孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

バッハが示したSDGsとは。バッハ:ロ短調ミサ 第3部『サンクトゥス』第4部『オサンナ』『ベネディクトゥス』『アニュス・デイ』『ドナ・ノビス・パチェム』

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バッハの自筆譜に書かれた「S.D.G.」

偉大なるミサの最終章

おかげさまで300記事目になりました。更新は遅々としておりますが、お読みいただいている方々に深く感謝申し上げます。

今回はバッハのロ短調ミサ最終回です。

異例の4部構成になっているこのミサ曲、第1部ザクセン選帝侯に〝お力添え〟を願うために1733年に捧げた「キリエ」「グロリア」

そして晩年の1740年代、これに書き足して、完全なミサ曲として後世に残すべく、まず第2部「ニケーア信条(クレド)」を完成。

このあとは、カトリックのミサ通常文の構成では「サンクトゥスとベネディクトゥス「アニュス・デイとドナ・ノビス・パチェム」の2部なのですが、「サンクトゥス」はバッハのお気に入りの旧作があり、これをアレンジして第3部としました。

それは、バッハがライプツィヒに来て2年目、1724年に作られたものでした。

ルター宗教改革に際し、カトリックのミサにおける犠牲の観念を否定し、聖餐式儀礼を排除しましたが、サンクトゥスは一部の言葉を代えて、プロテスタント典礼での使用を許しました。

それは、「天と地はあなたの栄光にあまねく満ちる」(pleni sunt caeli et terra gloria tua) となっているところを、「天と地は彼の栄光にあまねく満ちる」(pleni sunt caeli et terra gloria ejus) に書き換えるものです。

軽微な文言修正ですが、プロテスタントの教義では重要な変更でした。

バッハは当然このプロテスタント版の「サンクトゥス」を作曲したのですが、これを「完全ミサ曲」の一部としたときも変更せず、そのまま使いました。

そのため、ロ短調ミサはカトリック典礼でも使用できないものになってしまったのです。

「JJ」と「S.D.G.」

しかしこのことは逆に、バッハは新旧両派にこだわらず、キリスト教音楽の集大成を作ったのだ、という説を裏付けます。

カトリックのミサ曲では、「サンクトゥス」は「オサンナ」とセットですが、原曲には「オサンナ」がないため、旧作から新たに「オサンナ」「ベネディクトゥス」「アニュス・デイ」「ドナ・ノビス・パチェム」を作り、第4部としました。

このあたりの構成はどうもアンバランスな気がしますが、バッハが自身が自筆譜に1、2、3、4とナンバリングしているのですから、異論の余地はありません。

またバッハは、宗教曲、世俗曲を問わず、作曲で楽譜を書き始めるとき、冒頭に「JJ」と記しました。

これはJesu juva!(イエスよ、助けたまえ)」の略です。

そして、楽譜の終わりには「S.D.G.」と記しました。

こちらは「Soli Deo gloria(神にのみ栄光あれ)」の略でした。

いま、盛んに言われている「SDGs(持続可能な開発目標)」と意味深にかぶりますが、もちろん別物です。

ロ短調ミサはこのように、成立のバラバラな部に分かれていますが、「S.D.G.」が記されているのは、第4部の最後だけなのです。

バッハはこの曲の総タイトルはつけておらず、「ロ短調ミサ」というのも後世の呼び名ですが、当時としては全曲演奏し得ないこの大曲を、彼がひとつのまとまりと考えていたのは、これによっても明白です。

それにしても、後世まで永遠に、というこの曲に込めたバッハの思いに、偶然ではありますが、SDGsの精神が重なるように思えてなりません。

それでは、このミサ曲の最終章まで聴いていきましょう。 

バッハ:ロ短調ミサ BWV232 第3部『サンクトゥス』、第4部『オサンナ』『ベネディクトゥス』『アニュス・デイ』『ドナ・ノビス・パチェム』

Johann Sebastian Bach:Mass in B Minor, BWV232, Sanctus,Osanna, Benedictus, Agnus dei, Dona nobis pacem  

演奏:ジョン・バット(指揮)ダニーデン・コンソート&プレーヤーズ、スーザン・ハミルトン(ソプラノ)、セシリア・オズモンド(ソプラノ)、マルゴット・オイツィンガー(アルト)、トーマス・ホッブステノール)、マシュー・ブルック(バス)

John Butt & Dunedin Consort & Players

使用楽譜:ジョシュア・リフキン校訂ブライトコップ版/2006年

第22曲 サンクトゥス

6部合唱

聖なるかな聖なるかな聖なるかな

万軍の主なる神

天と地、彼の栄光に満つ 

原曲は、前述のように1724年のクリスマスに演奏され、ソプラノ3部とアルトという編成でしたが、ソプラノ2部、アルト2部、テノール、バスの6部の大合唱に編曲されました。ニ長調で、最初は『聖なるかな』の句が4/4拍子で繰り返されます。これは、聖書イザヤ書ヨハネの黙示録に書かれた、天使セラフィムがこの言葉を3回繰り返した、という記述に基づいています。楽器も3本のトランペット、3本のオーボエ、弦楽3部、3連音符という3づくしになっています。後半、最後の行が壮大なフーガになって神の栄光を讃えますが、これも3/8拍子で、まさに〝三拍子揃う〟曲になっています。

