孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

敵は祖父の愛人!陰謀渦巻くヴェルサイユ。~マリー・アントワネットの生涯9。ハイドン:交響曲 第89番 ヘ長調

デュ・バリー夫人(フランソワ=ユベール・ドルエ画 1770年)

陰謀の巣窟、ヴェルサイユ

14歳の王太子マリー・アントワネットは、色々小さなトラブルはあったものの、まずは滞りなく結婚式を済ませ、表向きはフランス人たちに大歓迎、祝福され、ヴェルサイユ宮殿での生活を始めることになりました。

国王ルイ15世からも気に入られ、可愛がられることができたのも大きな成果でした。

こうして、王太子妃としてヴェルサイユでの生活が順調に始まったかのようですが、この14歳の少女はいくつもの課題に直面していました。

まずは、王家にしては家庭的な雰囲気だった実家、ハプスブルク家と、あまりにも違う儀礼、しきたり、マナー、エチケットの嵐。

先代の『朕は国家なり』の太陽王ルイ14世は、自分に反乱を起こした中世以来の封建領主たちを手懐けるため、壮大なヴェルサイユ宮殿で廷臣として飼い慣らすことに努めました。

自領で半独立させるのではなく、爵位や官職、名誉を差をつけて与え、宮廷で王に取り入ることによる出世を競わせたのです。

人事権をすべて王が握っているのですから、絶対専制君主制が確立します。

貴族たちは、『きょう、王が私をご覧になった』というだけで自慢し、周囲に差をつけた、と喜んだのです。

これは、王の権威を絶対的なものにするのに役立ちましたが、宮殿は足の引っ張り合い、陰謀の巣窟となるのも当然です。

王太子妃は、もちろん余程気を付けないとこれに無縁ではいられず、党派争いに巻き込まれかねません。

オーストリア派と、反オーストリア

国王ルイ15世は、政治より女性の方に多大の関心のある、好色な王でした。

曽祖父のルイ14世も代々の公的な愛人、公妾の影響を大きく受けましたが、ルイ15世も愛妾のポンパドゥール侯爵夫人の言いなりどころか、彼女に宰相と同じ権限を与えたことも、以前の記事で取り上げました。

夫人は統治能力に優れた有能な女性で、彼女の主導で、同じ女性であったマリア・テレジア、ロシアのエリザベータ女帝と同盟を組み、英国やプロイセンといった新興国に対抗する戦略を実行したのです。

この時期には夫人は世を去っていましたが、当然、彼女の反対勢力もいました。

オーストリアとの同盟は、マリー・アントワネットの輿入れにつながりましたが、これを推し進めたショワズール公爵は、ポンパドゥール夫人派でした。

夫人亡きあと、この政策の実現にこぎつけ、王太子妃に『あなたが私を幸せにしてくれる人なのですね』とコンピエーニュの森で声をかけたのも前述しました。

しかし、反ポンパドゥール夫人派は、新しく、デュ・バリー伯爵夫人を、新たな愛妾として国王のものに送り込み、巻き返しを図っていました。

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貧しい生まれで、王の愛人にまでなったデュ・バリー夫人

デュ・バリー夫人

有名なデュ・バリー夫人は、本名マリー=ジャンヌ・ベキューといい、シャンパーニュ地方の貧しいお針子の私生児として生まれました。

母は一度は駆け落ちをして娘を捨て、叔母に育てられましたが、7歳のときに母が再婚し、引き取られました。

再婚相手は裕福な人で、そのおかげで修道院寄宿舎で教育を受けることができました。

15歳で修道院を出て、メイドとして働き始めますが、素行不良で解雇され、その後は援助交際のようなことをして生活していました。

でも、相当に魅力的な女性であったようで、そのうち、デュ・バリー子爵という貴族に囲われ、彼の愛人となるとともに、子爵は彼女に客を取らせて儲けました。

彼のそんな鬼畜な所業も彼女にとってはチャンスだったようで、子爵の紹介してくる客は上流階級でしたので、彼女は高級娼婦として社交界に通用する教養を身に着けたようです。

彼女の評判は国王のもとにも届き、1769年に面会した58歳のルイ15世は、25歳の夫人の魅力に取りつかれ、前任のポンパドゥール夫人の逝去後5年にして、新しい公妾となりました。

