マリー・アントワネットのフランスへのお輿入れの旅の続きです。
24日目、5月14日。独仏因縁の地、コンピエーニュの森へ
いよいよ、マリー・アントワネットの長い長いブライダルジャーニーも、目的地に到着です。
フランス国王ルイ15世と、その孫にして、花婿である王太子、ベリー公ルイ・オーギュスト(のちのルイ16世)との対面です。
何かにつけて、仰々しい儀式ばかりの今回の婚儀で、この対面の儀だけは、なぜか自然で家庭的な演出が行われました。
対面はヴェルサイユ宮殿で衆人環視の中で行われたのではなく、パリから北東に90Kmばかり離れた、フランス王室のお狩場、コンピエーニュの森でした。
マリー・アントワネットは既にウィーンで仮婚儀というべき、代理結婚式を済ませているので、すでにブルボン家の一員ということになり、対面は、狩りに来ていた国王、王太子と偶然森で出会った、という風を取られることになったのです。
後にフランスの皇帝となったナポレオンも、子供ができなかった糟糠の妻、皇后ジョゼフィーヌと離婚し、自身の箔つけのために、名門ハプスブルク家から皇女マリー・ルイーズを皇后に迎えましたが、その対面も、マリー・アントワネットとの先例に従い、1810年に同じくこのコンピエーニュの森で行われました。
この森は歴史的にフランツとドイツの関係に因縁深く、1918年に第1次世界大戦の休戦条約が、ここに置かれた客車で結ばれました。
敗戦国ドイツにとって屈辱的な条約だったため、1940年にフランスに侵攻したナチスドイツのヒトラーは、この森に、同じ客車をわざわざ用意させ、フランスを屈服させる休戦条約を結んで意趣返しを行いました。
いよいよ、国王と王太子との対面
さて、王太子妃を迎えるべくコンピエーニュの森についたルイ15世は、花婿以上に対面を楽しみにしていました。
愛妾を絶やすことのなかった好色な老王は、花嫁の胸はどのくらい膨らんどるのか、世継ぎを早く産むためには早熟の方が望ましいのだが、などと近臣に聞きながら待ち構えていました。
やがて王太子妃の馬車が到着し、ベルヌ橋に降り立ったマリー・アントワネットに最初に挨拶する栄誉が与えられたのは、外務大臣にして、今回の婚儀を実現させたショワズール公爵。
マリー・アントワネットが、『あなたが私の幸福を保証してくださるのですね。』と声をかけると、公は『フランスの幸福も、です。』とすかさず答えました。
そして、王太子妃はさすが女帝の娘、ほとんど緊張した素振りも見せず、優雅な足取りで国王に近づき、『陛下、おじいさま、初めまして。』と挨拶します。
儀礼的には、『お父上にして国王陛下』と言わなければならないのですが、ルイ15世はそんなことは気にせず、王太子妃のあまりの愛らしさに喜び、両頬にキスして高々と抱き上げました。
マリー・アントワネットの高貴で優雅な身のこなし、お辞儀は、後に、王宮に押し掛けた怒れる群衆を鎮めたほどです。
国王は花婿を紹介し、王太子は逆にぎこちない仕草で花嫁にキスをします。
次に国王は、自分の3人の娘(内親王)たち、アデライード(38歳)、ヴィクトワール(37歳)、ソフィ(36歳)を紹介。
この独身の義理の叔母たちに、これから王太子妃は振り回されることになります。
そして3人は馬車でコンピエーニュ城に向かいますが、車中では国王が大変な上機嫌で王太子妃に話しかけ、ほとんど口説かんばかりだったといいます。
王太子はむっつりと黙ったままでした。
花嫁よりひとつ年上ですが、まだ15歳なのですから無理もありません。
コンピエーニュ城は、ルイ15世が1751年に古い城を取り壊し、全面的に建て直していましたが、1770年当時、まだ未完成でした。
でも大方の部分は完成していたので、一行はここで宿泊し、夜にはオルレアン公はじめ、フランスの王族たちの紹介の儀がありました。
この夜はまだ新郎新婦は同衾せず、別々に就寝。
王太子は日記に「王太子妃と対面」とだけ書いて、新婦に挨拶もせず寝たということです。
25日目、5月15日。
ヴェルサイユに向かう途中、サン・ドニ修道院に立ち寄り、国王の末娘ルイーズ・マリー内親王に面会します。
彼女は、名誉革命で国を追われた英国王ジェームス2世の孫で、英国王位請求者であったチャールズ・エドワード・ステュアートと結婚させようと父王は計画していましたが、好きでもない男性と結婚するくらいなら修道女になる、と拒否していました。
そのうちに縁談も消えたのですが、1ヵ月前の4月11日の早朝、突然ヴェルサイユ宮殿を出て、この修道院に入ってしまったのです。
政略結婚の道具になることを拒むには、当時の王女にはこの手しかなかったのですが、彼女は生涯を信仰に捧げ、カトリックの尊者に列せられています。
その後、国王は王太子妃をパリ郊外のラ・ミュエット城に連れて行き、ここで晩餐会を開きました。
その席には、国王の愛妾デュ・バリー夫人が同席していて、派手な服にゴテゴテと宝石をつけ、傍若無人に振る舞っていました。
彼女は本来このような公式の場には出る資格はなかったのですが、最近出席できる権利をある貴婦人から買い取ったのです。
内親王たちは激怒。
オーストリア大使も眉をひそめます。
