孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

「農奴解放政策」が音楽にもたらしたもの。ハイドン:交響曲 第73番 ニ長調《狩り》

ルーベンス『狩りをするディアナとニンフたち』

農民と農奴の違いとは

新年あけましておめでとうございます。

本年も本ブログをよろしくお願いいたします。

さて、昨年に引き続き、モーツァルトに保護を与えたことで有名な、皇帝ヨーゼフ2世の〝上からの改革〟とその影響をみていきます。

「宗教の寛容」と並んで名高いのが、農奴の解放」です。

もうすぐ19世紀という時代なのに、中世の農奴制がまだ残っていたの?と驚きますが、農村というのは都会に比べて、どの国でもどの時代でも保守的で、なかなか変化しにくいのです。

農業の生産活動が、商工業などに比べて暦に縛られ、毎年毎年のルーティンがきっちり決まっているからなのかもしれません。

これを下手に崩そうものなら、たちまち収穫が得られなくなるのではないか、という怖さがあります。

日本でも、地主と小作人の従属関係は、戦後の農地改革まで続いていたという見方もあります。

中世の荘園制では、領主は農民から年貢を搾取するだけではありませんでした。

農民は領主の私有物であり、移動、職業選択、結婚の自由もなかったのです。

そのため、奴隷とあまり変わらないということで、「農民」ではなく「農奴」と呼ばれます。

ヨーロッパの水戸黄門

鋤を引くヨーゼフ2世

ヨーゼフ2世は、即位間もない1769年に、行幸中に馬車が壊れたとき、修理の間、手持ち無沙汰だったこともあって、近くの畑で農作業中の農民に声をかけ、自ら鋤を引かせてもらいました。

周囲にはお殿様の気まぐれな道楽と映ったかもしれませんが、啓蒙主義に燃えるヨーゼフ2世は、農民の苦労を体験して、その辛さを軽減するのが君主としての務め、と真面目に受け止めました。

しかし、それは道徳的な行いというだけではなく、富国強兵策でもあったのです。

ハプスブルク家の領土は、ドイツ圏のオーストリアが基本ですが、ハンガリーボヘミアチェコスロバキア)、ポーランドの一部、ネーデルラント、イタリアやクロアチアの一部など、ドイツ語以外を話す地域、他民族に及んでいました。

これをひとつにまとめるのは容易ではありません。

特に、大領主でたくさんの農奴を所有する大貴族たちが中央集権の障害でした。

母帝マリア・テレジアは、中央集権策を進めながらも、彼ら大貴族を潰すことはなく、穏健な懐柔策を取りました。

ハイドンが仕えるハンガリーエステルハージ侯爵はその中でも最大の領主であり、女帝はその宮殿に行幸してハイドンのオペラを絶賛したり、侯爵を帝国元帥に任命したりしてご機嫌を取りました。

侯爵もそれに応えて、いざ戦争となれば、マリア・テレジアのために死力を尽くして戦ったのです。

ただし、主君への忠誠は無償のものではなく、あくまでも自分の領地を守るためでした。

鎌倉時代御家人の「御恩と奉公」の関係と同じです。

しかし、ヨーゼフ2世は、さらなる近代化のため、彼ら領主の力の源泉である農奴を解放しようとしたのです。

いつもいきなりな皇帝

啓蒙君主としてのヨーゼフ2世

1781年11月1日。

マリア・テレジアが世を去って1年後、彼は農奴解放の勅令を発布しました。

これは、農奴法的身分の自由を保障し、移動、職業選択、結婚の自由を与え、強制労働の廃止土地の保有権、売却・担保権を与えました。

一気に、奴隷から一般市民と同等の権利を付与したのです。

当然これは、領主たる貴族の猛反発を受けました。

中世以来の自分たちの利権を、一枚の布告だけで取り上げられてはたまりません。

ハプスブルク家の直轄領というべきオーストリアやドイツ圏では、比較的従う者も多かったのですが、他の多くの地域では、勅令の拒否や無視が頻発しました。

反抗的だったボヘミアでは逆に強制もできましたが、マリア・テレジアが即位のときに諸外国から攻められた際、自分に味方してくれたハンガリーには、女帝は生涯遠慮がありました。