公妾となるには既婚者でなければならないので、デュ・バリー子爵は未婚だった弟と形式的に結婚させました。

弟はそのお陰で伯爵の爵位を賜り、デュ・バリー伯爵夫人、としてデビュー。

フランス国王は『カトリックで最も信仰篤き王』とされていましたので、重婚はもちろん愛人もまかりなりませんが、既婚者女性だけはよい、というへんな理屈を、ジャンヌ・ダルクの時代のシャルル7世以来、代々の王はつけていたのです。

花婿の師は、反オーストリア

ヴェルサイユ宮殿

反ポンパドゥール派は、彼女を公妾にすることによって、巻き返しを図りました。

立ち位置は反オーストリアです。

その代表、ヴォーギュイヨン公爵は、王太子の亡父、ルイ・フェルディナンの寵臣であり、王太子の師でもありました。

公爵は王太子に、オーストリア出の王太子妃を信用しないよう、吹き込んだのです。

これも、長く王太子が妃を遠ざけた理由のひとつと言われています。

一方、女帝マリア・テレジアは、風紀委員会を作って娼婦を取り締まったほど、風紀に厳しい統治者でした。

デュ・バリー夫人の存在は知っていましたが、娘には、嫁ぎ先の王に愛人がいるなどとはとても言えず、事前のブリーフィングでは伝えておりませんでしたが、王太子妃はすぐに違和感を覚え、あの方は何?と女官長にストレートに訊いて困らせました。

夫人は反オーストリアの旗頭でもあり、また、王妃のいない宮廷でのファーストレディーとして振る舞っていましたから、自分より上の立場の王太子妃に敵愾心を燃やしていました。

マリー・アントワネットは、輿入れから1ヵ月ちょっとしか経っていない7月9日に、母帝マリア・テレジアに次のように書き送っています。

率直なる、母への手紙

マリー・アントワネットからマリア・テレジア(1770年7月9日)

愛するお母様

使いの者は明後日出発すると聞いていましたし、私たちは明日ショワジーに参りますので、今晩メルシーが手紙を持ってくるはずなのですが、待っているのはやめようと思いました。ご返事を書く時間がないのが心配だったからです。ですからそちらはつぎの機会にとっておくことにいたします。

要するに、私たちは明日、つまり7月10日にショワジーへ行き、13日に帰ってきて、17日にはベルビューに、18日にはコンピエーニュに行きます。コンピエーニュには8月28日までいます。コンピエーニュ滞在中に2、3日シャンティイに行きます。国王陛下はそれはそれはやさしくしてくださり、私は心から陛下を愛しています。でも陛下はデュ・バリーという夫人にお弱いために、お気の毒です。デュ・バリーというのは考えられるかぎりもっとも愚かで無礼なふしだら女です。マルリーでは毎晩私たちといっしょにカード遊びをしましたが、二度も私のとなりにすわりながら、私とは口をきかないのです。私も必ずしもあのひととお話しをしようとはしませんでした。でもどうしても必要なときは、少し言葉を交わしました。

私の夫の殿下について申し上げれば、見違えるほどお変わりになりました。良い方にです。私にはとてもやさしくしてくださり、信頼感までも見せてくださるようになってきました。殿下は間違いなくヴォーギュイヨン公が好きではないのですが、恐れていらっしゃいます。ヴォーギュイヨン公については、先日妙なことがありました。私が殿下と二人きりでいたときのこと、ド・ラ・ヴォーギュイヨン公が私たちの様子を立ち聞きしようと、急ぎ足でドアに駆け寄ってきたのです。侍従のひとりが、途方もない馬鹿者かよほどの正直者だったのでしょう。さっとドアを開けました。そのため公爵は、とっさに姿を隠すこともできず、まるで地面に打ち込んだ杭のように、その場に立ち尽くしていました。そこで私は殿下に、ドアのところで立ち聞きするのは良くないことです、と申し上げましたが、殿下はとてもよく理解してくださいました。

(中略)

お母上様に申し上げるのを忘れていましたが、昨日初めて陛下にお手紙を書きました。そしてとても心配いたしました。なぜなら、陛下への手紙は全部デュ・バリー夫人が読むことを知っているからです。お母上様、ご確信いただいて結構ですが、デュ・バリー夫人に味方することになろうと逆らうことになろうと、私はけっして過ちは犯さないつもりです。