マリー・アントワネットも、紹介されないあの方は誰?と女官長ノアイユ夫人に訊きます。
ノアイユ夫人も返答に困りましたが、『国王陛下を喜ばす役目の方です』と何とか答えます。
それを聞いた王太子妃は、『では、あの方は私のライバルですわね。私も国王陛下を追喜ばせしたいのですから。』と答えますが、無邪気な反応に夫人も困ったことでしょう。
その後、王太子妃とデュ・バリー夫人の確執が大問題となるのは有名な話です。
王太子はここには泊まらず、先にヴェルサイユに帰っています。
26日目、5月16日。
雲一つない快晴のもと、早朝にラ・ミュエット城を出発した一行は、午前中のうちについにヴェルサイユ宮殿に到着します。
王太子妃の居室として、1階のアパルトマンに案内されますが、ここは花婿の母、マリー・ジョセフが3年前に亡くなるまで使っていた部屋でした。
その後ずっと使われておらず、埃っぽくなっていましたが、とりあえずここで、ということになっていました。
後に、正式な部屋が2階に用意されますが、このあたり、彼女が歓迎されていたのかいなかったのか、不思議な扱いです。
女官たちが着替えを手伝い、正式な結婚式は13時から始まります。
それでは、ハイドンの『パリ・セット』の6曲目、最後の曲となるイ長調のシンフォニーを聴きましょう。
Joseph Haydn:Symphony no.87 in A major, Hob.I:87
演奏:ジュリアン・ショーヴァン指揮 ル・コンセール・ド・ラ・ロージュ(古楽器使用)
自筆譜が残っており、1785年に書かれたことが分かります。現在の配列では、6曲の「パリ・セット」の最後の曲ですが、ハイドンが出版社に指示した配列では第1曲とされています。作曲順では3番目と推定されています。私の中では、パリ・セットの中で一番好きな曲です。
セットの第1曲なら、ハイドンは序奏つきの曲を持ってきそうな気がしますが、この曲はいきなりの開始です。トゥッティのフォルテで、のっけから飛ばします。そして、8分音符の音型が5回も、これでもか、とばかり繰り返されるのです。蒸気機関車はまだ発明されていませんが、まるで疾走するSLのようです。初めて聴いた人は、こんなのアリ?とのけぞったことでしょう。そのあと、爽やかに楽器たちが呼び交わし、続いてリズミカルに弦が刻む上を、楽し気に管楽器が戯れ遊びます。第2主題は弦がスタッカートで登り降りを繰り返します。繰り返しの妙と、その変化がこのシンフォニーの主眼のようです。
展開部では第1主題がたたみかけるように小刻みな転調を繰り返しながら、緊張感をはらんで進んでいきます。一瞬の休止、沈黙のあと、今度は第2主題が嬰ヘ短調、嬰ト短調、ホ長調と、細やかに表情を変えて再現部につなぎます。
再現部も単純ではなく、展開部のような拡がりを見せつつ楽章を閉じます。充実した構成を感じさせないほど、茶目っ気に溢れています。
第1楽章の遊びと機知に富んだ世界から一転、静かな大人の雰囲気となります。ホルンが醸し出すしっとりと落ち着いたテーマはやがて、フルートと2本のオーボエに彩られ、表情豊かに展開していきます。まるでコンチェルトのようにソロ・パートが設けられ、提示部の終わりにはカデンツァ風の、無伴奏の三重奏まで用意されています。それが終わると、沈む夕陽が、最後の光を残して稜線に消えるかのように曲が終わります。シンフォニア・コンチェルタンテ(協奏交響曲)がもてはやされていたパリの聴衆を意識して作られたと考えられます。
特徴的で印象的なメヌエットです。ちょっとスレた感じがいかにも粋。トリオは弦の控えめな伴奏に乗ったオーボエのソロ。楽し気に奏でられますが、実はトリオの後半には、実は3点ホ音という、当時のオーボエで出すのは至難の音が要求されているのです。
第4楽章 フィナーレ:ヴィヴァーチェ
第1楽章と同じく、生き生きとしたヴィヴァーチェのフィナーレです。流れるようなテーマは、これまた第1楽章と同じく、同音型の繰り返しがあり、強い統一感を感じます。フェルマータでいったん休止し、一息つくのもハイドンの名人芸で、これは形を変えて、何度も効果的に使われます。第2主題は目立たず、終わりの方で出てきます。
展開部は、嬰ヘ短調の緊張感ではじまり、すぐに対位法的に、雄大に進んでいきます。第1主題にこんな拡がりがあるとは、と圧倒されます。音楽は颯爽と、吹きすさぶ風のように進んで、聴く人は追いつけません。再現部では、主役は第2主題で、あとから第1主題が出てきます。いったん偽の終わりがあり、意表を突く形で再スタートしたかと思うと、さっと終わります。
ハイドンの、これでもか、とばかりに目くるめくような工夫と仕掛けが満載の、この画期的なシンフォニーたちは、長くパリ人たちのお気に入りとなったのです。
動画は、少し古いですが、ユベール・スダーン指揮のザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の生き生きとした演奏です。
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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