豊作の秋がきた!
ハイドンのオラトリオ『四季』の7回目、今回から第3部『秋』に移ります。
『秋』には、ネガティブな場面は一切なく、「収穫の季節」の喜びに満ちています。
序奏には『豊作への農民の喜びの感情』と但し書きがつけられていますが、その通り、ホッとするような、癒される音楽となっています。
村いっぱいに収穫物があふれ、人々が忙しそうに、しかし笑顔いっぱいで働いている様子が生き生きと目に浮かびます。
序奏が終わると、村娘ハンネ、若者ルーカス、農夫シモンがレツィタティーフで、自然の配剤で豊作となったことを告げます。
ひたすら勤勉に音符を書き続けた、ハイドンの人生
続いて3人は、頑張って働けば必ず自然はその努力に報いてくれるのだ、と、『おお、勤労よ、尊い勤労よ、勤労からすべての幸福が生まれる』と歌い、さらに合唱が和します。
例によって、台本作家兼プロデューサーのヴァン・スヴィーテン男爵が作った歌詞ですが、その詩的ではない素人台本に不平タラタラだったハイドンは、この歌詞に曲をつけろと言われて、こうつぶやいたと、伝記作家グリージンガーが記録に残しています。
『自分は生涯を通じて勤勉な人間だったが、こんなに音符をたくさん勤勉に書こうとは思ってもみなかった…』
ハイドンが、大ヒットしたオラトリオ『天地創造』の第2弾として『四季』の作曲を始めたのは1799年の9月。
翌1800年はほとんど1年をこの大作の作曲に費やし、さらに翌年、世紀をまたいで19世紀の最初の年、1801年4月に私演、5月に公開上演されます。
ハイドンは69歳になっていました。
彼は遅咲きの苦労人で、努力型の天才でした。
今に残っているハイドンの最初の作品はおそらく18歳くらいの時のもので、29歳のときにエステルハージ侯爵家の副楽長となり、34歳で楽長に昇進し、30年もの間、サラリーマンとして、それこそひたすら勤勉に仕えました。
34歳で本格的なキャリアをスタートさせたわけですので、モーツァルトが世を去った35歳のときには、著名な作品はまだほとんど生み出していません。
それどころか、今広く親しまれている作品のほとんどは、58歳でエステルハージ家を退職した後のものなのです。
それは、エステルハージ家でコツコツと様々な努力と工夫を重ねてきた成果が、定年退職後に一挙に実を結んだかのようです。
ハイドンは77歳まで長生きしたこともあって、50年以上、音符を書き続けることになったわけです。
巨匠が最後の力を振り絞って書いた『四季』
それにしても、スヴィーテン男爵に無理に促されて作曲を始めた大作『四季』は、さすがのハイドンも体に相当こたえました。
日に日に全ヨーロッパに広がる『天地創造』の評判、そして同時に高まる次回作への期待。それなのに、与えられた台本は不出来で、要求はムチャなものばかり。
しかも『四季』は、オーケストラだけでも弦4部にフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、ティンパニ、トライアングル、タンバリンという大編成で、さらに独唱3人に混声合唱4部。
そして、序奏、レツィタティーフ、アリア、合唱を取り混ぜて全39曲。
いったいどれだけのパート、どれだけの音符を書かねばならないのか。
70歳になろうという人に何という重労働をさせたものでしょう。
その精神的プレッシャーと身体的負担は想像を絶するものでしたが、巨匠ハイドンは残された力を振り絞って、『天地創造』に勝るとも劣らない傑作に仕上げたのです。
しかし、『四季』作曲後、ハイドンは頭痛熱に悩まされるようになり、体力、気力が一挙に衰えてしまいました。
『自分の想像力がいつも音符や音楽にかかりきっていることは大変な苦痛だ。』と手紙に書き、また、以前のようにスラスラと作曲ができなくなってしまったのを『こんなふうになってしまったのは「四季」の作曲のせいなのです。私はあの曲は書くべきではなかったのです…』と語りました。
ハイドン先生、そんなこと言わないで。この素晴らしい音楽が、どれだけの人々を楽しませてくれたことか…と伝えたいものです。
国策を反映した歌詞
さて、そんな勤勉な人に、『勤労は素晴らしい』という曲を書けというのですから、ハイドンが皮肉を感じたのも無理はありません。
しかも、〝みなさん勤労に励みましょう〟などという内容を、どうやって楽しめるように書け、というのでしょう?
