アウトドアとインドアの使い分け?
ベートーヴェンのヴァイオリンソナタを聴いてきましたが、再びピアノソナタに戻りましょう。
第8番 ハ短調『悲愴』のインパクトは強烈でしたが、この第9番と第10番は、また優しい調子になります。
ただ、第7番から第10番までは、ほぼ同時並行の時期に作られたと考えられますので、順番に発展していった、というより、色々なタイプの曲を実験的に作っていた、ということかと思います。
『悲愴』や続く第11番は〝大ソナタ〟と題されて、その名の通り、コンサートホールで満場の聴衆を圧倒するような迫力があります。
でも、間に挟まれたこの「作品14」の2曲セットは、愛らしく、こじんまりとしていて、サロン的、室内的です。
かといって内容が薄い、というわけではないですし、むしろ、より緻密な彫琢が施されているのです。
この頃のソナタは、アウトドア用とインドア用に書き分けていたかのように感じます。
いよいよ、ピアノ専用の曲に
さて、この「作品14」は、1799年にウィーンのモロ社から出版され、ブラウン男爵夫人ヨゼフィーネに献呈されました。
楽譜には、『悲愴』までに書かれていた〝チェンバロまたはピアノフォルテのためのソナタ〟という表記から、〝チェンバロ〟が消えて、初めて〝ピアノフォルテのためのソナタ〟という記載になりました。
『悲愴』を、強弱のニュアンスがつけられないチェンバロで弾くなんてまず考えられませんが、高価なピアノはまだ普及途上でしたから、楽譜の販売上は仕方がなかったでしょう。
最新ヴァージョンのOSでしか動きません、なんてソフトが売れないのと同じです。
しかし、ベートーヴェンの楽譜には細かく表情に関する指示が書き込まれていますから、この曲からいよいよ、ピアノ限定、としたわけです。
有名なベートーヴェンの伝記作家で、その私設秘書だったと称し、没後にベートーヴェンの事績の大幅な改ざんを行ったことで悪名高いシンドラーは、この作品についてかなり詳細な解説をしています。
シンドラーのしでかしたことについてはこちらに書きました。
www.classic-suganne.com
比較的目立たないこの作品について、『最も内容の豊かな優れたものであるにもかかわらず、あまり一般に認められない曲』とし、自分だけが、ベートーヴェンにこの曲の真髄を語ってもらった、としているのです。
もちろんこの書き方だけでマユツバなのですが、その解説は譜例も示した詳細なもので、かなり説得力があるのも事実です。
『作品14の2曲のソナタには2つの主義の争いがあり、あるいは夫と妻、愛しあう男女の対話が認められる。とくに第2番目の曲にはこの対話はいっそう明瞭に示されていて、2つの声部の対立は第1番に比べて、より明白である。』
作品のテーマは〝男女の対話〟というわけです。
これにより、第10番のソナタは日本では〝夫婦喧嘩〟と呼ばれた時期もありました。
ベートーヴェンの真意かどうかは分かりませんが、その解説を意識しながら聴くと、この曲の理解が進むのも事実です。
皆さまはどう感じますでしょうか。
Ludwig Van Beethoven:Piano Sonata no.9 in E major, Op.14-1
演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ)
Ronald Brautigam (Fortepiano)
花の咲く野原を軽やかにスキップしていくかのようなテーマです。コラールのようなすっきりした歌に、和音が軽やかに伴奏されます。第2主題はヴァイオリンの独奏風で、触ったら壊れてしまいそうな繊細な響き。しかし、旋律の組み合わせは4声部を志向していて、実際に、ベートーヴェン自身は3年後にこの曲を弦楽四重奏曲に編曲し、同じくブラウン男爵夫人に贈っています。当時、出版社による編曲はよく行われましたが、ベートーヴェンが自分で行ったケースは非常に珍しいことです。順番は逆ですが、この曲は室内楽をピアノの鍵盤上に移す、というコンセプトだったことは明らかです。展開部は流れるようで、短調の影が味わいを深めます。戻ってきた第1主題は、華麗な装飾を身にまとっていて、まばゆいばかりです。
第2楽章 アレグレット