彼女は、幼いヨーゼフ2世を抱いてハンガリー議会で涙ながらに支持を訴え、貴族たちの権利や特権を維持することを約束した代わりに、大軍勢を提供してもらったのですから、ハンガリー貴族には終生頭が上がらなかったのです。

しかし、ヨーゼフ2世はそんな昔の経緯や恩義などお構いなしでした。

また、ネーデルラントも、かつてハプスブルク家の支配に反抗し、半分がオランダとして独立してしまい、残り半分、今のベルギーはカトリックということでかろうじて従属していましたが、これもいつ反乱を起こすか分からない地域で、統治には気を遣う場所でした。

ヨーゼフ2世はここも容赦なく対象にします。

マリア・テレジアがさんざん心配した、ハレーションを全く考えないせっかちで急進的な政策を、母の死後早速にぶっぱなしたのです。

皇帝の思惑と一致した、モーツァルトのオペラ

農民を領主の私的な財産から解放し、国家の直属にすれば、税は国庫に入ります。

また、農民に職業の自由を認めれば、人材が流動化し、諸外国に比べて遅れていた商工業の発展が見込まれ、外貨も稼げ、税収増にもつながります。

農奴解放は、単に〝自由がなくてかわいそうだから〟行われたのではなく、富国強兵のためなのです。

ヨーゼフ2世が、1786年に、平民が貴族を愚弄する内容のモーツァルトオペラ『フィガロの結婚の上演を許したのも、「初夜権」などの封建的特権を振りかざす貴族をやっつけることが、皇帝の目的と一致していたからです。

映画『アマデウス』では、内容は問題視しながらも、モーツァルトの音楽のあまりの素晴らしさに上演を許可した、という描写は表面的なものなのです。

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ハイドンへの影響

それでは、ハイドンが仕えたエステルハージ侯爵はどう対応したのでしょうか。

ハンガリー貴族たちは、自分の領内の農民は、土地を賃貸して地代を払う契約関係にあるので、決して〝農奴〟ではない、と主張したのです。

あくまでも地主と小作人の関係だ、ということです。

そう言われるとヨーゼフ2世もそれ以上は強く出れませんでしたが、怒ったのは農民たちです。

1784年に、トランシルヴァニア地方で、農奴制廃止、信教の自由、領主直営地の配分など、ヨーゼフ2世の政策にも掲げられた要求の実現を求めて、約3万人の農民一揆が起こりました。

しかし、一揆は政府としては容認するわけにはいかず、ヨーゼフ2世は軍隊を送ってこれを鎮圧し、首謀者を処刑せざるを得ませんでした。

自分で火をつけておいて、燃え広がり過ぎてあわてて自分で消火に追われるという矛盾が、啓蒙専制君主の限界といえます。

ただ、ハンガリー貴族たちは一揆に懲りて、農奴解放を進めざるを得なくなったのも歴史の妙。

ハイドン率いるヨーロッパ随一のオーケストラを私的に抱えた大貴族、エステルハージ侯爵も、だんだんと宮廷楽団の維持が難しくなってきました。

一方、時を同じくして、田舎に引きこもって独創的な音楽を作り続けているハイドンの名声が、ヨーロッパ各地に広がっていき、ハイドンも田舎宮廷に縛り付けられている自分の身分を窮屈に感じてきていました。

ハイドンの〝卒業〟も、それほど遠くない日ではないのです。

 

昨年来、ハイドンのシンフォニーを若い頃から年代順に聴き続けてきましたが、だんだんとエステルハージ侯爵家時代の最後期の作品にさしかかっていきます。

ハイドン交響曲 第73番 ニ長調《狩り》

Joseph Haydn:Symphony no.73 in D major, Hob.I:73 "La Chasse"

