それでは、グルックのオペラ、『オーリードのイフィジェニー』の幕を開けましょう。
この画期的な「改革オペラ」には、娯楽要素は少なく、それぞれの登場人物の内面の苦悩、葛藤を表現することに主眼が置かれています。
イタリア・オペラのように、きっぱりと歌とせりふ、すなわちアリアとレチタティーヴォは分かたれておらず、全ての言葉にオーケストラによって劇的な伴奏がつけられている「音楽ドラマ」になっているのです。
グルックの音楽史における功績については、音楽学者アルフレート・アインシュタイン (1880-1952)が1952年に著した名著、『音楽史』に次のように書かれています。(一部現代語風にしています)
オペラの真の改革はクリストフ・ウィリバルド・グルックによっておこなわれた。この巨匠は、彼自身のいわばアルキメデス的中心点を、厳密には音楽と呼ばれない外部に求めた。そのため彼は、敵対者たちから、音楽によらないで音楽をつくるものとして非難された。しかし彼は、はなはだ洗練された知性の持ち主、詩人としてよりむしろ美学者として優れていたラニエリ・ダ・カルザビージの助力を仰いだ。グルックの実際の功績はオペラの新しい形式をつくりあげたことである。このためには、文字による議論という武器によって因習を克服する戦いをおこなう以外にはなかった。この戦いは根本的には、劇の真義に対して破滅的な影響を与えていた歌手のほしいままな気まぐれにむけられたのではなかった。彼はまた男性ソプラノの因習にさえも反対していなかった。グルックがコロラトゥーラを廃してしまったことは事実だが、しかし彼はイタリア楽派流のもっとも厳格な要求を歌手に課してもいる。攻撃の矛先はむしろ当時のオペラの台本に向けられた。当時の台本は、もっとも魅惑的な文学形式に達していたのである。たとえば、メタスタージオのはなはだもてはやされたドラマには、多くの音楽がつけられ、グルック自身さえも若い時にはそれに作曲したほどであった。歴史的なあるいは古代風の衣装をまとう陰謀の物語のオペラは、いまや、永遠に通じる悲劇的な葛藤劇にかわらなければならない。物語はもっとも単純な形へと戻されねばならぬ。従来のアリア・オペラのもっとも無気力な点は、たんに作曲者に絵画的な伴奏を暗示するにすぎない比喩アリアだったが、こういうアリア・オペラの因習の代わりに、音楽家はドラマティストの至上権を認めなければならない。約束づけられた感情、いんぎんなデリカシー、すべての活発な表現の忌避、性格の空虚な類型化、すべてこれらのことは生きた人間像に道を譲らねばならぬ。メタスタージオの場合には、主として、愛と悲劇的に絶望的なヒロイズムをとっていた、伝統的な筋は、ほんとうの情熱に代わられねばならなかった。
グルックの偉大さは、彼がこれらの要求を出したという事実にあるのではない。彼が芸術家としてこれらの要求を充足していったやり方に、また音楽劇的な全体としてオペラの発展に寄与した重要性に、また彼の作中人物の本質的な性格を、最初は知的に、ついで音楽的に表現していった点にある。
(中略)
グルックは作中人物の性格を見抜き、根源的なリズムと力強い厳格さと最小限の純粋に「音楽的」な音楽とをもって描いた。これによって明敏なドラマ的解釈に到達したこの偉大な意思の人は、ウィーンとパリにおいて、倦むことを知らぬ努力を続けて、力強く自己の理想を追求したのである。彼の時代の安価な石膏塗りの古代像は、これら古代人の性格に対する彼自身の生き生きとした概念と洞察からなんと隔たっていたことか。グルックが、独唱、舞踏、合唱をひとつの全体に融合することに初めて成功した舞台は、何と壮大なものだったろう。累積し対照し総括する彼の芸術は、偉大であった。彼は伝統的な統一に代わるべき内的統一を創造する力をもっていた。*1
少し難しい文章ではありますが、グルックが芸術史に遺した業績が余すところなく書かれています。
「力強い」という言葉が何回もでてきていますが、それがグルックの音楽のひとつの特長といえます。
現代に通じる、古代人の苦悩
ルネサンス以来、ヨーロッパ人たちは、自分たちの原点がキリスト教ではなく、古代ギリシャ、ローマにあることに気づき、古代への憧れに身を焦がしてきました。
そしてこの18世紀、古典主義の最盛期を迎えるわけですが、古代ギリシャ、ローマの神や英雄たちのドラマを描き、絶対的な人気を誇ったメタスタージオのオペラ台本は、しょせん古代への憧れの域を出ませんでした。
