
前回に続き、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを聴いていきます。
サリエリに捧げた、初の出版作品である作品12の3曲(第1番 ニ長調、第2番 イ長調、第3番 変ホ長調)を作曲したのが1797年から1798年にかけてですが、ちょうど、ピアノ・ソナタ『悲愴』を作曲した頃です。
ベートーヴェンの前衛的な試みとしては、ややピアノ・ソナタの方が先行している感じもしますが、それはやはり彼自身がヨーロッパ一の名手だったからでしょう。
ベートーヴェンはボン時代、ケルン選帝侯宮廷楽団ではヴィオラ奏者でしたから、それなりの腕前だったはずですが、大都会ウィーンのコンサート会場で披露するほどの技量ではなかったと言われています。
ウィーンに来てから、仲良しのシュパンツィヒや、何人かのヴァイオリニストにある程度の手ほどきは受けたらしく、サロンで人前で弾いた記録も残っていますが、とても〝名人〟の域ではなく、運指にどうしても克服できない苦手なことがあったようです。
モーツァルトも自分のパフォーマンスはピアノで勝負しましたが、ヨーロッパ中に自著のヴァイオリン教則本が出回っていて、一流のヴァイオリン教師だった父レオポルトは、いら立って息子をなじっています。
『お前は自分がどれだけヴァイオリンを上手に弾けるか分かっていないのだ!』
父の楽器ヴァイオリンを捨てて、ピアニストを本業としたのはモーツァルトのささやかな反抗でした。
ベートーヴェンは選択の余地なくピアノに邁進したわけですが、ピアノの方が和音も豊かに鳴らせますし、伴奏など他の楽器との組み合わせで創作の広がりもあるので、作曲家を目指していた彼としては当然といえます。
その中で、ヴァイオリン・ソナタ創作は、どちらかが主奏で伴奏、といった関係から、対等な曲の構築を目指した軌跡といえます。
そして、ヴァイオリンとピアノを、独奏とオーケストラのコンチェルトの域まで高めた〝協奏的ソナタ〟『クロイツェル・ソナタ』で頂点に達するわけです。
印刷屋のミスでセット解体!
さて、作品12の次作は、2年後になります。
この間、ベートーヴェンはピアノ・ソナタ 第10番、ホルン・ソナタ、作品18となる6曲の初めての弦楽四重奏曲、第1シンフォニー、七重奏曲など、初期の最後を飾る諸作品を世に送り出していました。
と、同時に、耳の病が進みはじめたことに気づきつつ、それを心のうちに隠していた時期にもあたります。
その苦悩は想像を絶しますが、それにもかかわらず、というべきか、だからこそ、ということなのか、いずれにしてもこの頃の創造力は爆発的でした。
新しいヴァイオリン・ソナタも確実に次のステップへと進んでいました。
計画されたのは長調と短調、つまり明るい曲と暗い曲の2曲セットです。
これはモーツァルトもベートーヴェンも時々やった手法で、明暗の対比が効果的です。
今回作曲されたのは、第4番 イ短調と、第5番 ヘ長調のセットで、第5番はその屈託のない明るさから、〝春〟という愛称で呼ばれるようになります。
初版は2曲セットで「作品23」として1801年に出版されましたが、なんと印刷工場のミスで、2曲のパート譜が別の紙のサイズで印刷されてしまったのです。
今でいえば、片方がA4で片方がB5ってところでしょうか。
刷り直しは費用がかかるので、ヘ長調『春』の方は「作品24」と新しい番号を振られ、それぞれが独立した作品、ということにされることになりました。
ベートーヴェンは、1曲の中で複数の楽章に有機的なつながりを持たせることはありましたが、複数曲のセット販売ということには特に芸術的な理由はなかったようで、それほど問題視した形跡はありません。
2曲は1802年5月にあらためて、分冊化で出版し直されましたが、前作「作品12」を酷評した「総合芸術新聞」はこれを絶賛しています。
筆者はこれらの作品をベートーヴェンが書いた最高の作品に数える。いや、それどころか、これまで書かれた最高の作品と思う。2曲とも、けっして演奏が難しくないので、ベートーヴェンの以前の多くの作品よるも多くの人たちに推奨できる。
「総合芸術新聞」1802年5月26日付
ようやく時代がベートーヴェンについてきた、というべきなのか、分かりませんが、少なくとも『春』は古今のヴァイオリン曲の中でも最高の人気曲ですし、一緒に書かれた第4番も、短調ながらいい評価だったわけです。
確かに、両曲とも複雑さを感じさせず、親しみやすい感じを受けますので、当時から今に至るまでずっと親しまれてきたのもうなずけます。
今回は、第4番 イ短調を聴きましょう。
Ludwig Van Beethoven:Sonata for Violin & Piano no.4 in A minor, Op.23
演奏:ヤープ・シュレーダー(ヴァイオリン)、ジョス・ファン・インマゼール(フォルテピアノ)
Jaap Schroeder (Violin), Jos Van Immerseel (Fortepiano)
第1楽章 プレスト
序奏はなく、いきなり緊張感を帯びたプレストで始まりますが、決して激しいものではなく、fp(強く、ただちに弱く)の指示があります。そのため、繊細な面も感じられるスタートです。拍子も8分の6拍子なので、リズム自体には楽し気な3拍子の要素が入っていて、〝哀しきピエロ〟といった趣きです。調性も、イ短調という暗すぎず、激しすぎない微妙な調性と相まって、深刻になりすぎず、短調の曲ながら、どこか親しみやすさを感じさせている気がします。冒頭のフレーズは曲の中で巧妙に変形、加工されていきますが、それと知らずにその効果に引き込まれてしまいます。展開部は大規模で、ヴァイオリンとピアノの掛け合いの中で、転調が繰り返され、コーダではフォルテッシモから、訥々と和音が鳴ってピアニッシモで印象的に閉じられます。
第2楽章 アンダンテ・スケルツォーソ・ピウ・アレグレット
速度表示にあるように、アンダンテにスケルツォの性格を加えたもので、第2楽章と第3楽章を合体させる新機軸です。まず、ピアノが控えめに陰から顔を出すかのように切れ切れに爪弾き始めると、ヴァイオリンも同じ調子で応えます。第2主題はピアノの低音から始まって、ちょっとしたフーガになります。展開部では、これまでの両者の掛け合いがさらに技巧的に絡みますが、どこか可愛らしく人懐っこい雰囲気は楽章を通じて変わりません。まさに、スケルツォのユーモアをアンダンテで軽く行った、というコンセプトで、大人の遊び、といった趣きです。
ロンドなのですが、かなり自由な構成になっています。ピアノで語り出されるテーマは切迫感をはらんでいますが、ここでも深刻さはなく、粋な感じさえ受けます。テーマは基本的に2声で書かれているので、シンプルな印象を受けますが、実はふたつの声部は反行と並行を繰り返して対位法的な工夫がなされています。中間部のヴァイオリンはコラールとなりますが、ロンドの網から飛び出して、のびのびと自由な世界で深呼吸をしているかのようです。第3部では、再びロンドのテーマに戻りますが、そこからの動きは単純ではなくて、これまで出てきたフレーズが次から次へと再び登場し、怒涛のように盛り上がると思いきや、ピアノで静かに終わります。単なる繰り返しではなく、かといって大きく逸脱するわけでもなく、何度もその意表をついて、聴衆を最後まで引き付けてやみません。
動画は前回と同じく、フォルテピアノとの演奏です。
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次回は、人気の姉妹作、『春』です。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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