日本国憲法でも、国民の三大義務として「勤労の義務」が定められていますが、この歌詞は、オーストリアの帝室司書官、いわば文部大臣であったスヴィーテン男爵が、国策として書いたものだったのです。
当時は列強が覇を競っていた時代。どの国も富国強兵策を採り、近代化を図っていました。
その代表は啓蒙専制君主であるプロイセンのフリードリヒ大王、そして彼に心酔し、同調したオーストリアの神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世(1741-1790)でした。
彼らは、農業の生産性を上げるためには、強制や搾取ではダメで、農民たちを啓蒙して愛国心を醸成し、自発的な生産意欲をもたせなければならない、という考え方でした。
そのため、ヨーゼフ2世も、農奴解放、封建的特権の撤廃など、自由主義政策を進めました。
彼は農村に行き、みずから率先して農耕に従事したくらいです。
そんなヨーゼフ2世は農民たちから人気があり、〝人民皇帝〟〝農民皇帝〟といったあだ名をつけられましたが、上からの改革にありがちな、現場の事情を無視した急進的な施策だったので、貴族や役人たちは面従腹背。なかなかうまくいきませんでした。
スヴィーテン男爵は、そんなヨーゼフ2世の片腕となって、文教面でドイツ国民としての一体感を醸成すべく、ハイドン、モーツァルト、そして晩年にはベートーヴェンといったドイツ人作曲家を積極的に保護、援助したのです。
貴重な遺産というべきバッハやヘンデルの音楽をウィーンの自邸で演奏して広めたのも、ドイツ音楽を興隆させる取り組みの一環です。
男爵は芸術面まで口出しをしてハイドンたちを困らせたものの、クラシック音楽への貢献度はズバ抜けているのです。
男爵自身は自分を素人と思っておらず、シンフォニーを8曲も作曲していました。
しかしグリージンガーからは『それらは、彼自身と同じように堅苦しい』と評され、お役人の限界はあったようではありますが。
勤労感謝音楽?
『四季』が作曲された頃は、ヨーゼフ2世が失意のうちに世を去ってから10年ほど経っていましたが、スヴィーテン男爵はその遺志を継いで国民を啓蒙するべく、勤労を讃える歌詞を書いたのです。
『四季』が宮廷で初めて上演された1801年5月24日、皇帝フランツ2世の皇后、マリア・テレジア(女帝とは別人)は、自ら合唱に加わってソプラノパートを歌ったということです。
日本にも「勤労感謝の日」がありますが、もともとはその年の収穫を天皇が神に感謝する「新嘗祭」を祝日にしたもので、戦後に名前が変えられました。
何を祝ったらいいのかあまりピンとこない祝日ではありますが、その趣旨は、毎日の食べ物を生み出してくれる農業従事者の労働と、大自然に対する感謝であり、まさにこの曲の歌詞と同じなわけです。
ただ、サラリーマンの身としては、労働は尊い、という歌を聞かされても、ハイドンと同じようにため息が出るばかりですが、ハイドンが苦心してつけた音楽の素晴らしさには圧倒されます。
気の進まない仕事も、引き受けたからには完璧に仕上げる、プロの矜持そのものといえます。
ハイドン:オラトリオ『四季』第3部『秋』
Joseph Haydn:Die Jahreszaiten Hob.XXI:3
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、モンテヴェルディ合唱団
John Eliot Gardiner & The English Baroque Soloists, The Monteverdi Choir
ソプラノ(ハンネ):バーバラ・ボニー Barbara Bonney
テノール(ルーカス):アントニー・ロルフ=ジョンソン Anthony Rolfe Johnson