グルックはそれに飽き足らず、同じ古代を舞台に取り上げながら、現代人も抱えている苦悩や葛藤を、虚飾を廃してストレートに音楽で表現したのです。
その、記念すべき最初の代表作、『オーリードのイフィジェニー』。
王太子妃、マリー・アントワネットは、万難をわがままを通して、ど顰蹙を買いながら、このオペラの上演を強行しましたが、それは自分の思惑からであって、グルックの改革に共鳴したわけではありません。
彼女がこのオペラの新しさ、歴史的意義を理解できたかどうかは、かなり疑わしいのですが、幕が開いたにもかかわらず、シーンとなった劇場にまず響いたのは、彼女ひとりの拍手だったのです。
『オーリードのイフィジェニー』登場人物
アガメムノン:ミケーネ王、ギリシャ軍総大将
クリュタイムネストラ(クリテムネストル):アガメムノンの妻、ミケーネ王妃
イピゲネイア(イフィジェニー):アガメムノンの娘、ミケーネ王女
アキレウス(アキレス、アシール):ギリシャ軍の英雄、プティア王ペーレウスと海の女神テティスの子
カルカス:ギリシャの祭司長
アルテミス(ディアーヌ):狩りと月の女神
パトロクロス(パトロコル):ギリシャの将、アキレウスの親友
アルカス:アガメムノンの衛兵隊長
グルック:オペラ『オーリードのイフィジェニー』第1幕前半
Christoph Willibald Gluck:Iphigénie en Aulide, Wq.40, Act 1
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(メゾ・ソプラノ:クリュタイムネストラ)、リン・ドーソン(ソプラノ:イピゲネイア)、ジョゼ・ヴァン・ダム(アガメムノン:バス・バリトン)、ジョン・エイラー(アキレウス:テノール)、モンテヴェルディ合唱団、リヨン国立歌劇場管弦楽団【1987年録音】
注)音楽はハイライトのみの抜粋です。
第1曲-1 レシタティフ
アガメムノン
おお、アルテミス、怒れる神よ!
あなたが私にかくも恐ろしい犠牲を命じても、
無駄というものだ
あなたが私に、
あなたの恩寵と、
トロイアに我々を導く順風を約束しようとも、
無駄というものだ
序曲から切れ目なく、幕が開きます。ひとり、アガメムノン王が佇み、苦悩に沈んでいます。ギリシャ軍の総大将に選ばれ、その名誉に驕りたかぶった彼は、『狩りの女神アルテミスでもこんな大物は取れないだろう!』とうそぶき、女神の怒りを買い、祭司カルカスによって、『娘をいけにえに捧げるように』というお告げを下されてしまったのです。理不尽な神の怒りに対し、王は、従ってなるものか、と抵抗の意思を噛みしめます。王の嘆きの旋律は、序曲の冒頭の旋律に乗って歌われ、すでに予告されているのです。音楽とドラマの有機的なつながりは、真に芸術的と言うほかありません。
第1曲-2 エール
アガメムノン
(太陽を仰いで)
おお、汝、光の永遠なる源よ!
あなたはこのような残酷を
青ざめることなく見ることができるのか?
慈悲深い神よ!
わが子の命を守り
わが切なる願いを聞き届けられんことを!
忠実なるわが配下、アルカスをミケーネへと遣わして、
娘と妻をあざむき、
アキレスがわが娘から心をうつして
他の女に乗り換えたとふたりに思い込ませるようにしよう。
そうすればふたりは傷心のあまり、
帰国するだろう。
(レチタティーヴォ)
もしわが子がアウリスに現れたら、
不吉にも運命がここへと導いたら、
ああ!
神の血に飢えた渇きから、
彼女を守るものは何もないのだ!
ホ短調、モデラートのアリアです。絶望した王は、恨めしそうに太陽を仰ぎ、歌い継ぎます。アルテミスは月の女神。その残酷な冷たさを、暖かく輝く太陽に訴えますが、何も応えてくれません。彼は仕方なく、何とかして神を欺けないかと策を練ります。愛娘イピゲネイアは、英雄アキレスとの婚礼のため、まもなく母クリュタイムネストラとともに、この地にやってきてしまいます。軍勢も、神が何かに怒っている、と気づいているため、来てしまったら遅い。その前に、家来のアルカスを急ぎ遣わして、婚約者のアキレスが心変わりしてしまったと嘘を告げ、故郷に帰らせよう、と思いつきます。でも、いったい間に合うのか?もうふたりは当地アウリスに向かってしまっています。音楽は焦りのレチタティーヴォに劇的に変わります。
第2曲-1 合唱
ギリシャ軍の将軍、兵士たち
(祭司カルカスに)
お前はこれ以上逆らうのは許されない!
