マリー・アントワネットのフランスへのお輿入れの旅の続きです。
12日目、5月2日。
朝8時半にオーバーマルヒタールを出発。
エアティンゲンに到着すると、子供たちが『ばんざい、マリア・アントニア様、ばんざい!わたしたちは、大公女様の栄光とご多幸をお祈りします!』と声を上げました。
メンゲンに到着すると、銃を手にした市民90人がパレードで歓迎。男子生徒が木銃をもって余興を披露します。
昼食はメスキルヒ。
休憩は3時間に及び、その間に馬を交換します。
このあたりの道は輿入れのために新しく急遽造成し、〝王太子妃の道〟と永く呼ばれました。
この日の宿はシュットカッハ。
華やかな民族衣装の住民と、色鮮やか制服を着た騎馬兵が整列して出迎えます。
食後には、道路整備を行った騎士団員や各市の代表が謁見します。
謁見の栄誉にあずかった人々は、口々に王太子妃の美しさ、たとえようのない気品と威厳を讃えた、ということです。
また、気さくな態度、気の利いた挨拶にも皆感動し、賞賛したということです。
マリー・アントワネットは、格別の美人、というわけではありませんでしたが、後年、フランス王妃になってからも、またフランス革命が起こってからも、暴徒でさえ、その気高く優雅な身のこなし、立ち居振る舞いに心を打たれた、と記録に残っています。
行動は軽率で軽々しかったのですが、一方で見た目の気品と優雅さは、さすがハプスブルク家の姫君、といったところです。
13日目、5月3日。
早朝にシュットカッハを出立。
一行はシュヴァルツヴァルト(黒い森)地方に入ってゆきます。
ドナウエッシンゲンの狩猟隊が警護につきました。
ここにはドナウの源流といわれる泉があり、喉が渇いたマリー・アントワネットは、柄杓で水を飲もうとします。
すると、泉に黒髪の気味の悪い老婆が映り、彼女はギョッとします。
これは誰?と驚く皇女に森林保護官は、『ああ、それはノイヘヴェンの泉の主ですよ。彼女は時には人生の昼の面を表す優しい善良な女性として、時には夜として姿を現すのです。』と解説します。
泉の主は彼女には人生の夜の面を見せてしまったのですが、特段皇女は気にしないで泉を去ります。
彼女の不吉な運命を示すこのエピソードはおそらくフィクションでしょう。
皇女は上機嫌で、もっとこのあたりでゆっくりできたらよかったのに、と周囲に話します。
今宵の宿舎は、フュルステンベルク侯爵の城です。
侯爵は大の音楽好きで、モーツァルトやリストをもてなしました。
その縁で、今でも当地で毎年10月にドナウエッシンゲン音楽祭が開催されています。
公は王太子妃を迎えるために、道路や館を拡張、改装しました。
城の1階はほとんど大食堂となり、2階は王太子妃専用フロア。
3階は高貴な従者、4階は王太子妃付き女官の部屋となりました。
歓迎式典や晩餐会は豪華を極めます。
今も城にはマリー・アントワネットが休んだ寝室が遺されています。
14日目、5月4日。
次の宿地フライブルクに向かって出発しますが、この行程は峠あり谷ありで、この旅での最大の難所でした。
途中の宿場町ヘレンタールの壁に、マリー・アントワネットが立ち寄った際の情景が描かれています。
ようやく午後3時に、フライブルクに入城。
晴れ着姿で出迎える市民に対し、歓呼に応える皇女はどこか元気がなかった様子だったということです。
馬車で山道を長く揺られたため、さすがに気分が悪くなったと思われます。
それでも、到着すると休む暇もなく、当地の貴族たちの謁見に応じ、微笑みと言葉を返しました。
なんとも健気な14歳の少女です。
午後5時に、マンハイムからやってきたバレエ団が演じる演劇を鑑賞。
出し物はなんと9幕もあったということです。
さすがに疲れた皇女は大聖堂訪問を翌日に延期し、今も残るカーゲナック伯爵の家に宿泊。
ここで、マリア・テレジアが出発の日に書いた長文の手紙が到着します。
皇女は読む気にもならなかったでしょう。
