孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

3大巨匠風の3曲セット?ベートーヴェン『3つのピアノソナタ 作品10 《第5番・第6番・第7番》』

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いびつな3曲セット

前回取り上げた初期の壮大なピアノソナタ第4番 変ホ長調 作品7を1797年に出版したあと、翌年、続けざまに若きベートーヴェンは、今度は3曲セットでピアノソナタを出版します。

それが『作品10』です。

献呈者は、ブロウネ伯爵夫人アンナ・マルガレーテ

ご主人のブロウネ伯爵ヨハン・ゲオルグとともに、この夫妻はベートーヴェンの熱烈な支持者でした。

ベートーヴェンは伯爵に対しても3つの弦楽三重奏曲 作品9を献呈し、『私の最も優秀な作品を、私の芸術の最高の愛護者に捧げる』と、最高の表現で献辞を記していますから、その関係の深さがうかがえます。

ベートーヴェンはこの夫妻にはほかにも重要作品を献呈し、1803年に夫人が若くして世を去ったときには、哀悼のため歌曲を伯爵に贈っています。

さて、この『作品10』のコンセプトはなかなか解釈が難しいところです。

ベートーヴェンピアノソナタを、ハイドンに捧げた作品2の3曲、そして作品7と、全てハイドンモーツァルトに例のない独自の4楽章制で創作してきましたが、この作品集に収められた第5番第6番は伝統的な3楽章制に戻っているのです。

そして、第7番だけが、第4番の続きのように4楽章制をとっています。

また、第5番はメヌエットスケルツォにあたる楽章が省かれ、第6番は通常の第2楽章にあたるゆっくりした緩徐楽章を欠いています。

曲の作りでも、前2曲は比較的軽いテイストなのに対し、最後の第7番は重厚で本格的な作りとなっています。

こんな一見アンバランスなセットは、ハイドンモーツァルトではありえません。

しかし、ベートーヴェンが思いつきや寄せ集めの都合で出版するとも思えません。

弟に任せた場合はこの限りではありませんが。

三大巨匠を模したセット?

3曲とも自筆譜は残っていなくて、スケッチなどからざっくりと、1796年から1798年の夏にかけて作曲された、そして作曲順は曲の順番通りではないか、とだけ推定されています。

そのため、第5番、第6番は、プラハ=ベルリン旅行の最中に書き始められたため、ベルリンの保守的な趣味に影響されたのではないか、という説もあります。

第7番はウィーンに戻ってからの作なので、本来のベートーヴェンの創作路線に戻ったのではないか、と。

しかし、私は曲を聴くにつけ、ベートーヴェンの意図を次のように感じるのです。

第5番はモーツァルト第6番はハイドン第7番はベートーヴェンに創ったのではないか、と。

この時期のベートーヴェンには、明らかにモーツァルトの作品を意識した作品がみられます。

これまで取り上げた管楽とピアノのための五重奏曲もそうですし、ピアノコンチェルト  第3番 ハ短調は、モーツァルトピアノコンチェルト 第24番 ハ短調をお手本にしています。

そして、この第5番 ハ短調は、モーツァルトピアノソナタ 第14番 ハ短調にインスパイアされていると感じます。

第6番 ヘ長調の軽快な感じは、まさにハイドン風といっていいでしょう。 

〝古典派巨匠3点セット〟というのがこのセットのコンセプトで、早くも自らをそこに肩を並ばせているという、野心作なのではないでしょうか。

ベートーヴェンピアノソナタ 第5番 ハ短調 Op.10-1

Ludwig Van Beethoven:Piano Sonata no.5 in C minor, Op.10-1

演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ

Ronald Brautigam (Fortepiano) 

第1楽章 アレグロモルト・エ・コン・ブリオ

モーツァルトの第14番と同じように、決然とした上行音型のモチーフで始まります。ハ短調を好んだベートーヴェンモーツァルトには珍しいこのドラマチックな曲を意識しないわけがありません。先輩へのオマージュなのか、挑戦なのか、世間のリクエストへのサービスなのかは分かりませんが。ともあれ、ベートーヴェンならではのハ短調は、次回作『悲愴』で炸裂しますが、まずは先輩の世界を自分流にアレンジした、という感じを受けます。第2主題は定石通り変ホ長調の優雅で流麗なメロディで、これもモーツァルトを思わせます。展開部では、第1主題がハ長調で現れて、第2主題を大胆に変化させたものとからんで進んでいきます。このあたりはベートーヴェンの香りが芬々とします。コーダはなく、ふたつの和音であっさりと終わるのも印象的です。

第2楽章 アダージョモルト

変イ長調で優しく語りかけるかのような歌です。第2主題は変ホ長調でこれもいくぶんドラマを秘めていますが、優雅そのものです。変奏はきわめて細やかで、丁寧。展開分は省かれていますが、それがかえって詩情をシンプルに、ダイレクトに心に訴えかけてきます。聴く人の目に自然に涙をあふれさせたという、ベートーヴェンの即興演奏はこのようなものだったのだろうか、と思わせる楽章です。

第3楽章 フィナーレ:プレスティッシモ

わずか122小節で、しかもテンポが速いためあっという間に終わってしまいますが、完備したソナタ形式で、充実した楽想と展開を持ちます。フィナーレ、とわざわざ銘打たれているのにも意図を感じます。ユニゾンの第1主題は焦燥感を感じさせるもので、第2主題は対照的に素朴なものです。両主題は掛け合いをしていきますが、対位法的な処理が緊張感を高めます。コーダが非常に凝っていて、だんだんとテンポが落ちていき、即興曲と思うような混沌の世界に入っていって、どう終わるんだろう、とハラハラさせながら、静かに閉じるのです。 

