おさえられない進化と深化
モーツァルトがウィーンに来てピアニスト兼作曲家としてデビューし、最初にリリースしたピアノ・コンチェルト、第11番 へ長調 K.413、第12番 イ長調 K.414、第13番 ハ長調 K.415、の3曲セットは、ウィーンの聴衆の好みに合わせ、さらにコンサートだけでなく、ご家庭でも楽しめるよう、室内楽での演奏も可能にしてありました。
次の新曲、第14番 変ホ長調 K.449も同じコンセプトで作られ、小オーケストラ用で、管楽器(オーボエとホルン)は省略可、というものでした。
モーツァルトは手紙でこのコンチェルトを『これはまったく特別な種類の協奏曲で、大編成よりは小編成のオーケストラのために書いたものです。』と言及しています。
しかし、内容は前作に比べて一段と深化し、聴衆への配慮よりも芸術的追求が強まってくる気配が感じられるのです。
それは、芸術性が高まるほど聴衆が離れていくという、皮肉な20番台のピアノ・コンチェルト群への第1歩となりました。
「わが全作品の目録」
モーツァルト自身も、このコンチェルトを画期的なものととらえていたようで、この曲から「自作品目録」をつけはじめるのです。
そのノートの表紙には『わが全作品の目録。1784年2月より1... 年..月に至る。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト』と書かれていました。
モーツァルトは1791年に亡くなってしまいますが、もちろん本人は19世紀まで生きるつもりで1...年、と記しているわけです。
このノートの左ページには日付、タイトル、楽器編成などが、右ページには大譜表がきれいに書き込まれています。
漏れている作品や誤記もありますが、モーツァルト研究には欠かせない超一級史料です。
映画『アマデウス』に描かれたモーツァルトは、酒瓶の転がった〝汚部屋〟でだらしない生活を送っていますが、実際のモーツァルトは大変な筆まめですし、こんなノートをしっかりつけ続けるような几帳面な人だったのです。
演奏に、作曲に、日々身を削って刻苦精励。
そうして、これまでどれだけの人の人生を豊かにしてくれたことか!
さて、その目録の筆頭がこのコンチェルトです。最初がピアノ・コンチェルトというのも、モーツァルトがどれだけピアノを重視していたかが分かります。
このコンチェルトは、モーツァルトの愛弟子のひとり、バルバラ・フォン・プロイヤー嬢のために作曲されました。
彼女は、ザルツブルクの宮廷連絡官の令嬢で、ウィーンでピアニストとして活躍していました。
彼女のために、後にあの素晴らしいピアノ・コンチェルト 第17番 ト長調 K.453 も作曲していますから、その技量のほどが偲ばれます。
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モーツァルトはこれらのコンチェルトの楽譜をザルツブルクの父に送った際、くれぐれも写譜屋に写し盗まれないよう、念押ししています。
これは私とプロイヤー嬢の曲なのでぜったい外には出しません、彼女はこの曲にたっぷり払ってくれたし、と。
初演は1784年3月17日に、自宅を間借りしていたトラットナー邸の広間で、モーツァルトの私的な最初の予約演奏会で行われました。
予約会員には、ウィーンの錚々たる貴族、裕福な市民、各国の外交官たちが174名も名を連ね、会場はあふれんばかりだったとのことです。
そして、このコンチェルトは大変な評判となりました。
プロイヤー嬢も、3月23日に自邸の音楽会でこの曲を弾いています。
Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.14 in E flat major , K.449
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー指揮 イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
マルコム・ビルソン(フォルテピアノ)
出だしは、これまでの優雅な感じから一変。とても力強い3拍子のモティーフから始まります。モーツァルトの変ホ長調によくみられるパターンです。曲が進むにつれ、ピアノが次々と繰り出すテーマとその展開は斬新で、これまでの社交的な雰囲気とは明らかに一線を画すものです。それでも、大変な評判となったということですから、当時のウィーンの人々の新しもの好きな面に訴えたのが成功したのでしょう。変ホ長調ですが、ハ短調に流れることも多く、後の大コンチェルト、第24番 ハ短調 K.491を予告しているといわれています。
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第2楽章 アンダンティーノ
モーツァルトのピアノ・コンチェルトの心打つ緩徐楽章の中でも、特に素晴らしいもののひとつです。その切なくも美しい情感を、評論家の井上太郎氏は名著『モーツァルトのいる部屋』の中で、北原白秋の詩集『邪宗門』の一節になぞらえています。
あたたかに海は笑ひぬ
ふと思ふ、かかる夕日に
白銀( しろがね)の絹衣(すずし)ゆるがせ、
いまあてに花摘みながら
かく愁ひ、かくや聴くらむ、
紅(くれなゐ)の南極星下
われを思ふ人のひとりも。
(北原白秋『夕』より)
井上氏の感じた通り、人妻との恋に落ちた白秋の詩の感傷に通じる、心に沁みる楽章です。ことに、日本人の繊細な感性に響いてくる思いがします。
夕暮れの浜辺で、憧れの人を想うとき、胸の内に流れる蜜のような…
第3楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
一転、軽快なロンドになりますが、ただ軽いというものではなく、濃密な内容を秘めています。とくに、テーマには常に対位法処理がなされており、それが音楽に深みを与えているのです。展開部では短調のシリアスな表情も見せつつ、ピアノとオーケストラの掛け合いがため息をつくほど見事です。何度聴いても飽きることのない、素晴らしいコンチェルトです。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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