お母上様、恐れ入りますが同封の手紙をナポリに送っていただけませんでしょうか。なかに、私への手紙はウィーン経由で送ってくださるように書いておきました。お母上様に心からの愛を捧げる従順な娘であることは、私の名誉とするところです。*1

いきなり最初から、デュ・バリー夫人への悪口が炸裂しています。

マリア・テレジアは危ぶみましたが、立場上、愛妾の存在をよしとするわけにもいかず、かといって国家の同盟にヒビが入ってはこの婚礼自体が意味を失いかねず、葛藤の中にありました。

マリー・アントワネットは、その母の葛藤も理解した上で、『けっして過ちは犯さない』と、心配しないで、と宣言しています。

結果は、心配した通りになってしまうのですが、さすが、目下の状況はよく理解しています。

また、反オーストリアのヴォーギュイヨン公が王太子夫妻の会話を立ち聞きしようとしてバレてしまい、気まずい思いをしているのも彼女の筆で面白おかしく書いてあります。

そして、結婚したばかりの王太子が、師よりも自分の味方になってくれる、という確信も持っています。

よく言われるマリー・アントワネットの軽率な面は、若さゆえであり、非常に空気を読み、状況を把握する賢さをもっている女性であることも分かります。

それゆえ、ヴェルサイユのおかしなところはどんどん指摘し、波乱を起こしてゆくのです。

ハイドンを好んだ、マリー・アントワネットの姉の夫

それでは、ハイドンの2曲の『トスト・セット』、2曲目の第89番 ヘ長調を聴きましょう。

この曲の第2楽章第4楽章は、前の年に、ナポリ王フェルディナンド4世の注文で作曲したリラ・オルガニザータ協奏曲 第5番から取られています。

このナポリ王はハイドンを深く愛し、自分の得意な楽器リラ・オルガニザータの曲を中心に、たくさんの作品を注文しました。

ハイドンエステルハージ侯爵家を退職したとき、ナポリに来ないかと一番熱心にオファーをしたくらいのお気に入りでした。

このナポリ王の妃になったのが、マリー・アントワネットのすぐ上の姉で、一番仲の良かったマリア・カロリーナです。

先に引用した母帝への手紙の最後に、同封の手紙をナポリに転送してください、とお願いしているのは、この姉宛のものです。

マリア・テレジアマリー・アントワネットとの書簡は、一般の郵便は使わず、女帝の特使が運びますので、漏れる心配はありませんでしたが、母経由でなければ、最愛の姉からの手紙もデュ・バリー夫人に読まれかねない、と警戒しているわけです。

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ハイドン交響曲 第89番 ヘ長調

Joseph Haydn:Symphony no.89 in F major, Hob.I:89

演奏:ブルーノ・ヴァイル指揮 ターフェルムジーク古楽器使用)

第1楽章 ヴィヴァーチェ

前回の第88番《V字》と同じく、出版社によって《W字》が振られていますが、今ではこの名で呼ばれることはありません。

序奏はなく、いきなり2小節の分散和音がフォルテで鳴りますが、これが、童謡の『証城寺の狸囃子』にそっくりです。しょ、しょ、しょうじょうじ…。続く第1主題も歌うようなフレーズですが、さすがにこれは童謡とは異なります。モーツァルトのピアノ・コンチェルト 第24番 ハ短調 K.491 の第2楽章冒頭も、『こがね虫はかねもちだ かねぐらたてた くらたてた…』と聞こえてきますが、日本人だけにしか通用しないネタですね。

冒頭は繰り返されますが、2度目にはファゴットとフルートが色彩を加えます。そして、ハイドンならではの疾走が始まります。この部分は実にCool!私は人気の第88番の陰に隠れているこの曲の方が大好きです。一息つくような緩急を置いて、これも歌うような第2主題が登場します。

展開部は、ハ短調で導入され、第1主題がすぐ再現され、これが同じテーマとは思えない悲壮感で重ねられます。それが絶頂に達すると、ニ短調で第2主題が現れ、絶妙な転調で再現部につなげます。

