孤独のクラシック ~私のおすすめ~

クラシックおすすめ曲のご紹介と、歴史探訪のブログです。クラシックに興味はあるけど、どの曲を聴いたらいいのか分からない、という方のお役に立ちたいです。(下のメニューは横にスライドしてください)

スキャンダラスな王妃の肌着姿。~マリー・アントワネットの生涯44。グルック:オペラ『トーリードのイフィジェニー』第4幕後半

ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン『自画像』(1781年)

宮廷画家が語る、王妃の気さくな優しさ

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランが最初に王妃マリー・アントワネットの前に通されたとき、彼女は緊張に震えました。

しかし、王妃が優しく話しかけてくれたお陰で、緊張はすぐに解けたそうです。*1

ルイーズ(ヴィジェ・ルブラン)は回顧録で『お妃様に会ったことのない人に、優雅さと高貴さが完璧な調和をなしているその美しさを伝えることはむずかしい。』と述懐しています。

1783年から87年にかけて、ルイーズは王妃の肖像画を4枚書きましたが、王妃は彼女が美しい声の持ち主であることを知ると、当時オペラ・コミックの大家としてヒット作をガンガン飛ばしていた作曲家、グレトリの作品を一緒に歌ったということです。

あるとき、妊娠中のルイーズは王妃の絵を描く約束の日に、つわりがひどく、ヴェルサイユに行けなかったことがありました。

電話もメールもなく、召使いがいるわけでもないので、無連絡のすっぽかしになってしまいました。

翌日、謝罪のためにヴェルサイユに行くと、侍従のカンパン夫人に、『王妃様は昨日あなたを待っておられたのですよ。本日はこれからお散歩なので、お会いになれません。』というすげない塩対応。

ルイーズは引き下がらず、どうしてもお目にかかって、ひとことお詫びしたい、と食い下がると、侍従は王妃に取り次ぎます。

すると、王妃はお会いになる、ということで、私室に通されると、王女に本を読み聞かせているところでした。

王妃はルイーズに『昨日は一日中、あなたを待っていたのですよ。何があったのですか?』と言います。

ルイーズは申し訳ない気持ちでいっぱいで『つわりで体を動かすことができませんでした。それで、きょうあらためて陛下のご都合をお伺いに参上いたしました。』と答えます。

王妃は、『いいえ、帰らないで。無駄足を踏ませたくありませんから。』と告げ、ルーズの前に座り、ポーズを取ります。

ルイーズは王妃の優しさに恐懼のあまり、筆箱を落とし、絵筆や鉛筆を散らばせてしまいました。

あわてて拾おうとするルイーズに、王妃は『そのままに、そのままに。身をかがめると体に障りますよ。』と言って、筆を拾い集め、筆箱に収めてくれた、ということです。

巷で言われている高慢なマリー・アントワネット像とはまるで違う、細やかな気遣い、心遣いのできる女性だったことが分かります。

シミーズ姿の王妃

ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン『ゴール・ドレス(シミーズ・ドレス)を見にまとった王妃マリー・アントワネット』(1783年)

マリー・アントワネット王太子妃時代には、髪結い師ベルナールやベルタン嬢が提案する派手で奇抜な髪形やドレスを好み、それでオペラ座にお出ましになり、翌日からそのファッションがパリ中で大流行するのを楽しんでいました。

しかし、王妃となり、夫ルイ16世からプチ・トリアノン宮殿をプレゼントされ、そこでルソーの「自然に帰れ」の流行に乗って、〝ロハスな暮らし〟を楽しみ始めた頃から、ファッションも自然体を志向してきました。