バス(シモン):アンドレアス・シュミット Andreas schmidt
第19曲 序奏(豊作への農民たちの喜びの感情)とレツィタティーフ
ハンネ(ソプラノ)
はじめに、春が
花を咲かせて約束し
つづいて、夏が
暑さで実りを命じたものが
いま、秋が
喜び勇む農夫に
豊かにその姿を示しています
ルーカス(テノール)
農夫はいま
車にうず高く積み上げられた
豊かな蓄えを運び入れる
畑からの刈り入れで
広い納屋にはすき間もない
シモン(バス)
農夫は積み上げられた収穫を
晴れ晴れとしたまなざしで見回して
胸いっぱいにこみあげる喜びを味わう
序奏はト長調で4分の3拍子、アレグレットのメヌエットです。途中短調の影も差しますが、のどかで幸福感いっぱいの音楽です。暑い夏は終わりを告げ、涼やかな秋風が劇場いっぱいに吹き渡るような思いがします。
序奏に導入されたレツィタティーフでは、ハンネ、ルーカス、シモンが次々と、秋の豊作を報告します。歌詞はいささか理屈っぽさが否めませんが、爽やかな気分が続きます。
第20曲 三重唱と合唱
シモン
こんなにも自然は
勤労に報いてくれた
自然は勤労を求め
ほほえみかけ
希望をもたせて励まし
快く力を貸し
精いっぱい働いてくれた
ハンネ、ルーカス
おお、勤労よ
おお、尊い勤労よ
勤労からすべての幸福が生まれる
ハンネ
おまえは美徳をはぐくみ
粗野な振舞いを和らげてくれます
ルーカス
おまえは悪徳を防ぎ
人の心を洗い清めてくれる
シモン
おまえは勇気と心を強め
善意とすべての責任感を与えてくれる
ハンネ、ルーカス、シモンと合唱
おお、勤労よ
おお、尊い勤労よ
勤労からすべての幸福が生まれる
さあ、ハイドンはこの〝文部科学省推奨〟〝教育委員会推薦〟的な歌詞に、どんな音楽をつけたのでしょうか。
弦が軽やかに刻む中、木管たちが楽し気に呼び交わします。そして農夫のシモンが、山盛りの収穫物を前に、自分の勤労に自然はこんなにも報いてくれた、と満足気に歌います。
ハンネ、ルーカスが続き、勤労の徳を讃えます。
この単調な歌詞を面白くするために、ハイドンはコーダの部分で斬新なふたつのコード進行(ハ長調→イ長調、ヘ長調→嬰へ長調)を、強いアクセントと休符の繰り返しによって強調するという工夫をしています。
これによって、音楽的には退屈どころか、耳を離せない素晴らしい効果が生み出されています。
さらに最後にはヘンデルもかくやというような壮大なフーガが繰り広げられ、独唱者たちも加わって、大変な盛り上がりのうちに曲を閉じます。
ともすれば押しつけがましい歌詞が、逆にスッと入ってくるから不思議です。見事な職人芸というほかありません。
全曲を通しても、時々無性に聴きたくなってしまう、大好きな曲です。
さて今、政治家たちは、緩みそうな自粛を止めようと必死です。確かにここで一気に緩んでしまうと、またひどいことになる予感もします。ハイドンが生きていたら、政府は作曲を依頼したかもしれません。〝おお、自粛よ、尊い自粛よ、自粛からすべての幸福が生まれる…〟つらいけど、もう少し我慢しましょうか。
動画は、ベルギーのバート・ヴァイ・レイン指揮ル・コンセール・アンヴェルス、オクトパス・シンフォニー合唱団の演奏です。(第19、20、21曲)
Haydn The Seasons [HD] - Autumn part 1: introduction and working song
次回は愛の歌です。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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