ところが、再現されるのは「しょ、しょ、しょうじょうじ」だけで、さらに展開が続きます。どうなることやらと聴くうち、やがてヘ長調に戻り、第2主題もオーボエファゴットの順でヘ長調で帰ってきます。この展開部と再現部をごっちゃにしたような工夫は、形式を整備したハイドンが、それを自ら壊して新しい境地を生み出していることにほかなりません。

第2楽章 アンダンテ・コン・モート

リラ・オルガニザータ協奏曲の第2楽章を転用しています。シチリアーノのリズムを使っていますが、哀愁は少なく、平穏、平和な雰囲気です。実に伸びやかで、牧歌的です。管楽器の存在感が強く、それがまた和やかな雰囲気を醸し出しています。管楽器と弦楽器の対話もまた微笑ましく聞こえます。アマチュアの王様でも弾けるよう簡易にしたように思いますが、中間部はハ短調で厳しく力強いフレーズとなり、サロン音楽の域は超えています。再現は変奏を伴い、弦のピチカートの上を深呼吸をするように管楽器が歌い、楽章を閉じます。

第3楽章 メヌエット:アレグレット

メヌエットのテーマは、オーボエファゴット、ホルンの6重奏で、ファンファーレ風に奏でられますが、これは当時好まれた管楽器のセレナードの編成です。続くフルートの響きは、ロンドン・セットを思わせます。トリオも管楽器が活躍し、第1ヴァイオリンにフルートが重ねられ、さらにファゴットが加わります。

第4楽章 フィナーレ:ヴィヴァーチェ・アッサイ

リラ・オルガニザータ協奏曲の第3楽章を転用していますが、第2楽章のように原曲そのままではなく、ヘ短調の激しい部分が付け加えられ、「A-B-A-C-A」のロンド形式に拡充されています。原曲は「A-B-A」でした。ヘ長調のAはちょっといたずらっぽいテーマで、からかう感じもします。ここでも管楽器が弦と掛け合うさまが楽しいです。Aの終わりには「strascinando」(ストラッシナンド)という記入があり、音を伸ばすように、という指示になっており、曲の途中で緩急をつける効果があります。Bは変ロ長調となり、より優しい響きとなります。Cはヘ短調で緊張感があふれ、優雅だけだったコンチェルトが、画竜点睛によって充実したシンフォニーのフィナーレとなっています。コーダは笑顔に戻り、平和に、そして優雅に全曲を締めくくります。

 

ナポリ王のために作ったコンチェルトを、大衆向けにアレンジし直した色彩の強いこのシンフォニーを、ハイドン学者のH.C.ロビンス・ランドンは次のように評しています。

第89番は、控え目かつ冷静であって、また非のうちどころのない形式構造をもっており、言ってみれば同時代のドイツの、完全な形をもつ陶器(ポルツェラン)の小彫像に似ている。ハイドンが18世紀のサロンのドアを開けて新鮮な空気を入れた、ということがよく言われる。全体としてはその通りなのだが、第89番ではちょっとのあいだ再びドアを閉めたのである。緩徐楽章とフィナーレは、1年前に作曲されたナポリ王のためのコンチェルト集(2つのリラ・オルガニザータ、2つのホルン、2つのヴァイオリン、2つのヴィオラ、およびチェロ-バッソのためのもの)のなかの第5番からとられた。ハイドンは、緩徐楽章の方はほとんど変えなかったが、フィナーレを拡張してヘ短調のきわめて交響的な部分を付けた。その新しい部分における弱拍に現れる強いフォルツァートは、他の点ではロココ風なこの楽章に強靭さとオーケストラ的な色彩を加えている。*2

ランドンはフィナーレの「C」の部分を革新的なもの、それ以外を保守的とみなしているのですが、私は第1楽章の推進力は、ロココのサロンのものではなく、まさしく新時代の風と感じます。

Symphonies 88-90

Symphonies 88-90

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動画は、ジョルダーノ・ベッリンカンピ指揮、クリスティアンサン交響楽団(現代楽器使用)の端正な演奏です。


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今回もお読みいただき、ありがとうございました。

 

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*1:マリー・アントワネットマリア・テレジア 秘密の往復書簡』パウル・クリストフ編・藤川芳朗訳(岩波書店

*2:ハイドン交響曲全集X 序文』(大崎滋生訳・音楽之友社