小さいけど、大きな手違い
フランス王太子ベリー公ルイ・オーギュスト(のちのルイ16世)と、王太子妃マリー・アントワネットは、ウィーンで既に仮の代理結婚式を済ませていましたが、フランスにおける正式な結婚式は、ヴェルサイユ宮殿ルイ14世礼拝堂にて、5月16日13時より始まりました。
儀式に先立ち、王太子妃に花嫁衣装が着せられましたが、ここで信じられない事態が発生しました。
衣装の寸法が小さすぎ、丈が短くて、袖から二の腕がはみ出して、後ろも留められず、シュミーズがはみ出してしまうのです。
1年前から入念に準備され、ここまで順調に進んできた婚儀なのに、最後の最後で痛恨のミスです。
ウィーンからパリへ、寸法の伝達ミスなのか、その間に育ち盛りの少女が成長したのか、分かりませんが、両方だったかもしれません。
ダイヤモンドのついたレースを肩にかけて応急措置をしましたが、どうにも不自然だったのは否めないようです。
婚儀に招かれた英国のノーサンバーランド公爵夫人は、次のように回想録に記しています。
『衣装のコルセットが小さすぎ、後ろのレースとシュミーズが見え、ダイヤモンドのついた2本の縁飾りの効果が台無しになっている。宝石をたくさんつけている。』
王太子妃はおそらく情けない思いをしたでしょうが、式の時間に遅れるわけにはいきません。
限られた王族、高位の貴族のみが入るのを許された式場に入ってゆきます。
不吉な染み
式を執り仕切るのは、代々のフランス王に戴冠させる役目を持つランス大司教。
13枚の金貨と結婚指輪に祝福を与え、王太子に、妃に指輪を嵌めるよう促します。
王太子は、先の公爵夫人の証言では、『花嫁よりおずおずとし、指輪を花嫁の指に嵌めるとき、目元まで赤くなりひどく震えていた。』ということです。
マリー・アントワネットの方が儀式慣れ、場慣れをしていたようです。
ただ、小柄でほっそりとして、12歳くらいにしか見えなかった、と公爵夫人は言っています。
そのあと、結婚契約書への署名が行われました。
長い羊皮紙に書かれた契約書に、まず国王ルイ15世が、続いて王太子が署名しました。
その後に王太子妃が、『マリー=アントワネット=ジョゼフ=ジャンヌ』と署名します。
ドイツ語ではマリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハンナですが、もちろんフランス語で書きます。
その時、羽ペンが羊皮紙に引っ掛かり、ジョゼフ、のところで大きな染みができてしまいました。
マリー・アントワネットはただでさえ最初から緊張で手が震え、字が斜めになっていましたが、これに動揺し、さらに続くジャンヌでは、eがまともに書けていません。
この染みは、当時から凶兆として囁かれましたが、この夫婦が後に断頭台で流した血を思わせ、恐ろしくなります。
いきなりの豪雷雨
ともあれ、表面的には結婚式は滞りなく終わり、式を見ることは許されなかった平民たちもヴェルサイユ宮殿の庭への入場が許されます。
パリの人口の半分が来たかのような賑わいでした。
夜には、前代未聞の規模の盛大な花火が打ち上げられる予定で、民衆はそれを楽しみに詰めかけたのですが、午後ににわかに空がかき曇り、稲妻が光り、豪雨となりました。
冷たい雨に打たれ、何万人もの人々がパリへ逃げ帰ったのです。
花火は、一連の祭典の締めくくりとして、2週間後の5月30日に、パリのルイ15世広場(現在のコンコルド広場)で盛大に打ち上げられました。
パリの民衆たちは、ヴェルサイユで見損なった花火を楽しみに詰めかけていましたが、花火が暴発して火事となり、巻き込まれた市民に132人もの死者が出る大惨事となってしまいました。
偶然ではありますが、どうにも、この婚礼には不吉なことが多すぎるのです。
長い1日のお開き
さて、外での暴風雨は関係なく、宮殿内では大披露宴が催されました。
6000人の貴族が列席しましたが、席についてご馳走を食べるのは王族だけです。
しかし、貴族たちにとっては、その様子を見守るだけでも末代までの栄誉でした。
アーケードでは80人編成のオーケストラが食卓の音楽を奏で、やがて王族は近衛兵の礼砲を合図に退場。
公式の祝典はこれでお開きとなりましたが、儀式は新郎新婦の寝室に移ります。