伝説では、この日の夜、例の泉の精が夢に現れ、『人生の真ん中で、はや死神に取り憑かれている。5月の真ん中が二つに折る。』と言ってバラの枝を渡したということです。
これはフィクションでしょうが、悪夢を見てもおかしくないくらい、疲れとストレスがたまっていたことでしょう。
15日目、5月5日。
この日は移動はなく、フライブルク滞在です。
昨日行けなかった聖堂に向かおうとすると、王太子妃に献上するという、麦やワインを満載した荷車が行く手を遮ります。
昼食は外で市民と取り、その後も歓迎の踊りや演劇が続きます。
フライブルクは宝石のガーネットとその彫金技術で栄えていましたが、彫金師が千個の石を散りばめたアクセサリーを献上しました。
皇女は『これを身につけるたびに、フライブルクのことを思い出すでしょう。』と喜びました。
ようやく元気を取り戻してきたようです。
午後は大学教授陣による、花婿花嫁を讃え、ハプスブルク家の歴史を表現したパレードがあり、夜には街じゅうがライトアップされました。
「栄誉の門」には、中央にはマリア・テレジア、左右にヨーゼフ2世とルイ15世が描かれ、賑々しく音楽が奏でられています。
夜半から嵐になりましたが、大聖堂の千個の照明は風雨で消えないように機械的工夫が施され、遠くの町や村からも夜中まで、夜空にはっきりと尖塔の十字が見えたということです。
16日目、5月6日。
フライブルク出立にあわせ、聖堂の鐘が鳴り響きましたが、これは1258年に鋳造されたドイツ最古の鐘で、今も現役ということです。
道は平坦となり、行列はエメンディンゲン、ケンツィンゲン、ケンドゥリンゲンを経てシュッテルンに向かいます。
このあたりはドイツ、フランスの国境地帯のため、古来何度もフランス軍に侵攻され、戦火に見舞われてきました。
それだけに、この結婚は平和をもたらすものとして、土地の人々に歓迎、祝福されたのです。
この日の宿舎となるシュッテルン修道院にて、公式にフランス宮廷の高官たちの謁見を受けました。
筆頭はルイ15世から派遣された特命大使のノアイユ伯爵です。
彼はフランス随一の名家の出で、宮廷で並ぶもののない実力者でした。
その夫人が有名なノアイユ伯爵夫人で、王太子妃に仕える女官長に任命され、その生活を総監督することになります。
マリー・アントワネットは、彼女のことを〝マダム・エチケット〟と陰で呼んで煙たがり、後に解任してしまいますが、初めて会うのは明日のことです。
修道院長は、王太子妃を迎える準備に多額の費用がかかったことを嘆いていました。
寝具や家具、壁紙に鏡台、洗面用具、食器類、グラス、水差し、テーブルクロスも高価なものを自費で新調しなければならなかったのです。
院長はフライブルクの高官に次のように陳情しています。
『3月26日に、王太子妃の寝室を現況より更に良い壁紙に張り替えるようにと通達がありました。私はこの部屋には最上質のワックスの壁紙を、廊下にはダマスク織、謁見の間にはイタリア製の最高級のタペストリーを貼らせました。今、寝室をこれより良くせよではなく、ダマスク織にせよと言って来ましたが、それには900グルデン余分にかかるのです。』
いい加減にしてください!といった感じです。
夜、花火が轟き、マリー・アントワネットは故国ドイツ最後の夜を過ごしました。
明日は、ライン川の中洲に設けられた「引き渡しの館」に赴き、名実ともにドイツと袂を分かち、フランス人になるのです。
皇女はどんな思いでこの宵を過ごしたのでしょうか。
それでは、パリの古楽器オーケストラ、ジュリアン・ショーヴァン指揮、ル・コンセール・ド・ラ・ロージュの演奏で、ハイドンの『パリ・セット』の3曲目を聴いていきましょう。
Joseph Haydn:Symphony no.84 in E flat major, Hob.I:84 "In Nomine Domini"
演奏:ジュリアン・ショーヴァン指揮 ル・コンセール・ド・ラ・ロージュ(古楽器使用)
第1楽章 ラルゴーアレグロ
