これまで、ティーン番号のモーツァルトのピアノ・コンチェルトを聴いてきましたが、いよいよ、はたちになります。笑
こうした連番はモーツァルトがつけたわけでなく、単なる作曲や出版の順番ですが、偶然にも、ここで全く曲の雰囲気ががらりと変わります。
まるで時代が違うほどの印象にショックを受けます。
まず、モーツァルトには極めて珍しい短調、それも激しい曲調で、これまでの明るく楽しい調子だったコンチェルトに慣れた耳、とくに当時のウィーンの聴衆は大いにとまどったのではないでしょうか。
特に聴衆の反応の記録は残されていないのですが…。
ドラマティックなこの曲は、映画『アマデウス』でも、落ち目になって精神的に追い詰められ、退廃していくモーツァルトの姿とオーバーラップさせ、効果的に使われています。
19番でご紹介したアーサー・スクーンダーエルドの演奏も特色があって素晴らしいですが、やはりまずはガーディナーを聴いていただきたいです。
ガーディナーも、この曲の冒頭の迫力を、これまでどの現代楽器オーケストラも出せなかった古楽の勝利として、誇りにしています。
モーツァルト『ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K.466』
Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.20 in D minor , K.466
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)
マルコム・ビルソン(フォルテピアノ)
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
John Eliot Gardiner , Malcolm Bilson & English Baroque Soloists
陰鬱なシンコペーションで始まります。いったいこれから、どんな悲劇が起こるんだろう、と不安な気持ちにさせられます。モーツァルトの短調の曲は少ないですが、シンフォニー40番を始め、どれもドラマティックで、長調の曲とは全く違うレベルの感動を与えられます。モーツァルトは職人肌であり、時代的にも自分の内面をさらけ出すような作曲家ではない、と考えながらも、やはり、近代の19世紀はそこまで来ており、その時代的雰囲気から、短調で曲を書くときにはモーツァルトの無意識が出てしまっている、という思いもします。実際、この曲は19世紀になってから大いに評価され、音楽の世界で近代への扉を開いたベートーヴェンも愛奏していました。
第2楽章 ロマンス
静かなピアノのモノローグから、オーケストラがそれをなぞります。このメロディは有名で、誰もが聴いたことがあると思います。この曲のイメージは私の中では“夏”で、高原の夏の日、別荘に響くピアノレッスンの音色のようです。
ところが、中間部で一転、夏の嵐が訪れます。私は、宮崎駿監督最後の作品、『風立ちぬ』を観たとき、この楽章を思い出しました。
第3楽章 アレグロ・アッサイ
また激しい情念の世界が戻ってきます。颯爽としたピアノは、クールとしか言いようがありません。後に作曲したもうひとつの短調のピアノ・コンチェルト、24番ハ短調と比べると、この段階では、まだ聴衆を意識して、格好良さを演出しているようにも感じます。それは、最後のコーダがいきなり長調になり、明るいハッピーエンドで曲を締めくくっていることでも分かります。
このコーダが気に食わない、悲劇のままで終わるべきだ、という人も多いですが、これが18世紀では当たり前のことです。
むしろ、24番の方が例外で、モーツァルト、どうしちゃったの…?と思いますが、それは後日に。
さて、コンチェルトには終わる前にカデンツァという部分があり、そこはピアニストが即興で腕前を披露するコーナーなのですが、モーツァルトも楽譜に残しているものと、していない、あるいは残っていないものもあります。
この曲にはベートーヴェンのカデンツァが残っており、現代楽器ではそれを取り上げた演奏もあります。
古楽器演奏ではありえませんが、いきなり時代が変わった気分がして、それも一興です。
18世紀と19世紀はこんなに違うんだ、ということが音楽で実感できるのです。
こちらは小編成のスクーンダーエルド版です。
演奏:アーサー・スクーンダーエルド(指揮とフォルテピアノ)& クリストフォリ
Arthur Schoonderwoerd & Cristofori
第2楽章 ロマンス
第3楽章 ロンド:アレグロ・アッサイ
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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