国王は若い夫婦を寝室に連れてゆき、王太子のナイトウェアは国王が、王太子妃のそれは最も近くに結婚した高位の貴族女性、今回はシャルトル公爵夫人が手渡します。
新婚のベッドにはランス大司教が聖水を振りかけ、祝福を授けます。
ようやく、国王はじめ人々は新婚初夜の寝室から退出し、天蓋つきのベッドのとばりが降ろされ、長い1日が終わりました。
しかしそれは、マリー・アントワネットの波乱に満ちた新しい人生の始まりでした。
ハイドンの『トスト・シンフォニー』
それでは、ハイドンの『パリ・セット』に続くシンフォニーを聴いていきましょう。
1787年、エステルハージ侯爵家楽団でヴァイオリニストをしていたヨハン・ペーター・トストが、劇団を去ってフランスに行くことになりました。
楽長ハイドンの曲がパリで大人気なのを知っていましたから、トストはハイドンに2曲の新作シンフォニーを注文しました。
これを手掛かりに、パリで一旗上げよう、というわけです。
ハイドンは注文通りに2曲のシンフォニーを作曲し、トストに売り渡しました。
これが、第88番 ト長調《V字》と、第89番 ヘ長調の2曲で、『トスト交響曲』と呼ばれます。
トストはこのほかにも6曲の弦楽四重奏曲の作曲をハイドンに依頼し、その結果、『第1トスト四重奏曲 作品54』3曲と、『第2トスト四重奏曲 作品55』3曲が作られました。
トストはこれらの曲を引っ提げてフランスに乗り込み、大成功しますが、それはヴァイオリン奏者としてより、出版仲介業者としてでした。
彼はハイドンの作品を出版社に売り渡しましたが、ハイドンから版権を得ていないピアノソナタまで売ったばかりか、ハイドンに対する報酬もなかなか支払わなかったため、ふたりの間にトラブルが生じました。
これは、著作権がまだ確立していなかった頃ならではの話です。
結果的には和解し、トストはさらにハイドンに『第3トスト四重奏曲 作品64』を注文し、モーツァルトにも、弦楽五重奏曲 第5番 ニ長調 K.593と、第6番 変ホ長調 K.614を注文しています。
K.614が完成したのはモーツァルトの死の8ヵ月前でした。
トストも著作権についてはいい加減でしたが、ハイドン自身もその後、詐欺まがいなことをしています。
エッティンゲン=ヴァラーシュタイン侯爵クラフト・エルンストから、『誰にも知られていない新作』の注文を受けたのですが、売り渡したのは新作ではなく、すでにフランスのドーニ伯爵に売り渡していた第90番から第92番のシンフォニーだったのです。
ハイドンとしてみれば、さんざん海賊版で損をさせられていたわけですから、これくらい、と考えていたでしょうが、不誠実と言わざるを得ません。
でも、侯爵は事情を知っても寛大にハイドンに接し、さらなる新曲を依頼したということです。
完全に〝売り手市場〟だったわけです。
それはともあれ、ハイドンの大人気曲、《V字》を聴きましょう。
Joseph Haydn:Symphony no.88 in G major, Hob.I:88
演奏:ブルーノ・ヴァイル指揮 ターフェルムジーク(古楽器使用)
《V字》という意味深なタイトルがついていますが、何のことはない理由です。ロンドンのフォースター社が、ハイドンの交響曲選集の第2集(全23曲)を出版した際に、各曲に「A」から「W」までのアルファベット一文字からなる整理用の番号が印刷されていました。この曲は「V」だったのですが、それがそのまま愛称になってしまったのです。次の第89番は《W字》、第90番は《R字》と呼ばれたこともありましたが、今では廃れてしまいました。《V字》だけ残ったのは、何となく語呂がよかったからでしょうか。ともあれ、愛称がついていると親しみやすく、ポピュラーになりやすいですが、この曲がロンドン・セット以前の曲で特に名曲とされ、演奏の機会が多いのは、その魅力的ゆえであることは間違いありません。
第1楽章には、さりげない感じの序奏がついています。特に深い内容ではなく、強音と弱音を対比させています。この曲の性格が軽快なものであることを予告しているかのようです。