このソナタには緩徐楽章がなく、第2楽章はスケルツォとメヌエットの中間のような性格をもっています。舞曲のような大きな身振りはなく、哀しく揺れる旋律は、深刻ではなく、独特のメランコリーにあふれています。トリオにあたる中間部はハ長調で、豊かなハーモニーの陰で、さりげなくポリフォニックな要素も含ませてあります。ダ・カーポのあと、コーダで第2主題、そして第1主題が回想されて静かに終わります。
弦楽四重奏曲版はこちらです。ホ長調のソナタがヘ長調に編曲されていますが、これはチェロに配慮したためとされています。
第3楽章 ロンド:アレグロ・コーモド
ロンドのテーマは、流れるように天上に昇っていく、やや長いものです。これは第1楽章との関連が強く、ソナタ全体の統一感が意識されています。やがて、流れは激しさをはらみながら下っていきます。3連符が効果的に全楽章を通して使われます。途中、激しい第3主題が殴り込みをかけるように入ってきて、緊張感に包まれますが、実はこのテーマはこれまでの伴奏を発展したものなのです。やがて、平和な第1主題が戻り、愉悦のもとに曲は閉じられます。
Ludwig Van Beethoven:Piano Sonata no.10 in G major, Op.14-2
演奏:ロナルド・ブラウティハム(フォルテピアノ)
Ronald Brautigam (Fortepiano)
シンドラーが『ベートーヴェンは夫婦の間での懇願と拒絶という2つの要素を代表させている』と述べた曲です。確かに、冒頭の第1主題の前半は甘えるかのようで、『真摯な厳粛さから思いやりと感動へとしなやかにたどるような変化』と記されています。第9番 第3楽章のテーマとの共通性も見出されます。続く第1主題後半は、スタッカートとトリルでできていて、シンドラーはこれは『懇願の要素』と解説しています。これは確かに…と、うならざるを得ません。信用できない伝記作者ではあっても、生前のベートーヴェンの側にいた証言者ですから、全てをウソとも断じかねます。曲想からいって、おねだりしているのは妻でしょうか。第9番は4声の組み合わせの性格をもっていましたが、この曲は対話の要素が強いです。第2主題もコケティッシュで美しいものです。展開部では、第1主題が変イ長調、ト短調、ヘ短調、変ロ長調と激しく転調し、フェルマータをはさんで、再現部になったと思いきや、すぐに打ち切られてしまいます。これは「偽再現」という、意表をつくやり方で、いたずら好きのハイドンがよく使いましたが、ベートーヴェンには珍しいものです。こうしたところからも、この曲にはユーモアが盛り込まれているといえそうです。
第2楽章 アンダンテ
急にかしこまったようなマーチになり、これも意表を突かされます。テーマと3つの変奏になっています。実は、ベートーヴェンがピアノソナタに変奏曲を入れるのはこれが初めてなのです。テーマはスタッカートと休符を取り混ぜた、ちょっとギクシャクとしたものです。第1変奏ではテーマは左手に移され、右手はシンコペーションのリズムを刻みます。第2変奏は低音と高音が半拍ずつズレて進みます。第3変奏は細かい音符がきらびやかに散りばめられます。コーダはたった6小節で、弱々しく終わるかと思いきや、最後のフォルテッシモに驚かされます。イライラしているのでしょうか!?
フィナーレがスケルツォというのはあり得ませんが、これは曲の性格を表したもので、形式はロンドです。軽快なテーマですが、3拍子を2拍子のように演奏するヘミオラという技法を使って、ここでもユーモア感を出しています。右手と左手が、フォルテとピアノを対比させ、和音に対しアルペジオで応えるなど、ギクシャクした感じが、まさしく他愛ない夫婦ゲンカを表しているかのようです。シンドラーは、夫婦の和解はずっと引き伸ばされ、『ソナタの終わりまで完全に解決されず、曲の最後の終止で「然り」の楽句とともに明確に解決される』と述べています。確かに、最後の静かなバスのつぶやきは、『分かったよ』という夫の苦笑いのようです。結局はダンナは奥様の言いなりになるしかありませんでした、というオチなのです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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