その好みの変化を敏感にとらえたファッションデザイナー兼モード商のベルタン嬢は、「シミーズドレス」を王妃に提供。

これは、豪華な絹ではなく、木綿のモスリンで作られていました。

もともと、西インド諸島の植民地の貴婦人たちが、熱帯性の気候下では通気性の悪い絹など身に着けられないので、肌着である木綿でドレスを作ったことに起源があります。

きつく体を拘束するコルセットや、動きづらいパニエを嫌がっていたマリー・アントワネットは、これは大のお気に入りとなりました。

ヴェルサイユから〝お散歩〟でトリアノンまで徒歩で移動したり、農作業の〝まねごと〟をしたりするのにも好都合です。

このシミーズ・ドレス(当時はゴール・ドレスと呼ばれました)姿の王妃をルイーズは描き、サロンに出品しました。

すると、この作品は大変なスキャンダルとなったのです。

王妃がこのような普段着姿、まして下着に近いシミーズで描かれるなどと、絶対王政下のフランスではあり得ないことでした。

今見れば、この絵の何が不適切なのか理解できませんが、当時は、王家の権威、品位を貶めるもの、という非難が殺到。

ルイーズの絵の下には、誰かによって「シミーズ・ドレスをまとうほど落ちぶれたオーストリア女」という悪口の張り紙までされました。

これを見たルイーズはこの作品をサロンから撤去しましたが、皮肉なことに、このファッションもパリ中で大流行するのです。

ルイーズ自身も麦わら帽子を被った自画像を描きましたが、王妃も被り、またポリニャック夫人やデュ・バリー夫人までもが、麦わら帽子を被り、シミーズドレスを着た肖像画をルイーズに依頼しました。

王妃の麦わら帽子は大変高価なものでしたが、これも「自然に帰れ」「ロハス」といった流行に乗ったアイテムだったのです。

さんざん悪口、陰口を叩かれながら、みんなが憧れる王妃マリー・アントワネット

それは現代の〝炎上系〟アイドルに近いものがあります。

実は、シミーズ・ドレスに使われたモスリン(木綿)は、王妃の出身ハプスブルク家領のフランドル地方(現ベルギー)から輸入され、その流行で、フランスの絹産業は大打撃を受けました。

この絵への非難は、フランス王妃が、フランス産業を圧迫するようなことをするなどもってのほか、しょせん実家の方が大事なのか?という背景もあったのです。

ルイーズは王妃の気さくな側面を絵で見事に表現したのですが、それが国民に素直に伝わらなかったのは、残念なことでした。

 

それでは、マリー・アントワネットゆかりのグルックのオペラ、『トーリードのイフィジェニー』、いよいよラストです。

 

『トーリードのイフィジェニー』登場人物

ギリシャ語表記、()内はフランス語読み

イピゲネイア(イフィジェニー):アルテミス神殿の女祭司長、ミケーネ王アガメムノンと王妃クリュタイムネストラの娘

オレステス(オレスト):イピゲネイアの弟、アルゴスとミケーネの王

ピュラデス(ピラド)オレステスの親友

トアス:タウリス(トーリード)の王

アルテミス(ディアーヌ):狩りと月の女神

グルック:オペラ『トーリードのイフィジェニー(タウリスのイピゲネイア)』(全4幕)第4幕後半

Christoph Willibald Gluck:Iphigénie en Tauride, Wq.46, Act 4

演奏:マルク・ミンコフス(指揮)ミレイユ・ドランシュア(ソプラノ:イピゲネイア)、サイモン・キーンリーサイド(オレステスバリトン)、ヤン・ブーロン(ピュラデス:テノール)、ロラン・ナウリ(トアス:テノール)、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル(オーケストラと合唱団)【1999年録音】

注)音楽はハイライトのみの抜粋です。

トアス王の前に引き出されるオレステスとピュラデス(古代ローマポンペイ壁画)
第44曲 エール(アリア)とレシタティフ

スキタイの王トアスと配下たちが登場。

トアス

(イピゲネイアに)

お前の罪深いたくらみはあばかれた

お前は神々を裏切り、

わしの破滅を企てていたのだ!

お前のあくどい不実な行いを罰するとき、

とうとう天が満たされるときがきた!

この捕虜を生けにえに捧げよ

そのすべての血が、

お前の大胆不敵さと憎むべき罪を償うように!

イピゲネイア

残忍な人よ、何をするつもりなの?

女祭司たち

正しき神よ、わたしたちをお救いください

目の前のこの恐怖を取り除いてください!

トアス

(イピゲネイアに)

神々に従うのだ

天がそう言っている、それで十分だ!

(配下たちに)

者ども、わしの手助けをせよ!

そいつをつかまえろ!

イピゲネア

ああ!

何をするのですか?

トアス

そいつを祭壇に連れて行け!

イピゲネイア

酷い人よ、彼は私の弟です!

トアス

お前の弟?

オレステス

そうです!

イピゲネイア

わたしの弟であり、

わたしの王でもあります

アガメムノンの息子です!

トアス

かまわん、殺れ!

そいつが誰であろうと知ったことか!

イピゲネイア

(トアスの配下たちに)

近寄らないで!

(女祭司たちに)

あなた方は自分たちの王を守りなさい!

トアス

(配下たちに)

殺れ!

恐怖で尻込みしているのか?

それなら女神の目の前で、

わしが自分で、

捕虜と女祭司を生けにえにしよう!

オレステス

彼女を生けにえに?

わたしの姉を?

(舞台の裏から大きな音が聞こえる)

トアス

そうだ、わしはこの女を、

そしてそのすべての血を

罰しなければならない!

