最後のピアノ・コンチェルト
いよいよ、モーツァルト最後のピアノ・コンチェルトです。
完成の日付は1791年1月5日。前作の〝戴冠式コンチェルト〟から約3年経っています。35歳で亡くなるのが同年の12月5日ですから、もはや残りの人生は1年を切っているのです。
この時期、最晩年のモーツァルトの曲たちは、装飾的なものが少なく、清澄な、子供のように純真無垢な音楽と言われていますが、まさにこのコンチェルトも例外ではありません。
Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.27 in B flat major , K.595
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)
マルコム・ビルソン(フォルテピアノ)
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
ト短調シンフォニーと同じような、1小節の前奏から始まります。なんとも繊細で、心打たれます。オーケストラもピアノも、子供を優しくからかうような音型がときどき出てきて、シンプルに聞こえますが、後半、展開部に入ると緊張感がだんだん増してきて、どこかに連れ去られていくような気分になります。明暗がゆらぐのがモーツァルトの魅惑的なところですが、この最後のコンチェルトでは、特にそれが心に染みて、魂がゆさぶられる、といっても決して大げさではないと思います。
第2楽章 ラルゲット
ピアノのモノローグで始まります。私はそれを聴くと、まるで、暗い、広い宇宙空間にひとりたたずんでいるような、何ともいえない心地にさせられます。それは単に寂しいというでもなく、悲しいというでもなく、不思議な気持ちなのです。仏教のそれとは違うのでしょうけど、モーツァルトの〝悟りの境地〟とでも言ったらおかしいでしょうか。
子供が無邪気にスキップしているような軽快メロディですが、モーツァルトはこのテーマを使って、数日後にリート(歌曲)『春への憧れ K.596』を作曲しているのです。子供が病弱な友達に、早く春が来ないかな、春が来たらいろんなことして遊ぼうね、と呼びかける純真無垢な歌詞なのですが、この楽章も同じ思いが込められているように思わざるを得ません。実際、この演奏では、ビルソンは歌曲からの援用でカデンツァを演奏しています。
来る春は、モーツァルトにとって最後の春となりました。
モーツァルトの死の年の音楽には、聴くだけで胸がいっぱいになるものが多く、なかなか言葉では言い表せません。
やはり、音楽というのは言葉を超えるものなのでしょう。
ピアノ・コンチェルトでモーツァルトの半生を追ってきましたが、そろそろ違う世界に行ってみることにしましょう。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
にほんブログ村