「パリ・セット」の1曲として1786年に書かれました。ハイドンの指示した並び順からすると第4番です。日本では愛称で呼ばれることはありませんが、海外では《イン・ノミネ・ドミニ In Nomine Domini》や《La discrète》と呼ばれることがあるようです。いずれも由来は不明ですが、前者は英国近世の単旋律聖歌、または定旋律にポリフォニックに重ねていく5声または6声のヴィオール合奏曲などを意味し、後者は〝地味なもの〟〝控えめなもの〟といった意味になります。
第1楽章には序奏がついており、ハイドンの定番、といった趣です。変ホ長調のゆったりとした、飾り気のない序奏は、豊かな響きの中に沈む低弦の動きが奥深さを感じさせてくれます。主部の第1主題は弦だけで提示されますが、愛嬌たっぷりの、無邪気といっていいほどの親しみやすいテーマです。フルートを加えて繰り返されたあと、元気に走り出します。まったく楽しくなってしまいます。第2主題は第1主題と似ており、実質的に単一主題の楽章といってもいいでしょう。ハイドンとしては初めての試みです。木管がリードし、いきなり変ロ短調に転調して驚かせます。展開部はふたつの部分に分かれています。まず前半では第1主題が変ロ長調で奏でられ、ハ短調、ヘ短調と転調して緊張感を醸し出します。後半は再現部か、と思いますが、実はヘ長調であり、ハイドンの好んだ仕掛け、疑似再現で、さらに凝った展開が続きます。前半で、なんだ、月並みだな、と思わせておいて、聴衆の想像の上を行き、圧倒するのです。引き延ばされた和音も独特で、まさに非凡な曲です。その分再現部はわりとあっさりとまとめられていて、ハイドンのバランス感覚の絶妙さに脱帽です。
第2楽章 アンダンテ
テーマと4つの変奏です。テーマは弦だけで奏される変ロ長調の16小節で、第1楽章の序奏を変化させており、楽章間の有機的な連結を行っています。第1変奏は変ロ短調の深刻なもので、これも第1楽章の作りとつながりがあります。一見単純に思えるテーマに秘められた深さを掘り起こしています。第2変奏はテーマに華麗な装飾が施され、第3変奏はそれがテンポアップし、充実したクライマックスを形づくります。最後にはコンチェルトのカデンツァを引き出すように終わり、第4変奏は弦楽器のピチカートに乗り、木管楽器の素敵な5重奏になります。パリ人好みのシンフォニア・コンチェタンテを意識した工夫だと思われます。
第3楽章 メヌエット:アレグレット&トリオ
逆付点の弱拍から始まるメヌエットで、その場で足踏みをするような効果が面白いです。トリオはメヌエットを逆さにしたような動きで、ファゴットの独奏に、フルートが鳥のさえずりのような彩りを添えます。
第4楽章 フィナーレ:ヴィヴァーチェ
何かを語っているようなテーマが提示され、これが躍動的に、まさに縦横無尽に駆け回ります。何かのレースを見ているかのように、手に汗握るような展開です。第2主題が出てくるべきところには、第1主題の変形が出て来て、第1楽章と同じような単一主題的な組み立てがこのシンフォニーの新味といえます。展開分では第1主題が変ロ長調で示され、ヘ短調の緊張へと進みます。これがいったんフェルマータで鎮まると、今度はテーマが変イ長調で奏され、ひとしきり盛り上がると、そのまま再現部に突入する前にフェルマータで立ち止まり、焦らされます。再現部は、さらに新しい工夫が凝らされ、単なる再現に域を超え、聴衆を圧倒しながら幕となります。
動画は、良い古楽器演奏が見つかりませんでしたが、パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の活気ある演奏です。やはり、フランス人のために作られた《パリ・シンフォニー》は、フランスのオーケストラが得意なように思います。
www.youtube.com
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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