(ピュラデスがギリシア人の一団を率いて登場)

ピュラデス

(トアスを攻撃しながら)

死ぬのはお前だ!

トアスの配下たち

われらの王の血の復讐をしよう!

攻撃しよう!

イピゲネイアと女祭司たち

神々よ!

わたしの弟をお救いください!

ピュラデス

ギリシャ人たちに)

勇気を出せ、友よ、

わたしに続け!

オレステス

ピュラデス!

我が守護神よ!

ピュラデス

ああ、

わたしのたったひとりの友よ!

イピゲネイアと女祭司たち

神々よ!

わたしの弟をお救いください!

ギリシャ人たち

この醜悪な人々を、

ひとり残らず追い払おう

天の復讐に応えよう!

そして、ピュラデスとオレステスの名のもとに、

この地を清めよう!

トアスの配下たち

この不幸な地から逃れよう!

逃げるのだ、

彼らの攻撃を避けるのだ!

神々がオレステスのために戦っている

生けにえを捧げる女祭司長イピゲネイアと、生けにえとなる捕虜オレステスが、実は幼いときに離れ離れになった姉弟ということが分かり、奇跡の再会を果たします。

しかし、そこに邪魔が。

ギリシャ人を生けにえにしないと自分は命を失う、というお告げを受けた、当地スキタイの王トアスが、ふたりの生けにえのうちひとり(ピュラデス)をイピゲネイアが密かに逃がしたことを知って、怒り狂い、配下の兵を連れてなだれ込んできたのです。

彼は自分の命がかかっているので、怒りが度を超して、もはや狂乱状態です。グルックの音楽が、この狂気を見事に表していることで名高い場面です。

なりふり構わなくなった彼は、イピゲネイアをもオレステスと一緒に生けにえしてやる、と息巻き、配下たちに捕縛を命じます。

女祭司たちがもはや絶体絶命、とパニックになる中、イピゲネイアだけは毅然として、ミケーネ王であるオレステスを守りなさい、と叫びます。

そこに、ピュラデスが仲間のギリシャ人を連れて飛び込んできます。彼は、自分の逃亡がばれて、イピゲネイアの身が危ういことを知って急ぎ戻ってきたのです。

士気に勝るギリシャ勢はスキタイ人を打ち負かし、劣勢となったトアスの配下たちが逃げようとする乱戦の中、トアス王は討ち取られます。

第45曲 レシタティフ

この戦いのさなか、女神アルテミスが雲の中から降りてくる。スキタイ人ギリシャ人たちは女神の声に跪く。イピゲネイアと女祭司たちは女神の方へ手を差し出す。

アルテミス

やめなさい!

わたしの永遠の命令を聞くのです!

スキタイ人たちよ!

わたしの像をギリシャ人の手に戻しなさい!

あなたがたは長い間、

この荒々しい土地で、

わたしの神殿と祭壇を汚しました

オレステスに)

不幸な父から生まれた不幸な息子よ、

神々はやっと満たされました

お前はもう母の霊のうめき声を聞かなくてよいのです!

お前の涙がお前の罪を洗い流しました

これからはわたしがお前の運命を見守ってゆきます

ミケーネは王を待っています

そこに戻り平和に治め、

驚きあふれるギリシャに、

イピゲネアを連れてゆきなさい

(アルテミスは再び天に登る)

ピュラデス

君の姉上!?

なんということだ!

オレステス

僕の幸福をともに喜んでくれ!

トアスが死んだ瞬間、天から女神アルテミスが降臨し、お告げを下します。曰く、スキタイ人は、自分の神像をギリシャに返すように、オレステスは、母殺しの罪は清められたので、ミケーネに戻って王としてその地を平和に治めるように、と。

それだけ告げて、アルテミスは天に戻ってゆきます。

最後にこのようなデウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神)が降りてきて、全てを解決してめでたしめでたし、となるのは、前作『オーリードのイフィジェニー』と全く同じです。その前に取り上げた『オルフェオとエウリディーチェ』でも、最後はアモールがエウリディーチェを生き返らせて解決します。原作のギリシャ神話や古代ギリシャ劇でも、結末は必ずしもハッピーエンドではありませんが、当時の宮廷オペラでは、最後は祝祭で終わらなければならないので、これはおかしい、などと無粋なツッコミを入れる人はいなかったのです。もはやTV時代劇「水戸黄門」をリアルで観た人も少なくなってきたかもしれませんが、『静まれ、静まれ~ ここにおわす方を何と心得る!畏れ多くも先の副将軍…』と印籠を出すタイミングが、みんな助さん、格さんにコテンパンにやっつけられたあとですから、(先にさっさと印籠を出せば悪者も痛い目に遭わずにすむのに…)と思いながらも、〝お約束通り〟にスッキリしたのと同じことかもしれません。

ルイ=ミシェル・ヴァン・ロー『野原にあるアルテミス』(1739年)
第46曲 エール(アリア)

オレステス

この情け深いひとは、

わたしの命の恩人で、

その優しすぎるほどの心遣いは、

わたしにとって懐かしいものだった

その人こそ姉のイピゲネイアなのだ!

