第24番ハ短調。モーツァルトの珠玉のピアノ・コンチェルトの中でも、最高傑作と言われ、かつ、他の曲とほとんど似ても似つかない、異色の作品です。
ハ短調は、ベートーヴェンが好んだ〝運命〟の調ですが、まさにモーツァルトの〝運命〟とでも名付けたくなるような、重い曲です。
冒頭から、あれ?モーツァルト、そんなにシリアスになっちゃって、いったいどうしたの??と心配になるほど、陰鬱な始まり方です。
それも、同じ短調の第20番ニ短調には、爽やかさや明るさもありましたが、この曲はハーピーエンドではありません。
しかし、それだけに深く、常に人生と共にあった、私にとっても特別な曲です。
第22番の第2楽章で垣間見えた、ダンテの『神曲』の雰囲気が、ここでは全曲を覆っているのです。
編成は、ピアノ・コンチェルト最大で、管楽器はフルート1本、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット各2本というフル出場です。
管楽器たちはソロのようにピアノと対話するので、さながらピアノの入ったシンフォニア・コンチェルタンテ(協奏交響曲)と言ってよいでしょう。
モーツァルト『ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491』
Mozart:Concerto for Piano and Orchestra no.24 in C minor , K.491
演奏:ジョン・エリオット・ガーディナー(指揮)
マルコム・ビルソン(フォルテピアノ)
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
John Eliot Gardiner , Malcolm Bilson & English Baroque Soloists
弦とファゴットが低音で奏でる陰鬱なメロディで始まります。そして、続くオーケストラのトゥッティは、激しいすすり泣きのように聞こえます。
しかし、ピアノが語りだすと、暗くて深い森の中に、どんどん引き込まれていきます。
ときどき木漏れ日も差しますが、ほどなくかき消され、さまよい歩くしかありません。その森は、自分の心の中そのものに思えてなりません。
第2楽章 ラルゲット
古い童謡の『コガネムシは金持ちだ、金蔵建てた、蔵建てた…』に似ている素朴なメロディをピアノが奏で始め、少しホッとします。森の中で、清澄な泉に出会ったようです。
しかし、管楽器が吹かせる風に、ときには不安な気持ちがよぎり、ときには慰められます。ここでの管楽器たちの語りには、本当に心をゆさぶられます。
そして最後には、目に涙をためつつ、ほほ笑みを浮かべたモーツァルトが、さよならを言いながら去っていくように、曲は終わります。
第3楽章 アレグレット
荘重な変奏曲です。紋切型で、きっぱりと何かを訴えているようです。管楽器たちも居住まいを正し、ピアノ、オーケストラと対等に対話を続けます。対話はときに論争のように激しく、ときには希望に満ちた明るい雰囲気にもなりますが、話題は〝人生とは何か〟といったような重いテーマに思えます。そして結論は、決して玉虫色ではなく、こうなのだ、と何かを断言して終わるのです。
こちらは小編成のスクーンダーエルド版です。
演奏:アーサー・スクーンダーエルド(指揮とフォルテピアノ)&クリストフォリ
Arthur Schoonderwoerd & Cristofori
第2楽章 ラルゲット
第3楽章 アレグレット
この曲には聴衆へのサービスのようなものはなく、内面を追求したような、現代芸術的な要素があり、当時の聴衆はとまどったに違いありません。
実際、この曲を境に、ウィーンでのモーツァルトの人気は落ちてゆき、経済的に困窮していくのです。
聴衆サービスを常に考えていた職人モーツァルトも、18世紀が終わりに近づき、近代の足音が聞こえてくると、芸術的になって、自己の内面に無意識に向き合うようになっていったのかもしれません。
実際、音楽界の近代を切り拓いたベートーヴェンはこの曲を愛し、33歳の時に同じハ短調のピアノ・コンチェルト第3番を作曲します。
冒頭のテーマからしてモーツァルトのものそっくりで、いかにベートーヴェンがモーツァルトから学ぼうとしたのかが分かります。
もっとも、ベートーヴェンはモーツァルトの近代的なシリアスな面を高く評価し、オペラ『コシ・ファン・トゥッテ』のようなドタバタ喜劇などには、せっかくの才能を浪費したと怒っています。そのような多面性が、モーツァルトの最大の魅力なのですが。
ぜひ、ベートーヴェンのコンチェルトも聴いていただくと、ふたりの個性が分かって興味深いです。
動画はエルス・ビーゼマンによる素晴らしいフォルテピアノ、古楽器の演奏です。
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今回もお読みいただき、ありがとうございました。
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