〝卒業〟後も先輩を意識?
前回の変ロ長調のピアノソナタ 第11番で、初期創作の総決算を行ったベートーヴェン。
これ以降は〝実験期〟と言われる時期で、これまでの枠組みにとらわれず、新しい道を探っていきます。
ここからは1曲、1曲が独創的で、ベートーヴェンならではの強烈な個性が香り立つ世界が繰り広げられていきます。
と言いながら、次のピアノソナタ 第12番は、またモーツァルトを意識した作品なのです。
ベートーヴェンが元ネタにしたのは、有名な「トルコ行進曲」のついた、ピアノソナタ 第11番 イ長調 K.331。
ソナタなのに、ソナタ楽章がひとつもない、モーツァルトの中でも異色の作品です。
ベートーヴェンは、この矛盾したコンセプトを自分の作品でもやってみよう、と思いついたのです。
つまり、モーツァルトの〝実験〟を自分なりに、という発想なのです。
K.331は、第1楽章が変奏曲、第2楽章がメヌエット、そして第3楽章がトルコ行進曲です。
この曲についての記事はこちらです。
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ベートーヴェンがこの曲を作曲したのは、シンフォニー第1番や七重奏曲と同じころです。
1800年のスケッチ帳(ランツベルク7)に終楽章のテーマと第1楽章の変奏曲のメインテーマが書きつけられています。
「Mのためのソナタ」と題され、さらに「すべての変奏が終わって、その次にはメヌエットか、何かほかの性格的な曲、たとえば変イ長調の行進曲のような、それから次に」と書き込まれています。
この〝M〟が誰のことを指すのか分かっていません。
出版に際してこの曲が献呈されたのは、例によって一番のパトロン、リヒノフスキー侯爵ですが、Mは関係ありません。
イニシャルトークにするということは、訳ありの女性か…?と勘ぐりたくなりますが、それはともあれ、モーツァルトのK.331と同じ、変奏曲、メヌエット、行進曲、という構想は最初からあったわけです。
ただ、行進曲のあとに、モーツァルトにはない最終楽章を追加して4楽章制にするのは新機軸です。
また、構想段階では行進曲を何にするかは決まっていなかったことも分かります。
誰のお葬式?
できた行進曲は「葬送行進曲」でした。
しかも、「ある英雄の死を悼んで」という題が付されています。
この英雄とは、誰のことを指すのかも分かっていません。
弟子のリースは、フェルディナンド・パエール(1771-1839)のオペラ『アキレス』の中の葬送行進曲が当時人気を博していたので、ベートーヴェンはこれに刺激を受けて書いた、と述べています。
アキレス(アキレウス)はギリシャ神話の英雄ですから、この葬送行進曲は、当時の将軍とか、現実の人物の死を悼んだものではなくて、古典主義の時代らしく、神話の英雄をイメージしたもの、と考えるのが妥当のようです。
実際、同じスケッチ帳には、同じくギリシャ神話の英雄をテーマにしたバレエ音楽『プロメテウスの創造物』が書きつけられていますから、この頃のベートーヴェンは〝ギリシャ神話モード〟だったのかもしれません。
オペラ『アキレス』のウィーン初演はこの曲が出来た後であるとして、リースの証言を否定する説もありますが、実際にベートーヴェンが曲を聴いたかどうかは関係ないように思います。
〝葬送行進曲が評判をとっている〟という噂を聞いた、というだけでも創作の動機としては十分です。
あまり深刻でない曲調からも、この「葬送」は現実の死や弔いとは関係ないもので、ドラマの一場面として味わうべきではないでしょうか。
また、英雄は、英雄的な死があってこそ英雄、という意識が当時はあったようです。
3年後に世に送る、第3シンフォニー『エロイカ(英雄)』の第2楽章が葬送行進曲になっているのも、その認識からと言えます。
なお、このソナタの愛称は『葬送』とされていることが多いですが、そうすると何か深刻な、縁起でもない曲のように誤解されるので、せめてモーツァルトの曲のように『葬送行進曲つき』とした方がよいと思います。
実際、他の楽章は全て長調の明るい曲ですから、曲全体にお葬式の雰囲気はなく、あくまでも第3楽章は〝一場面〟なのです。
そして、このスタイルを受け継いだのがショパンです。
ピアノソナタ 第2番 変ロ長調 作品35 『葬送行進曲つき』はベートーヴェンと同じ4楽章で、第2楽章がスケルツォ、第3楽章が葬送行進曲、第4楽章にプレストという構成も似ています。
