
牙をむく真夏の太陽
ハイドンのオラトリオ『四季』の5回目、第2部『夏』の続きです。
前回、夜明けに荘厳に昇り、いのちのみなもとと讃えられた真夏の太陽は、中天に向かうにつれ、その威力が逆に生きとし生けるものを圧迫しはじめます。
まさに大自然の恵みは、災いと裏表なのです。
第12曲のレシタティフでは、前半にシモンが、麦秋、すなわち初夏の小麦の収穫を描きますが、やがて弦が震え、干上がった大地を表現します。
ルーカスが憂いに満ちた調子で、容赦なく照りつける灼熱の太陽について、恨めしそうに語ります。
ルーカスは続く第13曲のカヴァティーネで、猛暑で生気を失った自然の万物のありさまを歌います。
その音楽の描写は真に迫っていて、うだる暑さにへたばる人、動物、植物が目に浮かぶようです。
さあ、暗い森に来ました!
人々が猛暑に嫌気が差した頃、音楽はすっきり爽やかな調子になり、ハンネが『さあ、暗い森に来ました!』と歌い出します。
そこは、大きな老樹が茂り、日の光も届かない暗い森の中。
小川に涼しいそよ風が吹き、まさに別天地!
現代で言えば、アスファルトの照り返しにへばり果てた末に、冷房の効いたデパートにたどり着いた、といったところでしょうか。
続くハンネの歌は、このオラトリオで初の、本格的なソプラノ・アリアです。
オペラであれば、メインの曲といったところ。
ハンネは、深い森での、血管が甦るかのような気持ちよさを、オーボエの心地よいオブリガートを伴って、まさに涼風のようにさわやかに歌い上げるのです。
本当に、高原に来たような気分になります。
ドイツは、まさに森の国です。
グリム童話にも、深い森の中で起こる不思議な出来事がたくさん語り継がれています。
それにインスピレーションを受けたディズニーの名作映画の数々も、森の描写が素晴らしいです。『白雪姫』『シンデレラ』『美女と野獣』『ラプンツェル』…
伝説をはぐくんだ神秘的なドイツの森に思いを馳せつつ、ハイドンの曲を味わいましょう。
ハイドン:オラトリオ『四季』第2部『夏』
Joseph Haydn:Die Jahreszaiten Hob.XXI:3
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団
John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists, The Monteverdi Choir
ソプラノ(ハンネ):バーバラ・ボニー Barbara Bonney
テノール(ルーカス):アントニー・ロルフ=ジョンソン Anthony Rolfe Johnson
バス(シモン):アンドレアス・シュミット Andreas schmidt
第12曲 レツィタティーフ
シモン(バス)
いまや、すべてのものが活動をはじめ
田畑は色とりどりに飾られている
日焼けした草を刈る人々たちのうえに
たわわな穀物の大波が傾いている
大きな鎌がきらめいて
穀物は地に落ち
またみるみる束ねられて
山のような収穫となる

ゴッホ『プロヴァンスの収穫』
シモン(テノール)
真昼の太陽は
いま灼熱して輝き
雲一つない空から
激しい炎となって
地上を照りつけている
日差しを浴びた平野には
陽炎がゆらめき
光と照り返しで
まるできらめく海面のようだ

前半は、シモンが、人々の勤労と自然の恵みの合作といえる、麦の収穫について語ります。しかし、それはサクッと終わってしまい、ルーカスが照りつける太陽を恨めしそうに歌い出します。この場面転換はまさに見事というほかなく、夜明けの太陽を歓迎した人々が一転、その威力に打ちひしがれるのです。
第13曲 カヴァティーネ
ルーカス(テノール)
自然は重圧にあえいでいる
花はしぼみ
草は枯れ
泉は干上がり
すべてのものが熱の猛威にやられて
人もけものも力なくやつれはて
地上に打ち伏している

ゴッホ『切られた4本のひまわり』
続くルーカスのカヴァティーネは、弱音器つきの弦で伴奏されますが、これは18世紀では弔いの音楽でした。日照りによってもたらされた死の世界を表現しているのです。そして、リズムは暑さに対する喘ぎを表します。なくてはならない太陽の恵みも、行き過ぎると災難となってしまうのです。今では、地球温暖化への警鐘の音楽として聴くべきでしょうか。
最後の2小節で弦は弱音器を外し、次なる舞台の変化を示します。
第14曲 レツィタティーフ
ハンネ
さあ、暗い森にきました
ここでは、年を経た柏の大樹が屋根となって
涼しい木陰を作っているし
優美なはこやなぎの葉が
ひそやかにささやいて鳴っています

やわらかい苔のあいだを
小川の澄んだ水がさらさら流れています
太陽の熱気でかえった幼虫が群れをなして
うれしそうにぶんぶん飛び回っています
かすかな西風が
まじりけのない草の芳香を運んできます
近くの草むらの陰からは
若い羊飼いの吹く芦笛の音が聞こえてきます

ウィリアム・ホルマン・ハント『雇われ羊飼い』
再び、場面が転換します。音楽は生気を取り戻します。それは、深呼吸をするように、まさに生き返った心地がします。このオラトリオで私がもっとも好きな瞬間です。
ハンネが、深い森の中に連れてきてくれたのです。自然は、酷暑の中にも、森という天然の冷房室を与えてくれました。老樹のたたずまい、木々の間を抜けるかぐわしくも涼しい風。ハイドンの音楽は、前の曲の耐えがたい暑さから、あっという間に爽やかな気分にしてくれるのです。
森の中には小川が流れ、そこには生まれたばかりの羽虫がぶんぶん群れていて、ハイドンはそんな小さな命の羽音もこまやかに音楽で描写しています。
最後にはオーボエが、羊飼いが木陰で吹く芦笛(牧笛、パンの笛)を奏でます。
第15曲 アリア
ハンネ(ソプラノ)
なんてさわやかなんでしょう!
なんて気持ちいいんでしょう!
さわやかな感じが
血管のすみずみを通り抜け
神経の末までも動かします
心は目覚めて
喜びの気持ちをよみがえらせ
胸のおだやかな鼓動から
新しい元気が湧きおこります

モネ『散歩、日傘をさす女性』
羊飼いの芦笛に伴奏されながら、ハンネが歌うのは本格的なオーボエとの協奏風アリアです。ソプラノとオーボエが名人芸を競い合い、夏の避暑地での行楽さながらに、さわやかな森の中で戯れます。
後半、歌はテンポアップし、さらに技巧を尽くした旋律で、蘇った心身いっぱいにあふれる生きている喜びを表現します。
この演奏での、バーバラ・ボニーの透明な歌唱は何ものにも代えられません。
波打つソプラノは、次の場面、嵐の到来を暗示もしているのです。
動画は、ベルギーのバート・ヴァイ・レイン指揮ル・コンセール・アンヴェルス、オクトパス・シンフォニー合唱団の演奏です。(第15、16曲)
Haydn The Seasons [HD] - Summer part 3: soul's refreshment
次回は夏の定番、嵐の到来です。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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