モーツァルトの第14番の記事はこちらです。

www.classic-suganne.com

動画はフォルテピアノによる第2、第3楽章の演奏です。
Beethoven al fortepiano | Bart van Oort

ベートーヴェンピアノソナタ 第6番 ヘ長調 Op.10-2

Ludwig Van Beethoven:Piano Sonata no.6 in F major, Op.10-2

演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ

Ronald Brautigam (Fortepiano) 

第1楽章 アレグロ

和音と三連符で軽く始まる感じは、まさにハイドンのいたずらっぽい演出を思わせます。そのうちに華麗な上行と下行で第1主題が終わり、第2主題はエピソード的に出てきてハ長調からハ短調変イ長調と目まぐるしく転調します。ベートーヴェンならではの雄大なスケールを感じます。再現部は、第1主題は主調のヘ長調で帰ってくるはずが、ニ長調で現れ、これもハイドン的な手法〝偽再現〟と考えられます。そのあと本当の再現もあるのですが、ベートーヴェンには珍しい、ユニークなやり方といわれています。

第2楽章 アレグレット

表示はされていませんが、実質的にはスケルツォです。しかし、ロンド的な要素もあって、かなり自由な形式となっています。楽想はどこか哀感を帯びていて、緩徐楽章を欠いている代わりに、ここで深い情感を醸し出しているといえます。どこか、第5シンフォニー〝運命〟のスケルツォを思い出します。トリオは、コラールのような荘厳で落ち着いた感じを受けます。後半は高音がステンドグラスから差す光のように、コラールを彩ります。スケルツォの再現部も単純な繰り返しではなく、工夫が凝らされています。

第3楽章 プレスト

ユーモアたっぷりの軽快なテーマといい、第2主題のない単一主題によるソナタ形式といい、まさにハイドン風です。テーマはたちまちフーガとなり、楽しく展開していくさまも驚くほど古典的ですが、展開部となるとやはりベートーヴェン、隠れた第2主題が登場して新しいフガートが始まって、激しいクレッシェンドが手に汗握るばかり、これも即興演奏もかくやと思わせます。

ベートーヴェンピアノソナタ 第7番 ニ長調 Op.10-3

Ludwig Van Beethoven:Piano Sonata no.7 in D major, Op.10-3

演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ

Ronald Brautigam (Fortepiano) 

第1楽章 プレスト

3曲セットの中で、前2曲とは全く性格を異にしていて、大規模で充実した作品となっています。階段を駆け上り、あるいは駆け下るかのような第1主題は何の変哲もないように最初は聞こえますが、この素材が楽章の中でいかに加工され、変化され、利用されていくかが、ベートーヴェンらしさです。ひとしきり第1主題の嵐が収まると、ロ短調の情感豊かなテーマが現れますが、本当の第2主題はこのあとにイ長調からイ短調で出てきます。展開部はピアニッシモからフォルテッシモまで駆け上がるダイナミックなもので、第1主題の力強い展開に圧倒されます。まさしくベートーヴェン!再現部では例のロ短調のプチ第2主題がホ短調で出てきて、本当の第2主題は定石通りニ短調。コーダはただただ華麗というほかありません。

第2楽章 ラルゴ・エ・メスト

この時期のベートーヴェンにあって、最も深刻な音楽と言われています。「メスト」は悲しく、という意味ですが、こんなストレートな指示は非常に珍しいものです。次の作品の『悲愴』の前触れとして、ベートーヴェンの失恋や耳疾への絶望感が表わされている、と見るむきもありますが、それは分かりません。自称弟子で秘書のシンドラーは、ベートーヴェンがこの楽章について彼に『悲しんでいる人の心の状態を、さまざまな光と影のニュアンスにおいて描こうとした』と語った、と書き残していますが、嘘つきの言うことですから怪しいものです。ただ、第1主題の深刻さは尋常ではなく、後の作品の深みを先取りしたものであるのは間違いありません。第2主題はイ短調のはかなげなテーマですが、これも時折強い和音で打ち消されます。最後には音楽は途切れ途切れになり、深い悲しみのうちに終わります。

第3楽章 メヌエットアレグロ

前楽章の絶望を慰めるかのような優しいメヌエットです。ホッとされるのもベートーヴェンの演出でしょうか。確かに、あれだけの深刻さから、いきなりフィナーレにいくよりは、このように〝一服〟する楽章は必要かもしれません。左手のゆったりしたリズムと、右手の華麗なトリオに癒されます。トリオは意外に激しい感じです。 

第4楽章 ロンド:アレグロ

4楽章制の場合の終楽章は、ソナタ形式ではなくてロンド形式になることが多いです。ロンドのテーマは何かを問いかけているようなフレーズと、それに答えているかのようなフレーズの対話になっています。例のシンドラーは、ベートーヴェンはこの動機で憂鬱さを表し、『まだそれでも憂鬱なのか』と自問した、と述べていますが、本当であってほしいエピソードではあります。ただの明るいロンドではないので、憂鬱とそこからの脱却の葛藤を示した、と言われると、なるほどとうなずいてしまう音楽です。後半はきらびやかなカデンツァ風となって曲を閉じます。

明らかに、前2曲とは違った深みをもったソナタですが、まもなく作曲される『悲愴』の予感はまだ感じられません。

 

今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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