
ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの中でも、いちばんポピュラーで、誰でも聞いたことある、という曲は第5番『春(スプリング・ソナタ』でしょう。
第1楽章の、優雅の極みといっていい旋律は、住宅メーカーなどのCMで、日曜日の朝の家族団欒、といったイメージで使われます。
同じ優雅さでも、貴族的な高貴な典雅さではなく、小市民のささやかな幸福、といったような、どこかくつろいだ感じを受けます。
音楽を貴族のものから市民のものにしたベートーヴェンの、ソフトな革命といえるかもしれません。
『春』という愛称は、ベートーヴェンが題したものではなく、初版にもなく、いつしかそう呼ばれるようになり、誰がいつ名付けたのか全然分かっていませんが、定着したのは、万人がそのように感じたからでしょう。

『のだめカンタービレ』でも、この曲がうまく使われていて、ドラマで峰君がこれを〝ロック仕立て〟で演奏するのには爆笑しましたが、あまりのインパクトにそれが頭から離れなくて困ります(笑)
漫画の方では、のだめはこの曲のイメージを〝お花畑〟といいますが、峰君は『やめてくれよ、「花畑」なんて幼稚なイメージで弾くの…。ベートーヴェンに失礼だぜ』と否定。
自分の解釈は〝光る青春の喜びと稲妻〟とします。
この曲のどこが稲妻!?とのだめは否定しますが、優雅さの中に秘められたベートーヴェンの情熱を峰君は感じ取っていたというわけです。
一方、漫画の中では『ベートーヴェンが耳疾に悩まされながらも女をとっかえ引っかえ遊んでいたころに作られたと思われる幸せそーな曲』と解説されています。
この曲とほぼ同時に、セットで作られた前回の第4番はまた別のテイストですから、ベートーヴェンの置かれていた状況が全て作品に反映しているわけではありませんが、そういった受け取り方で曲を味わうのも楽しいでしょう。
『月光ソナタ』のように、ピッタリのネーミングがされてしまった曲を、そのイメージから離れて鑑賞するのはなかなか難しいことですが、峰君のエピソードはそこからの脱却を教えてくれます。
このソナタは、前回のように、第4番 イ短調とセットで出版されましたが、出版社のミスによって切り離され、独立した作品として出版し直されました。
作曲時期もほぼ同じですが、やや第4番の方が先行していたようです。
第4番はこれまでの古典的な伝統通り3楽章ですが、この曲は初めて4楽章制としています。
ピアノ・ソナタと同様、4楽章にするときは、ベートーヴェンは何らかの実験をしているわけです。
ベートーヴェンの10曲のヴァイオリン・ソナタのうち、4楽章制なのはこの曲と、第7番、第10番の3曲だけです。
Ludwig Van Beethoven:Sonata for Violin & Piano no.5 in F major, Op.24 "Spring"
演奏:ヤープ・シュレーダー(ヴァイオリン)、ジョス・ファン・インマゼール(フォルテピアノ)
Jaap Schroeder (Violin), Jos Van Immerseel (Fortepiano)
ヴァイオリンが有名な旋律を、まさに流れるように歌い出します。誰もが知っている旋律ですが、ベートーヴェンの曲とは知らない人も多いのではないでしょうか。私も昔はメンデルスゾーンあたりかと思っていました。この第1主題は、4小節目で下がり、6小節目でも下がりますが、この下がる音型の連続は、バロック時代からの定石で、「願望の動機」といわれます。この伝統的な音型をベートーヴェンは愛し、「第9」第3楽章で第2ヴァイオリンとヴィオラが切なく歌う第2主題も、この「願望の動機」そのものといってもいいものです。この優雅な第1主題をヴァイオリンからピアノに受け継いだあと、ピアノが重々しく下降音型を奏でますが、通常のソナタではこちらが序奏あるいは第1主題で、優しいメインテーマの方を第2主題にもってきて魅了するところです。ベートーヴェンはあえて逆にし、荒々しさを秘めた第2主題の方を展開の素材に使っています。第2主題の後半はハ短調のフレーズを2つの楽器で応答し合いますが、これは「ため息の動機」と呼ばれています。展開部では第2主題を短調をメインに、変ロ長調、変ロ短調、ヘ短調、ハ短調、ト短調、ニ短調と5度ずつ転調していきます。これは、まさに春を呼ぶ春雷のようで、再現部で戻ってきたメインテーマが、本格的な春の到来のように輝かしく感じます。どうしても「春」から離れられませんが、「願望の動機」と「ため息の動機」を使っているところからすると、曲の作りからすると「恋愛」の要素が強い、ということになります。そうなると、ベートーヴェンの表現したものは、単なる季節の春というよりも、青春の方がふさわしいのかもしれません。
極めてロマンティックな、ベートーヴェン得意の変奏曲ですが、かなり自由な形式で、テーマー第1間奏ー第1変奏ー第2間奏ー第2変奏ーコーダとなっています。テーマは、ピアノが1小節の前奏に続いて奏で、続いてヴァイオリンが受け継ぎます。第1間奏には第1楽章で出てきた「願望の動機」が現れます。第1変奏はピアノが静かに、しかし華麗に装飾していきます。ヴァイオリンがそれを哀愁ある変ロ短調で受けますが、完結することなく第2間奏に入り、夢幻の世界に迷い込むかのようです。第2変奏はテーマを大胆に縮めたもので、すぐコーダに向かいます。トレモロになりますが、ピアノは二重トレモロなので、ヴァイオリンと合わせるのは難しいとされています。ここでも、何かに対する憧れを感じざるを得ません。
1分程度の短い楽章ですが、とても小粋です。このソナタは実験的な4楽章制ですが、追加された第3楽章は薬味のようで、アクセントで使ってみた、という感じです。主部は下行音型ですが、トリオは音階の激しい上昇で、合奏の難所です。第1部の繰り返し部分は既に書き込まれているので、繰り返しなしで、と指示されています。
第4楽章 ロンド:アレグロ・マ・ノン・トロッポ
第1楽章とも共通する幸福感に満ちたロンドです。A-B-A-C-A-B-A-コーダです。テーマの作りも第1楽章の第1主題と同じく下行旋律になっています。Bに移ると、時々ハ短調が不吉な顔を出しますが、すぐに明るいハ長調が否定します。Cは力強いニ短調で、ヴァイオリンがやや悲痛な声を上げますが、絶望的なものではありません。その後の推移や再現は単純ではなく、転調や疑似再現など、技巧と工夫の限りが尽くされていて、明るいロンドの域を明らかに超えています。
全ての楽章に共通のモチーフや音の動きが配され、それによって統一感が生み出されてて、聴き終わってからの充実感はこれまで以上のものがあります
ベートーヴェンがどんな思いをこの曲に込めたのかは想像するしかありませんが、彼の芸術表現が次の段階に進んだことを示す曲のひとつです。
動画はシュトゥットガルトの音楽博物館所蔵の古楽器による演奏です。
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今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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