演奏:クリストファー・ホグウッド指揮 アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(古楽器使用)

第1楽章 アダージョアレグロ

ヨーゼフ2世農奴解放令を出した1781年に作曲されました。タイトルの《狩り》は、最終楽章にハイドン自身がそのように銘打っていることによります。あくまでも、フォナーレのテーマであり、全楽章にわたって狩りのモチーフが使われているわけではありません。

その最終楽章は、オペラ『報いられたまこと』の序曲を転用したものです。このオペラはエステルハージ侯爵家宮廷劇場のために作られたハイドンの自信作であり、月と狩りの女神ディアナ(ギリシア神話ではアルテミス)が出てくる話なので、狩りにちなんだ音楽になっているのです。

ゆっくりした序奏は、管楽器群による八分音符の刻みに乗って、弦が即興的に歌う独特なものです。白々と夜が明けていくような、神秘的な感じがします。やがて弦も八分音符を一緒に刻み、最後はフォルテッシモまで上がります。

序奏最後のリズムで主部のアレグロが始まります。第1主題は、何かせりふがついているような〝語り口調〟のフレーズです。語り、はさらに楽器が重なり、盛り上がっていきます。ハイドンならではの疾走感と躍動感が満ちます。

この年、ハイドンは『ロシア四重奏曲 作品33』を完成させ、古典派のソナタ形式を樹立します。このシンフォニーでも、テーマが相互に強く関連し、論理的に構成されています。

展開部では、突然音楽が休符で止まり、無音状態になる時が2回もあります。しかし、それは不自然には感じられず、物語の進行に必要な休止と納得させられるのは、ハイドンにしかできない技といえます。

ハイドンのシンフォニーの円熟味と高度な洗練は、このシンフォニー以降に強く感じられます。

第2楽章 アンダンテ

この楽章のテーマも〝語り口調〟ですが、それもそのはず、原曲はハイドン自作の歌曲『愛のお返し』から採られています。テーマは24小節の長いもので、それ自体には転調は含みません。その後、展開部に入り、前半はト短調、後半は変ロ長調で変奏されます。再現部でト長調に戻ったあと、第二の展開部がト短調から始められ、ハ長調を経て原調に帰りますが、コード進行に工夫が凝らされ、変幻豊かになっています。

第3楽章 メヌエット:アレグレット&トリオ

後期のシンフォニーを思わせる重厚なメヌエットです。テーマの統一感がここでも盛り込まれています。フルートのトリルが印象的です。トリオはオーボエファゴットの二重奏で始まり、後半にはフルートも加わって木管のアンサンブルとなります。

第4楽章 狩り:プレスト

前述のように、もともとは狩りにちなんだオペラの序曲でした。馬でギャロップするようなテーマとリズムはまさに狩りがモチーフで、モーツァルトハイドンに捧げた6曲の弦楽四重奏曲集『ハイドン・セット』の第17番 変ロ長調 K.458《狩り》の第1楽章でも使われていますし、ハイドン自身もオラトリオ『四季』の狩りの場面で使っています。古くはヴィヴァルディの『四季・秋』の最終楽章にも通じるものがあります。楽しいスポーツに興じる人々の笑顔が見えるようです。

やがて、オーボエを伴ったホルンの信号音は、最初に牡鹿を見つけたときに吹かれる音型です。前回のシンフォニー『ホルン信号』の軍楽ホルン、郵便ホルンとの違いをぜひ比べてみてください。

展開部では、盛り上がりはさらに最高潮に達し、ホ短調への転調が効果的です。そして最後には弦楽器の力強いユニゾンになります。再現部は形通り進みますが、ホルン信号のあと、さらに大いに高揚して終わるかと思いきや、次第に音を弱め、消え入るように終わります。これは、オペラの序曲として、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』序曲のように、冒頭の情景への導入としてそのような作りになっているのですが、独立した作品として聴くと、狩りの獲物の最後を暗示しているようにも感じます。

 

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今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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