ふたたび冬がやってきた
ハイドンのオラトリオ『四季』の11回目、今回から第4部『冬』です。
『秋』で、盛大なワイン祭りがクライマックスで突然暗転するように締めくくられたあと、『冬』の陰鬱な序奏がはじまる場面展開は、全曲中でもっとも印象深い場面です。
序奏は『冬が近づき、どんよりとした雲がたれこめるさまを描く』と題されています。
豊かな収穫の秋、楽しいお祭りから一転、寒く厳しい冬がやってくる描写は、いきなり夢から現実に戻されるようですが、けっして嫌な感じは受けないはずです。
心が欲望にかられた高揚から覚めて、悟りの境地に鎮まるような思いになります。
続くレツィタティーフでシモンが、冬の霧に閉ざされた山や平野、あの夏の輝かしさを失い、弱った太陽の光を静かに歌います。
そして、厳しい不協和音が鳴り響き、ハンネが『北国ラップランドのほら穴から、厳しい冬がやってきます』と告げます。
ラップランドは、北欧の北極圏地域を差し、今のノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北部をまたがるエリアです。
そこにはサーミ人(サーメ人)と呼ばれる民族が住み、トナカイを飼い、独特の文化をもった生活を営んでいます。
かつてはラップ人と呼ばれていましたが、ラップランドという呼び方には、辺境として蔑視した意味合いが含まれているとして、民族の呼称としては今では使われていません。
確かに、ヨーロッパ人には、冬はラップランドのほら穴からやってくる、という認識があったのがこの歌詞からも分かります。
私はかつて、オーロラを見るためスウェーデン北部のラップランドを訪ねました。
まだ本格的な冬が来る前の秋だったため、森は黄葉で輝き、下草にはベリーが鈴なりになっていて、それをつまみながらのハイキングは最高でした。
さらに北にドライブすると、まさにこの世の果てのような荒涼とした光景が広がり、高緯度地方にいるんだということを実感しました。
夜、大空いっぱいに広がったオーロラは息を呑むばかりで、自分がいまいったいどこにいて何を見ているのか、分からなくなるような感覚に陥りました。
サーミの人々の生活文化にも感銘を受けました。ヨイックといわれる民族音楽、トナカイ肉の料理、そして、独立を求め、弾圧された歴史。
今ではサーミ人の生活地域はその文化と自然により、世界遺産に登録されています。
『四季』のこのくだりを聴くたびに懐かしく思い出し、またいつか、訪ねてみたいと思っています。
続いてルーカスは、凍りついた川や湖、滝、そして野を覆い谷を埋める雪といった、冬の荒涼とした死の風景を描いたあと、そこを旅するさすらい人のアリアを歌います。
音楽は切羽詰まった様子で、雪の中で道を喪い、絶望に苛まれた冬の旅人を描写します。
しかし、やがて音楽は好転します。
旅人は、遠くに小屋の明かりを見つけたのです。旅人は元気を取り戻し、一目散に小屋を目指していきます。
ハイドン:オラトリオ『四季』第4部『冬』
Joseph Haydn:Die Jahreszaiten Hob.XXI:3
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団
John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists, The Monteverdi Choir
ソプラノ(ハンネ):バーバラ・ボニー Barbara Bonney
テノール(ルーカス):アントニー・ロルフ=ジョンソン Anthony Rolfe Johnson
バス(シモン):アンドレアス・シュミット Andreas schmidt
第29曲 序奏(冬のどんよりとした雲がたれこめた様を描く)
シモン
いま、季節は色あせ
冷たい霧がおりる
灰色の霧が山を包み
ついに平野も霧に閉ざされる
昼だというのに、太陽は
どんよりとした光しか差しかけない
ハンネ
北国ラップランドのほら穴から
厳しい陰鬱な冬がやってきます
その冬の歩みの前には
自然も不安な静けさに凍りついてしまうのです
序奏はハ短調ですが、前曲のワイン祭りがハ長調でしたから、秋から冬の転換をハイドンも強調したかったのが分かります。弦の低いつぶやきが垂れ込める雲を思わせ、管楽器が降りてくる深い霧を描いているようです。陰鬱ではありますが、ずっと聴いていたいような心に沁みる音楽です。そのさまがまさに目の前に浮かぶような標題音楽を、ここまでうまく創り出したハイドンの天才に感じ入ります。
続くシモンのレツィタティーフでも、伴奏は同じ雰囲気で続きますが、ハンネのレツィタティーフで響く不協和音は衝撃的で、厳しい冬将軍が到来した現実を突きつけます。
第30曲 カヴァティーネ
ハンネ
光と命は衰え
暖かさと喜びはしぼんでしまいました
不機嫌な昼間に続いて
長い真っ暗な夜がやってきます
ハンネが歌うカヴァティーネは、短いながらも、とても味わい深いものです。歌詞は暗いですが、ヘ長調、ラルゴの静かな調子で、自然の定めは受け入れるしかない、という思いが伝わってきます。末尾の『長い真っ暗な夜がやってきます』は、歌詞通りに長く伸ばされ、午後にはすぐ暗くなってしまう冬のドイツが思い出されます。
ルーカス
広い湖も凍りつき
河も水の流れを止めてしまった
高い断崖にかかっていた滝も
おし黙って動かなくなった
枯葉の森には物音ひとつなく
不気味な雪は
野を覆い
谷を埋める
大地の姿はいま、まるで墓のようだ
生気と魅力は死に絶え
荒涼とした死の色があたりを支配し
見渡すばかり
寂しい荒野の風景が広がっている
テノールのルーカスが歌うのは、河、湖、滝、自然界のすべての水は凍りつき、深い雪が野山を埋める、不毛の冬の情景です。
第32番 アリア(テノール)
ルーカス
旅人がいまここで
どの方角に歩みを向けたらよいかと
途方に暮れて迷っている
むなしく道を探し求めているが
小道もわだちも見つからない
無駄な努力を続けても
深い雪のなかを歩くばかり
いっそう道に迷ってしまったと悟った
いまは勇気もくじけ
不安が胸を締めつける
日が傾くのを見て
疲れと寒さに
手足は凍えてきた
だが、あたりをうかがっていた彼の目が
とつぜん
ほのかな光のかげを近くにとらえた
彼はふたたび生気をとりもどし
胸は喜びに高鳴る
疲れと凍えを癒そうと
彼は進み、小屋へと近づいてゆく
ルーカスは、さらにドラマを展開させていきます。描くのは、吹雪の中で道を喪った旅人。ホ短調のプレストで始まり、不安定な音の運びが、旅人の焦燥と絶望を表現します。日は暮れかかり、天候も悪化するばかりで、手足は凍え、このままでは行き倒れるしかありません。
そのような極限の状況の中、音楽は突然明るいホ長調のアレグロに転換。旅人は、遠くに人家の明かりを見出します。歌はふたつのメリスマ(こぶし)で喜びを表しますが、2回目のメリスマにはこのオラトリオでのテノールの最高音が出て、助かった!という心の叫びを表現しているのです。
動画は、ベルギーのバート・ヴァイ・レイン指揮ル・コンセール・アンヴェルス、オクトパス・シンフォニー合唱団の演奏です。
第29曲 序奏とレツィタティーフ
Haydn The Seasons [HD] - Winter part 1: introduction
第30曲 ハンネのカヴァティーネ
Haydn The Seasons [HD] - Winter part 2: cavatina
第32曲 ルーカスのアリア
Haydn The Seasons [HD] - Winter part 3: completely lost in the snow
さて、小屋にたどり着いた旅人は、そこで何を見たでしょうか。それは次回で。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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