お前は神の意思、
神の怒りの原因を、
我々に打ち明けねばならぬ
カルカスよ、お前はもはや黙っていてはならぬ
祭司カルカス
なぜ私にそのように荒々しく強いるのか?
祭司カルカスが、ギリシャ軍の将軍や兵士たちに囲まれながら登場。カルカスは、あまりに恐ろしいお告げを、王にだけ告げましたが、軍にはまだ打ち明けていません。神が風を止めてしまい、出征できない理由は何なのか?軍勢は最初はト長調、次いでト短調で祭司に迫ります。カルカスはただ、当惑するしかありません。
第2曲-2 レシタティフ
祭司カルカス
女神が望んでいるのは、
私が今こそお前たちに告げ知らせることだ
私の心はおののき、ふるえる
おお、あまりにも我らと心を隔てた女神よ!
ああ、あなたの御心は私を震撼させる
私は震えながら告げよう、
あなたが望んでおられるものを
それは、私が手を震わせながら、
あの最も高貴な血を流すこと
あなたの怒りは、
かくも血まみれの犠牲によってしか、
鎮められぬのか
なんという悲しみ、
なんという苦痛!
痛ましい父よ!
おお恐るべき力の神よ!
どうか、あなたの厳しい意図を和らげられんことを!
カルカスとアガメムノン
おお恐るべき力の神よ!
どうか、あなたの厳しい意図を和らげられんことを!
カルカス
(ギリシャ軍に)
言うがよい、
お前たちはかくも残酷な犠牲を捧げることができるのか?
祭司カルカスは、父親たる王と、軍勢の板挟みになり、苦悩します。祭司は、神の意思が絶対であることを誰よりも知っていますが、その恐ろしさに音楽も震えます。父親の前で娘をいけにえに捧げよと?どうか怒りを鎮めていただきたい、と、父とともに祈りますが、それも空しく響くのみ。追い詰められたカルカスは、ギリシャ軍に、お前たちは本当にいけにえなど捧げることができるのか?と問いかけます。
第2曲-3 合唱
ギリシャ軍の将軍、兵士たち
その名を挙げることをためらってはならぬ
そして、きょうにもその血が祭壇の前に、
流れねばならぬのだ
女神の命ずるままに!
アルテミス、いと高き女神よ!
われらをトロイアに導きたまえ!
そしてそこで、われらの怒りが、
トロイア人の地にまみれて鎮まらんことを!
祭司カルカス
鎮まるがよい
そして立ち去るがよい
なぜならきょうにも、
お前たちの望みをかなえるべき、
犠牲が捧げられるだろうから
功に逸った将軍や兵士たちは、いけにえは必ず捧げなければならぬ、それは誰だ?と詰め寄ります。バッハの受難曲で、イエスを十字架につけよ、とローマ総督ピラトに迫るユダヤ人の合唱を思わせる迫力です。そして音楽は長調に転調し、はるか東のかた、トロイアに向けて勇躍、出征したいという軍勢の思いを運びます。カルカスはとても抑えきれず、きょうにもいけにえを捧げる、と約束し、彼らを去らせます。
第3曲 アリア
アガメムノン
この女神は父親に向かって、
やさしい、孝行ないとしい娘、
その子を犠牲として、
自らの手で祭壇に供えよと要求できるのか?
この女神にはそんなことができるのか?
いやだ、私は決してそんな恐ろしい命令には従わぬぞ!
魂のうちに心の中の嘆きの声が響くのが聞こえる
それは私の心に語りかける
その言葉は、恐ろしい神託よりいっそう確実なものに思える
いやだ、私は決してそんな恐ろしい命令には従わぬぞ!
カルカスは、もはや神の意思に逆らうことと、反乱寸前となった軍を抑えることはできないと、アガメムノンに迫ります。進退窮まった王の胸に浮かぶのは、優しく親孝行な娘の笑顔。何の罪もない娘をいけにえに捧げることなど、なぜ神は望むのか?王の千々に乱れた心の内を、グルックの音楽はさまざまにテンポを変えて表現します。王はリーダーとしての重い責任と、娘への私情を何度も胸の内で秤にかけますが、指揮官としての使命よりも、どうしても娘への愛情が勝ってしまいます。
そうこうするうち、ついに娘と母親が、婚礼のために到着してしまうのです。
続きは次回に。
動画は、前回に引き続き、ジュリアン・ショーヴァン指揮、ル・コンセール・ド・ラ・ロージュによる、コンサート形式の上演です。
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今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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