主部のアレグロは、予告通り、実に親しみやすく、愛嬌たっぷりです。まず弦だけで歌い出され、それに管を加え、強弱の変化をつけながら展開していきます。楽器同士が楽しく掛け合い、次から次へと魅力的なフレーズが繰り出されます。まるで音の遊園地にいるかのようです。音符は跳ね回り、踊り、笑います。ロ短調の第2主題は目立つものではなく、第1主題の経過句のようで、実質的に単一主題が変幻自在に扱われているともいえます。
展開部はさすがにニ短調でシリアスな雰囲気にもなりますが、深刻ではなく、イ短調⇒ハ短調⇒変イ長調と意表を突いた転調をしたり、カノンを挿入したりと、緻密な構成になっていて、聴く人を引き込んでやみません。
再現部ではフルートが活躍し、第1主題を受け持ちます。再現といっても、様々な変化がつけられ、意外性と納得性を兼ねそろえていて、充実の極みといえます。
このシンフォニーには、トランペットとティンパニがあるのですが、なんと第1楽章で登場しない、というサプライズがあります。
第2楽章 ラルゴ
独奏チェロとオーボエで、伸びやかなテーマが奏され、これが豊かに変奏されていきます。ピチカートに彩られ、叙情たっぷりに進んでいきますが、突然、第1楽章で沈黙していたトランペットとティンパニが、まさかの第2楽章で、フォルテで登場し、驚かされます。第2楽章でトランペットとティンパニが使われるのは、ハイドンがこの曲を作曲した4年前に、モーツァルトがシンフォニー 第36番 ハ長調《リンツ》でやったことで、当時としては極めて異例でしたが、その効果は人を唸らせました。《リンツ》は、ハイドンの影響大と言われていますが、この曲では逆にハイドンがモーツァルトの着想をヒントにしたかもしれません。フルートと2本のオーボエが、カデンツァ風に奏でるのも、実に美しい響きです。
ブラームスはこの楽章を崇拝していて、『私の第9交響曲はこのように響かせたい』と語りました。
第3楽章 メヌエット:アレグレット
堂々とした、元気いっぱいのメヌエットですが、優雅というより民俗舞踏的です。トリオではさらに鄙びた田園風の演出がなされ、ドローン(持続低音の一種)の上にオーボエがソロを吹きます。この不思議な効果ゆえに、このシンフォニーは《バグパイプつき》と呼ばれたこともありました。
第4楽章 フィナーレ:アレグロ・コン・スピーリト
ハイドンがこれまで作曲したフィナーレの中でも、特に技巧的で輝かしいものです。運動会的に楽しいテーマが、第1ヴァイオリンとファゴットのユニゾンで始まり、ソナタ・ロンド形式で強弱を目まぐるしく対比させ、縦横無尽に展開していきます。ひとしきりテーマが奏されたあと、爆発し、畳みかけるように突き進んでいきます。時々フェルマータで絶妙な〝間〟を挟み、展開部では、上下の声部の間にフォルテのカノンを挟むという離れ業に圧倒されます。コードは、ト長調、ホ短調、ロ短調で緻密に進行します。第1主題は無窮動的に何度も登場しますが、最後のコーダは、ほとんど演奏不可能と思われるくらいに爆発的で、これほどパワフルな音楽は18世紀のものとは思われません。
動画は、このシンフォニーで特に人気の第4楽章 フィナーレのものを3つ挙げておきます。
ひとつめは、ザグレブ・ソロイストの演奏で、弦楽器だけの室内楽的な演奏ですが、実に生き生きとしています。
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ふたつめは、往年のレナード・バーンスタインがウィーン・フィルを振った、アンコール演奏です。スタート直後に指揮棒を下ろしてしまい、目配せと表情だけで指揮をするという、伝説的な、いかにもバーンスタインらしいパフォーマンスです。ハイドンのユーモアに負けじというわけです。
www.youtube.com
3つめは、名ギタリスト、ポール・ギルバートがライブで88番のフィナーレを弾いた演奏です。フルオーケストラに劣らない効果がすごいです。超絶テクニックもさることながら、ハイドンの魅力も時代を超えていると実感します。
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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