しさからゼウス(ジュピター)、ポセイドン(ネプチューン)たち大物の神々から求婚されますが、〝テティスから生まれた子供は父を凌駕するだろう〟という予言があったため、神々たちは結婚をあきらめ、人間の英雄ペレウスと結婚することになります。
しかし、人間との子は神のように不死ではないため、ペレウスとの間に生まれた子、アキレウスを、テティスは、地獄の川ステュクスの水に漬けます。しかし、そのとき赤ん坊のかかとを持っていた部分は水に触れず、そこだけ不死ではなくなりました。それが〝アキレス腱〟です。
そして、後に起こったトロイ戦争で、アキレウスは英雄として活躍しますが、ついにアキレス腱を矢で射られて命を落とすのです。
そんな悲劇は別として、ここでは美しいテティスが優雅に眠る場面を描写しています。
続くブーレーでは、テティスが目覚め、活動を始めるさまが描かれます。テティスは、多くの神々を助けたり、保護したりした快活で優しい女神であり、その目覚めは、海の穏やかな一日の始まりを表しているのです。ここでもリコーダーが活躍します。
第4曲 ルール『恋するポセイドン』
そんな、優しくて美しいテティスに恋する、海の支配者ポセイドンの切ない気持ちを表した舞曲です。ティティスとの間に生まれた子は『長じてゼウスの雷撃やポセイドンの三叉戟(トライデント)を越える武器を振るうだろう』と予言されたたため、口説くのを躊躇せざるを得ないのです。
第5曲 ガヴォット『踊るネレウスたち』
海の神と言われる神は何人もいるのですが、それぞれ性格が違っています。権力を握って海を支配しているのはポセイドンですが、ネレウスはそれよりも一世代前の古い神で、穏やかな内海を神格化したと言われ、荒ぶる神ポセイドンとは対照的です。女神テティスの父であり、〝海の老人〟とも称されます。時には優しく、時には恐ろしい海のさまざまな姿を表しているといえます。このガヴォットは短調で落ち着いており、老人が娘たちと踊っているような、家庭的な響きがします。
トリトンも海の神で、ポセイドンの息子です。ポセイドンと同じトライデントを持っていますが、人魚の姿で表され、深海からの使者とされています。ほら貝を吹いて波を荒立てたり鎮めたりし、若いイメージなので、この曲も子供が遊んでいるような風情に作られています。アルレッキーノとは道化という意味で、弦のピチカートがさざめく波を表わしています。ディズニー映画『リトルマーメイド』のトリトン王は、ポセイドンとキャラを重ねているようです。
第7曲 テンペスト『吹きすさぶアエロ』
アエロは神ではなく、ハルピュイアという女面鳥身の伝説上の生物です。疾風を意味し、穏やかな西風のゼフィロスとは異なり、厄介なつむじ風のようなイメージです。この曲はテンペスト(嵐)と題され、ラモーのオラージュと同様、吹きすさぶ海の嵐を描写しています。最初は弱く始まり、だんだんと風が強くなっていく様子がまさにリアルです。繰り返し部分は転調し、その展開は古典派を予告しています。
第8曲 メヌエット『快いゼフィロス』
ヨーロッパ人に心地良く、優しく吹く西風を神格化したゼフィロスは、多くの音楽に取り上げられてきました。トリオで響くリコーダーに癒されます。穏やかな春の海です。
第9曲 ジーグ『潮の満ち引き』
神話の世界は前の曲で終わり、現実の世界が表現されます。ジーグはアップテンポなダンスですが、それを使ってテレマンは潮の干満を見事に音楽化しているのです。最初は満ち潮で、沖からだんだんと潮が満ちていくさまがリアルに描かれます。2回繰り返したあと、今度は引き潮です。満ち潮の鏡のように逆さまになり、サーっと潮が引いていきます。川に面したハンブルクよりも、北海の遠浅のビーチをイメージしていると思われます。そのリアルさに、当時の聴衆は大爆笑し、拍手喝采したことでしょう。テレマンは知る由もありませんが、干満を撮ったビデオを早回しにしたら、この曲にぴったりなはずです。バロックの数ある曲の中でも、5本の指に入る珍曲だと思います。
第10曲 カナリー『愉快な船人たち』
カナリーは ジーグの一種です。船乗りたちの愉快な踊りでこの組曲は大団円となります。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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