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『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より、パトモス島の福音書記者ヨハネの図。天の玉座の4隅に飛んでいるのがセラフィム
第23曲 オサンナ

4部合唱

いと高きところにオサンナ

引き続き3/8拍子、ニ長調で、神を讃える『オサンナ・イン・エクセルシス』が二重合唱です。この曲は聞き覚えのある方もおられるかもしれませんが、以前取り上げた、アウグスト3世の誕生日を讃えたカンタータ『おのが幸いを讃えよ、祝福されしザクセンの冒頭曲のパロディなのです。トランペットの名手ライヒェを喪った苦い思い出の曲でありますが、バッハが精魂込めて書いた思い入れのある曲なので、ここで〝殿堂入り〟させたのでしょう。

www.classic-suganne.com

第24曲 ベネディクトゥス

テノール

祝福あれ、主の御名により来る者に 

カトリックのミサでは、パンとぶどう酒がキリストの体と血に変わる秘儀「聖変化」の時間であり、どの作曲家も慈愛のこもったしっとりした楽章に仕上げていますが、バッハもロ短調、3/4拍子で、フルートの優しいオブリガートを伴った、しっとりとした味わいのテノールのアリアとしています。伴奏はフルートのほかは、ファゴットの加わらない通奏低音のみです。原曲があるかどうかは分かっていません。

第25曲 オサンナ(ダ・カーポ

4部合唱

いと高きところにオサンナ

第23曲のダ・カーポ(繰り返し)です。

第26曲 アニュス・デイ

アルト

神の子羊

御身、世の罪を除きたもう者よ

われらを憐みたまえ

ト短調、4/4拍子の、アルトの感動的なアリアです。静かにヴァイオリンの合奏が哀感に満ちたリトルネッロを語り出し、アルトが人類の罪の犠牲となった神の子羊(イエス)に思いを至らせます。『憐みたまえ(ミゼレーレ)』というフレーズが心に沁みわたります。原曲は諸説ありますが、現在では失われています。

第27曲 ドナ・ノビス・パチェム

4部合唱

われらに平安を与えたまえ

平和を願う賛歌です。ニ長調、4/2拍子で、第2部『グロリア』の第7曲『グラツィアス』が使われています。最後のシメの曲に、冒頭やこれまでの曲を回帰させる手法は一般的に使われており、これで、あり得ない規模のこのミサ曲は、音楽的にも一貫性、統一性をもち〝つながる〟わけです。ヴィヴァルディの『グロリア』しかり、またモーツァルトの『レクイエム』も、作曲途中で自身は世を去りますが、最後の曲には冒頭の曲を再度持ってくるように、死の床で弟子のジュスマイヤーに指示したといわれています。

平和を願う人々の声は、だんだんと広がってゆき、最後はトランペットを伴って、天にも届けとばかり盛り上がって、この偉大な曲を締めくくります。

ミサにおける平和の賛歌『ドナ・ノビス・パチェム』は、宗派を超えて人の胸に響きます。ベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』では、軍太鼓を響かせて生々しく戦争の描写がなされ、それをだんだんと平和を求める合唱が圧していきます。私はかつて湾岸戦争のとき、米軍がイラクに対し地上戦を開始した報を聞いていたたまれず、万感の思いでこの曲を聴いた覚えがあります。ほんの先週も、アメリカとイランであわや戦争か、という局面がありましたが、今度はこのバッハの曲を聴いて、平和を祈りました。人類が持続可能でありますように…

バッハがこのミサ曲をまとめたのは、死の前年か前々年、1748~1749年と考えられています。その時バッハは既に盲目だった可能性がありますが、クリスチャンのひとりとして、神へのこの上ない捧げものを完成した充実感で満たされていたことでしょう。

別宮貞雄先生の思い出

私は大学時代、幸運にも作曲家の別宮貞雄先生(1922-2012)の講義を受けることができました。ちょうど昨日がご命日でした。

その講義は、西欧音楽の歴史を、中世初期のグレゴリオ聖歌から説き起こし、バッハを終着点とするものでした。

それまで、バッハといえば作曲家の中では最も古い人で、それ以降、綺羅星のごとく大作曲家たちが輩出するわけですから、〝音楽の父〟と呼ばれていることもあり、バッハは西洋音楽のスタートラインくらいに思っていました。

それだけに、バッハは到達点、という内容には衝撃を受けましたが、講義が進むうちに、バッハ以前にあまたの偉大な作曲家、楽派があり、その成果が全てバッハの音楽に流れ込んでいることを実感し、心の底から感動しました。

ベートーヴェンの『バッハはbach(小川)ではない、大海だ』というダジャレの真意を実感したのです。

学生の間ではこの講義は〝眠気に耐えてグレゴリオ聖歌さえ聴いていれば単位がもらえる〟と、別な意味で人気の科目でしたが、私としてはかけがえのない学びでした。

本来、とてもバッハについて語る資格などないのですが、思いだけこのブログに綴っている次第です。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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