
啓蒙の光で古い権威を打破するヨーゼフ2世
偉大な母帝、マリア・テレジアの薨去後、単独統治者となった神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の啓蒙主義的改革を引き続きみていきます。
ローマ教皇を驚愕させた「宗教寛容令」は、ハプスブルク家領内の中央集権化を進めるとともに、フス戦争以来、長年抑えつけてきたボヘミアのプロテスタントに、商工業での活躍が認められることとなりました。
ハンガリーのように、大貴族はカトリック、中小貴族と農民はプロテスタントが多い地域では、まさに賛否両論でした。
ハイドンの仕えたエステルハージ侯爵は、ハンガリー最大の大貴族ですから当然反対でしたが、一方で歴世ハプスブルク家第一の忠臣と、自他ともに認める存在でもあったので、あからさまな抵抗はしかね、静観するしかありませんでした。
画期的なユダヤ人解放
ヨーゼフ2世は、さらに宗教寛容令をユダヤ教徒にも適用します。
ユダヤ教を信じる人=ユダヤ人ですが、彼らは西暦73年にローマ皇帝ヴェスパジアヌスとその息子ティトゥスによってエルサレムを陥落させられ、最後の砦マサダも陥とされて国を喪い、世界中に離散(ディアスポラ)しました。
国の無い流浪の民となり、またイエス・キリストを救世主と認めないで十字架にかけた呪われた民、異教徒として、どこでも差別、迫害されました。
まともな職業に就くことさえ許されなかったので、やむなく、キリスト教では禁止されていた金貸し業を営むこととなり、その商才で金融業者として富を蓄えました。
人々は借金が必要な局面は多いので、ユダヤ人から借りざるを得ず、それによって助けられる一方で、その返済や取り立てに苦しみました。
それもユダヤ人が嫌われた一因となりました。
シェイクスピアの「ベニスの商人」のシャイロックがその典型として有名です。
敬虔なカトリック信者だったマリア・テレジアは、若くして即位した4年後、1744年12月にユダヤ教徒追放令を発布し、過酷な弾圧を行いました。
しかし、プロイセンをはじめとした敵国と渡りあう中で、富国強兵のためにはユダヤ人の力を借りることも必要、という宰相カウニッツの進言を聴き入れ、だんだんと圧迫を緩めます。
そして、1748年には追放を一部解除するのです。
ユダヤ人の力を利用して

宗教寛容令に歓喜するウィーンのユダヤ人
ヨーゼフ2世は、さらにユダヤ人を商工業の発展・育成の担い手にしようとして、その法的地位を改善し、政治的・社会的な差別を一気に撤廃しました。
これによって、ハプスブルグ家領内では、ユダヤ人も手工業や商業など、幅広い職業に就くことができ、また土地の購入も許されました。
差別的な服装規則も撤廃され、高等教育を受けることもできるようにしました。
オーストリアが19世紀になってもヨーロッパの強国でいられたのには、このユダヤ人解放が大いに寄与したのです。
しかし、一方で闇もありました。
ヨーゼフ2世の中央集権化策は、ドイツという国家国民を均一にまとめていく目的もありましたので、ユダヤ人のアイデンティティは否定されたのです。
ユダヤ人が使うドイツ語は、彼らが流浪したポーランドやリトアニア地域の言語も交じり、独特な「イディシュ語」となっていました。
文字もヘブライ文字が使われましたが、ヨーゼフ2世はこれらの使用を商取引や公文書に使うのは禁じました。
1787年には、ユダヤ人にドイツ風の姓名を名乗ることを強制する法律まで出したのです。
都市では依然としてユダヤ人居住地域の制限も残りましたが、そのように完全なものではないにせよ、ヨーゼフ2世のこの政策は、ヨーロッパ諸国の中でも先進的なものとして有名です。
領内のユダヤ教徒たちは、抱き合い、涙を流して「解放」を喜んだのです。
ヨーゼフ2世は、ユダヤ人にとって救世主に近い存在となりました。
まさか、それから150年も経ってから、逆に、民族が絶滅させられるほどの大迫害を受けることになるとは、夢にも思わなかったでしょう。
ヨーゼフ2世の急進的改革の多くは行き詰まり、死の直前に撤回したり、次の皇帝となった弟レオポルト2世によって撤廃されたりしましたが、宗教寛容令だけは、国の発展に寄与しているとして、そのまま存続されたのです。
それでは、引き続きハイドンのシンフォニーを聴いていきましょう。