この曲はシューマンに『ショパンは乱暴な4人の子供をソナタの名で無理やりくくりつけた。田舎の音楽教師がソナタの名につられて、素晴らしい古典だろうと思って楽譜を買い求め、いざ弾いてみて激怒する。』と、異質な構成について批評していますが、これはベートーヴェンの作品にも当てはまるものです。
〝ソナタではないソナタ〟の実験は、モーツァルトから始まり、ベートーヴェンに受け継がれ、ショパンに至っているのです。
Ludwig Van Beethoven:Piano Sonata no.12 in A flat major, Op.26
演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ)
Ronald Brautigam (Fortepiano)
第1楽章 アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ
このソナタは、全楽章が同一主音をとっているのもモーツァルトのK.331と同じですが、同じイ調ではなくて、近くて遠い変イ調を取っているのが実に挑戦的です。
この変奏曲はテーマと5つの変奏です(モーツァルトはテーマと6つの変奏)。テーマはしっとりと落ち着いた語り口で、すぐに惹き込まれてしまいます。テーマは最初の8小節がすぐに繰り返され、変奏的に繰り返されるというもので、テーマそのものに変奏要素が入っているともいえます。続く変奏はあまり形を崩さず、小節数も拍子もテンポも同じで、音型だけ変奏されていきますが、転調が頻繫に行われるため、幻想的な気分が醸し出されます。第1変奏は優しくも美しい対話が繰り広げられます。第2変奏はテーマが低音に移り、右手がズレて追いかける三次元的効果が見事です。第3変奏は暗い短調になりますが、変イ短調ですから、フラットが七つもついていることになります。スフォルツァンドのアクセントが多くついているので、表情豊かに演奏するのは大変でしょう。第4変奏は飛び跳ねるような感じがまるでスケルツォのようです。最後の第5変奏は流れるように細かい音型で、テーマが幻想的な装いで戻ってきます。最後の4小節にペダルがついていて、これがベートーヴェンにおける最初のダンパー操作指示ということです。それだけ細かい表情にこだわり、彫琢が施されているのです。最後に、テーマをもとにした短いけれど粋なコーダがついています。
シンプルで活気あふれるスケルツォのテーマですが、転調と和音は複雑で、ヘ短調にはじまり、変ホ長調と変ロ短調を通ってようやく変イ短調に落ち着きます。トリオは変ニ長調は、荒ぶる嵐の間の日差しのように穏やかです。
第3楽章 ある英雄の死を悼む葬送行進曲
いよいよ、このソナタの中核を成す〝性格的な行進曲〟です。荘重な付点リズムは、葬送の行列の足取りを模し、英雄の死の崇高さが表されています。単純なモチーフは遠隔調へ転調し、ただならぬ雰囲気を醸し出しています。変イ短調から変ハ長調に移り、これをエンハーモニックのロ長調として、ホ短調、ニ長調、変ホ長調と移ってから変イ短調に戻るのです。トリオはピアノのトレモロが葬儀の太鼓を、フォルテッシモのスタッカート和音がラッパを表しています。このような劇的な表現からも、この葬送行進曲が実用的なものではなくて、ドラマの一場面的な性格であることを示しています。
荘重な葬送行進曲のあととは思えない、闊達で明るい楽章です。死の世界から、生の世界への鮮やかな場面転換といえるでしょう。ショパンの曲の第4楽章も謎とされ、〝葬送のあとの墓場に吹く風〟などと評されていますが、ショパン自身はこれについて「行進曲の後で両手がおしゃべりをする」としており、ベートーヴェンのこの曲の位置付けにならったものかもしれません。ロンド主題が対位法的に処理され、シンプルなようでいて、かなり凝った複雑な構成をもっています。最後は、少し中途半端な感じの和音で終わりますが、それがまた不思議な余韻となって耳に残るのです。
このソナタは、統一感がない、寄せ集めの作品、と批判されることもありますが、ひとつの劇と考えればしっくりくるのではないか、と思います。
失敗のリスクを恐れないベートーヴェンの実験はまだまだ続きます。
動画は典雅なフォルテピアノの演奏です。
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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