オレステスは親友ピュラデスに、この女祭司長はなぜか自分に懐かしいほど優しく、命まで助けてくれようとしたが、実は姉だったのだ、と不思議でかけがえのない肉親の情について語り掛けます。

すべてが解決し、幸せの絶頂にあることがまだ実感できず、半ば放心状態にある心持をグルック音楽は静かに表現しています。そしてそれは、最終合唱をより輝かしいものにするための序奏でもあるのです。

第47曲 合唱

女祭司たち、ギリシャ人たちとスキタイ人たち

長い間怒りの中にあった神々が、

神託を成就させた

もはや妨げを恐れることはありません

清らかな陽が我々の前に輝いています!

優しく深い平和が、

海の中を支配します

海、地、天、

すべてがわたしたちの祈りに恵みをもたらします

(全幕終わり)

幕切れの大団円の合唱です。ギリシャ人たちはもちろん、トアスが死んで、暴君から解放されたスキタイ人たちも喜びの声を合わせます。

原作のエウリピデスによるギリシャ悲劇では、神託はアルテミスではなく女神アテナが下すことになっていますが、ギリシャの神々の関係は複雑なので、このオペラではシンプルにアルテミスだけで完結しています。

この題材は、グルックのライバル(に勝手に仕立てられた)ピッチンニをはじめ、多くの作曲家がオペラにしていますが、中には、最後に神託は無く、トアス王に全部事情を正直に打ち明けたイピゲネイアに対し、トアスが急に「暴君」から「仁君」に変貌し、すべてを許す、という結末もあります。これは、モーツァルトもオペラ『後宮からの誘拐』で使っている手法で、啓蒙専制君主の寛容さを讃える際に使われます。

グルックはこの『トーリードのイフィジェニー』で、グルックピッチンニ論争に決着をつけ、勝利した、と音楽史では評価されています。

グルックのこの息もつかせない展開、人間の感情を深く掘り下げたドラマの迫力、説得力には、表面的なきらびやかさ、娯楽性を追求したイタリア・オペラは敗北しました。

それは、グルックと同じオーストリア出身のマリー・アントワネットをよく思わない、反王妃派の敗北でもありましたが、王が殺されて終わる、というこの結末が不吉に暗示するものには、当時は誰も気づかなかったのです。

グルックその後

晩年のグルック

音楽史に偉大な功績を残しながら、なかなか親しまれていないグルックのオペラを3つ取り上げてみましたが、長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。

グルックはさらにパリでオペラ『エコーとナルシス』を1779年9月24日に初演しましたが、これは不評で、さらに健康を害したグルックは王妃に暇乞いをしてウィーンに帰郷。

ウィーンでは皇王室宮廷作曲家という名誉職を得て余生を過ごしますが、目立つ作品はもう書きませんでした。

しかし、新進気鋭のモーツァルトがウィーンで上演したオペラ『後宮からの誘拐』を絶賛し、自宅の晩餐に招いたほどです。

父レオポルトは、海千山千のグルックには近づかない方がよい、と息子に警告しましたが、グルックには他意はなく、単純にモーツァルトの才能に非凡なものを認めたのだと思われます。

1787年11月15日にグルックは73歳で世を去り、ウィーン中央墓地に葬られます。

皇王室宮廷作曲家の後任にはモーツァルトが任じられますが、もともとが功成り名遂げたグルックに用意された名誉職でしたので、年俸2,000グルデンは800グルデンに減額され、宮廷舞踏会用のダンス曲を提供するくらいの義務しかありませんでした。

これは、皇帝ヨーゼフ2世があまりモーツァルトを評価していなかったエピソードとして語られることが多いですが、当時、これだけパリにセンセーションを与えたグルックの後任というのは、大変な名誉だったともいえます。

グルックの墓
グルック:トーリードのイフィジェニー 全曲

グルック:トーリードのイフィジェニー 全曲

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今回もお読みいただき、ありがとうございました。

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*1:石井美樹子マリー・アントワネットの宮廷画家 ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの生涯』河出書房新社