郵便馬車とポストホルン
Joseph Haydn:Symphony no.31 in D major, Hob.I:31 "Horn Signal"
演奏:クリストファー・ホグウッド指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(古楽器使用)
前回の第72番に続いて1765年に作曲されたシンフォニーです。この曲も、当時エステルハージ侯爵家宮廷楽団に雇われていた4本のホルン奏者を使い、豪壮なホルンの饗宴となっています。第72番よりもホルンが前面に押し出されていて、迫力満点です。
ハイドンのシンフォニーは、1980年代に古楽器ブームが来るまで、長く《驚愕》《時計》といった後期のごく限られた作品しか演奏されませんでしたが、この曲は例外的に演奏、鑑賞されていました。それだけ魅力的だったということです。
《ホルン信号》というタイトルは、ハイドンがつけたものではなく、19世紀につけられた愛称ですが、ほかに《狩場にて》というものもありました。
また、ハイドン存命中の1788年にパリで出版された楽譜には《シンフォニア・コンチェルタンテ》《ニュルンベルクの郵便ホルン(ポストホルン)》というタイトルが付されていました。
なぜニュルンベルクなのかは謎ですが、これはハイドンも容認していた可能性はあります。
当時、ホルンの用途は3つありました。まずは、狩り。何人かに分かれて獲物を追い詰めるときの合図であったり、獲物を仕留めたことを仲間に知らせたりする役割です。次に、郵便馬車の到着や出発を知らせるもの。通信手段が手紙しかなかった時代、この合図は重要でした。このホルンを聴いて、『待って~、この手紙も持ってって~』と駆けつける人もいたでしょう。そして、待ち望んだ便りが町についた合図。今でいえば、スマホのLINEメッセージ着信音といったところです。最後に軍隊。勢ぞろいした連隊が、ホルンの合図で進軍したり、停止したりします。
ホルンと言えば狩りの印象が強いですが、この曲で使われる音型は、「軍隊」と「郵便」です。いずれも、合図の信号音が登場します。
第1楽章の冒頭は、「軍隊」の進軍の合図です。4つのホルンが豪壮にユニゾンで吹き鳴らします。8小節それが続いたのち、弦楽を伴奏に、独奏ホルンが郵便ホルンの旋律を嚠喨と吹き鳴らします。第2主題は、ホルンの無骨さと対比するように、フルートが上昇音型を吹きますが、メロディアスではなく、これも何かのシグナルのように聞こえます。
展開部はこの時期のシンフォニーの中でも特に充実していて、これまでのテーマが大胆な転調で組み合わされ、凝った作りになっています。そして最後には、ポストホルンが再び伸びやかに吹き鳴らされ、冒頭とは逆に軍隊ホルンで締めくくられます。
ヴァイオリンとチェロの独奏がシチリアーノ風のゆりかごリズムでしっとりと歌い、そこに4つのホルンが応答して進んでゆきます。ホルン以外の管楽器は沈黙しています。あくまでもホルンが主役の曲なのです。展開部では、ニ長調から始まって、イ短調、ホ短調としめやかな転調を続け、これまでの楽想を再現して終わります。豪壮なホルンの面影はなく、きわめて繊細さを感じさせる楽章です。
メヌエットは、第1、第2ヴァイオリンがずっとユニゾンで、ヴィオラ、チェロ、コントラバスもユニゾンで、弦は実質2声部となり、これにフルートとオーボエが、これもユニゾンで加わり、ホルンは控えめに和音を添えるだけです。あえてモノトーンにしたメヌエットに対比するように、トリオではオーボエとホルンたちが華やかにメロディを交換します。
第72番と同様、フィナーレは異例の変奏曲となっており、当時のハイドンの流行りだったように思えます。変奏数はひとつ多く、7つとなっています。メインテーマは、メヌエットと同じく2声の弦で奏でられます。変奏では転調はなく、テーマの和声コードも維持され、低音も不変です。
第1変奏はオーボエとホルンがそれぞれ2つ、対になります。旋律を受け持つのはオーボエです。第2変奏は、テーマと同じく弦だけで、チェロが旋律をリードします。第3変奏はフルートが3連音でテーマを華麗に装飾。第4変奏ではホルンが4つすべて登場し、第1ホルンがメロディラインを奏でます。ホルンの牧歌的な世界が広がります。第5変奏は再び弦楽のみとなり、ソロ・ヴァイオリンが歌います。第6変奏は、実質的には変奏ではなく、全合奏でメインテーマをピアノで反復します。第7変奏はまた弦楽のみですが、極めて珍しいことに、ヴィオローネ(コントラバス)がメロディを受け持ちます。その末尾に7小節だけニ短調のつなぎの部分があって、最後のコーダはプレストで鋭く終結に向けて盛り上げてゆき、最後は第1楽章の軍隊ホルンで締めくくられます。
ハイドンのシンフォニー全集について
さて、ハイドンのシンフォニーは番号が振られているものでも104曲あり(ロンドンで作ったシンフォニア・コンチェルタンテ(協奏交響曲)を第105番とする場合もあります)、あと番号のないものも含めると107曲とも、108曲ともされています。
全曲を録音した指揮者は、1972年に完成したアンタル・ドラティで、それは高評価をもって迎えられ、ハイドン全集最初の金字塔といわれましたが、その後、アダム・フィッシャー、ラッセル・ディヴィスらが手がけたものは評価が高いとはいえません。
古楽器では、このブログでも多く取り上げている、ホグウッド指揮、アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックの全集が素晴らしい演奏ですが、商業的に成り立たなかったようで、第75番を最後に打ち切りとなってしまいました。
かえすがえすも惜しまれますが、ハイドンのシンフォニーを全部、ハイレベルな演奏で録音する、ということがいかに至難であるかを示しています。
古楽器のハイドン・シンフォニー全集はまだありませんので、現在進行中の、ジョヴァンニ・アントニーニが「ジャルディーノ・アルモニコ」と「カンマーオーケストラ・バーゼル」のふたつのオーケストラを使い分けて、ハイドン生誕300年となる2032年に向けての完成を目指しているプロジェクト『ハイドン 2032』の完成が待たれます。
《ホルン信号》古今の名演奏
ここでは、1989年録音のホグウッド指揮の演奏を取り上げていますが、それを挟んで、新旧ふたつの名演奏を紹介しておきます。
まずは、往年の大指揮者、トスカニーニのものです。
彼は、当時としては珍しくハイドンをよく取り上げましたが、なぜか初中期の作品であるこの曲を、4度も演奏したといいます。
そして、1938年の録音が今に遺されています。
新しいものは何といってもアントニーニですが、ちょうど本日、発売予告として第1楽章だけApple Musicにリリースされました。
アルバムの発売日は来年、2023年1月27日とのことです。
動画は、アントニーニのプロモーション用の録音風景で、第1楽章の終わり部分のみです。
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。


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